我孫子武丸先生質問会


司会  まずはプロフィールを紹介します。我孫子先生は京都大学文学部哲学科中退。在学中は同大学ミステリ研に所属してました。一九八九年『8の殺人』でデビュー。その後の執筆活動についてはお手元にあるパンフレットを参照してください。そして一九九四年「かまいたちの夜」というスーパーファミコンのソフトの原作をなさいました。ただ今京都市内に奥様と猫の三人暮しをなさっています。先生からご挨拶がございましたらどうぞ。

我孫子 お金とると思わなかったので(*入場料三〇〇円でした)こんなにきていただいて申し訳ないなという気がするんだけれども。ちらっと外みたら講演会とかいてあったんですけど、系統立てて喋るというよりは質問して頂いてそれに答えるという形式じゃないと難しいと思うんでその辺のところはご了承ください。

司会  まず、作家ということ、お仕事全般について質問させて頂きます。我孫子武丸というのはペンネームなんですよね。

我孫子 そうです。

司会  本名だったら大事ですよね。

我孫子 まあねえ。でも本当に本名だと思う人がいてね。名字だけならあれですけれども、下がちょっと変で。島田荘司さんという方が姓名判断をされる方で、綾辻さんからずっとみんなつけていただいてるんですが、出すペンネーム出すペンネーム画数が悪いと。本名はわりとよかったらしいですが、綾辻さんは本名は避けたかった。作家のペンネーム創られたのはその時が初めてだったと思うんですけれども、それ以降法月(綸太郎)くんにしてもね。彼は法月林太郎というペンネームをもってたんですよ。林太郎のりんの字が林という字だったんですね。これは画数悪いと。一文字変えれば多少良くなるというんで。その当時当用漢字に無くて彼は怒ったんですが。その後当用漢字に入ったんでもしかしたら法月綸太郎のおかげじゃないかなんて。とにかく一文字変えたんですね。歌野晶午さんという方もですね、あの方はめずらしく歌野というのは本名なんですよね。下の名前を作られたはずです。ぼくの場合は自分でこういうペンネームにしたいという希望はなかったんですが、なんか本名じゃないペンネームを付けようと思っていたら、ある日突然電話がかかってきて。デビューする前のことなんですけれど、編集者から電話がかかってきまして「ペンネーム島田荘司さんが作ってくれました。驚かないでください」といわれて「はい」「我孫子武丸というんです」「は? もう一回言ってもらえますか」といってもう一回言ってもらって、字を説明してもらって、宇山さんという割りと有名な編集者の方なんですけれどもその人が「どうしますか?」といわれまして。どうしますかといわれても作って頂いたんですからじゃあそれでお願いしますといったんですがね。後になってその方が言うにはですね「我孫子さんは勇気があるなあ」と。「一晩考えさせてくれ」とか そういう風にいうと思ったらしくて。ぼくはどういう名前でいこうという明確な考えが無かったんでね、せっかく作ってもらって、その好意と、それをわざわざ蹴って別の名前にして全く鳴かず飛ばず消えていったらそれ見たことかと、俺が作った名前を使えば良かったのに。という事態になるのは避けたかったので。一応島田さんも作風を見てから名前をつけてくださって、ちょっとふざけた名前に見えるのもユーモアミステリを書くんだからということまで考えてくださってつけてる。だからありがたく使わせて頂いています。

司会  つまりお気にいりなんですね。

我孫子 お気にいりというか、やっぱりなれ親しんでしまうとこれしかなかったような気がしてきますよね。あと「えっ」というのはあるけども、それは普通の一般読者にとってはある種のインパクト、覚えやすい名前であるのは間違いないかな。覚えやすいというのは正確に覚えられないとしてもなんか変な名前の奴がいるなというのはあるでしょうね。

司会  一種運命的だったということで。

我孫子 どうかな。ただまあユーモアもののということでつけてもらった名前なのでその後、最近わりとシリアスっぽいものを書いたりとかしてるときに果たしてイメージっていうのがついて回ってるのかなというのが気になりますね。

司会  御来場の方に説明しておきますと、島田荘司というのは姓名判断で有名な方なのではなくて本来推理作家でいらっしゃいます。

我孫子 そういう説明しなければ駄目なの?

司会  ええ、まあ。その作家は占いづいてて作家デビューする前は雑誌の占いコーナーに出てたとか。次の質問にいきます。わたしたちから見たら作家って無茶苦茶変な時間帯に活動してるんちゃうんかと言うイメージが少々あるんです。その辺の一日のタイムテーブルというのがありましたら教えて頂きますでしょうか。

我孫子 ぼくの場合本当に無茶苦茶で、無茶苦茶というのは単に逆転してるだけじゃなくてそれがどんどんずれていくタイプですね。一日に二回寝たりですね。そういうところが無茶苦茶不規則なんでタイムテーブルって見えないんですけれども大まかに言って昼すぎ、二、三時に起きて明け方の六時に寝るのが一番多いかな。

司会  そうですか。今日はどうも朝早くからありがとうございます。

我孫子 そうですね。だから今日はもう一時間寝かしてほしかったかな(笑)。

司会  すみませんでした。お仕事をなさってるときに、それは自宅と仕事場を兼ねているのか仕事場が別にあるのか。有名な赤川次郎さんなんかは出勤してるという話なんですけれど。その辺はどうなんでしょう。

