メディア報道とオタク

<序論>

「オタク」という言葉を知らない人はいないだろう。それはひとことで言えば、コミック、アニメ、ゲーム、パーソナル・コンピュータ、SF、特撮、フィギュアそのほか、互いに深く結びついた一群のサブカルチャーに沈溺する人々の総称である。この論考では、この一群のサブカルチャーを「オタク系文化」と呼んでいる。

コミックやアニメに代表されるオタク系文化は、いまだに若者文化としてイメージされることが多い。しかし実際には、その消費者の中心は一九五〇年代後半から六〇年代前半にかけて生まれた世代であり、社会的に責任ある地位についている三〇代、四〇代の大人達である。彼らは、もはやモラトリアムを楽しむ若者ではない。この意味でオタク系文化はいまや日本社会のなかにしっかりと根を下ろしているといえるだろう。

また、オタク系文化はJポップのような国民的広がりをもつ文化ではないが、決してマイナーな文化でもない。同人誌市場の規模や専門誌の販売部数、ネット上の検索エンジンへの登録数などから推測するに、オタク系の消費者は、二次創作物(同人誌など)を売買したり、コスプレをしたりといったきわめて活動的な層に限っても、数十万の規模を下ることはないと思われる。そしてさらに付け加えれば、オタク系文化はもはや日本だけの現象でもない。オタクたちが作り上げたコミックやアニメ、ゲームなどの独特な世界は、一般紙でもたびたび報道されるように、韓国や台湾を始め、アジア地域のサブカルチャーに深い影響を与えている。

もうひとつ加えれば、いまだパソコン通信しかなかった八〇年代に始まり、現在まで、日本のネット文化の基礎はオタクたちによって築かれている。オタク系のウェブサイトや掲示板が多いというだけでなく、サイト名にアニメキャラクターの名前があてられていたり、ワープロソフトや表計算ソフトの解説書の例文に何気なくノベルゲームの一節が紛れ込んでいたりと、その痕跡は陰に陽にあらゆる場所に確認できる。

したがって、いま、日本文化の現状についてまじめに考えようとするならば、オタク系文化の検討は避けて通ることが出来ない。ところがこの「オタク」という言葉には、一九八八年から八九年にかけて宮崎勤が起こした連続幼女誘拐殺人事件(※宮崎事件概要参照)のため、いまだに独特の負荷がかかり続けている。

オタクという言葉はもともと、七〇年代に台頭した新たなサブカルチャーの担い手を指すものだった。ところが不幸なことに、その言葉はこの猟奇事件をきっかけとして社会的に認知されてしまい、そのためオタクといえば、非社会的で倒錯的な性格類型を広く連想させることになってしまったのである。宮崎事件の直後、ある週刊誌は、オタクとは「人間本来のコミュニケーションが苦手で、自分の世界に閉じこもりやすい」人々だと解説しているが、このような理解は現在でも一般的だろう。

他方にはまったく逆の立場もある。一般にはあまり知られていないが、オタクという言葉はじつは、九〇年代、特定の世代のオタクたちによってきわめて積極的に使われてきた。宮崎事件を契機とした激しいバッシングが、逆にオタクたち自身の強い反発を生み出し、彼らは、今度は過剰に「オタクであること」を意識するようになったのである。オタクたちのそのような自負はなかなかマスメディアに乗らなかったが、九五年に『新世紀エヴァンゲリオン』がヒットし、オタク系文化に社会的注目が集まるにしたがって徐々に表面に出始めた。そのひとつの例が、九六年に批評家の岡田斗司夫が出版した『オタク学入門』である。そこでは冒頭で、「オタク」という言葉が差別表現になっている現状に疑問が示され、オタクとは「進化した視覚を持つ人間」であり、高度消費社会の文化状況に対応した「ニュータイプ」なのであると再定義されている。誇大妄想的に見えるこのような主張には、逆に当時のオタクたちがいかにバッシングに怯えていたか、その恐怖心がはっきりと窺える。

宮崎事件により生じたこのような分裂は、九〇年代が終わるまで、オタク系文化について客観的に正面切って語ることを難しくしていた。一方で、権威あるマスメディアや言論界ではいまだにオタク的な行動様式に対する嫌悪感が強く、オタク系文化についての議論は、内容以前にそのレベルで抵抗にあうことが多い。オタクについて論ずることや討論すること自体、レベルが低いことだと認知されているのだ。

