デビット・ジョセフ・ボーム

David Joseph Bohm 1917 ~ 1992年
米国ペンシルベニア州生まれ。
理論物理学者・哲学者・思想家
ロンドン大学バークベック校教授 1961年 ~ 1987年(後に名誉教授)



 プリンストン大学の助教授だった50年代に、アメリカに吹き荒れたマッカーシズムによって米国を追われる。その後ブラジルをへて、英国ロンドン大学バークベック校教授となる。
 1992年、いつもの通りにバークベックで仲間と議論をしていた彼は、大学を辞する間際に家に電話をかけてからタクシーに乗った。そしてタクシーの中で倒れ、帰らぬ人となった。享年75歳。



=======ボームの物理学=======


 ボームは、大方の物理学者には、アハラノフ=ボーム効果(アハロノフ=ボーム効果とも言う。横文字の発音により近いのはアハロノフである。)によってその名はよく知られている。20世紀に活躍した物理学者の中で、もっとも深く量子力学を考え、理解した人物の一人であり、量子力学の権威であった。ボームの知的業績は物理学だけにとどまらないが、ひとまずは、彼のあまり物理学者には知られていない物理学上の主な業績を簡単に概観しておく。


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*1951年 量子論(みすず書房)(Quantum TheoryーーDoverーー)を出版。標準的な教科書である。
*1952年 「隠れた変数理論」(An Interpretation in Terms of Hidden Variables. Phys. Rev. 85, 166-193)による新しい形式の量子力学を発表する。この理論は[[ノイマン]]による隠れた変数の禁制には抵触しない。
 この理論のアイデアは、かつて、30年代にド・ブロイが試みたパイロット・ウェーブ理論の発展形である。ド・ブロイのモデルは、多体系では通用しないことが明らかにされたが、ボームはこれを修正し洗練させ、復活させた。そして、この理論は発表から半世紀以上を経た現在でも、標準的なコペンハーゲン解釈へのもっとも強力な対抗馬の一つと目されている。これを単なる、古くさい古典物理学への帰還である、などと考えるのは誤解である。事実、この第一歩によって、古典とは似ても似つかない世界像をボームは提示することになるからである。
*1980年 Wholeness and the Implicate Order (ROUTLEDGE)を出版。内蔵秩序ーThe Implicate Orderー、顕然秩序ーThe Explicate Orderーという概念を雄弁に展開する。邦訳は、「全体性と内蔵秩序」ー青土社ーである。
*1992年 [[バジル・ハイリー]](Basil. J. Hiley)と共に、The Undivided Universe--An ontological interpretation of quantum theory (ROUTLEDGE)を出版。

 また、近年、[[量子テレポーテーション]]の実現で、[[EPRパラドクス]]があらためて注目を集めるようになったが、EPRを今日のように[[スピン]]の形で書き表したのはボームが最初である。

 ボーム物理学の基礎用語を以下に列記しておく。

[[量子ポテンシャル]](The Quantum Potential)
[[Active, Passive & Inactive Information]]
[[Unfold & Enfold]]
[[内蔵秩序と顕然秩序]](The Implicate & Explicate Order)
[[プロセス]](Process)
[[世界管]](The World Tube)
     etc.




=======量子力学の解釈問題=======

 ボームの名を、物理学のみならず、20世紀の知の世界に響き渡らせたのは、量子力学の様々なアポリアに対して果敢にその考察と研究を行ったことにある。

 量子力学の解釈としては、有名なものに、以下のような解釈がある。
*コペンハーゲン解釈
*隠れた変数理論による解釈
*多世界解釈
*量子論理
*その他
 これらは、別記[[量子力学の解釈問題]]を参照のこと。




=======ボーム思想の広がり=======

 ボームは、ニューサイエンスの理論的支柱であった。しかし、多くのニューサイエンスにコミットした論者(特に日本の論者)は、その基盤が彼の物理学にあることをあまり意識してしておらず、彼の物理学と、彼の様々な言説との関連性には無知ですらある。もっともここで両者の疎通性を詳細に語ることは不可能である。興味を持たれる方はボームの著作を参照して欲しい。ここでは、彼の物理学が影響を与えた思想について簡便に記述しておく。


