中国近代史研究 | ホーム | メール | 研究方針 | 簡略年表 | 人物小誌 | 予備知識 | 題目研究 | 関連書籍 | 研究筆記 |
| 作者紹介 | 更新記録 | 留学日記 | 紫金山房 | リンク集1 | リンク集2 | 近代通史 | 連載企画 | 推奨図書 | 近代風景 |

「第四章:題目研究」「(一)北洋軍閥考」

1,北洋軍閥とは何か(理論編)

 

 

  北洋軍閥とは何か?つまり中国近現代史において北洋軍閥をどのように位置づけるか、どのように定義するのか、という問題である。この問題は20世紀50年代以降、洋の東西を問わず幅広く討論されてきた問題である。
  これに関して中国(大陸)の北洋軍閥研究第一人者である来新夏が、『社会科学戦線』(1993年第2期)にて『近代軍閥の定義を論じる』と題する論文を発表している。以下、この論文を紹介するとともに、現在までの北洋軍閥定義論争をまとめていく。以下、同論文を紹介することで「軍閥とはどういうものか」という理論的方面の概括とする。
  同論文によれば「軍閥」という字の初出は『新唐書・鄭虔瑾伝』である、という。その中の「鄭虔瑾、斉州歴城人、開元初、禄軍閥、累遷右驍衛将軍兼北庭都護、金山道副大総管」という記述が、「軍閥」の語源である。この中で使われている「軍閥」という言葉の意味は「軍功のある軍人の家系」という意味であり(「閥」はもともと家系の意)、家柄の良さを示すものであって、後世使われるようになるものとは明らかに意味が違う。
  1918年、陳独秀が『欧州戦争後の東洋民族の覚悟及び要求』において、軍閥とは「いささかの知識もなく、いささかの功能もなく、専ら政治に関与し、国法を捻じ曲げる馬賊的な、悪辣な」人物とし、1918年から1919年にかけて、梁啓超は『欧州旅行心影録』において、1919年には孫文が于右任に宛てた手紙の中で、それぞれ独自の軍閥観を披露している。この時期頃から、徐々に「軍閥」という言葉が使われ始めたようだ。当時の在野の著名人が執政者及び集団を攻撃するために用いられるようになった「軍閥」という言葉に貶義的なニュアンスが含まれるようになったのは当然のことだろう。
  国民党による北伐は「打倒軍閥」のスローガンのもとで行われ、ここに至り、「軍閥」という言葉は幅広く知れ渡り、使用されるようになった。蒋介石は1927年の談話にて「軍閥が握っているのは地盤であり…ほしいものは財産であり…惜しむものは自身の生命であり…取り入るのは帝国主義である」とした。また胡漢民はやはり1927年の南京のある講演にて「一人の軍人が、上は国家の利益を顧みず、下は民衆の解放要求に耳を傾けず、ただ前面では官僚・政客・土豪・劣紳及び一切の反革命勢力を頼みとし、背面では帝国主義と結託する、これがすなわち軍閥である」としている。
  49年以降、特にここ数年間、北洋軍閥の研究が盛んになり、多くの学者がこの問題について言及している。彭明は『北洋軍閥(研究大綱)』(『教学と研究』(1986年第5-6期)にて、軍閥の三つの定義を挙げている。つまり、「彼らは各々自身の権勢を奪い合い利益を追い求めるための軍隊を有する」「彼らは各々任意に搾取し統治することのできる地盤を有する」「彼らの大部分は帝国主義の中国統治のための道具である」の三つである。
  大陸における中華民国研究の第一人者である李新は『軍閥論』(『史学月刊』1985年第1期)を発表した。それによれば「私は、軍閥は封建社会と半封建社会における特殊な政治現象であると考える。軍閥は一つの特殊な軍事集団であり、彼らは個人を中心とした、個人的な関係によって結合した個人的な軍隊を有する。彼らは通常、非流動的なあるいは比較的非流動的な地盤を占拠している」「封建統治には二種類の全く異なった統治形式があり、その一つは直接的な軍事統治であり、おおよそこの形式を実行する封建統治者は、その大小、ひいては全国を統治する皇帝であるとに関わらず、我々はこれを軍閥と呼ぶことができる」という。
  台湾の学者張玉法は1989年、『民初軍系史研究(1916~1928)』にて、軍閥の定義として以下の四点を挙げている。第一に、軍を維持し成長させる目的は個人的な、そしてその軍そのものの利益を追求するためである、第二に、武力は紛争を解決する正常な手段であるとされている、第三に、軍事権は行政権の拘束を受けない、第四に、国内ばかりでなく、国際的にも様々な秩序や法律を顧みない。
  1990年1月に出版された『孫中山と中国近代軍閥』において、その筆者段雲商は第一章にて、この問題について主に経済的な方面から論証し、「近代軍閥はもはや完全に封建的な経済に依拠するものではなく、外債・関税・塩税・官営企業などの収入に依拠している」とした。
  1991年8月に出版された『新桂系史』において、その主編莫済傑は、「彼らは帝国主義の扶植に依拠し、地主買弁の政治的な代表を担い、人民群集を圧迫搾取し、個人的な軍隊を有し、軍隊によって政権をコントロールし、地盤に割拠し、“武治”を実行する。これら基本的な特徴の中において、最も基本的な軍事的、政治的特徴は、軍隊の私有と地盤の割拠である」と言う。