他方で、どちらかといえば反権威の空気が強いオタクたちには、オタク的な手法以外のものに対する不信感があり、アニメやゲームについてオタク以外の者が論じることそのものを歓迎しない。

この論考の企図は、そのような社会的不認知を修復し、オタク系文化について、そしてひいては日本の現在の文化状況一般について、当たり前のことを当たり前に分析し批評できる風通しのよい状況を作り出すことにある。そしてそれはまた、私たちの社会をよりよく理解することにも繋がるはずだ。文学に歴史があり、美術に歴史があるように、オタク系文化にも、四〇年という短い期間ながら歴史があり、その歩みは確かに私たちの社会の変遷を映している。その歴史を「サブカルチャー史」として縦に辿ることも可能だろうが、ここで私が行いたいのは、むしろその歴史を横に見て、オタク系文化の変遷とその外側の社会的変化との関連を取り出してみること、そしてその過程を通じて、オタク系文化のような奇妙なサブカルチャーを抱えてしまった私たちの社会とはどのような社会なのか、少し真剣に考えてみることである。この論考は、私と知識や世代を共有するオタクたちにも向けられているが、同時に、オタクのことなど考えたこともないし、考えたくもないと思っている多くの読者にも向けられている。

しかし、オタクに関してそのルーツ・ジャンル等を深く細かく追求してゆくと、一冊の本が完成してしまうほどのボリュームになってしまう。したがって、この論考では負のレッテルを貼られたオタクの社会的イメージを焦点に、マスメディア報道の功罪を取り上げ、世論により悪者に仕立て上げられた「おたく」の実態に迫ってみようと思う。

<マスコミ支配>

マスコミという言葉は英語の「マス・コミュニケーション」から来ており、もちろん、訳すだけなら何でもない。つまり、メディアのことであり、大衆に向けた情報伝達のことである。だが、日本では、この語とそれが含意するものの間には大きな隔たりがある。

日本のメディアのメカニズムには、人を見下したような態度がないわけではない。メディアの特権階級が一般庶民に、メディアがよしとした行動や考えを強いているのである。情報の氾濫は否応なく一方通行のもので、養殖業者が毎日魚にえさをやるように情報を与えるのだ。

日本人はこの習慣づけの犠牲になり、情報に対して食欲過多になっている。知らないことは若者の間では恥と考えられ、大人の間では仕事に支障さえきたしてしまうと考えられる。メディアは市民社会のセメントである。皆がメディアから与えられた情報でレベルを保ち、会話に乗り遅れないようにして、小集団のなかで自分の位置を確保しようとするのである。

ひとつの例を考えてみよう。大きな書店に足を運んでみる、そこからは大なり小なり、たっぷりと情報の洪水を浴びることが出来る。「シュワルツネッガー氏州知事当選」「デフレを生き延びる方法」「北朝鮮拉致問題」「秋の選挙にむけて…」「イラク戦争の未公開写真」・・・など、国民的関心事とみなされたイベントが行われる前後の週は、そのテーマを扱った新刊タイトルが書店の特集コーナーに、二十五から三〇、あるいは五十種ほども並ぶ。出版社はどうしてこうも早く、これだけの数の専門家を見つけることができるのだろうか。小学生にとっては、任天堂の次のテレビゲームに関する噂、中学生にとっては、プロ契約への期待が高まる野球選手の情報、高校生にとっては、ホンダの新しいバイクの技術的な特色、「サラリーマン」にとっては、バブル経済崩壊の犠牲になった銀行部門の不良債権処理について、どんな話題でもそれが何であれ、誰もが夢中になって情報を追いかけ、無知と思われないようにする。