我孫子 ぼくは自宅ですね。

司会  自宅で仕事してて困るなぁと思ったことはありませんか。誘惑が多いとか。

我孫子 誘惑は多いんですけどね。たまにたとえばホテルとかで東京で、用事があって上京するんだけれども仕事があって、寸暇を惜しんで仕事をしなければいけないというときになんにもないホテルの部屋で仕事しようと思っても全然仕事にならない。自宅だと誘惑が多いんですけれどその場合はあまり集中力が無くて仕事中も本よんでたり、パソコンの前で座って原稿を立ち上げて本読んでたりというのが結構多いんで。一章読んだら五行書いたり。そういうのが身に着いちゃってて画面に向かって一心不乱に仕事をするというのはたぶんできないんじゃないかな。

司会 そうですか。じゃあちょっと質問の傾向が変わりまして作家ですから本を出したら読者がいるんですね。読者の設定というものをそもそもなさってるでしょうか。前に聞いたことがあって歌手の小田和正は購買層に焦点を合わせて詩を書いているとインタビューでいってましてその時うぉやられたと思いましたけれどね。

我孫子 そういう人は多いと思いますが。「ジャンプノベル」という中高生男子向けの集英社が出してる雑誌にいくつか書いて本になってるんですけれどね。それを書いた時だけはさすがにジュブナイルということを意識して書きましたけれども。それ以外では読者の設定はないですね。ただ、出版社の傾向によってその編集者が喜んでくれそうなものを書かないとまずいなというのはありますね。最終的にそれが本になったときというのは大人向けに関しては書きたいものを書いてるわけで。もちろん書きたいものを書くときにこう書いた方が楽しんでもらえるだろうということと、場合によってはミステリマニアかそうでないかという設定はありますね。とくに仕掛けがある作品の場合にこれは鋭いマニアだったらこう書いたらばれちゃうだろうというのがあるんですよ。でも、こう書いたらばれちゃうんだけれど、やっぱりマニアというほど読み慣れてない人にとってはここんとこはちょっとでも説明しとかないとまずいだろうとかそういう選択に迫られたときはおおむね一般読者を切り捨てる場合が多いですね。しょうがないかと。十万部売れるわけじゃないし。

司会  読者を切り捨てる場合があるんですね。やはり。作家には。

我孫子 だから切り捨てるって言っても小田和正がどうとかという以前にこうしたほうが売れるとか言ういわゆるマーケティング的な戦略は全然無いんで。「ジャンプノベル」というのはですねあそこで人気のあるものというのは漫画のノベライズなんですよね。『バスタード』であるとか『シティー・ハンター』であるとか。自分の好きな漫画作品の小説版が載ってるから小説も読んでみようかという合間にですねぼくとか村上龍とかなんでこんな人のが載ってるのかなていう状態なんですがぼくとしては作家の名前を覚えてもらわなくてもいい。何となくちょっと気持ちのいいのを読んだなとかあるいは心に引っ掛かってくれるようなものを書けたらいいなと思って。マーケティングじゃないんですね。

司会  はい。よくわかりました。読者というとファンになってくれる人もいて、特にホームページを公開して電子メールの送り先も公開していますよね。その中で変な電子メールが来たぞとかストーカーみたいなのがいるぞとかございませんか。

我孫子 変な電子メールはそんなに来ないですね。ストーカーみたいなのは……。ぼくは周りにいる他の作家の方に比べるとそういうストーキングの対象になりうる、フェロモンと呼んでるんですけども、フェロモンがないというのと、あとまあ恐そうだから(笑)。ただ、電子メールは変なのは来ないですがネットではいやなことも多くて、古くから日記を読んでる人は知ってると思いますけれど、日記リンクスって知ってるひといます?(挙手する人はいず)いないよなぁ。要はインターネット上で日記を書いてる人を集めたページがあって一時期すごく、すごくといってもインターネット雑誌とかでですけどもこんな面白いうことをやってるぞというページがあったんですよね。そこではどの日記が人気あるかということをやってたんですが、自分で自分の日記に投票する人がいてですねぐちゃぐちゃになったときに日記リンクス自体つぶれたという事件があったんですよ。当時は一時期話題になったんですけども、それに一時期ちょっとからんでて、ぼくもそれに参加してたんですよ。面白がって上位にくるのを楽しみにしてたんですね。某所であんな日記が上位にくるのはおかしいといいだしたやつがいて、そいつがどうも自分で自分に投票してた奴らしいんだけれども。そいつがある種の、ぼくとか大森望さんとかそういう仲がいい人たちが結託して上位を狙ってるみたいな事を思ったらしくて傷のメールがきたりしてこれはなんだろうと思って。つまりこっちは遊びでやってるのにこれに命を懸けてる人がいたみたいで。それのおかげでそのページのリンクがつぶれちゃったんですね。当時はすごい事件のようだったんですけれど、今にして思えばすごい狭い世界の話でよくまあこんな狭い世界で命かけてられるなあと感心した覚えがありますけれどね。あと、匿名の方から薔薇が送られてきて。住所氏名が書いてない。好意的に解釈すると住所氏名書いたらわざわざお礼に気を使わせるのは申し訳ないだろうという意味でやったのかなという気がするんですけれども黄色い薔薇で、いま笑った人は知ってると思うんですが黄色い薔薇の花言葉は嫉妬らしくて。嫉妬ねぇと思いながらまあ喜んで飾ってましたけれど。それぐらいですね。

司会  黄色い薔薇の送り主は結局わからなかったんですか?

