中国近代史研究 | ホーム | メール | 研究方針 | 簡略年表 | 人物小誌 | 予備知識 | 題目研究 | 関連書籍 | 研究筆記 |
| 作者紹介 | 更新記録 | 留学日記 | 紫金山房 | リンク集1 | リンク集2 | 近代通史 | 連載企画 | 推奨図書 | 近代風景 |

近代史の風景

近代史に関わりある写真を掲載していきます。

7,秋瑾墓(杭州)

 西湖湖畔にある秋瑾墓。「紫金山房」の方で少し話題になったので取り上げてみます。
 秋瑾(1875−1907)、字はxuan(左王+右叡)卿、号は競雄、鑑湖女侠と自称する。浙江山陰、現在の紹興出身。1893年、父に従い湖南へ、後、湖南の郷紳子弟王廷鈞に嫁ぐ。1903年、王廷鈞が上京して官位につくに伴なって入京。1904年5月、日本へ留学。留日中、陶成章、蔡元培、徐錫麟などと知り合い、交流を深める。一時帰国後、再び日本へ。この前後、光復会、同盟会に参加。1905年12月に帰国後、『中国女報』を創刊、女権運動に従事。光復会の拠点とも言うべき大通学堂の運営を任される。徐錫麟と示し合わせて、1907年7月6日、浙江、安徽両地の同時反清蜂起を計画するも、徐錫麟が指揮する安徽方面が事前に失敗、浙江での蜂起も未然に察知され、彼女も清朝官憲によって逮捕、7月15日、紹興軒亭口にて処刑された。享年32歳。
 清朝にとっては罪人であるが故に、彼女の死後より清朝滅亡までのわずか四年あまりの間、彼女の遺骸は各地を転々とし、一時は湖南まで行って王廷鈞と合葬までされたが、辛亥後、西湖湖畔に移され、孫中山自ら訪れ、「巾guo(左巾+右国)英雄」(「巾guo」は婦人を指す。「巾guo英雄」とは女傑、ほどの意味か)という孫直筆の題辞も残された。文革によってその墓も荒らされ、遺骨も散逸したが、文革後、遺骨探査が始まり、発見・確認作業を経て、1981年、現在の場所に墓地を再建、埋葬された。
 中国女権運動の先駆者であり、かつ、婦人革命家でもあった彼女の生涯は波瀾万丈。死後も、その遺骸はまた波瀾万丈。現在に至って、ようやくゆっくりと絶景の湖を眺められるようになったか。
過去ログ1 関門海峡 (下関)
過去ログ2 紫金山 (南京)
過去ログ3 中山陵 (南京)
過去ログ4 南京臨時参議院跡 (南京)
過去ログ5 長江 (南京)
過去ログ6 西湖 (杭州)



中国近代史研究 | ホーム | メール | 研究方針 | 簡略年表 | 人物小誌 | 予備知識 | 題目研究 | 関連書籍 | 研究筆記 |
| 作者紹介 | 更新記録 | 留学日記 | 紫金山房 | リンク集1 | リンク集2 | 近代通史 | 連載企画 | 推奨図書 | 近代風景 |