|TOP

         <岡潔研究会のご案内> 
        岡潔研究に半生を賭けた人との出会い

 先日とつぜんのことでしたが、未知の方から一通の分厚い封筒が当サイトの管理人・植田のもとに届きました。不審に思いながら開けてみると、丁重な書面とともに資料のコピーが入っていました。そのコピーは岡潔先生の未公刊の講演録で、もちろん私にとって初めて目にする貴重な内容でありました。差出人は高知市の住所で「岡潔研究会・横山賢二」とありました。
 その後、書面の往復や電話連絡で交信したあと、4月中旬に直接お目にかかり、岡潔先生の晩年の思想について夜を徹して対話する機会があり、まことに重要な情報と教示を得ることができました。
 横山氏は18才のとき初めて岡潔先生の講演を聴いて感動して以来、54才の今日に至るまで凡そ36年有余の半生をかけて岡先生の思想の展開を跡づけるために遺された資料の解読と研究に取り組んでこられました。その徹底した態度に深甚の敬意を表するとともに、より多くの方々に知って頂くため岡潔思想研究会のご案内をさせて頂く次第です。
 次に参考までに『致知』という生き方探究・人間学誌(平成15年4月号)に寄稿された横山賢二氏のエッセイを転載することとします。
                              2006.4.23 植田義弘・記

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   岡潔先生の警鐘を継ぐ             岡潔思想研究会 横 山 賢 二
 

 私が初めて岡潔先生を知ったのは30数年前の、18歳の1968年のことでした。私が住んでおります高知市での、ただ一度の講演を聞いたのがきっかけでした。
 その講演に深く感動し、その後、岡先生の本という本を読み漁りました。しかし、いつの間にか人生の道草を重ね、私は38歳の春を迎えていました。
 そうしたある夜のことでした。なぜかはわからないのですが、ふと目が覚め「よし! 岡家を訪ねよう」と思ったのです。
 奈良のご自宅にお伺いすると、長男の煕哉さんが暖かく迎えてくれました。そのとき煕哉さんがふと漏らした言葉を私はいまでも忘れません。
「実は父が亡くなって、ちょうどこの春で十年になりますが、こうして訪ねてきてくれたのはあなたが二人目です」
 私はこの言葉に愕然としました。60年代あれほど名声を馳せた岡潔先生の名は、その頃にはすっかり世の中から忘れ去られていたのです。
 このままではいけない。このことを耳にしてからは、当時私は高知市農協に勤めていたのですが、奈良に頻繁に通うようになりました。そうして気がついたことは、全国に散らばっているお弟子さんや、多くの未発表の資料が残されているということでした。その資料を調べるうちに、岡先生の思想の晩年の核心はいまだベールに包まれていて、世には全く伝わっていないということが次第にわかってきたのです。その内容は私の想像を絶するものでした。この行き詰まった時代の処方箋が事細かに語られていると言っても過言ではありませんでした。
 岡潔先生は1901年に大阪で生まれ、和歌山県紀見村(現在の橋本市)でお育ちになりました。京都大学数学科を卒業後は、長年数学の研究に勤しまれ、物理の湯川、数学の岡と言われて、日本の誇る世界的科学者の双璧と称されました。
 他方、文学、芸術、宗教等にも造詣が深く、1960年に文化勲章を受章されると、その頃を境に数学を捨て、随筆の執筆や講演などを通じて日本の現状を憂い、文化と教育の本質に関わる問題について発言を続けられました。
 それから年を経まして、教育改革が声高に叫ばれ始めて年久しくなりますが、日頃耳にする教育論議には何か物足りなさを感じます。「心の教育」と標語的にはよく言われますが、それでは心とは何か、人とは何かと深く尋ねますと答えられる人は少ないものです。
 岡先生は西洋の浅い心(自我)の世界観の限界を見極め、東洋の深い心を探求されますが、ついに日本独自の「情」の再発見に至り、「情の哲学」を樹立されました。
 晩年は、「人の本質は『知』ではない、『情』である」と喝破され、高度経済成長時代の知識偏重の教育に警鐘を鳴らして、「情緒の教育」を提唱されました。いまに残る「情操教育」という言葉も先生から出たものです。
 先生が言われる「情」とは、嬉しい、悲しいという自分の感情を表した浅い情ではありません。いまの日本人が忘れかけている深い情のことを言っています。この深い情のことを先生は講演で一例をあげ、次のようにわかりやすく説いておられます。
 明治の頃、ある母親と子どもが住んでいました。子どもが13歳の時、禅の修行がしたいと言い出しました。それで修行のために家を出ることになり、いよいよ別れるという時になって、母親はこう言いました。
「お前の修行がうまくいって、人がちやほやしている間は、お前は私のことを忘れていてもよい。しかし、お前の修行がうまくいかなくて、人に後ろ指を指されるようになったら、私を思い出して、私のところへ帰って来ておくれ」
 それから30年ほど経ち、その子どもは修行がうまく成就し、偉い禅師になりました。ところが、郷里から使いが来て、母親が年を取って、寝たきりだという。禅師はとるものもとりあえず家に帰って、寝ている母親の枕辺に座りました。そうすると、母は子どもの顔を見て、こう言ったというのです。
「この30年、私はお前に一度も便りをしなかったが、お前のことを思わなかった日は一日もなかったのだよ」
 この話をある禅師から聞いた時、岡先生は涙が流れて止まらなかったといいます。こうした母親の自己犠牲、深い思いやりの心が「情の本体」だと、岡先生は言っておられます。
 岡先生没後20数年、こうした貴重な遺産に耳を傾け、目を注ごうとする人は少なくなりました。著書もほぼ絶版という状態が続いておりましたが、一昨年奇しくも岡潔先生生誕百年に当たり、ついに長年の沈黙を破って教育論『情緒の教育』『情緒と創造』の2冊が出版されました。
 先の見えない混迷の時代にあって、現代に甦った日本の誇る天才科学者の不朽の名著に、ぜひ注目していただき、教育の現場で活用していただきたいと願っています。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   ◎数学者岡潔思想研究会へのお問い合せ・ご連絡は下記へお願いします。

                                  横 山 賢 二
                      〒780-8063 高知市朝倉丙2108ー12
                           TEL 088ー843−0733

 
 

TOP