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昭和36年卒業

佃孝司

昭和32年の新入部員はおよそ50人、しかし卒業の時の部員は15人で1/3以下となりました。

昭和33年(2年生の時)の夏の合宿は、戊辰戦争の白虎隊で有名な、会津若松で行われました。

或る夜、突然、激しい腹痛と下痢にみまわれ、トイレを出て階段でうずくまって居ると、”お前もか?”と大塚先輩に声をかけられ、他にも誰か同じ症状の者が居るのだと思いながら、一晩中、トイレと部屋の往復を繰り返していました。翌日、何人かの部員が保健所の人達に検査され、愛知大学生、集団食中毒と地元の新聞に報道された。それだけでなく、中日新聞でも報道されたとの事でした。

昭和35年(4年生の時)の夏の合宿。前代未聞の事と思いますが、(他にもあったが、公開されていないのかも知れません)毎日腕立て伏せ100回、2〜3日腕が思うように曲がらなくなるような激しい練習でした。そんな或朝、点呼時、人数が足りない。旅館中を探しても居ないので、旅館の主人に問い合わせたところ、今朝早くに「帰ると言って出て行った人がいる」とのこと、俗に言う夜逃げをされたわけです。

今でも、同期集まった時、食中毒や夜逃げ事件が話題の一つになっています。

 毎日毎日、稽古に明け暮れていましたが、成果の程は芳しく無かった。常に優勝していた愛知大学が、ー度、東海学生選手権の決勝戦で名城大学に敗れ2位になったことがあり、関係者全員、丸坊主になり反省しきりでした。

 稽古の話とは別になりますが、昭和34年の秋、我々が新幹部誕生と時を同じくして、台風19号(伊勢湾台風)に見舞われ、空手部員の家も被害にあいました。

 部員全員で弥富方面と柴田方面(名古屋市南区)と手分けして、後片づけの応援に出かけました。初日は名鉄電車で神宮前駅より柴田方面に向かおうとしましたが、まだ水浸しで身動きが出来ず止む無く引き上げ、水の引くのを待って、改めて応援に向かいました。

 部員の家に無事到着しましたが、家中泥だらけで、惨澹たる有り様。2日がかりで泥を取り除き引き上げました。

 伊勢湾台風の被害については皆さんの記憶に深く刻まれて居ることと思います。

 

        そして、昭和36年の卒業者は、

佃 孝司           (主将)

青島利喜夫                                 小林昭夫

磯村展雄                                     小池 実       (副将)

伊藤敬三                                     徳平憲暁       (マネージャー)

牛田 隆                                     早川明心       (副将)

川崎清平                                     服田益男

川田智之                                     松井善則       (体育会)

兼井武彦(永眠)                      栗田 寿