どこの大学でも始まっている「中期目標・計画」つくり

(1)大学は悲鳴を上げずに、弱ってゆく。知を支えてきた意欲は墓場へ行くだろう


    これまでの大学は、認可のために必要な施設、教員、カリキュラムなどの教育内容などの審査を受けて、発足すると教員や人数に応じて予算が自動的に手当されてきた。 その予算は、国立学校特別会計繰入金といって、今年度の場合は一兆5千億円程度である。この額が多いと感ずる人もいれば、国立全体を運営するのに、そんな少なくともできるのかと感ずる人も居るであろう。

   橋本内閣の頃から始まった、国立大学の独立行政法人化の動きが、とうとう大詰めを迎えてた。ここまでくる迄に、大学の教員達は一体どのような態度をとってきたのか、ここにまとめて記録に残して置く必要がある。


 
   上に記したのは、不自然なほど明解に区分けされた大学教員のタイプで、実際にはこれらの中間に存在したり、いずれかのタイプをさまよったり、簡単ではない。独法の案が提示された初期の頃と、通則法案が出てきた後期の時点で変わった教員も少なくない。

   文部科学省、国立大学協会といった、大きな組織が初期の抵抗の姿勢を弱めて、最後は態度を変えてしまうほどの変節ぶりを見せる中で、独立行政法人化」という、日本の大学をこれ以上変節させようもない制度が、次第に現実のものになってしまった(2002年3月、国大協の委員が文科省の役人と共同で作成した、「新しい国立大学法人像」について(案)が、全国の大学に提示された時点が、決定的な時期であったと言えよう。そして、2003年から前倒しで独法化できないかという脅しもあり、2004年からこの新しいシステムが発足することが政府主導で決められたのである。

 その後に起こってきていることは、大学が完全に自主的な案作りをする余裕もないもので、いわば、今後の独法の運営の前兆となるものであったと言っても良いであろう。何が起こったのだろう?

    全国の大学に、内容がほぼ似通った、中期目標・計画ワークシートという文書が配布された。この文書は、10ポイント活字で20頁にわたる詳細なもので、その中には、種々の「誘導的な」施策が書かれており、まさに雛形として従わざるを得ない雰囲気が濃厚に感じられる。その指示するところは多岐にわたる。   

   まだまだあるけれど、入力していると滅入ってくる程なので、このあたりで例示を止める。一体ここに上げた事の中に矛盾がないのだろうか、限られたスペースの中に、学生サービス、産業界へのサービス、そして研究のための有効利用が全て可能なのだろうか。

   教員の事務負担が軽減されるような方策を要求しているが、一体上記に示した事をいくつかでも実行しようとした場合、負担の軽減などが両立できるはずもない。おまけに、ある部分では、サバティカルイェアを考えろ(7年経ったら一年休める様な制度)、などの指示もあるのであるから、一体このような文章を作った人間は何も考えずに次から次に願望を機関銃の様に出し続けたのだろうと思う。

   このような計画表を埋めて、大学側が文部科学省に「お伺い」を立てることになる。この計画を見る側は、たいそう優位に立つことは明白である。「そんな計画しかできませんか」このセリフは、将来この計画の実施結果の評価に連動して、運営交付金というお金が減額されたりするので、大変強い圧力となり、大学が無理をしてでも計画を上方修正することになるであろう。

   一体大学の個性というものは、こんな形で認められるのだろうか。ある部分に特化した計画が果たして認められるのだろうか。いや、独法で事務的作業が大変増加した中で、現状と同じ教育研究レベルを続けることでも相当困難になる事を考えれば、それほど限定した分野において、ある程度の計画を作り実行してゆくことは、かなりの負担になるであろう。

   今大学は黙々と、計画づくりに従わされている。しかし、どこの大学の教員もこのような計画づくり自体の中で、只でも少ない研究・教育の時間を奪われて、気力が低下しつつある。多くの教員はこの気力の低下を誰にも訴えない。次第に仕方がない」「諦めよう」「どうにもならないではないか」という気持ちになって、「教育面」では冴えない授業となり、「研究面」でも落ち着いてアイディアを生むことなく、枯れて行くであろう。

   象がひとり静かに墓場に向かうように、国立大学の多くの教員の「やる気」は、誰にも知られることなく墓場に向かってゆくであろう。このような「独法」制度を作った官僚は、いずれ大学の教員の無言の結果を思い知ることになるであろうけれど、それが形になって明々白々に現れるのには、少し時間がかかるかも知れない。