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部を創立して五十年

  空手道に青春をかけて

愛知大学空手道部OB会会長

東海学生空手道連盟副会長

(財)全日本空手道連盟和道会総本部

及び東海本部顧問

空手道八段  田中 宏

 戦後間もない昭和21年の冬の事である。空襲で焼け野原となった岐阜の街にもようやく復興の槌音が響くようになり、繁華街や柳ヶ瀬も焦土の中より立ち直りつつあった。

 当時私と親友青木昭彦君(故人)は、旧制官立岐阜農林専門学校(現在の国立岐阜大学農学部の前身)の1年生であった。私達は当時の若者がそうであったように、若さと精気に溢れつつ、一方では敗戦後の混乱期の心の空白を埋めるべく何かを求めていた。

 この様な時期偶然にも敗戦後一時岐阜県の根尾へ山林の仕事できておられた東大空手部OBの加藤重治・江里口達夫{和道会会長・(財)全空連初代専務理事江里口栄一氏の実弟}両氏と知り合い、「岐阜農専に空手部を創らないか」と言う話があり、私達は早速この話に飛びつき、年が代わった昭和22年の春手書きのポスターで部員募集を行いスタートした。岐阜農専空手部はこの様にして発足し、学制改革により岐阜大学空手部となり今日まで続いてゆくが、この事はまた東海地方における和道流空手道の最初の道場が誕生したという事でもあり、またその最初に播かれた一粒の種が私という事になる。ちなみにいえば、私は東海地方で最初に和道流の初段を授与された和道流段位第一号である。

 やがて加藤・江里口両氏は東京へ戻られ、代わりに和道会最高師範大塚先生よりの連絡により、旧制岐阜商業での私の先輩で当時明大空手部主将をしておられた丹羽俊一氏(故人)が、休暇を利用して岐阜農専へ指導に来られるようになった。和道会東海本部創立者丹羽俊一氏との出会いであり、その後丹羽氏と一緒になって東海本部の発展に献身していく事になる。

 丹羽俊一氏は明大卒業後岐阜の実家で家業を継ぐかたわら、空手道の普及に尽力され、和道会東海支部を創設、やがて傘下に多くの支部が誕生して東海支部は東海本部と名称を変更する。

 さて、旧制岐阜農専を卒業した私は、昭和25年旧制愛知大学に進学した(当時の学制では、旧大学に入学するには、旧制の大学予科又は旧制の高校・専門学校を卒業していなければならなかった。)

 愛知大学へ入学してみると空手部がない。心も体もうずうずしてくる。空手道に対する執念が益々メじた私は、東京の大塚最高師範と相談して愛知大学に空手部を創る事にした。愛知大学空手部創設について大塚最高師範とのやりとりの書簡が数多く残っており懐かしい限りである。愛知大学空手部は昭和25年の10月にスタートした。(詳細は年次別の項に記載)

 ここに呱々の声を上げた愛知大学空手部は、その後50有余年にわたり代々後輩に受け継がれ、今日に至るのである。

 旧制愛知大学を卒業した私は、和道会岐阜支部長等を歴任した後、昭和46年まで全国理事・東海本部理事長として、丹羽本部長と一体となって技術の指導・支部の増設等東海本部の拡充・発展に尽力していく。

 なお私が愛知大学を卒業した翌年頃だったと思うが、東大空手部で主将をしていた小嶋和四郎(旧姓哲也)氏が、東大を卒業して豊橋市の実家に帰り豊橋で支部を創られた。又日大OBの鈴木辰夫氏も少し遅れて浜松で支部を創り、道場を開設した。

 当時和道会東海本部の中軸となって活躍していたのは、丹羽俊一(明大OB・故人)・田中宏(小生)・山口光雄(旧姓田中・明大OB・故人)・平野半二(明大OB・故人)・小嶋和四郎(東大OB)・鈴木辰夫(日大OB)・藤田和三(名城大OB)・田中寿(名城大OB)三輪宗和(岐阜農専OB)・渡辺康司(岐大OB)等の諸氏である。謂うなれば和道会東海本部創始・発展期における若き空手活動家の群像である。小嶋・鈴木両氏とも小生卒業後の一時期愛知大学空手部を指導していただいた。この機会に心からお礼を申し上げたい。

 私のその後の主なから手道歴は、

l         昭和38年10月

Ø東海学生空手道連盟創立・初代理事長(平成5年3月まで在任)

l         昭和41年8月

Ø愛知県空手道連盟創立・初代理事長(財)全日本空手道連盟評議員

l         昭和46年8月

Ø全国郵政空手道連盟の創立に参加・副理事長

l         平成5年3月

Ø東海学生空手道連盟副会長

l         平成5年7月

Ø全日本学生空手道連盟副理事長

等々である。

 尚平成11年7月にはフランス リール市開催の世界大学スポーツ連盟(ユニバーシヤード主催団体)主催の第1回世界学生空手道選手権大会に、日本選手団の副団長として参加した。

 東海地方の空手道界においては、和道会でも、学生空手道連盟でも、愛知県空手道連盟でも、どこを降り下げても「田中宏」という名の水脈に突き当たると人はいう。正に「元祖東海の空手」という事になる。又「和道東海」の創始・発展期を、自ら中軸の一人として担ってきた数少ない歴史の生き証人でもある。

 空手道と共に歩んできた50有余年、この間空手道を通じて多くの師や先輩・拳友を得る事が出来た。空手道の大家・一流一派の宗家・達人もいれば、政治家・官僚・実業家・医師・技術者もいて多方面にわたる。時代と場所は様々であるが、同じ道で汗を流した同士である。誠に幸いである。空手道に捧げた我が人生に悔いはない。

 この私の原点は、文武両道・人間形成の道としての学生空手道である。

 愛知大学空手部は、創部以来50有余年の歳月の大半を、東海地方では、常勝愛大の名に恥じない実績を積み重ねてきた。かっては全日本大学選手権大会で準優勝をした事もある伝統ある空手部である。今後とも伝統の名に恥じない空手部であり続ける事を切に念じて止まないものである。

 ここに創部50周年を心から祝するとともに、50有余年間にわたる歴史の一頁一頁で、愛知大学空手部の輝ける伝統を受け継ぎ、部活動に青春の情熱を傾け、空手部の発展に献身・尽力していただいた歴代の後輩諸拳に対して、心から感謝の意を表するしだいである。