我孫子 わからない。

司会  この中にいるかもしれませんね。

我孫子 あと不思議なのは住所知ってるわけだからうちの住所を知ってる人なんですよね。で、すごく昔はわりとファンレターに一々出版社経由で送ってもらうのもなんだしと思って住所を書いてたんですが、最近は返事を書いても住所を書かない人が多いんで割りと昔から手紙をくださってる方か、あるいは周りの人間なんじゃないかとかね。

司会  後ストーカーとか。

我孫子 ストーカーはいないです。ファンレターをくれた子でこっちが住所を書いちゃったらあるときにこの間我孫子さんの家の前まで言って車をみてきましたというのがありましたけれどね。突然押し掛けてきた人はいないです。

司会  先ほど読者層についての書きわけがについての質問で少年のものだったら考えるという話はうかがいましたが、発表の形式ですね。書き下ろしとか連載とかそういう発表形式による書きわけとかはあるんでしょうか。

我孫子 書き分けてるつもりはないんですが、やっぱり連載だとほとんどの小説誌で全体で読む人はいないと解ってても連載の終わりの方でついひいちゃうんですよ。以下次号という感じで次どうなるんだろうみたいなそういうシーンをもってこないと駄目な気がしてついそうしちゃうんですが。いま「小説推理」の方に連載してる奴を次の回を書こうとしてまとめて読み返すと明らかに断絶があってここはひとつ間をおいてから読んでほしいなとかね。そういうのがあるんで単行本にするとき直さないと変な感じするなと思って反省してるんですよ。明らかに連載で読むのより単行本で読むほうが多いので。これからも変わらないと思いますね。

司会 そうですね。小説誌で「週刊少年ジャンプ」みたいな事をやられると疲れますね。

我孫子 なんかね、まとめて読んだときにつながりが悪い気がするんですね。そこだけがくっとなってる気がして。それをまあ単行本の時に直すわけですけれどね。意識しないでもそうなっちゃうなという気がします。

司会  インターネットの話にまた戻るんですけど「読む読めページ」(*インターネットのホームページでミステリのネタばれや最適な読み方を紹介しているページがある)というのがあるんですが、先生の作品の中でこういう順番で読んだがいいというのは有るでしょうか。

我孫子 ぼくの場合シリーズものは前の方から読んでくれたらいいなというのはあります。基本的にネタをばらしてないつもりですけれど、同じキャラクターの説明をするのはいやなんで読むんだったらシリーズに関しては順番に読んでくれた方がいいです。それ以外は最近シリーズから離れちゃって単発、単発じゃないけれど大体シリーズは三作で飽るという傾向にあるんで。

司会  小説ってこれとこれはテーマがダブってるぞというのがありますが。

我孫子 無論書きはじめるときは同じものを書いてるつもりはないんですけれどもいくつか書いた段階で似たようなものを書いてるなぁと言うのは有りますね。病気とかそういうものですかね。そういうつもりはないんですが似てきちゃうものはあるんですけれど。テーマ、もちろん自分ではいろんな意味で今まで書いてないものを書こうとか人が書いてないものを書こうとかね。そういうつもりでやってるつもりなんですが表面的には多い。タッチとか含めたら割りと違うんじゃないかなと自分では思うんですけれど。ただ、ぼくの方で似てるのは多いかなぁ。いま書いてる「小説推理」の『屍蝋の街』なんですけれど、「小説推理」に『腐蝕の街』というのを掲載してそれを単行本にするときに本当はそれ一冊でおしまいにするつもりだったんですが書いてたらあのラストでですねこれ続けられるなと。ていうんで今続けて書いてるんですけれども。その結果『屍蝋の街』という作品はですね、ほぼ二重人格みたいなものになちゃって。また二重人格書いてるのかと思って不思議な気がしましたけれどね。でてきちゃうんですよね。

司会  この質問をした理由というのが知り合いが「我孫子武丸は心の病を書くのが得意だ」というそういう書き方をしてそれは違うと思って私は質問したんですけれど。

我孫子 それは違うというのはどういうことですか。下手だと(笑)

司会  すみません。そういう意味じゃなくてそれしかできないというような書き方だったような気がしたので。

我孫子 得意かどうかは自分ではわかりませんけれども。ふりかえるとおかしい奴ばかり書いてるなという気はしますね。基本的にお金とか色とかね、そういう世俗的な動機で人を殺すというものは書いててあんまり楽しくない。それだったら動機なんかないほうがいいかなという気がしますね。

司会  次の質問は個別作品についてについてですね。少々ネタを割るかも知れませんのでそういう時は先に言います。『8の殺人』、『0の殺人』、『メビウスの殺人』で登場人物の三兄弟が恭三、慎二、一郎(いちお)という生まれた順とは逆に遡って三、二、一という字が名前に入っている。それでゼロという名前、レイという名前がついている名前の人物を出すていうのはないんでしょうか。

我孫子 ないです。早くから親が死んでるという設定なんで。隠し子でどっかから出てくるということはあるかも知れませんけれど。それより下の名前は全く考えてなかったことと。あれは数字が出るというのはどうでもいいんですが、ぼくはどうも本格推理とそうじゃないものを色々書いていきたいんだというのがあるんですけれども本格に関しては一番本格だなぁと思うもので好きなのは結局アームチェアものだったんですよね。そうするとアームチェアものをするので最低限必要なのは『隅の老人』みたいに二人いればいいんだけれど、二人じゃ間違った推理が出てこないんで三人かなというような。一番上の人間が事件を持ってくるわけだから刑事だとかね。そういう作りになってるんで四人目はないです。

司会  ゼロという人がないというんで提案するんですけれど。麻耶雄嵩の『夏と冬の奏鳴曲』で作中作なんですけれどね、「ヌル」という人が出てきます。あれドイツ語でゼロなんでぜひどうぞ(笑)。

