中国近代史研究 | ホーム | メール | 研究方針 | 簡略年表 | 人物小誌 | 予備知識 | 題目研究 | 関連書籍 | 研究筆記 |
| 作者紹介 | 更新記録 | 留学日記 | 紫金山房 | リンク集1 | リンク集2 | 近代通史 | 連載企画 | 推奨図書 | 近代風景 |

「第四章:題目研究」「(二)北京政府考」

2,北京政府中央組織機関

 

中央組織機関表(1919年当時)


秘 書 庁
法 制 局
銓 叙 局
秘 書 長 統 計 局
総 統 府 侍従武官長 印 鋳 局
大 礼 官 幣 制 局
参謀本部 外 交 部
将 軍 府 内 務 部 京師警察庁
京畿衛戍総司令部 塩 務 署
歩軍統領衙門 財 政 部 煙酒事務署
国 務 院 中国銀行
大 総 統 審 計 院 陸 軍 部
蒙 蔵 院 内  閣 海 軍 部
大 理 院 総検察庁 司 法 部
平 政 院 中央観象台
文官高等懲戒委員会 教 育 部 編 訳 館
司法官懲戒委員会 北京大学
督弁辺防事務処 農 商 部
西北籌辺使公署 交 通 部
国史編纂処
税 務 処 海 関
僑工事務局
全国水利局



注:陳旭麓・李華興主編『中華民国史辞典』(上海人民出版社、1991年8月)519頁を参照して作者が作成。当然、北京政府が存続した16年間、この1919年の体制がずっと不変だったわけではない。1919年にしても、多少の変動がある。また細かいものは省いた。一応の目安として参考にされたい。1919年まで残らなかったもの、またこれ以降新たに新設されたものの中で、特に重要なものについては、こちらから。