西洋の個人主義社会では、情報のチェックは「才気を示して社交で注目を浴びたい」ということで行われるエリート主義的な行為であり、情報をばらまくことではなく、情報を抑えておく時にその真の力が発揮される。日本では逆に、情報を一人でかかえていることはその人の株を上げることにはならず、社会から見捨てられないために知識を常にアップデートしておくことが不可欠なのである。これは倒錯した行為である、なぜなら情報の更新を一時も休むことが許されないからだ。よって、何か問題が生じると、批判精神や情報の分別よりも情報量が重視されるようになる。よく検討してみれば、この(我々日本人の)反射的な行動は日本人が受けている(つめこみ型教育といわれる)教育のタイプに通底する。例えば、テストのQ&Aのように情報がただ蓄積されるだけなのだ。国民が情報に対してこうした態度でいる以上、メディアの専制支配は楽になる。なぜなら、メディアが情報を本質的なものに見えるよう着飾ってしまえば、国民の誰もがそれについていこうとするからである。

メディア/スポンサーはこの習性を利用した戦略を採り、ブームを作為的に発生させる。そして、ブームは雪ダルマ式に大衆のムーヴメントと生み、経済機構を振り向かせ、世論を操る。先に説明した教育システムと同様、情報の無理強いは日本の内部で、人々の意識をローラーでならしていくようなものである。おばちゃん同士の立ち話からも、企業組織内の雑談からも、さらには、子供同士の与太話でさえ、我々はメディアの思惑により踊らされていると考えてもよいだろう。普段は何気なく触れている様々なメディアによる情報操作が、世論に与える影響は計り知れない。

(社会の一般的イメージとしての)オタクもまた、そのようなメディアが作り出した幻影の、尊い犠牲者なのである。では、オタクの社会的地位が低くなった直接的な原因は何なのか、次の項では具体的に「オウム真理教・サリン事件」にスポットを当てて考えていく。

<地下鉄サリン事件においてのメディア報道と社会現象>

多分、この文を読んでおられる方々でオウム真理教(現アレフ)また地下鉄サリン事件について全く知らないという方は、おられないだろうと思うので、オウム真理教の詳しい説明は割愛させていただく。貴方の中のオウム真理教に対するイメージで読んでもらえたら構わない。

一九九五年三月にオウム真理教の手によって、地下鉄サリン事件は発生した。あの痛ましい事件当日以降、日本のメディアは視聴者に向けて教団情報の絨毯爆撃を開始し、その手を決してゆるめなかった。それがどんなに激しいものであったかは、この頃日本に住んでいたものでなければ、とても想像がつかないであろう。日本のテレビは何か事件に目をつけると、それを骨の髄までしゃぶり尽くす。もっとも、さらにセンセーショナルな事件が起こればすぐに見向きもしなくなるのだが。

当時、三月二十日にサリンのテロが起こり、それが二日後、《オウム事件》に発展すると、これは視聴率を一気に上げるための絶妙なタイミングであった。テロの後は連日、どのチャンネルでも特別番組が組まれ、事件に関する報道が朝から晩まで続いた。化学兵器、テロリズム、新宗教、若者問題など、列島の誇るあらゆる部門の専門家が次々にテレビに現れた。麻原や教団メンバー、教団施設の手に入る限りの映像がエンドレスに編集され、コマーシャルの間にきりなく流された。四月二十一日、村井秀夫が極右の活動家を名乗る男に刺殺された場面は、すべてのテレビ局が現場で撮影し、ジャーナリストに囲まれた彼が崩れ落ちるシーンは何度も何度も繰り返し放映された。教団の公式スポークスマンである上裕史浩は、一日中テレビの討論番組に出演して教団を弁護し、テロの容疑を晴らそうとした。彼の顔は天皇の顔と同じくらい知られるようになり、その肖像の入った切手さえ発行されかねなかった。

メディアの熱狂により、オウム事件に対する国民の総意はすぐに出来上がった。日本人が《コンセンサス(同意)》で編隊を組んで出撃するのは、危険の合図である。テレビによる繰り返しは、人々の意識を煽る最も有効な武器のひとつであり、グループの結束を固め、やがては世論の操作に至る。人々は熱にうなされたような報道に、一歩下がって全体を見る余裕もなく、やむことなく繰り返される剥きだしの情報に足を止め、その後の数分間は、コメンテーターが仮説を持ち出して、多く単純な引用に基づいた理論をでっちあげる。こうして実に効率よく集団心理が形成されていく。その結果は待つまでもなかった。

