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「第四章:題目研究」「(一)北洋軍閥考」

5,北洋軍閥史年表

 

 

1895年(光緒二十一年)  4月17日(三月二十五日)  馬関(下関)条約締結、中日甲午戦争(日清戦争)終結
  12月 8日(十月二十二日) 袁世凱、新建陸軍創建
1896年(光緒二十二年)    
1897年(光緒二十三年)  7月24日(六月二十五日) 袁世凱、直隷按察使に任じられ、督弁軍務処の統制下に入る
1898年(光緒二十四年)  6月11日(四月二十三日) 百日維新の開始
   9月18日(八月三日) 譚嗣同、袁世凱を訪れ、慈禧への威圧など、変法維新への協力を求める
   9月20日(八月五日) 袁世凱、栄禄に譚嗣同などを密告
   9月21日(八月六日) 戊戌政変
  12月 7日(十月二十四日) 栄禄、武衛軍を編成、袁世凱の新建陸軍は武衛右軍として配属される
1899年(光緒二十五年)  3月 山東義和団興る
   5月 7日(三月二十八日) 袁世凱、山東義和団鎮圧を命じられる
  12月 6日(十一月四日) 袁世凱、山東巡撫代行
1900年(光緒二十六年)  3月14日(二月十四日) 袁世凱、正式に山東巡撫職を授かる
   4月19日(三月二十日) 袁世凱、山東駐在の営勇を武衛右軍先鋒隊とし、武衛右軍を拡充する
   6月10日(五月十四日) 義和団鎮圧のため、英・独・露・仏・米・日・意・奥八カ国連合軍、天津から北京に侵攻
   6月11日(五月十五日) 八カ国連合軍と義和団が廊坊で衝突、18日(二十二日)まで続く
   6月21日(五月二十五日) 清朝、八カ国に宣戦布告
   6月26日(五月三十日) 劉坤一・張之洞など、各国と『東南保護約款』を結ぶ
   7月 8日(六月十二日) 清朝、李鴻章を代表として、八カ国連合軍に講和使者派遣
   8月14日(七月二十日) 八カ国連合軍、北京占領。慈禧と光緒帝、西安へ逃亡
1901年(光緒二十七年)  1月29日(十二月十日) 清朝、西安にて『変法の詔』を公布、維新を宣言
   9月7日(七月二十五日) 清朝、十一カ国の公使と『辛丑和約』を締結
  10月6日(八月二十四日) 慈禧、西安より帰京
  11月7日(九月二十七日) 李鴻章死す。袁世凱が後を継いで直隷総督兼北洋大臣を代行
1902年(光緒二十八年)  6月9日(五月四日) 袁世凱、正式に直隷総督兼北洋大臣職を授かる
     25日(五月二十日) 武衛右軍を北洋常備軍と改称
1903年(光緒二十九年)  7月 北洋常備軍左鎮、整う
  12月 4日(十月十日) 清朝、練兵処を設置、袁世凱を会弁練兵大臣に充てる
1904年(光緒三十年)  3月 北洋常備軍右鎮、整う
   4月 北洋常備軍、もう一鎮編成、後、北洋常備軍第三鎮と称される。
   7月 北洋常備軍左右鎮、それぞれ第一・第二鎮と改称
1905年(光緒三十一年)  3月12日(二月七日) 北洋常備軍第四鎮編成
   5月 北洋常備軍第五・第六鎮、それぞれ編成、北洋六鎮成る
  10月21日(九月二十三日) 北洋常備軍、河間で軍事演習(河間会操)
1906年(光緒三十二年) 10月 北洋常備軍、彰徳で軍事演習(彰徳会操)
  11月 清朝、陸軍部を設置し、鉄良を尚書とする
    北洋軍第一・第三・第五・第六をそれぞれ陸軍部に帰す
1907年(光緒三十三年)  8月29日(七月二十一) 清朝、陸軍三十六鎮編成計画を発表
