茶道部の歴史

 同志社と茶道部の関わりは極めて古く、校祖、新島襄の妻八重子夫人が裏千家十三代家元円能斎宗匠に入門され女子教育に生かされたことに始まります。
 昭和十一年、十四代家元淡々斎宗匠を中心として、同志社の予科の教員と学生が集まり「同風会」が発足しました。茶道を通じ心の安らぎを求めるこの集いの誕生こそが同志社大学茶道部の産声でありました。
 やがて日本は太平洋戦争に突入し、茶道部は活動停止を余儀なくされましたが、戦後十五代鵬雲斎お家元のご尽力により飛躍的に活動の輪を広げました。
 昭和二十九年には旧二條家のゆかりに茶室が転移され、淡々斎宗匠に「寒梅軒」と命名していただきました。昭和四十三年、現在地へと移転し、二度の増築を経て現在に至っております。

寒梅軒について

寒梅軒  京都御所に隣接する今出川キャンパス内にあるのが私共の道場「寒梅軒」です。
 幕末の頃、二條斉敬公が関白となった際、それを祝い叔父の水戸烈公こと徳川斉昭が殿舎を今出川通東入に新築しました。このとき廊下の端に建てられたのが、この寒梅軒です。
 この茶室は維新の際には会津の松平容保や一橋慶喜など徳川方要人の密議の場となったといわれています。
 昭和二十九年、女子大増築のため移転された折に、十四代淡々斎宗匠が新島先生の漢詩により「寒梅軒」と命名して下さいました。

    庭上一寒梅 笑侵風雪開
    不争又不力 自占百花魁

 その後、昭和四十三年、大学図書館新設のため、現在の場所であるクラーク館北側に移築され、その折に広間の増築を行いました。そして平成十三年、後援会の皆様方の多大なる御尽力、御寄付を受け、二階部分の増築を行い現在に至っております。
 寒梅軒は同志社大学茶道部のシンボルであり、月に一度土曜日に部員全員がそろい稽古する場であり、諸先輩方が若き良き時代を思い起こし、集う場となっています。