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一、東海大安楽死事件判決(横浜地裁H7.3.28判決)
本件は、東海大学医学部の助手で、医師であった被告人が、同大学医学部付属病院に多発性骨髄腫で入院していた男性患者の長男等から、「苦しむ姿を見ていられない。」などとして治療行為の中止を求められ、迷った末、点滴やフォ−リ−カテ−テル等を外して治療行為を中止したが、その後も、荒い苦しそうな呼吸をしている患者を診ていた長男から「楽にしてやってほしい。早く家につれて帰りたい。」などと再三言われたことから、末期状態にあり死が迫っていたこの男性患者に息を引き取らせることを決意し、殺意をもって、塩化カリウム製剤等の薬物を同人に注射して死亡させたという事案において、安楽死の成否が争われたものである。
本件で起訴された訴因は、被告人が患者に薬物を注射したと言う点であり、いわゆる積極的安楽死の成否が問題となっている。この事例で注目すべきは以下の点である。
1、医師による積極的安楽死の要件
@耐え難い肉体的苦痛があること
A死が避けられずその死期が迫っていること
B肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
C生命の短縮を承諾する明示の意思表示があること
2、治療行為の中止が許されるためには、患者の医師が推定できる家族の意思表示でも足りるとした点
3、被告人の行為は、許容される「治療行為の中止」および「積極的安楽死」にはあたらないとした点
二、安楽死とは
安楽死という言葉は、極めて多義に用いられているが、刑法上問題となる安楽死を念頭に定義するなら、「安楽死とは、死期が迫っている患者の耐え難い肉体的苦痛を緩和・除去して安らかに死を迎えさせる措置」といえる。
そのような措置が死期を早めるとき、殺人罪(199条)ないし同意殺人罪(202条)の構成要件に該当するため、違法性が阻却されるか、されないなら責任が阻却されるのかが、問題となる。 従来、安楽死は患者の苦痛に対する人間的同情から出た行為の側面から考えられたが、最近では、患者の自己決定権という側面からもとらえられるようになっている。
※尊厳死とのちがい 生命維持治療の発達によって回復の見込みのない末期状態の患者が、かなりの期間、生命を維持できるようになった。しかし、それが望ましいことなのか、医師としてなすべきことなのかという問題がある。これが「尊厳死」といわれる問題である。「尊厳死とは、回復の見込みのない末期状態の患者に対して生命維持治療を中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えさせること」といえる。患者の自己決定権とそれにもとずく治療拒否権に結びつく問題である。治療の中止が死期を早
めることに対しては、安楽死と同様の問題点がある。安楽死と違うのは、患者の肉体的苦痛とその緩和・除去が問題にならない点である。そのため、尊厳死においては、明白な客観的利益があるとは言えない。また、死ぬ権利と言われるが、安楽死より患者の意志を知りにくいという問題がある。
三、安楽死の成否
安楽死は、次のように分類される。
1、純粋安楽死(生命短縮の危険を伴わない安楽死)
麻酔薬の使用になどの方法によって、死期を早めることなく、死にいたるまでの苦痛を緩和・除去するにとどまる場合である。
治療行為として適法であることについて問題はない。
2、間接的安楽死(生命短縮の危険を伴う安楽死。治療型安楽死とも言われる)
死苦緩和のための麻酔薬の使用などが副作用として生命短縮の危険をともない、その危険が現実化して死期をいくらか早めた場合である。
我が国の学説では一般に適法とされている。すなわち、「医学的適応性」・「医学的正当性」・患者の同意、があるとき、適法な治療行為として違法性を阻却するとする。
3、消極的安楽死(不作為による安楽死)
死苦を長引かせないために、生命延長の積極的措置をとらないことが死期をいくらか早めた場合である。
違法でないとするのが一般的見解である。
患者が状況を理解して措置を拒否しているときは、それに反して回復に役立たない死苦を長引かせるに過ぎない措置をとるべき刑法上の作為義務は医師にはないとする。
4、積極的安楽死(生命短縮を手段とする安楽死。殺害型安楽死ともいわれる)
作為により直接に生命を短縮することによって、死苦を終わらせる場合である。問題となっているのは、この積極的安楽死である。
(1)否定論
積極的安楽死は認められない。
根拠:@宗教的理由(人の死は神の手のみに委ねられていて、生命を創造することができないのと同様に死期を支配することはできない)
A現在の医療倫理との根本的な矛盾(医療は、患者の生命の回復ないし伸長にあり、医療倫理の中心は患者の生命の存続を前提とするため、一見無益と思われる懸命な治療行為が医療技術の進展をもたらすことも否定できない)
(2)肯定論
(a)違法性阻却説
積極的安楽死は、違法性を阻却するため、これを認める。
T(小野、植松)
根拠:人道主義の見地(安楽死は「人間的苦悩に対する同情」である。また、死期の切迫と死にまさる苦痛などを考えれば、「科学的合理主義に裏づけられた人道主義」に根拠を求められる)
U(町野)
根拠:患者の「自己決定権」(治療行為について患者の同意を求める前提として医師の説明義務を重視する)
V(平野)
根拠:法益衡量説の見地(本人の真摯な嘱託による行為であっても殺人として生命という法益を侵害する結果を惹起するものであるから、結果の違法が存在するのは明らかである。しかしそれによって苦痛を除去するものである。)
W(大谷、福田、団藤、大塚、川端、板倉)
根拠:社会的相当性(自己決定の尊重は人道主義にそうもので、厳格な要件の下に社会的相当性を有する)
下級審の裁判例は、要件を限定した上で、違法性の問題としている。(要件については後述)
(b)責任阻却説(甲斐、内藤、齊藤、曽根)
積極的安楽死は、違法性を阻却しないことを前提に、場合によっては期待可能性がないとして責任が阻却される。
根拠:@いかに人道的な動機に基づくものであっても、動機の適法性をもってしては殺人罪の違法性を阻却することはできない。