   9月 袁世凱、外務部尚書兼会弁大臣に任じられ、軍機大臣職を授かる
1908年(光緒三十四年) 11月14日(十月二十一日) 光緒帝死す。溥儀即位、翌年より宣統と改元し、溥儀の父載豊、摂政王となる
  11月15日(十月二十二日) 慈禧死す
1909年(宣統元年)  1月 2日(十二月十一日) 袁世凱、足疾を理由に強制帰郷を命じられる
1910年(宣統二年)  9月26日(八月二十三日) 北洋六鎮全軍、陸軍部直轄となる
1911年(宣統三年)  5月 8日(四月十日) 清朝、皇族内閣を発足させ、奕匡を総理大臣とする
   5月9日(四月十一日) 清朝、鉄道国有化政策を発表
  10月10日(八月十九日) 武昌起義
  10月14日(八月二十三日) 清朝、袁世凱を湖広総督として起用
  10月27日(九月六日) 清朝、袁世凱を欽差大臣に任命、湖北陸海軍をその統制下に入れる
  11月 1日(九月十一日) 皇族内閣総辞職。袁世凱、総理大臣に指名される
  11月2日(九月十二日) 北洋軍、漢口を陥落
  11月16日(九月二十六日) 袁世凱、責任内閣を組織
  12月 2日(十月十二日) 袁世凱、革命軍と三日の停戦。停戦延長が続き、計十五日間の停戦となる
  12月18日(十月二十八日) 南北和議、上海にて始まる
  12月25日(十一月六日) 孫文、海外から帰国、上海到着
  12月29日(十一月十日) 独立各省代表連合会、孫文を中華民国臨時大総統に選出
1912年(民国元年)  1月 1日 孫文、南京にて宣誓、臨時大総統に就任。中華民国建国
   1月3日 南京臨時政府成立。副総統に黎元洪を選出
   1月22日 孫文、清朝皇帝退位と袁世凱への譲位に関する特別声明を発表
   1月26日 段祺瑞など湖北最前線北洋軍将校四十六名、連名にて清朝に退位を請願
   1月28日 南京臨時参議院成立
   2月 5日 段祺瑞など、再び清朝に叱責に近い請願を行う
   2月12日 清朝皇帝宣統帝溥儀、退位
   2月13日 袁世凱、共和政体賛成を通電。孫文、辞職を表明、袁世凱を推挙。
   2月14日 孫文、臨時参議院に辞表を提出、改めて袁世凱を推挙。
   2月15日 臨時参議院、袁世凱を臨時大総統に選出。また南京を首都にすることを決定
   2月18日 臨時参議院、蔡元培や宋教仁などを袁世凱南下就任の特使として北京に派遣
   2月20日 臨時参議院、黎元洪を臨時副総統に選出
   2月29日 袁世凱、曹kunなどに北京政変を発動させ、南下拒絶の口実をでっち上げる
   3月 6日 臨時参議院、袁世凱の北京での就任を承認
   3月10日 袁世凱、北京にて中華民国臨時大総統に就任
   3月11日 南京臨時政府、南京にて『中華民国臨時約法』を公布
   3月13日 袁世凱、国務総理に唐紹儀を任命
   3月29日 唐紹儀、北京にて組閣
   4月 1日 孫文、正式に職を辞去
   4月2日 南京臨時政府、正式に北京へ移行
   5月 白朗起義勃発(〜14年4月)
   6月16日 唐紹儀、国務総理を辞職
   6月29日 袁世凱、陸征祥を国務総理に任命
   8月20日 袁世凱、国務総理職を趙秉鈞に代行させる
   8月24日 孫文、袁世凱の招聘を受けて入京
   8月25日 宋教仁、孫文・黄興などの許可を得て、同盟会を拡充、国民党を結成する
   9月 9日 袁世凱、孫文を籌画全国鉄道全権に任命
   9月25日 袁世凱、趙秉鈞を国務総理に任命
1913年(民国二年)  3月20日 袁世凱、上海にて宋教仁を刺殺させる