我孫子 まあ。速水のシリーズはもう書かないと思うんで。ときどき奇特な人がいて「次書かないんですか」というんですが、たぶん書かないと思います。

司会  書いてほしいですね。

我孫子 一応もしかしたらというのが木下刑事っていうのがいて『木下刑事の冒険』ていうシリーズを考えていたことがあって、もしかしたら書くかもしれないです。木下刑事の一人称で自分は名刑事だと思ってて、一応最後に事件解決するんだけれど読者とか周りからはそうは見えない。シュロック・ホームズみたいなのを書こうと思ったんですが。

司会  木下刑事の一人称というのは一つありますよね。

我孫子 あれは時代が先にいっちゃってるんで。木下っぽくないでしょ? あれをもっと若い木下で。出だしまで決めてね。

司会  熱血木下に請うご期待と。次は人形シリーズについての質問です。少々ネタ割りますが、トリックとかじゃないので。朝永さん更正しないんですか?

我孫子 人形のシリーズが止まってるのは飽きたというよりも後一作書いたら終わっちゃうなという意味で止めてあるんですが。だからそのうちちょっと短編とか中編で当たり障りの無いものを書いてサザエさん状態を続けようかなと思うんですが。話が二人の仲が進行していくにつれて終わっちゃうんですよ。だから次にいかずに間の隙間をうめるような短編を書いていこうかと思います。

司会  二人の仲が進行と伴に終わるということは結婚しておわるということですか。

我孫子 それに近いですね。ただ、更正に関していうと『五番目のサリー』とかいう小説がありますよね。要は多重人格は病気なわけですから大体最後に統合しておわりますよね。そっちの人格もこっちの人格も仲良くやっていきましょうみたいな。そういうのってなんか淋しいなという気がするんで果たして多重人格にとっての幸せってどこにあるんだろうと更正の方法っていうのが単純な統合でない形の更正ていうものをしたいなと思っています。彼の場合は社会生活営んでるんで病気じゃないという可能性もあるんだけれど。ちょっと言っちゃうともし最後の話を書くとすれば二人が結婚しようとするのを彼は病気だからという理由で邪魔をしようとする人たちがいて、それをいかに病気じゃないか、病気だとしてもそれを直そうとかですね。そういう風に右往左往すると。『うる星やつら』の最終回みたいにドタバタになって終わるというそういうのをぼんやりと考えてたんですが。

司会  次は「かまいたちの夜」についての質問ですね。我孫子先生は「かまいたちの夜」を作るまではずっと小説一辺倒だったんですね。

我孫子 それが普通ですよ(笑)。テレビの仕事とかしてましてね、「マジカル頭脳パワー」という番組があって、始まったときは「マジカルミステリー劇場」というミステリークイズドラマが付随してたんですよ。最初はそちらの方が、瞬間視聴率なんですけれどミステリードラマ部分が十何パーセントあって、クイズの方が七、八パーセントとかそういう感じだったんですよ。で当初は番組はそこに力を入れてたらしくて。ぼくは最初から関わってたわけじゃないんですけれど何人かのブレーンの人が知り合いにいてちょっと自分たちだけだとネタがつきてきたというわけで助っ人に呼ばれてでていってそのあとミステリー劇場自体がなくなるまでやってたんですけれども。ミステリー劇場自体の視聴率は最後まで変わらなかったんですよね。ところが番組、前半のクイズ自体が低年齢に受けるようなものになっていっちゃったから、その結果ミステリー劇場を見ても小学生は何のことだかわかんないというんで前半の視聴率が二十とかになったのにも関わらず相変わらずミステリー劇場になるとこどもはチャンネルを変えていたらしくて。そこだけ突然切られちゃった。――質問と関係ないですね。

司会  それでゲームの原作をするに至った。そのいきさつについてどうなんでしょう。小説だったら出版社から依頼があって書くんですけれど、ゲームの場合はどうだったんでしょう。

我孫子 みなさんご存じだと思うんですけれど、「かまいたちの夜」を出したのはチュンソフトという有名な会社で、ぼくはパソコンゲームを作ってるときから知ってて、知っててと言うよりは遊んだことがあるんですが、そこはそれまではスーパーファミコンのソフトは販売はしてなかったんですね。要はエニックスが取りまとめ、プロデューサーみたいな事をして「ドラゴンクエスト」とかですね。鳥山明と堀井雄二とチュンソフトを組み合わせて作った。でもやっぱり自社で開発して自社で立ち上げて自社で販売するのを作りたい。それで作ったのが「弟切草」というのだったんですが、それを出したときに遊んだ人からのアンケートでまたこういうのを出してほしいと。「弟切草」というのはアドベン チャーゲームブックのスーパーファミコン版だったんですが、それは割りとホラーっぽい形でそれの続編出してほしいていう手紙がいっぱい来た。その中でミステリーものをお願いしますと。金田一なんかも流行りかけてたのかな。とにかく推理ものをやってほしい、と。ミステリーものだからミステリー作家に書いてもらおう。それでいろんなミステリー作家にモニター募集というか葉書を出したんですね。こういうソフトを遊んでみてくれないかということでですね。ぼくはもうやった後だったんでそれやりましたと。こうこうこう思って、もちょっとここら辺はこうしたがいいという感想を書いて送ったんですよね。なんで感想をわざわざ送ったかというとドラクエがもらえるかもしれない(笑)。ドラクエ5が出る前だったんですね。これはやっぱりチュンソフトとは繋がりをもっといて一応意見を言っておけばもう並ばないでもいいかもしれない。ドラクエ5はそれでもらったんですけれどね。チュンソフトは知ってるし、ゲームソフトで遊んだことがありますという ことを書いたら早速営業の人が京都に飛んできて会ってくださいと。会って話をしていくうちにそのうちゲームの監修とかですね文章チェックとかアイデア出しとかそういう形で関わることになるかもしれないなと思ったんですけれど、最終的に話し合ってるうちに全部自分で書くと言うことになってしまったという感じですね。書くといってからも半年ぐらいでいいかなと「弟切草」が千枚ぐらいです。テキスト的には同じぐらいで構わないということだったんで千枚ぐらいだったら頑張ればすぐできるだろうと。今なら、小説でも無理な話だと思うんですが、その時はできる気がして引き受けたんですよ。結局一年半ぐらいやりましたけれども。いきさつはこんな感じで。