ある政府機関が毎年行っている市民の希望について問うアンケートで、対象になった一万人のうち、二十六・四%が政府に対して犯罪のよりよい防止を訴えた。それまでの調査では、このテーマは触れられることすらなかったにもかかわらずだ。それほどまでに犯罪対策は、日本人の日頃の心配事のうちに含まれていなかったのである。身を守ろうという意思からは、条件反射的にオウムとその信者をグループから追い出そうという断固たる考えが生まれ、無意識のうちにグループの結束が固まる。教団とは同じ価値観を共有できないと結論したグループは、彼らの行動が反社会的なものであると断じ、また、そうすることがグループの機能として正しいと確信すると、教団の危険を公然と非難して、かかとが示した反応とまるで変わるところがない。メディアはオタク文化=オウムを名指しで非難することで、うまい具合に社会の欠陥を見て見ぬふりをしたのである。

国民の大多数は、こうしたメディアによる繰り返し報道を支持しており、日常を忘れさせてくれたり、そこまでいかなくとも、日々の生活にスパイスを加えるドラッグとみなしている。

さらにこれは、少数の若者のうちに、たちの悪い現象を引き起こした。オタクの集団・オウム真理教の「オタク」が発生したのである。上祐氏がハンサムであることから、アイドルのように追っかけが発生し、上祐ファンクラブまで結成された。教団施設の前まで行って「上祐さんあきらめないで!」とか「かっこいい!」とか黄色い声援を送っていた。上祐は当時、市民社会から人類史上最大の偽善者とされ、捜査員によって二日後にあきらかになることの逆を主張してやまないのであるが、「追っかけギャル」という女子高生ギャング団は、その彼をアイドルにしてしまったのである。「彼ってすごくかわいい。それにかわいそうなの。だって、コメンテーター全員対一人で戦ってるでしょ。そんなのズルイ!」これが女子高生たちの論理である。ハンサムという美が正義に勝つとはなんという時代であろうか。そしてつまり、これは消費社会とメディアがかき立てた価値観の反映ではないだろうか。結局のところ、社会が自らにお似合いのものをかかえているだけなのではないだろうか。

一部の若者の間に、メディアによる繰り返し報道の反動としてオウムへの同情心が生まれると、オウム側もこの波に便乗し、「サティアン・ショップ」と呼ばれるオウムグッズ屋が首都圏数箇所にオープンした。麻原・上祐…諸々の幹部のグッズや数々のオウム限定グッズを売り出し、さらにオウム信者を増やした。

このような「オウムマニア」は、最初のうちは日常にスパイスを求め、おたくっぽい単なる若者の遊びとしてこうしたことを始める。だが最終的に、悪評高い教団のイデオロギーに迎合してしまうこともたびたびあるのである。「おっかけギャル」のうちの数人がそのパターンを踏襲しており、テレビカメラの前では新宗教に興味はないと断言しつつ、数週間後には教団信者になった者がいた。嫌悪のかかっている数々のテロへの教団の関与が日々疑いのないものとなり、勾留中の教団幹部の証言が警察の仮説を裏付けていた一方で、解散寸前であるオウム教団に入信するものが後を絶たなかった。今でも、アレフに入信する者は多くいる。

この現象はオタクの集団行動心理の一部をよく表している。さらには、メディアに流されやすい現代の日本人特有の心理であるともいえるのではないだろうか。その心理は、オタクの感性と同様なものであると私は考える。であるからして、昨今の日本のオタク増加現象は必然の成り行きといえるかもしれない。

市民社会は認めたがらないかもしれないが、これが若者の抱えるきわめて深刻な病理のサインであることはあきらかであると言えるのではないだろうか。なにもこの事象はオウムに限ったことではないのだから。

<結論>

一九八八年から八九年にかけて宮崎勤が起こした連続幼女誘拐殺人事件から始まった「オタク迫害」は、時を重ねるごとにキズを広げている。なぜなら、宮崎事件から十数年間で、今までの時代背景では考えられないような事件(神戸児童殺人事件、佐賀バスジャック事件、池田小事件…など)が多発しているからだ。