   4月 7日 袁世凱、内密に動員令を下し、内戦準備
   4月8日 中華民国第一期国会、北京にて開催
   4月26日 袁世凱、五カ国銀行団と『善後借款契約』を締結
   4月29日 参議院、一致して『善後借款契約』反対を議決
   6月 9日 袁世凱、江西都督李烈鈞を罷免
   6月14日 袁世凱、広東都督胡漢民をチベット宣撫使に転出
   6月30日 袁世凱、安徽都督柏文蔚を陜甘籌辺使に転出
   7月12日 李烈鈞、江西湖口で独立宣言、二次革命勃発
   7月22日 袁世凱、討伐例を発布。上海にて討袁軍が結成される
   8月18日 政府軍、南昌を陥落し、江西占領
   9月 1日 南京陥落
   9月11日 熊希齢組閣
   9月12日 二次革命失敗
   9月18日 袁世凱、梁士詒に命じて御用政党公民党を組織
  10月 4日 憲法会議、『大総統選挙法』を決議・公布
  10月6日 袁世凱、国会に迫って正式に大総統に選出される
  10月7日 黎元洪、副総統に選出される
  11月 4日 袁世凱、国民党解散令を下達。また国民党籍国会議員を取り消す
  11月5日 袁世凱、行政会議を組織し、議会の職権を代行させる
  12月15日 袁世凱、行政会議を発展解消して政治会議とし開幕
  12月16日 袁世凱、張勲を長江巡閲使に、馮国璋を江蘇都督に、それぞれ任命
1914年(民国三年)  1月10日 袁世凱、国会を解散
   2月12日 熊希齢辞職、孫宝gが国務総理を代行
   5月 1日 袁世凱、『中華民国約法』を公布
    袁世凱、国務院を廃止、政事堂を設置し、徐世昌を国務卿に任命
   6月30日 袁世凱、各省都督を廃止、北京に将軍府を設け、将軍名号を授ける
   7月 8日 孫文、日本にて中華革命党を結成
   8月 6日 袁世凱政府、欧州戦争(第一次大戦)に対し、中立を宣言
   9月 2日 日本、対独宣戦。中国山東に派兵し、上陸を開始
  11月 7日 日本、青島を占領
1915年(民国四年)  1月18日 日本、袁世凱政府に対して二十一ヶ条要求を提出
   5月 9日 袁世凱政府、二十一ヶ条訂正案を承認
   5月25日 外交総長陸征祥と日本駐華公使日置益、中日新約の仮締結
   6月16日 袁世凱、日貨排斥運動の取り締まりを再度指示
   8月10日 袁世凱のアメリカ人憲法顧問グッドノー『共和と君主論』を発表
   8月23日 籌安会成立
   9月 1日 参政院、各省の国体変更請願書を審査
   9月19日 梁士詒など、全国請願連合会を組織
  10月 2日 参政院、『国民代表大会組織法』を制定
  11月20日 国民代表の投票が行われ、君主立憲制賛成で一致
  12月11日 参政院、袁世凱を皇帝に推戴
  12月12日 袁世凱、即位を宣言
    国号を中華帝国に改め、翌年より元号を洪憲とすることに決定
  12月13日 袁世凱、百官より祝賀を受ける
  12月25日 蔡鍔、各省に雲南独立を通電し、護国軍を組織して、討袁軍を発する、護国戦争
1916年(民国五年)  1月 1日 雲南都督府成立
   3月22日 袁世凱、帝制取り消しを宣言、大総統を称す
   3月23日 袁世凱、洪憲の元号を廃止
   4月21日 袁世凱、内閣制の復活を宣言。段祺瑞を国務卿に任命
   5月 1日 両広が護国軍都司令部を組織
   5月8日 国務卿を国務総理に改称
   5月18日 江蘇将軍馮国璋、南京会議を召集
   6月 6日 袁世凱死去