司会  ドラクエもらいました?

我孫子 ドラクエはもらったしドラクエ1・2やトルネコももらって遊び倒しました。

司会  さっき千枚とおっしゃいましたけれど「弟切草」と「かまいたちの夜」のパッケージを見たときに容量が「かまいたちの夜」の方が大きいんですが。

我孫子 それは大きいですよ。テキストというのは知れてるんですよ。一番問題なのは音とかグラフィックですね。「弟切草」に比べればグラフィックの容量とか音の容量食っちゃってる。音が大きくてグラフィックは実写なんですよ。もちろんこっちが倍書いたって容量にはひびかないんですが、もし倍書いた結果ですねそれに合うグラフィックを倍にしなければいかないとなったらもう入らないんですよ。テキスト自体は同じぐらいでいい。

司会  「かまいたちの夜」の効果音とかグラフィックの話が出ましたね。アニメーションとかあってそういう小説じゃできないけれどゲームだったらできるというような所はありますか。

我孫子 そういうところは考えてないですね。一応音を重視したソフトなんで。そうするとどちらかというと恐がらせるタイプというかねサスペンス、ホラーというのがなじむなというのはありましたね。最初からミステリーといってもそんなにお茶らけたものじゃなくてある程度ばたばた人が死んでいくようなものにしましょうねというのがありましたけれど。それ以上の特殊効果というのは……。こっちが音が聞こえたという文章で書いてもこれはほとんど流しますからこの文章はいりませんということはありますね。音を流しておいて今のはなんだってすればそれでいいわけですから。そういう意味では音による文章の変化というのはありますが。

司会  ご自身でプレイしてみてああ、こうなのかと納得した部分はありますか。

我孫子 テキスト部分に関してはこっちが書いたんですからないですが、グラフィックとか特殊効果とか会社で見てるんですけれども音楽とあいまってね。音楽は社員が作ってるわけなんですけれどね、実際、ちょうどあの後オウムの事件とかあってオウムの事件の後には散々かまいたちの音楽がかかってて。知らない人もいるだろうけれど結構ゲームの音楽って初めからBGMとして作ってるわけだから当然かも知れませんけれどもニュースとかの音楽にすごいつかわれてますよね。その中で「かまいたちの夜」っていいのだったんじゃないかなと思いますね。スーパーファミコンの能力とか考えても当時としてはすごく良かったかなと思います。

司会  次はものを書くこと全般についての質問です。作家になることについて、初めて自分で作家になれると思ったのはいつ、何故ですか? 小説というのはいつの頃から書きはじめられました?

我孫子 小説らしきものは中学生の時から書いてたりしてましたが、もちろん作家になるだとか言う気は全然無くて。ただ、高校生ぐらいの時に、ミステリーに限らず色々読んでその内で感銘を受けたいくつかの本というのは、自分でもこういうのを作りたいなという気持ちはありましたね。それが即職業とか、生活の手段という風に考えたわけじゃなくて、要は自分でも書いて、知り合いでも何でもいいから読んでもらいたいという感じだったんですけれどね。京大のミステリ研という所に入るとそこでは割りと頻繁に創作が行なわれてて、単に本読んでて話するだけかなと思ってたら結構創作集団だったんですよ。もちろんみんながみんなというわけじゃなくて全然やらない人もいるんですけれど、毎週例会というものがあって例会のうちの二回に一回とか三回に一回とぐらいは当初は犯人当てというのをやってまして。その犯人当てというのは短編の朗読で問題編と休憩挟んで解答編というものなんですが、当初はそれが義務で一度はやるという慣習があって、それでわりとみんな書きそうもない人でさえサクッと書いちゃうていうのがあってそこで結構鍛えられたのかなとういう気がしますね。年一回発行する機関誌とかですねそういうのに書くようになって初めて書いたのは百二十枚ぐらいだったんですけれど、百二十枚の原稿用紙に手で書いてほとんど長編一冊書いた気になった気がしたのを覚えてますけれど。とにかく書きはじめないと四百枚だとか五百枚だとか自分が書けるようになるっていうのは思わなかったでしょうね。その時点でも作家になれるとは思ってなくて、関西ミステリ連合っていう関西の大学のミステリ研が集まって作家を呼んだりクイズ大会をやったりていう催しが十七年ぐらいつづいてるのかな。ぼくが入ったとき、四年目か五年目の時に島田荘司さんを、立命が主催の時の大会に呼んだんですよ。その後島田さんが居酒屋にもついてきて下さって、綾辻さんがその時、作家になりたいんですけれどというような話をして。島田さんとはその辺からのつきあいなんです。出版社の編集の人を紹介してもらったりとかですね、色々あって綾辻さんがデビューすることになった。それを間近でずっと見てたんで頑張ればなれるかもしれない、程度には思うようになった。で、ぼくは勤め人にはなれないなと思ってたんで大学院でも行こうかなというのが大学に入ったときの漠然としたものだったんですけれど、四年とか五年行って勉強むいてないな、勉強嫌いかもしれないというのに気がついて。勉強嫌いな人間が大学院行ってもしょうがないなというんでじゃあ本当に作家になるしかないんじゃないかなと思ってその辺からようやく真剣にやりはじめたというのがありますね。でも、それでもし書けなくってもいいかと。たぶんここにいる人たちでミステリーに限らず小説が好きで作家になりたいという人たくさんいると思うんですがとにかく一冊出せればいいという気持ちがその時はありましてね。やっぱり一冊出しちゃうとそれではすまないというのがあるんですけれど。作家というものはなるものじゃなくて書き続けてなかったら作家じゃないから大変ですよ。本一冊出してそれで作家でもう書かないでそれで作家だといえるならそれでいいんだけれど、作家というのは属性として身についてるものじゃないし、本なんて誰でも書けるものだし出してもくれる、というのが今の講談社ノベルスとか見ててもわかると思いますし。自分も含めてね。そんな大したことじゃないんで。ずっと作家であり続けるためには小説を書き続けていかなければならないというのがありますね。

