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「第二章:人物小誌」

林彪

  林彪、もとの名を育蓉、後に彪と改名、湖北黄岡の人で、1906年(光緒三十二年)に生まれる。1919年、黄岡濬新学校に入学、1921年に武昌共進中学に進む。1923年、中国社会主義青年団に加入、1925年秋、黄埔軍校に合格・入学する。この年、中国共産党に入党している。
  1926年10月、黄埔軍校を卒業後、国民革命軍第十二師葉挺独立団(連隊)で小隊長・中隊長を務める。1927年8月、現在の中国人民解放軍の建軍記念日ともなる南昌蜂起に参加、翌年には湘南蜂起にも参加している。
  その後、中国工農紅軍第四軍営長(大隊長)や団長(連隊長)、紅四軍軍長、瑞金の中央ソビエト委員会中央執行委員会、紅一軍団軍団長などなどと軍事方面はもちろん、政治方面でも着実にその地位を上げていく。長征にも参加し、中国人民抗日紅軍大学校長に任じられるに至り、当時の中共軍でも著名な指揮官として名を馳せることになった。
  1937年七七事変後、国共合作がなって、国民革命軍第八路軍一一五師団師団長に任じられ、中国で過大宣伝された台児荘の戦役において、一躍戦勝指揮官として全国にその名を轟かせることになった。が、その後しばらくして負傷。1939年冬、怪我の治療のためソ連に赴く。
  1942年延安に戻り、中共中央党校副校長に任じられる。1945年6月の中共第七次全国代表大会では、中央委員に選出され、抗日戦争後には、中共中央東北局書記・東北民主聯軍総司令・東北軍区司令員兼政治委員・東北野戦軍司令・第四野戦軍司令員・華中軍区司令員・中共中央華中局第一書記などを歴任、国共内戦で大活躍する。
  1949年9月に開かれた第一期政治協商会議でも代表に選ばれ、建国後は中央人民政府委員、中共中央中南局第一書記、中南軍政委員会主席、中南軍区司令員、中国人民革命軍事委員会副主席、国務院副総理兼国防部部長、中共中央軍事委員会副主席などを務める。1955年には所謂十大元帥のうちの一人に数えられ、朱徳・彭徳懐に継ぐ、軍事方面では序列三位の地位になった。
  また、第一期から第三期までの国防委員会副主席を務め、中共第八期と第九期では中央政治局委員や中央副主席にまでなったが、1971年9月13日、飛行機によって海外逃亡を図り、その途中墜落、死亡する、というのはあまりにも有名な話。しかしその真相はいまだ闇の中である。
  その死後、1973年には党籍が剥奪され、1981年には裁判によって、「反革命集団の主犯」として確認されている。現在も、文革とそれ前後の中共の過ちは毛沢東などの部分的な過失以外、すべて彼と四人組みに押し付けられている。「林彪と四人幇」はこれ以上ない悪の代名詞として取り扱われてしまっている。



「人物小誌」

中国近代重要人物20選

林則徐/洪秀全/曽国藩/李鴻章/康有為/梁啓超/西太后/袁世凱/孫中山/宋教仁
段祺瑞/陳独秀/魯迅/馮玉祥/張作霖・学良/陳炯明/蒋介石/汪精衛/宋慶齢/毛沢東


黄興張jian陳独秀蔡鍔劉少奇/林彪/陳公博張之洞高崗



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