 彼の思想的影響は広く、自然科学の分野はもとより、心理学、トランスパーソナル、環境学、宗教学、認識論、歴史学、社会学・・・、等々、ほとんどすべての分野に及んでいる。そして、学問のみならず、芸術や宗教にも影響を与えている。

  以下、ボームに触発されて出現してきた思想の特徴と功罪を簡単にサマライズしておく。

 これらの思想潮流は、まず、70年代のアメリカ西海岸のいわゆるヒッピー文化として現れてきた。これらの潮流に特徴的だったのは、極端な東洋への傾斜であり、禅や瞑想といったものが重要視されたことである。しかし、こうした傾向は、しばしば表面的であり、西洋文化が、とりわけ、アメリカ西海岸の独特な文化が、その表面的な上澄みだけをすくいとった、といった感は否めない。現在の欧米における東洋趣味は少なからずこの思想潮流の延長線上にある。
 こうした時代の雰囲気をバックグラウンドにしてフリッチェフ・カプラの「ターニングポイント」が書かれる。また、オカルト的な論考も様々な形でなされるに至った。これらの思想は、現在では、真面目な学問研究に発展したものもあり、一概にすべてを批判することはできない。だが、この種の思潮傾向が体現し、如実に表していたものは、他ならぬ、科学やそれを機軸に発展する現代社会への違和感であり、現在社会に対する漠然とした不安感であったと考えられる。
 かつて科学は、オカルトであり、魔術であった。科学はそのようなものから分離され、今日の姿を得るに至った。合理性を標榜する精密科学は、時代と共に洗練され、自身のそのような出自を根底に秘するようになる。しかし、根幹において非合理的であったものは、その極において再度、その根幹である非合理と再会せざるをえない。このように考えると、世界的な広がりを見せるオカルトや、新興宗教の勃興は、合理的な科学と、文明の名によって、根底に抑圧された人間の非合理性が、己の存在を再び主張し始めた、と捉えることも可能である。それは、バランスを保とうとする人間の心の叫びなのかもしれない。

 この時代、すなわち、70年代から80年代にかけて、日本の思想家・哲学者で広く、また真面目に西洋において取り上げられるようになった人物が、鈴木大拙、西田幾多郎、道元などである。


 しかしながら、ここでただちに加筆しておかなければならないことがある。それは、ニューサイエンスの勃興とは、突如としてわき上がったようなものではない、ということだ。この思潮潮流の源流は西洋の覇権に対する懐疑にある。それは、西洋文明が拡大してゆく契機となった科学文明への懐疑でもある。それ故に、この潮流には東洋への憧憬が特徴的に現れることになるのである。
 もう一つの文明を探し求めよう、創造してゆこうとする意図は、古くは19世紀末のニーチェ、そして20世紀に入ってからは、O・シュペグラーといった様々な哲学者や思想家に共有されたきた問題でもある(例えばO・シュペングラーは「西洋の没落」という主著を1917年に著している)。彼等の他にも、西洋文明に疑義を投げかけた論者は数多おり、例えばレヴィ=ストロースなどもこの分類に含まれる(レヴィ=ストロースの主著は「野生の思考」である)。大別すればドイツの作家ゲーテもこの分類に含まれるであろう。ゲーテは西洋のキリスト教文化に対して明らかに疑惑の眼を向けている。このように、ヨーロッパの底流に脈々と流れていた様々な反西洋という思潮が、70年代から80年代に入って一気に拡散したのがこのニューサイエンスの背景にあったということを確認しておきた。
 そうした反西洋の思潮が、アメリカのベトナム戦争の敗北によってより強く意識されるようになり、他ならぬ敗戦国の一地域であるアメリカ西海岸においてニューサイエンス運動として興隆することになるのである。つまり、このように眺めてみると、この流れは、西洋近代が抱える問題と深く関連・呼応しており、それ故に必然であったかのようにも見えてくる。そして、アメリカという国家自体が西洋近代の究極のような[[国家]]であることも、こうした思潮がアメリカにおいて勃興したことと切り離すことができない。これは一考に値する大きな問題であると考えられる。