司会  島田荘司は新人の発掘に力を入れてたんですよね。

我孫子 発掘に力を入れてたというよりもカリスマというか、島田さん自身の魅力に惹かれて人が集まったという感じはしますよね。つまり、別に島田さんが呼び掛けてるというわけじゃなくてたとえば綾辻さんが島田さんがたまたま関ミス連にきたときにぽつんとさびしいそうにしてたと。みんな話し掛けることが恐くて一歩引いたと思うんですけれど、綾辻さんは一歩踏み込んでバイクの話をしたんですね。なにかに書いてましたよね。

司会  ええ、『本格ミステリー宣言』です。

我孫子 綾辻さんはバイクが好きで島田さんはバイクや車が好きだといってたんで「ぼくも中型バイク乗ってるんです」というようなそういうような話から始まって会話できるようになったというのもあるし。例えばファンレターを書いてきた人の中でこの人は才能があると島田さんが言ってその後でデビューした人もいます。司凍季さんとかティーンズ・ハートで書いている井上ほのかさんとか。あの人はもともと島田さんにファンだとファンレターを書いたら、どういう内容か知らないけれど「このこは才能がある」と。当時十六とか十七の女子高生だったと思うんですがこの子は才能があるからといって講談社の編集部に見せたのかな。そしたらある日突然変な本が送られてきて、変なというか可愛い本なんですけれどね。『アイドルは名探偵』と言う本なんですが。それが送られてきてなんで私にこんな本が送られてきたのだろうとずっと不思議だったらしいんですけれど後で聞いたら同じ子だったといういきさつとかありまして。歌野晶午さんなんかにしても、いきなり家の見当を付けて近くにいったりですね。作家になりたいんですとか言って。なりたいけれど書いたことはない。原稿用紙ってどのように使えばいいんでしょうみたいなことまで聞いて。その結果デビューしたんですね。面倒見がいいというか親切であるというのは確かだし。

司会  作家になるにあたって感銘を受けて影響された作家なんかはおられますでしょうか。自称(ディクスン・)カーマニアであるとは聞いておりますが。

我孫子 ぼくの場合本格だけじゃないんですが本格ということに関して言うと理想というか、一番好きなのはカーですね。ただ、影響といってもいろんなのがあるんですが、もともと冒険小説が好きなものでアリステア・マクリーンとかデズモンド・バグリーとか。中学生の頃ですね。そっから段々本格ものに。小学生の頃に『Yの悲劇』とか読んでるんですけれど一時期冒険小説にはまって。ハードボイルドとか読みつつカーとか。カーというのはぼくが中学生から高校生にかけて早川ミステリ文庫というとこからたくさん新訳と改訳とかして復刊されたんですがそれ以前はすごい手に入りにくい時代で。今、また手に入りにくいですしね。文庫も絶版になって。その当時、高校ぐらいの時に山ほど変な奴を読んだのでその辺の影響は大きいかもしれないですね。

司会  小学生の時に『Yの悲劇』を読んだ……。

我孫子 『Yの悲劇』は小学生の時ですね。

司会  それはちょっとすごくないですか?

我孫子 すごいかなぁ。小学生の時に創元推理文庫とか読みませんか?

司会  小学生は創元推理文庫なんて読みませんよ。青い鳥文庫ですね。

我孫子 そうかなぁ。大体ねぼくらぐらいの世代の本を読む流れていうのは小学校の四年生とか五年生ぐらいで、星新一を読んでですね。星新一読んだことある人いる?(ぱらぱら手が上がる)いるねぇ。星新一とかそういうところから、初めて買った文庫本というのが大体その辺だったのかな。大人向けの本として自分のお金で文庫本買うというのが星新一とかですね。そこからぼくは平井和正とかにいっちゃったんですが。創元推理文庫の名作というのは読まなきゃいけないなという感じがあってクロフツを読んでですね、クイーンの名作とかを。ベスト一〇とかありますよね。オールタイムベスト一〇とか。一位が『Yの悲劇』で二位が『樽』とか書いてるんですね。だから『樽』を読まなあかんなぁと思って。今の人はもう『樽』なんてどうでもいいと思うんだけれど。結構創元推理文 庫の目録とかみてどんな話かなぁと。ただ、ミステリマニアということじゃなくてミステリ以外なんかも混ぜつつぽつぽつと読んだというぐらいで。