詳細説明

大総統
 旧約法にしても、新約法にしても、北京政府は1924年、馮玉祥が北京政変を起こして、第二次直奉戦争を終結させるまで、基本的に大総統制であった。しかし、旧約法下の大総統か、新約法に準拠した大総統か、これは大きな違いがある。旧約法は議会主義を謳った、強力な責任内閣制の法律であるから、大総統権力は相対的に低下する。新約法は非常に強力な大総統制である。これによれば国会はほとんど無力になり、そのために国務院の権力行使にも限界が出てくる。新旧約法及びその詳細については別項に譲るとして、1912年3月、袁世凱が孫中山から譲位を受けてから、1924年の北京政変で馮玉祥が曹kunを軟禁するまで、袁世凱による帝制復活や張勲復辟などがあって、ごく短時間中断することはあったものの、六代五人の大総統が北京政府に君臨した。六代とは、袁世凱(1912年3月から1916年5月、途中、臨時大総統から正式大総統に昇格、さらに帝制復活をはさむ)、黎元洪(1916年6月から1917年7月)、馮国璋(1917年7月から1918年10月、代理大総統)、徐世昌(1918年10月から1922年6月)、黎元洪(1922年6月から1923年6月)、曹kun(1923年10月から1924年11月)である。
TOP
総統府
 大総統が政務を執るためにもそのスタッフがいなければならない。この総統府はそのための機関であるといえる。しかし、この機関の編制や職権などは一切の法律的規定がない。だからといって完全な「令外官」と言い切るのも問題であるが、しかしその詳細を体系的に伝える資料がないのもまた事実である。当時の新聞などでは「公府」とも称されたこの機関は、様々な資料から、大体五期に分けられる。袁世凱の時期、黎元洪・馮国璋の時期、徐世昌の時期、黎元洪の時期、曹kunの時期である。袁世凱の時期、国会が解散され、一時期国務院の機能が総統府直轄の政事堂に移された、つまり行政機能が完全に総統府によって操作された、ことなどがあったものの、しかしどの時期でもその構成要素はあまり大差がなく、大体において、秘書処、軍事処、承宣処、庶務処、収支処、礼官処、侍従武官処などからなっている。
TOP
秘書長
 現在でも、中国語で「秘書」という場合、日本のそれとは若干ニュアンスが異なる。日本の一般的な「秘書」といえば、やはり事務処理専門の役職であり、組織的にいえばそれほど大きな権限はない。しかし中国で「秘書」と言えば、側近中の側近であり、時には絶対的な権力も有する。総統府秘書処秘書長、といえば、大総統が最も信頼する、いわば片腕的な存在であり、その権力は絶大である。いわば総統府の顔であるとも言える。総統府と国務院、というのは職権が衝突しがちで、一般的に仲が悪いが、そうした時、国務総理とも一歩も引かずに対等に対決できるほどの存在である。
TOP
侍従武官長
 大総統直属の近衛兵、といえば大袈裟で、北京政府期の大総統にはほとんど直轄の軍隊はいないから、大総統警備のトップと思えば間違いない。総統府の各機関は現在に至るまで職権などの詳細が伝わっていないから、この侍従武官処及びその長もどのような権力があって、どう機能したのか、知る由もない。
TOP
大礼官
 礼官処のトップで、主に儀礼的なことを取り扱ったものと思われる。詳細不明。
TOP
参謀本部
 もともとは参謀部、1912年5月に成立。同年6月に参謀本部と改称。その年の10月に公布された官制の規定によれば、大総統に直属し、全国の国防における用兵事項を司り、全国の参謀将校を統括し、その教育を監督し、陸海軍大学、陸軍測量、各国駐在武官、軍事交通各事項などもその管轄に含まれる。陸海軍総長と並び、参謀本部長も軍事的要職である。徐世昌が大総統就任以前、この職をほぼ独占していたが、文人的な軍閥とも称される彼ではあるが、押さえるべきはしっかりと押さえていたことになり、それが彼の大総統指名につながっていく。大総統に直轄しているから、大総統の軍事業務を補佐し、国防に関する用兵の一切の計画や命令は、大総統の批准を経てから、参謀本部長によって陸海軍部長に伝達される。この点、陸海軍部長の上に立つとも言える。1927年、安国軍政府の成立とともに軍事部に編入され、参謀署となる。
TOP
将軍府
TOP
京畿衛戍総司令部
TOP
歩軍統領衙門
TOP
審計院
TOP
蒙蔵院
TOP
大理院
TOP
総検察局
TOP
平政院
TOP
文官高等懲戒委員会
TOP
司法官懲戒委員会
TOP
督弁辺防事務処
TOP
西北籌辺使公署
TOP
秘書庁
TOP
法制局
TOP
銓叙局
TOP
統計局
TOP
印鋳局
TOP
幣制局
TOP
国務院
TOP
外交部
TOP
内務部
TOP
京師警察庁
TOP
財政部
TOP
塩務署
TOP
煙酒事務処
TOP
中国銀行
TOP
陸軍部
TOP
海軍部
TOP
司法部
TOP
教育部
TOP
中央観象台
TOP
編訳館
TOP
北京大学
TOP
農商部
TOP
交通部
TOP
国史編纂処
TOP
税務処
TOP
海関
TOP
僑工事務局
TOP
全国水利局
TOP



その他重要中央組織機関

TOP
臨時執政府
軍政府(安国軍政府)
陸海軍大元帥統率弁事処
政事堂



「北京政府考」

北京政府内閣更迭表 / 北京政府中央組織機関 / 北京政府地方民政・軍政長官表
北京政府歳入出:民国二年と三年の歳入・歳出,民国五年と八年の歳入歳出北京政府外債概略北京政府内債表

参考文献はこちら



中国近代史研究 | ホーム | メール | 研究方針 | 簡略年表 | 人物小誌 | 予備知識 | 題目研究 | 関連書籍 | 研究筆記 |
| 作者紹介 | 更新記録 | 留学日記 | 紫金山房 | リンク集1 | リンク集2 | 近代通史 | 連載企画 | 推奨図書 | 近代風景 |