   6月7日 黎元洪、副大総統より大総統へ。新旧約法の争い
   6月9日 張勲、徐州会議を開催
   6月29日 黎元洪、『臨時約法』の遵守と国会再開、参政院の解消を宣言。
    段祺瑞、国務総理に任じられる
   8月 1日 国会再開
  10月30日 馮国璋、副総統に選出される
1917年(民国六年)  3月14日 北京政府、ドイツと断交。参戦問題、府院の争い
   4月25日 段祺瑞、各省督軍を召集、北京にて全国軍事会議を開催。督軍団
   5月22日 張勲、第四次徐州会議を開催
   5月23日 黎元洪、国務総理段祺瑞を罷免、伍廷芳に代理させる
    段祺瑞、罷免を不承認、各省に通電、出京
   6月12日 黎元洪、国会を解散。伍廷芳、国会解散令副署拒絶、辞任
   6月14日 張勲入京(翌日黎元洪と会見)
   7月 1日 張勲、清朝廃帝溥儀を担ぎ復辟を実行。張勲復辟
   7月2日 黎元洪、日本公使館に非難、馮国璋に大総統代行を要請、段祺瑞を国務総理に任命
   7月3日 段祺瑞、天津馬厰で討逆軍総司令部を設け、張勲討伐を通電
   7月12日 段祺瑞討逆軍、北京を回復。張勲復辟失敗
   7月17日 孫文、広東へ。護法運動
   8月 1日 馮国璋、入京し、正式に代理大総統就任
   8月14日 北京政府、対独・奥宣戦を通告
   8月25日 広州非常会議開幕(9月 1日孫文を中華民国軍政府陸海軍大元帥に選出)
   9月22日 護法戦争勃発、北京政府の和戦の争い
  11月10日 北京臨時参議院開幕
  11月18日 直隷・湖北・江蘇・江西各督軍(曹kun・王占元・李純・陳光遠)、停戦を要求する通電
  11月20日 段祺瑞、国務総理を辞任
  12月 2日 曹昆・張懐芝七省三特区の督軍・都統の代表を天津に召集。督軍団の復活
  12月15日 馮国璋、曹昆を攻湘第一路軍総司令に、張懐芝を第二路軍総司令に任じる
  12月18日 馮国璋、段祺瑞を参戦督弁に任じる
1918年(民国七年)  2月8日 広州非常国会、広州軍政府改組に関する大綱を決議
   2月14日 第十六混成旅団旅団長馮玉祥、湖北武穴にて停戦を通電
   2月17日 馮国璋、『修正中華民国国会組織法』『修正衆参両院議員選挙法』を公布
   2月23日 奉天軍、秦皇島に保管されていた武器を横領
   2月25日 馮国璋、馮玉祥を処分、免職の上、曹kunによる厳重審査を命じる
    馮国璋、『参戦督弁事務処組織令』を公布
   3月 1日 参戦督弁事務処成立
   3月6日 奉天軍関内進出開始
   3月7日 安福倶楽部成立(翌日、正式に成立)
   3月12日 張作霖・徐樹錚、連名によって奉天軍関内総司令部を軍糧城に設置することを通電
   3月23日 馮国璋、王士珍辞職を許可し、段祺瑞に組閣を命じる
   3月27日 馮国璋、張敬尭を湖南督軍に任命する
   4月 5日 曹kun、両湖宣撫使の辞任を表明
   4月13日 曹kun、攻湘第一路軍の疲労を理由に進撃中止
   4月22日 段祺瑞、漢口にて曹昆・王占元・張懐芝・趙俶・徐樹錚などと軍事会議を開催
   4月20日 広州軍政府改組、大元帥制から複数総裁制へ(翌日孫文、広州離脱)
   4月27日 曹kun・張懐芝・王占元・李純・陳光遠・趙俶、連名により対南政策の和平解決を通電
   4月29日 曹kun、養生を理由に第一路軍総司令部全体を天津に引き上げる
   6月14日 徐樹錚、奉天軍関内司令部にて陸建章を射殺
   6月15日 呉佩孚と趙恒タが耒陽にて停戦合意