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付記
 ボームの交友範囲は広く、世界中の多くの重要人物に知古を持っていた。一人だけを挙げるとすれば、ダライ・ラマである。ボームは特にダライ・ラマとの親交が深く、ダライ・ラマにもっとも大きな知的影響を与えている。ダライ・ラマは、ボームの撰集に寄せて、彼を「私の科学のグル」と称している。
 一般にも有名になった概念として、カール・プリブラムの脳研究から出てきたホログラフィーという概念がある。ホログラフィーは、部分と全体という概念による物事の把握がさかんになる契機となり、これは、ボームの全体性という概念と近しいものとされている。実際にボームはプリブラムと共同研究を行っている。この「部分と全体」とホログラフィーのキーポイントを簡潔に述べると、「部分はすでに全体を含み、全体は部分の加算ではない」といったようなものである。
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=======ボームの限界点=======

 偉大な思想は、必ずそうなのだが、ボームのそれも例外ではなく、明らかにその思想には限界があると思われる。彼の行ったことは、象徴的に述べるならば、2トントラックで4トンの荷物を運ぶようなものであった。ちょうどニーチェの哲学がその無尽蔵なパワーのために、表面上は混乱の局地に陥っているように思われるのと似ているだろう(実際にニーチェその人も混乱のただ中にあったとも言える)。ボームは、己の世界観をその生涯をかけて物理学の言葉で表現しようと試みた。しかし、森羅万象のすべてを数式化し得るわけでは決してない。それは、我々が未だに無知であることにも、また、事の本質上それが不可能である場合にもある。ボームは、何が数式化・理論化可能であるかを充分に明示することなく、アイデアをあちこちに書きちらかしたということは事実だ。それがボームの限界点であり、ひいては20世紀の限界点でもあった、と述べることができる。かかる限界点を突き破り、新しい世界観を築き上げることは後世に残された課題である。

 また、ボーム思想が誤解され、曲解される源を造ってしまったのが、他ならぬボーム本人であったこともある程度は事実である。この点は是非とも強調しておかなければならない。物理学者からのボーム理論と思想に対するヒステリックで拒絶的な反応の種を、ボーム自らが蒔いてしまった(もっともそれだけの理由では決してないが......)。それは、ボームの極端でいかがわしい神秘的な集団や思想へのコミットや、シンパシーとして現れた。ここにも彼の限界点がある。ただし、バランスを取るために即座に彼を擁護すると、ボーム自身は、そうした数々の言説からも森羅万象の言葉を耳にしようと思っただけであることも事実である。そして、もちろんこうした肩入れは一時的で部分的である。
 彼は、既存の理論や価値などのすべてを疑い、批判的に見つめ直そうとしていた。そうした彼の学者としての真摯な姿勢が彼の行動の根底にあったことと、神秘主義的な集団や言動への肩入れは確かに不可分ではない。ここに限界点としてのマイナス面とプラス面が交錯するように顕現している。もっとも、神秘主義自体が悪いわけではないことは付記しておく。
 そしてはっきりしていることは、彼はいわゆる神秘主義者ではないということだ。ボームはいかなる現象にも心を開いていた。かりにそれが超常的で神秘的な現象ーーいわゆる超常現象ーーであったとしても。それはその現象を学者として見極めたいと欲するからという、ただそれだけの理由であった。
 いずれにしても、彼の思想の全体像と思想史的位置付けは今後の課題である。

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なお、この文章の筆者である、私、森川亮は、ボーム直系の孫弟子であり、それ故にこそ彼を客観的かつ批判的に眺める、ということをここにつけ加えておきたい。今は亡きボームは、こうした批判を喜んで、そして真摯に受け止める男であった。それが特に孫弟子からのものであれば......
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=======著作=======





=======参考文献 References=======

*D. Bohm & B. J. Hiley, The Undivided Universe--An ontological interpretation of quantum theory, 1992, ROUTLEDGE
*D. Bohm, Wholeness and the Implicate Order, 1982, ROUTLEDGE
*Five Selected Papers of Basil J. Hiley, Edited by Ryo Morikawa, 2003, Theoretical Physics Research Unit, Birkbeck College




=======外部リンク=======

Theoretical Physics Research Unit, Birkbeck College, University of London http://www.bbk.ac.uk/tpru/tpru.html
         ボームの直系の研究者集団である

The David Bohm Papers http://www.bbk.ac.uk/lib/bohm.html