愛知大学学長武田信照 五十周年を迎えるにあたり 杉浦健五師範
イギリスより愛を込めて 早川明心 連合王国より声のある限り 早川明心
故大塚最高師範 50周年史の発刊に際して 田中宏 私の欧州30年の回想 坂神国昭
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昭和37年卒業 

同期生

遠山一正(故)    鈴木恵一       恒川正臣        伊藤彰造                

石井弘司      都築(新神谷)宏   近藤明義     前田潔
 

鈴木恵一

常川・鈴木・伊藤

ちなみに1年生時人部数80

私達が卒業して早や40年近い年月が過ぎ、全ての事がいろいろな意味を含んで鮮明に残っています。

 1年生時は本校・分校で約80名入部、卒業時8名という現実にいかに厳しいクラブだったか理解頂けると思います。 (皆様は分かつている事)

 

経過  1年生時 校内合宿 夏の校外合宿、冬の校内合宿を終えた時は早や40名は退部しています。

     2年、3年を経て4年生時は約1割の8名が無事卒業 年1回位同窓会を開催し、想い出等を語り親睦を温めています。

     その間大変悲しい報告がありました。キャプテンでありました遠山君が、死去された事です。

     最近は皆様とは会う機会がありませんが、心の中には

    8名の仲間は勿論、途中で何らかの理由で退部した仲間の顔等 今もはっきりと残っています。

     学生時代の想い出は“空手”の一語が全てです。

    ペンを走らせていますと諸事が浮かんできて、文字に表す事は出来ませんが心から浮き浮きし楽しくなります。 

 

部員の皆様は入部に際していろいろの機会があったと思います。

 私は高校の歓迎コンパに参加し、その当時名古屋校舎で活躍していた早川 川崎 川田 諸先輩の言葉「お前 背が高いから入部しなさい。イヤになったら直ぐ辞めても良いから」の言葉を信用し他3名と共に入部しましたが、簡単に退部出来る時代でなく、私は何だかんだと言いながら4年続ける事が出来ました。

 この4年間先輩・後輩という間柄で礼儀、礼節が培われ、今も充分に大きな財産として残っています。

 1年生(新部員)の時の4年生の皆様全てが、仁王様みたいな人ばかりで道場に入ると何か異様なピーンとした空気で(表現が出来ない・身震いする)恐ろしくて顔も見る事はできない程で…

ましてはフリーなんかになると顔を見る事なく、ガムシャラに向かって行ったものです。結果はおのずと直ぐ出ます。

 2年生になると空手にも練習方法、内容も理解できるようになり、当時の戸松キャプテン(死去)も一見温厚(練習時は別)の方で比較的話も出来ました。

        (平均毎年4年生と2年生の間柄は良好です。)

 3年生いつの時代もそうである様に、4年生の先輩は余裕・貫禄で練習に励んでいる半面就職とか学業に多忙で3年生がムードを作り練習等を自然の内に引っ張っていたと思います。実力も一番つく時だと思う。

 4年生になって最初に思った事は、4年間頑張ってきたという努力・忍耐力・精神力に誇りを持ち、言葉に表現出来ない程うれしさがこみ上げ感無量に。この1年間最後の仕上げをしようと思った事が思い浮かびます。

 

さて最後に

 ○今はありませんがリンチ(練習)が年23回ありルールを守る事を身を持って覚えた事。

  又練習相手をさせて頂いた(ツライ)時の自分自身の心境

 ○試合に負け全員坊主頭になった事

     日大空手部のOB(師範鈴木氏)の方が大挙来校し、何かの理由で非常に非常に激しいフリー練習が長時間続いた事、今でも脳裏に焼き付いています。

 

想い出を書けばキリがありませんが…

あれやこれや書きたい事山程あります。

当時は必死にこれはこれでと思っていた事ですが、今は楽しい想い出としか残っていません。

 自分の一生の中で一番貴重で自分を育ててくれた愛知大学空手部に感謝したいと思います。

 この様な厳しい練習と、いろいろな反省材料を乗り越え、我が空手部は当然の結果として東海地区では愛大空手部と言うだけで、試合の前から勝負がついていたような気がします。

 当時の成績だけですが東海地区では負け知らずでした。

東海学生団体戦12

   (2チーム出たのは最初最後です)

       個人戦123位独占

 全日本和道流団体2

 全日本学生選手権ベストエイトに残った事