   8月12日 新国会(安福国会)開催。9月4日に徐世昌を新大総統に選出
   8月13日 呉佩孚、和平を主張し、停戦を通電
   9月7日 馮国璋、張作霖を東三省巡閲使に特派
  10月10日 徐世昌、北京にて大総統に就任。段祺瑞・馮国璋、同時下野
  11月11日 第一次大戦終結
  11月16日 徐世昌、停戦撤兵令を発表
  11月23日 広州軍政府、停戦令を発表
1919年(民国八年)  1月 1日 段祺瑞、参戦軍(辺防軍)正式に創建
   1月18日 パリ講和会議開幕
   2月20日 南北和平会議、上海にて開幕
   4月29日 パリ和平会議、山東権益を日本へ譲渡することを決定
   5月 4日 五四運動勃発
   5月 3日 南北会議決裂(21日に「決裂宣言」)
   6月28日 パリ講和会議閉幕
   7月20日 徐世昌、参戦督弁事務処を解消し、新たに辺防督弁事務処を設ける
  12月 1日 徐世昌、徐樹錚を西北籌辺使督に任じ、外モンゴルの善後一切を一任
  12月29日 馮国璋、北京にて病死
1920年(民国九年)  1月17日 呉佩孚、撤兵北帰を要求
   4月 8日 曹kun、八省連名会議開催し、直奉八省反皖同盟を形成
   5月20日 呉佩孚、撤兵北帰を開始
   7月 3日 曹kun・張作霖、徐樹錚六代罪悪を発表、政府に辺防軍解散を要求
   7月4日 徐世昌、徐樹錚の西北籌辺使兼西北辺防総司令の職を解く
   7月8日 段祺瑞、緊急会議を招集して曹kun・呉佩孚の討伐を決定
   7月9日 段祺瑞、定国軍総司令部を組織し、徐世昌に曹kun・呉佩孚の職を解かせる
    曹kun・呉佩孚、討逆軍を形成
   7月10日 張作霖、段祺瑞に通電して徐樹錚の罪を責め、奉天軍を入関させる
   7月12日 曹kun・張作霖、連名にて対段祺瑞作戦を宣言
   7月14日 段祺瑞、定国軍に討伐令を下す。直皖戦争
   7月19日 段祺瑞、通電して下野を表明、直皖戦争終結
   8月 1日 呉佩孚、時局の国民大会開催による解決を提案
   8月3日 安福倶楽部解散
   8月9日 jin雲鵬、国務総理に任命される
  11月29日 孫文、再び広州にて軍政府成立
1921年(民国十年)  4月25日 曹kun・張作霖・王占元・jin雲鵬など、天津会議を挙行、対南武力討伐の方針を決定
   6月18日 越桂戦争勃発
   7月28日 湘鄂戦争勃発
   8月17日 湘直戦争勃発
  11月 4日 呉佩孚、漢口にて長江連防会議を招集
  11月12日 ワシントン会議開幕
  12月22日 段祺瑞、徐樹錚を広州へ派遣して広州軍政府との協力を図る
1922年(民国十一年)  2月 3日 孫文、大元帥名義によって動員令を発し、北伐を始める
   2月12日 張作霖、代表を広州に派遣して、反直勢力形成を図る
   2月22日 段祺瑞、徐樹錚を孫文と会見させ、反直勢力形成を図る
   3月16日 趙恒タ、北伐軍の湖南経由を拒否(26日孫文は広州への退却を決定)
   4月14日 張作霖、奉天軍の入関を始める
   4月29日 直奉戦争勃発
   5月 5日 奉天軍敗退
   5月10日 徐世昌、張作霖の東三省巡閲使兼奉天督軍・省長職を解く
   5月28日 曹kunと呉佩孚、天津において、黎元洪を大総統として迎えることを決定
   6月 2日 徐世昌、大総統を辞職
   6月4日 張作霖、東三省自治を宣言して東三省自治保安司令を自任
   6月11日 黎元洪、大総統就任を宣言