さらに問題は、これらの事件においてメディアは、「アニメの見すぎで…通常の精神状態を保てなかったのではないか、」であるとか、「インターネットの掲示板にのめりこみ…仮想現実との区別がつかなかったのでは、」といったオタク文化を蔑む報道をしている点にある。ニュース番組をはじめ、ワイドショーでも現在でも何の抵抗もなしにこのような偏った報道をしている。<マスコミ支配>の項でも述べたように、世論に流されやすくマスコミを絶対的に信用してしまう国民性であるがゆえに、一度オタクに張られたレッテルは剥がしようがない。

だが、今一度言わせてほしい。宮崎勤にしてもバスジャック事件の犯人にしても、凶悪事件を起こしたのは彼ら「個人」である。当事者でもない、関係もない、ただオタク系文化を嗜好とする者に対して、今現在のようなメディア報道を鵜呑みにし、オタクすべてを画一的に判断し、オタクだからと迫害することはやめてほしい。社会的なイメージにより、オタク系文化に嫌悪感を抱いている方も、これを機にオタクへの価値観を見直してみてはどうだろうか。

このグローバルで情報過多の時代だからこそ、マスコミの情報に流されることなく、何時如何なる時も信じられるのは、自分の判断だということを自覚するべきである。でないと、あなたもメディアが作り出した幻像に流されてしまうかもしれない。

    (注意)…<宮崎事件概要>の項は、貴方の気分を害する恐れがあります。嫌な方は読み飛ばしてください。

<宮崎事件概要>

「連続幼女殺害事件」の犯人である宮崎勤はおじいちゃん子で、軽い障害を持ち、家に引きこもって自分の世界にどっぷり漬かって社会から遊離したキャラである。「連続幼女殺害事件」はその猟奇性、異常性から近年屈指の事件と言える。また「ロリコン」、「おたく」と言う存在がクローズアップされた(叩かれた)事件でもある。

1988年8月22日、宮崎は埼玉県入間市で4歳の幼女A子を車で誘拐、殺害した。死後、彼はビデオカメラでA子の性器にいたずらする様子を撮影している。

1988年10月3日、埼玉県飯能市で7歳の幼女B子を車で誘拐、殺害した。殺害した後、死体の衣服を脱がせ、性器にいたずらをしている。1988年12月9日、埼玉県川越市で4歳の幼女C子を車で誘拐。裸にしていたずら、写真を撮った後、殺害している。

1989年2月、A子宅にダンボールが届けられる。中にはA子の歯、骨、そして「A子、骨、焼、証明、鑑定」と書かれた文書が入っていた。その後、「今田勇子」の名前で反抗声明文、告白文がマスコミに送りつけられる。

1989年6月6日、東京都江東区で5歳の幼女D子を車で誘拐、殺害した。A子と同様、ビデオカメラでいたずらシーンを撮影。

1989年7月23日、幼女にいたずらをしようとしたところを現行犯逮捕。それ以前の事件について自供したため、1989年8月11日、「連続幼女殺害事件」の犯人として再逮捕となる。

この事件は上記の様子だけでも十分すさまじいのだが、それがさらにすさまじい印象を与えたのには下記のような事柄があったからだ。
 ●全て幼女狙いだったこと。
  
  ●性器をいたずらするシーンをビデオ撮影していたこと。

 ●「幼女の両手を食べた」と自供したこと。

 ●宮崎の部屋が公開されたとき、その様子が特撮やアニメ、ホラー映画などのビデオテープやマンガで覆い尽くされていたこと。

 ●今問題になっている「精神鑑定」がクローズアップされたこと。

 などの理由によるものだ。この事件が世間に与えた影響は計り知れない。

<追記>

序論に書いた宮崎勤連続幼女誘拐事件について、あまり詳しく事件の経緯に触れることができなかった点を反省したい。宮崎事件を分析し論じることを、論文の構成段階で考えていたのだが、(活字だけの内容であるが)あまりに過激な内容になったため、自分自身、かなり不快な気分になってしまったので、掲載を取りやめた。宮崎勤被告に関して詳しく知りたい方がおられたら、インターネットや書籍で確認してもらいたい。すぐに見つかるはずである。

<参考文献>

『オタク学入門』 岡田斗司夫  新潮文庫

『教養としてのまんが・アニメ』  大塚英志  講談社

『20世紀の記憶 第15巻』  毎日新聞社