妖怪一考察
私が以前に、ある新聞に載せていた記事からご紹介して、一部変更し、掲載いたします。今後、いろいろと思うところを記入させていただきます。
ご意見ご感想、お待ちしております。

第一回目は、百物語についてです。

 百物語とは、江戸時代にはやった遊びである。一夜のうちに、怪奇話を百話話すと本当に怪が現れると、江戸初期ではきわめて真面目に信じられて
いた。しかし江戸中期になると、余興の一つに成ってしまった。 1968年に大映で作られた「妖怪百物語」という映画では、神田隆扮する悪徳商人の但
馬屋利右衛門が、五味龍太郎扮する悪役人を接待するために、林家正蔵師匠に百物語をさせる場面が、この映画のプロローグになっている。半七捕
物帳などを書いた明治・大正期の小説家、岡本綺堂によると、よく剣術道場などで行われた一種の肝試しであるとのこと。妖怪と幽霊、大きな違いは二
つ。妖怪は出現する場所が一定だが、幽霊は何処にでも出る。妖怪は出る相手を選ばないが、幽霊は相手を選ぶ。民族学の父、柳田国男翁の説では
「妖怪とは信仰が失われ零落した神」が多いそうだ。さしずめ幽霊は元人間や動物という所か。大映の「妖怪百物語」では、悪徳商人と悪役人が組んで、
貧しい長屋の連中を追い出し、岡場所にしてしまおうと、妖怪をお祭りしてある(と思われる)神社も破壊してしまう。また、長屋の大家の娘(高田美和)
も、悪役人が手込めにしようとする、典型的な時代劇の王道を行くものだが、次々に現れる妖怪によって、悪者はあの世へと連れ去られる。日本妖怪の
特徴は、妖怪だからといって、悪者とはかぎらないところだろう。また、良くも悪くもなく、何故に存在しているのかさえ解らない物も居るところが多神教文
化の中での面白さではないだろうか。前述のように、柳田翁の説も当然あるが、それだけでは括れないほど、多くの妖怪が日本には語り継がれ、また、
現代も新しい妖怪が生まれているようである。二十数年前だろうか?口裂け女という噂が全国に広まったことがあった。ゲームで遊ぶ現代の子供が、学
校の怪談や、トイレの花子さんなどの話を真剣にしているところは、昔となんら変わっていない。真の闇夜が、大人の社会だけになった現代社会にも巣く
う、悪徳政治屋と政商、そして高級官僚の百物語。実話百編の最後には、果たしてどのような怪が出現するのだろうか。正義の妖怪ならば良いのだが。





                                      第2回 天狗について 


  日本を代表する三大妖怪といえば、河童、鬼、天狗だろうか。特に天狗は、日本固有の妖怪である。もともと、河童は河伯、または水虎という中国か
 ら伝わった陰陽道に発しているものであり、鬼は地獄の獄卒である、牛頭鬼や馬頭鬼が日本に伝わって牛角プラス鬼門を意味する牛虎の方角をもじ
 って虎革の腰巻を履かせ、死者を意味する鬼の字を当てたものである。しかし、天狗は全く他国に類するものが存在していない。初めて文献に現れる
 のは、 日本書紀で、六三七年に京の空に大彗星が現れ東から西に飛び雷鳴のような音が轟いたという。このときに、中国から戻った僧の旻が「これ
 は、あまつきつね(天狗)である」と言ったとされている。その後、鎌倉時代に烏天狗のようなものが描かれ、現在のような鼻の高い姿になったのは室町
 時代だと言われる。江戸時代になると、天狗の人気は最高になり、平田篤胤、新井白石、荻生徂徠、林羅山などの爽々たるメンバーが天狗について 
 真剣に 論じている。                                                                             
  また、日本全国の天狗番付なるものがつくられた。東の横綱は富士山の富士太郎、西は京都府愛宕山の栄術太郎ということになっている。     
  私が住む栃木県にも、日光に東光坊という天狗がおり、また、隣接する鹿沼市には山岳信仰の天狗面といわれる大天狗、烏天狗の面が古峯神社に
  奉納されている。県北の湯津上村にも、日本最大(ということは、世界一)の大きさの天狗面が光法山法輪寺に奉納され、その大きさは、面の高さ2メ
  ートル、幅1.5メ ートル、鼻の長さ1.3メートル、重量1.5トンである。                                             
                                                                          
  天狗には、天狗つぶて、天狗さらい、等々いろいろな現象を天狗をつけて表現されている。山岳信仰の修験者スタイルで妖怪というよりは神に近いの
 であろう。人が己の能力以上に過信して験者スタイルで妖怪というよりは神に近いのかもしれない。己の力量以上のことを自慢することを天狗になると
 いう。天狗は人に反省を促しているのかもしれない。                                                           
                   
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