   6月16日 孫文、陳炯明の反乱に遭って、再び広州脱出
   9月 張作霖、盧永祥や馮玉祥と図って反直三角同盟を結成
  10月 徐樹錚、福建督軍李厚基を追って、建国軍政制置府を成立
1923年(民国十二年)  6月13日 黎元洪、曹kunに追われて出京、辞任
  10月 5日 曹kun賄選、大総統に就任し、『中華民国憲法』を公布
1924年(民国十三年)  9月 3日 江浙戦争勃発
   9月15日 第二次奉直戦争勃発
  10月23日 馮玉祥、北京政変を発動して曹kunを軟禁する
  10月25日 馮玉祥、孫文と段祺瑞に入京を呼びかける
  10月26日 馮玉祥、自軍を国民軍と改称
  11月 2日 曹kun、大総統を辞職
  11月3日 呉佩孚南下、第二次奉直戦争終結
  11月5日 馮玉祥、廃帝溥儀を出宮
  11月10日 張作霖、天津にて会議を開き、段祺瑞支援を決定
  11月17日 呉佩孚、漢口にて護憲軍政府の組織を通電
  11月24日 段祺瑞、臨時総執政に就任。中華民国臨時執政府が北京にて成立
  12月24日 段祺瑞、『善後会議条例』を公布
1925年(民国十四年)  1月 1日 段祺瑞、孫文に善後会議参加を要請
   2月 1日 善後会議、北京にて開幕
  10月16日 浙奉戦争勃発
  11月 孫伝芳、南京にて浙江・福建・江蘇・安徽・江西の五省聯軍成立を宣言
  11月23日 奉天軍郭松齢、国民軍の協力のもと兵変を起こし、奉天への進撃を始める
  12月 日本軍、張作霖の要請を受けて郭松齢侵攻を食い止める。郭松齢戦死
   30日 徐樹錚、暗殺される。
1926年(民国十五年)  1月 1日 直魯聯軍結成、張宗昌が総司令に
   1月5日 直奉連合成る。連軍、国民軍に対する進攻を開始
   4月 9日 国民軍、執政府を包囲。段祺瑞脱出
   4月15日 国民軍、北京から退去
   7月 国民革命軍、北伐を始める
   8月 呉佩孚、汀泗橋にて国民革命軍に撃破される
   9月 孫伝芳五省聯軍、国民革命軍に攻めたてられる
   9月17日 馮玉祥、五原にて出師を表明、国民連軍総司令を任じ、北伐軍の南北呼応が完成
  10月10日 国民革命軍、武昌を陥落。呉佩孚敗走
  12月 1日 張作霖、天津にて安国軍総司令に就任
1927年(民国十六年)  5月 1日 馮玉祥、西安にて国民革命軍第二集団軍総司令に就任
   6月 3日 閻錫山、自軍を国民革命軍に改称
   6月6日 閻錫山、国民革命軍北方総司令に就任
   6月18日 張作霖、北京にて中華民国陸海軍大元帥に就任、安国軍政府を組織
   6月20日 馮玉祥、徐州にて蒋介石と会見
  10月 2日 張作霖、閻錫山討伐を通電(4日討伐令を発する)
    閻錫山、張作霖に宣戦
1928年(民国十七年)  3月20日 閻錫山、太原にて国民革命軍第三集団軍総司令に就任
   5月30日 張作霖、緊急会議を招集して、総退却を決定
   6月 2日 張作霖、総退却令を発して関外脱出
   6月4日 日本関東軍将校、張作霖を皇姑屯付近にて専用列車ごと爆殺、皇姑屯事件
   6月20日 張学良、奉天軍務督弁に就任
   7月 4日 張学良、東三省保安総司令に就任
   9月14日 奉天軍と直魯聯軍、戦争を始める
  12月29日 張学良、東三省の易旗を宣言



「北洋軍閥考」

北洋軍閥とは何か(理論編)北洋軍閥とは何か(所論編)北洋軍閥人物小誌
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