  アメリカの学者James.E.Sheridanは1966年『中国の軍閥−馮玉祥の一生涯の事業』において、「軍閥は外部的な抑制を受けない軍事組織に依拠して、一定の区域内において有効な統治を行使する」とし、軍閥の共通の特徴として、第一に、政治的な統治権勢を握り、一定の地域範囲を支配する、第二に、武力は統治を行い、地位を固める最も重要な手段である、第三に、握っている武力は個人的な軍隊である、第四にこのような軍隊は「君王」「恩主」に忠たれ、といった思想はなく、国家による統制もない、第五に、個人的な利益を追求し、ある地位を保持することが最大の職責である、としている。このような認識のもと、『ケンブリッジ中華民国史』第六章に収録された論文『軍閥時代−北京政府下における政治闘争と尚武主義』では、「最も簡単に言えば、軍閥とは個人的な軍隊を指揮し、一定の地盤を支配し、あるいは支配しようとし、しかも多かれ少なかれ行動が独立している人である。中国語において、“軍閥”は貶義的なニュアンスが含まれる言葉であり、利己的な、いささかも社会的意識あるいは国民精神のない司令官を思い出させる」と述べている。
  『軍紳政権』の著者として知られるChen.Jeromeは1968年『中国軍閥派閥解説』において、軍閥の定義問題に対して概括を行い、「およそこれら軍閥に関する定義では、個人的な軍隊と地盤の統制という二つの基本的特徴に同意している」とし、また「彼らが軍閥になったのは、彼らが儒教の徒ではなく、また民族主義者でもなかったからである。彼らのような利己的で他人を顧みないという心理は往々にして彼らの国家あるいは王室に対する忠誠心に勝っている。これが現代中国の軍閥の歴史上における特質である」「次第に衰退する儒教文化の観点から見れば、軍閥は無節操で無恥の徒であり、絶えず発展する民族主義の観点から見れば、彼らは落伍者である」としている。
  1973年、日本人学者波多野善大は『中国近代軍閥の研究』において、近代軍閥が有する五つの性格を分析し、それを企業性・買弁性・地主性・私兵性・土匪性としてまとめている。1991年には同じく日本人学者である渡辺惇が編集した『北洋政権研究の現状』の三『近代軍閥論』という一節において、国内外の学者の軍閥に対する定義を三点に概括している。第一に、軍閥は自己の利益を保持するためら軍隊を有し、しかもこの軍隊の首領は家族・親族・同郷・同級・子弟などの封建的な人間関係によって統率する、第二に、支配可能な一切の地盤を占拠したいと望み、このような地盤は非流動的なものから流動的なものまであり、その規模は一つの区域のほんの小さな地域から大きなものは数省に及ぶまでのものがある、第三に、この地盤の上に独立したあるいは半独立した形式の直接的な軍事統治を行い、それと武治か文治か、とは関係ない。
  来新夏は軍閥定義の問題をこのように紹介した後、自身の見解を述べる。彼は私兵、地盤、武治についてそれぞれ言及した後、近代軍閥の指導思想について触れている。彼はそれを「中体西用」思想に求めている。つまり「北洋軍閥集団の小站練兵は“中体西用”思想の指導の下の軍事方面における具体的な表現である」し、「民国以後、北洋軍閥集団は政権を掌握した。彼らは新旧併存した、中西混在の過渡的社会に直面し、“中体西用”思想を軍事から政治にまで敷衍した。“中体”はすでに再び“君権”を公開して宣揚することはできなかったが、その核心的な内容は依然として封建的な倫理関係であって、“西用”は西洋の軍事指導法・兵器・規則、そして外国人顧問団ばかりでなく、民国建国以後に出現した西洋資産階級の民主的な形式、例えば憲法や議会、選挙といったものの中に運用されている。だから北洋軍閥集団の統制下にあった民国政府は封建主義と資本主義の衝突の下で、“中体西用”の軍閥政権を体現したに過ぎない」とした。
  このような基礎のもと、最後に自身の下した定義を述べる。それは、
  「北洋軍閥を主とする近代軍閥は一定の軍事的力量を支柱とし、一定の地域に依拠し、“中体西用”思想の指導の下で、封建関係を紐帯とし、帝国主義を後ろ盾とし、様々な政治・軍事及び社会活動に参与して、正義を顧みず、私利私欲を図るためだけを、権力を行使する目的とした個人と集団」であるという。
  つまり中国ばかりではなく、台湾・日本・アメリカともに依然として「近代軍閥は半植民地半封建社会の産物であって、反動的であり、往々にして売国的でもあり、結局“国家と人民に災いをもたらす”(所謂「禍国殃民」)ばかりの集団」という伝統的観点から脱却していない。すなわち依然として「中国革命によって打倒されるためだけの存在」としか捉えられていないのである。このように研究的「客体」になってしまっている「軍閥」というものに偏見のない眼によって、固定された「“禍国殃民”の集団」という観念から脱却し、研究し直すことは、それだけで有意義なものになるはずである。



「北洋軍閥考」

北洋軍閥とは何か(理論編) / 北洋軍閥とは何か(所論編)北洋軍閥人物小誌
北洋軍閥重要人物辞典北洋軍閥史年表北洋軍閥小史 / 北洋軍閥の周辺

参考文献はこちら



中国近代史研究 | ホーム | メール | 研究方針 | 簡略年表 | 人物小誌 | 予備知識 | 題目研究 | 関連書籍 | 研究筆記 |
| 作者紹介 | 更新記録 | 留学日記 | 紫金山房 | リンク集1 | リンク集2 | 近代通史 | 連載企画 | 推奨図書 | 近代風景 |