愛知大学学長武田信照 五十周年を迎えるにあたり 杉浦健五師範
イギリスより愛を込めて 早川明心 連合王国より声のある限り 早川明心
故大塚最高師範 50周年史の発刊に際して 田中宏 私の欧州30年の回想 坂神国昭
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昭和38年卒業

空手は心だ

 加納敬三   

私が空手に熱中し始めたのは、高校2年の頃からであります。それまで兄2人(故・豊S32年卒、故・明S36年卒)の影響を強く受けていたこともあり、母校「愛知大学」入学と同時に、兄と同様空手部に入部。これが、当時「空手3兄弟」と世間より先入観をもって見られた所以でありました。

 今思えば、奇異にえられた原因が「我にあり」という意識がこの当時なかったのでは…。

自宅にパトカーやアジア系外国人がやってきたり、町では暴力団筋の方から挨拶してくるとか等々。まさにこの時期が、一過性とはいえ、私自身一番家族に迷惑をかけた「度胸一本槍」の成長期であった。しかし、この通過してきた時期が大失態であったことはいうまでもありません。

 名古屋日産モーター(株)に入社してからは、空手部の創部以来、自己流の鍛錬を習慣化し、40年以上に亘り「生活の一部」としてきました。

主な戦績としては

昭和37年  6回全日学生空手道選手権大会で、優秀選手賞を受賞         (団体戦では準優勝)      (新聞別添)

昭和41年 実業団全日本空手大会で、優秀選手賞を受賞(団体戦では3位)

 昭和37年OBとの集い何はともあれ、今日まで健康面と会社勤めが難なくやってこられたのは、学生時代の空 手技術の習得から成功体験のみならず、色々な教義と諸先輩の講話等が、社会・生活を経験する上で、私の確固たる精神として根を下ろしていたからである,と言っても過言ではありません。

 特に大学時代に会得した『信義』『礼節』『正義』の教義と諸先輩の講話は、社会人となって『義務を果たし、約束は守る』『攻撃は最大の防御である』『年長者を敬う』に変容し、ものごとをやり遂げる上でのコンセプトの基盤として多大なる影響を受けたのであります

 事実が見えても真実が見えにくい昨今の世情でありますが、空手道あればこそ、一本筋の通った心を醸成できたということに大いなる感謝をしております。

創部以来、今日の隆盛に至るまでの田中宏会長、杉浦健五総監督のご苦労ご尽力は並大抵のことではなかったと拝察致し、深く敬服するところでございます。