A苦痛の緩和除去という健康上の理由が大きくても、生命があることすなわち少なくとも生命の維持が可能であることを前提にする。
B違法性の本質について、目的説ないしは社会的相当説に立てば、目的・動機は苦痛の除去ではあるが、直接的・客観的な目的は生命短縮であり、手段もまた作為によって人を殺すことであるから、正当な目的のための相当な手段として、または社会的相当行為として、適法と認めることはできない。
四、安楽死の要件
東海大学安楽死判決の前に、積極的安楽死が許容されるための要件を示したと解されるのが、名古屋高裁S37・12・22判決である。
その要件は以下である。
@病者が現代医学の知識と技術から見て不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること
A病者の苦痛が甚しく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること
Bもっぱら病者の死苦の緩和の目的でなされたこと
C病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託または承諾のあること
D医師の手によることを本則とし、これにより得ない場合には医師により得ないと首肯するに足る特別な事情があること
Eその方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること
これらの要件に関しては、
@「難病」が「不治の病」に代わるのではないか
A人を殺すのに「倫理的な方法」というものがあるのか
という問題点が指摘され、更に、医学的・方法論的なものとは別に患者の家族の問題として考えなければならないものがあるのではないかという指摘がある。つまり家族の経済的負担の問題が安楽死の問題とすり替えられているのではないかということである。
これに対し、東海大学安楽死事件判決は
@→2、死が避けられずその死期が迫っていること
A→1、耐え難い肉体的苦痛があること
C→4、生命の短縮を承諾する明示の意思表示があること
D→3、肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他の医療上代替手段がないこととし、BとEについては当然であるとし、特に要件にする必要はないとした。
《1について》 精神的苦痛は考慮されないのか。
→末期患者には症状としての肉体的苦痛以外に、不安、恐怖、絶望などによる精神的苦痛が存在し、両者は互いに関連し影響しあい、精神的苦痛が大きな負担となり、それが高まって死を願望することもありうることは否定できないが、安楽死の対象となるのは、現段階においては肉体的苦痛に限られると解するべきとしている。なぜなら、より主観的訴えに頼らざるを得ないため自殺の容認、生命軽視につながりやすいからである。
《2について》 死期の切迫性の程度について→安楽死の方法との関係である程度相対的なもの
《3について》
緊急避難の法理と自己決定権を根拠に許される
《4について》 自己決定権の理論によるもの
五、検討
安楽死については、さまざまな見解があり、古くから議論のあるところである。キリスト教の国では、宗教的理由から安楽死に対して否定的な立場をとっていたが、最近のアメリカで起こった事件は、キリスト教思想にも動きが見えだしていることを印象づけた。一方で、法律家からは安楽死は宗教的見地によって考えられるべきではないという主張がされている。
我国では、自殺を罪悪視するキリスト教思想の支配がなかったことも関係してか安楽死の議論において西欧の比べて広い範囲で不可罰性を肯定する立場が有力であった。また、正当化の世俗的理由を人道主義に求める。従って行為者側、すなわち安楽死を施す側の事情を重要視する傾向が強い。
しかし、私は安楽死は患者の「自己決定権」の見地からのみ認めうるものであり、結果として生命を奪うものである以上、不当に広く認められるべきではないと思われる。よって、厳格な要件の下、本人の明確な意思が存在するときのみ違法性を阻却するのが妥当である。要件には、前述のもののほか、患者が真実を知っていたこと、すなわち医師による正確な告知がなされていたことを要すると考える。その意味では、尊厳死については本人の明確な意思があれば(実際は難しいが)認めてよいと思われる。よって、東海大安楽死事件は違法であると考える。
関連して、人工呼吸器を外すことは作為であるのか、不作為であるのかという問題がある。積極的な治療の停止と考えれば作為であるし、不自然で人工的な生命維持をやめ自然な状態に戻すと考えれば不作為である。思うに、現代の医学の発達の結果として生きることができる状態にあるのだから、それは現段階では「自然な状態」であると考え、作為であると考えるのが妥当であろう。
以上
参考文献
町野朔「安楽死−ひとつの視点−(一)、(二)」
ジュリスト630号59頁〜、631号114頁〜
「患者の自己決定権と刑法」刑法雑誌22巻3・4号34頁〜
「東海大学安楽死判決」覚書 ジュリスト1072号106頁〜
甲斐克則 「治療行為中止及び安楽死の許容要件−東海大学病院安楽死事件判決」法学教室178号37頁〜
唄孝一「いわゆる東海大学安楽死判決における末期医療と法」
法律時報67巻7号43頁〜
平良木登規男「安楽死」刑事裁判実務大系9 身体的刑法犯117頁〜
内田博文「安楽死」刑法判例百選総論(第3版)46頁〜
大塚仁「安楽死」刑法判例百選68頁〜
『刑法論集(1)』146頁〜
『刑法要論全訂第3版』110頁〜
内藤謙『刑法講義総論(中)』534頁〜
福田平『全訂 刑法総論(第3版)』173頁〜
団藤重光『刑法綱要総論』224頁〜
齊藤信宰『刑法講義総論』224頁〜
曽根威彦『刑法総論(新版)』130頁〜
川端博『刑法総論講義』309頁〜
大谷實『刑法講義総論 第3版』294頁〜
前田雅秀『刑法総論講義 第2版』274頁〜
板倉宏『刑法総論講義
大塚・福田編』114頁〜
平野龍一『刑法の基礎』
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