司会  『樽』は『虚無への供物』でも少々言及されてますね。あれは無理やろといって。

我孫子 『樽』は傑作ですよ。『樽』はハードボイルドなんですよ。ハードボイルドとして読むと面白い。

司会  デビューの前後のいきさつについてどういう紹介で決まったんでしょうか。やはり島田荘司を介してなんでしょうか。

我孫子 介してというよりは、島田さんとは話をするようにはなってたんですけれどこれとは別に、長い話になりますがあるマネージメント会社という形で、その時綾辻さんが契約してたんですね。歌野晶午さんもそうなんです。ぼくも一緒に、本を出して印税の一部を納めるからその代わりにどっかに売り込んであげましょうというそういう形の経営をやってた会社があったんですが。そこの人が積極的に面倒を見てくれたということなんですね。それとは別に宇山さんという、新人発掘という、島田さんがやってたんですかという質問がさっきありましたが、新人発掘という意味では講談社の宇山さんという人の力というか功績というのはすごく大きくて、どんなものかわからない原稿を何でもとりあえず、とりあえず読んでくれる。読んでね、これいけるいけないという返事をしてくれるという編集者は他にそういないと思うんですよね。いまはだいぶ増えたかもしれないけれど。実際出版情況をみててもわかると思いますが八七年以降、賞をとらないで新人が出てくるのは創元と講談社だけなんですよね。まあごく稀にぽつと出てきますけれど。ほぼ創元と講談社が見付けてきた新人がその後生き残るようであればうちも声をかけてみて本をだすというそういう情況ですね。普通の読者が出版情況をみてどれくらいわかってらっしゃるかはわからないですが。やっぱりどこの編集者もですね新人の原稿をみて出すとか出さないとかいう判断ってほとんどしてないと思います。読んでないですね。そういう意味で今メフィスト賞なんてありますけれど、大変だと思いますよ。他の仕事しながら来る変な原稿をとりあえず誰かが読んでるわけだから。ボロ糞に言ってますけれど、読んでくれるああいう場所が今はあるわけだからいい時代ですよ。デビューしたい人にとってはいいことですよね。

司会  小説を書くのに紙とペンと他に必要なものはあるでしょうか。例えばこういう経験が役に立ったとか。

我孫子 経験はほんとに無いんで。大学中退して(作家)やってるような人間ですから。社会人経験なんか無いに等しくて、バイトとかはしてますけれどサラリーマンとかそういうのは実感としてはわからない訳で、あくまでもメディアを通した情報とかです。もちろんうちの親はサラリーマンだったんである程度のことはわかりますけれども。何でも経験しとくにこしたことはないという気がするし、書いてて真剣にねぇ一遍公務員試験でも受けてどっかで働いてみるかとかね。とくに専門職、医者とか弁護士とか警官関係はミステリーに関してはなっときゃよかったという気がしないではないですね。実際の捜査活動とか知ってる人が書いたらやっぱりミスはないのだから。ただ、警官が書いたのが面白いかというとそうではなくて、もちろんいろんな資質とかあるんでしょうけれども逆に知ってることによって縛られちゃって自由にものがかけないということもあるでしょうね。一概には言えませんが何でも経験するにこしたことはないかなという気はしますね。正直、例えば死なないとわかってたらちょっと刺されてみようかなとかね。死ぬのは嫌だし痛いのも嫌だから。何かの都合で恐い目に遭うとか。

司会  じゃあわりと何でも芸のこやしになると。

我孫子 なるでしょうね。ときどき乱歩賞とか昔の横溝賞とかでも専門職の人が書いた専門分野を舞台にしたミステリーって結構ありますけれど一作品で終わっちゃうひとって結構多いですね。あれは他にも色々理由があると思いますね。そっちの方でちゃんと食っていける人だったり、ちょっと一発小説でも書いて賞金を当ててみようという感覚で書いて宝くじでも当てたつもりでその後書く気もないという可能性があるんだけれどもしかしたらそうじゃなくてもう書けなくなっちゃったのかもしれないですよ。想像力でもって適当なことを、ほら吹きなんですから要は。ホラを吹く力がない人が専門分野の知識で一冊書けてもその後続きが書けないという人もやはりいるよねという気がしますね。それも専門職が医者とか警官とか弁護士なら長続きするんですけどね。やっぱりそれだけミステリーにしやすい題材が転がってるんだろうなと気がする訳で。だから医者と弁護士と警官の友人は作っとこうと思いますけれど。

司会  専門職でありながら作家というのはいますね。『パラサイト・イヴ』の瀬名秀明さんなんかは薬学部の研究をなさってるかたで。後大学の助教授でありながら小説を書いてるというかたもいますけれど。ここ二、三年でミステリーというのはいろんな流れになってるとはたで見ていて思うんですよ。その辺の新しい作家についてはどう思いますか。

我孫子 まず、一貫して言うとこの二、三年で出た人たちというのはおおむねマニアの呪縛から外れた人たちですよね。そういう意味ですごく新鮮なところがある。京極さんなんかはミステリと思わず読む人がいるだろうし、本人も別にミステリだと主張しないしいろんな読み方ができる。読んでてマニアだけを相手にしてるような書き方と違うんですね。その辺はやはり新鮮で羨ましいけど自分にはできない。こういうのは俺だったらこう書けないなぁと距離を置いた状態で単に読者として楽しめるといところはありますね。森(博嗣)さんなんかも一作目は本格ミステリだなと思ってたんですがどうも読んでいると微妙に興味の対象がずれてるというのがわかってきて。やっぱり(エラリー・)クイーンとかはお好きみたいなんだけれど系統立ててずっと現代の本格などを読んできたのじゃないといういうのが視点の違うところかなぁと思いますね。

司会  ミステリーの流れを見てみるとマニアの呪縛を逃れることによって拡散してるんですよね。ちょっと前、島田荘司ぐらいはまた拡散してそこを本格になおそうという部分がありましたね。新本格とかいって。

我孫子 直そうというか結局、おおむね綾辻さんとかですね、京大から出た人たちや有栖川さんとかその辺の人はあくまでも読みたいものを書いてる。別にハードボイルドが嫌いなわけじゃないですし、綾辻さんなんかも当初売れるとは思ってなかったんですよね。編集者なんかもムーブメントなんかにしようという意識はなくてまあ例えば昔からいわれてるんですけれどもコアな本格ミステリファンというのは大体一万人ぐらいしかいないんだと。というのも当時泡坂妻夫さんとかの本格ミステリが大体それ位が上限だったそうで。当時ですよ。だからそんなに売れるもんじゃない。でもそれでいいじゃないかという感じで最初出てたんですよね。ところがだんだん売れてきて。こうしようという意識は全然なかったんですね。出版社側は知らないけれど。だからどうなのかな、別に拡散だとしても全然悪いことじゃないし。読んでてすごく面白い情況だなと思います。

司会  でも歴史は繰り返すというじゃないですか。だから将来のミステリーなんかを考えたときに今面白い方向に結構拡散しているのにまたど本格を書こうという第三次本格みたいなのが起こるんじゃないかと予測してますけれど先生は将来はどうなるかなという予測はりますか?

我孫子 笠井さんに言わせると今の新人の台頭は第三の波ということになってるんですが、波っていうぐらいだから終わる時があると思うんですよ。まずど本格が台頭するかはわからないけれど本格の新人はとにかく数出てますよね。冒険小説の新人が五年に一人の割合でしか出てないような感覚があるんですよ。少なくとも書評家が名前を出してきてだれだれの新作はなかなか良いとかっていうような人、北方謙三や志水辰夫みたいな人がまとまって出た時代があったわけですけれどそれ以降本格自体はすごく読まれるように、冒険小説・ハードボイルドが読まれるにもかかわらず気軽に新人が出られる情況では今ない。なんか知らないけれど本格の新人の方がずるずるといつまでも毎年出てるなぁていう感じはするんですよね。ただそれがいつまでも続くかどうか不安というか。不安ではないんですよ。終わってもいいし。とりあえず自分が本を書かせてもらえばそれでいいわけで。

司会  この中に作家になりたいと思ってる人もおられると思いますが、その人たちにアドバイスがございましたらお願いします。

我孫子 黙って家でしこしこ書いててもしょうがないなというのはありますね。発表の場があるのならいいですけれど、思ってるだけじゃもちろん駄目だし家で書いてるだけでも駄目だし、積極的にアクセスするに越したことはない。ていうぐらいかな。

司会  それは自分の力を試す場があればいいということですか。

我孫子 そういう意味じゃなくて駄目元というか色々やってみればということしかできないですが。例えばゲーム作家になるにはどうすればいいですかと聞かれることもあるんですけれど、聞かれても困るんですよね。こういう情況があったからこうなんだというものであってそれでは全然参考にはならないでしょ? 小説を書いててたまたまそういうのが来たから連絡とったらやりましょうと盛り上がっただけのことなんで。そういう、小説も書きたいしゲーム業界とも関わりたいというのであればぼくみたいなやり方もあるかもしれませんし。だからといって自分からやりたいといったわけじゃないのでゲーム業界とかかわることはそうそうないと思いますけれどね。いろんな所でゲームが好きだといっておくというのも手ですね。例えば活字メディアに出せるとお得なことがあって本を送ってきてくれたりですねあるいは「このミステリーがすごい!」ってありますよね。そこで自分が好きで投票しておくとですねその本を出した編集者が喜んでですね、また投票してくれないかという意味で次に担当した別の本を、ぼくが好むかもしれないというような本を見本ができた段階で送ってくるんですね。ゲラを送ってきてですね解説を書かないかとかね。そうやってどんどん広がっていくもんでゲームなんかもこれからすごく垣根が低くなればどんどん以来がのびる可能性はありますね。ぼくが「かまいたちの夜」をやってから以降綾辻さんや竹本健治さんに話が来たり。ミステリ作家にゲーム好きな奴一杯いるじゃないかというゲーム会社側の意識というのはあると思いますね。

司会  読書経験が大きいぞということはありませんか? 作家っていったら結構小さいときから本ばかり読んでるというイメージがあるのですが。

我孫子 さっき京極さんや森さんがマニアの呪縛から自由だというのはですね、やっぱりミステリーだけ読んできたんじゃないということなんだと思うんですよ。ある意味でミステリマニアであることの強みというのはないことないんですけれど余計なものであるケースもある。当然読書経験というのが呪縛になる場合もあるだろうし肥やしにもなるだろうし。一般的に本が好きでない人は本書かないと思いますし。たまに本なんか読まないくせに小説ですごいのをさらっと書けちゃうひともいるとおもうんですよね。そういうのは特殊な天才みたいのものでたまには出てきて欲しいなあというのはありますけれど天才じゃない人はこつこつといろんなのを読んでどういうのが面白いかとかですねあくまで自分にとってですけれども面白いとかですねそういうようなことを考えながら模索していくしかないんではないんですかね。