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学科長や学部長になると、「挨拶文」を書かされることがたまにあります。そんなとき、私は、学生に向けてそれなりのメッセージをこめて書いています。ここでは、そんな文章を集めてみました。

2009年度外国語学部ホームページ なぜ外国語学部か 2009-04-01

「英語は必須アイテム」と言われる今、大学はどの学部に入っても英語はそれなりにやらなくてはなりません。「だからさ、別に外国語学部に入学しなくたって、語学の勉強はするわけでしょ。なのに、なんでわざわざ外国語学部なの?」

はい、そのわけをお話しましょう。

でも、その前に、外国語学部をひとくくりにして考えていてはうまく説明ができませんので、英語学科とそれ以外の5学科とを分けて考える必要があります。なぜなら、日本の大部分の高校生は英語を勉強してきているので、英語学科の入学者はみんな英語ができる人たちなのに対して、それ以外の5学科の入学者はそれぞれの言語を初めて学ぶ人たちが大半を占めているからです。

したがって、「なぜ外国語学部なの?」ではなく、「なぜ英語学科なの?」と「なぜ英語以外の○○語学科なの?」という別々の問いがあり、それぞれ別の答えがあると思うのです。もちろん、それらの答えはひとつではなく、いろいろな答えがあり得るでしょう。私は、学部長としてこの挨拶を書いていますが、外国語学部の、あるいは英語学科の教員全員が同じひとつの答えを持っているわけではありません。ですから、今ここで私が書いていることは私の個人的意見ですが、私は、次のように思っています。

◆なぜ英語か

「なぜ英語学科なの? だって、どの学部に入ったって英語はやるのに」という問いに対する答えは、何でしょう。

英語を甘く見てはいけません。確かに、道で出会って挨拶をしたり、買い物をしたりする程度の英語力を身につけるのはそんなに大変なことではないかも知れません。しかし、ちゃんとした事柄(たとえば、地球温暖化、民族紛争、自然エネルギーの研究開発、貧困の撲滅・・・)について英語でディスカッションしようとすれば、それ相当の英語力が必要です。

そして、たとえば、似た意味の単語であってもその単語一つ一つのあいだにある微妙なニュアンスの違いだとか、その単語が持つ文化的背景だとかを、正しく理解した上で議論していかないと、正しく意思が伝わらず、思わぬ誤解を招くことにもなります。語学は奥が深いのです。

英語学科では、こうした言語の持つ奥深い意味まで理解したうえで行われる、高いレベルの英語運用能力を獲得するとともに、英語という言語に投影された文化的背景についても学んでいくのです。

ここで「文化」と言うとき、それはいわゆる英国や米国の文化ということにとどまらず、英語が主たる公用語となっているそのほかの地域の文化ということも念頭に置かれていますが、さらに、特定地域の言語ではなく、国際語であるという英語の特徴、すなわち異なる母国語と文化的背景とを持つ人々のあいだでのコミュニケーション・ツールとしての英語の特徴である、グローバル性、非土着性という性質も意味しています。

こうした英語のグローバル性、非土着性を含めて、英語を深く理解した上で質の高い運用能力を獲得することが英語学科に学ぶことの第一の意味です。

そして、そうした英語研究のほかに、さらに、地域研究としてのアメリカ研究、英国・英語圏研究、ヨーロッパ研究、アジア文化研究といった専門分野、また方法論や理論研究の分野である国際関係論と言語学という専門分野でのより深い専門的研究への扉がその先に開かれているのです。

いずれの専門分野でも、英語を始めとする高いレベルの語学運用能力がその研究の基礎となるのです。

◆なぜ英語以外の外国語か

「なぜ、英語以外の○○語?」とか、「いまや英語が国際語。なのになぜ?」という疑問が出てくるのはよくわかります。確かに、私もすでに述べているように英語は世界の共通語であり、異なる母国語と文化的背景を持つ世界の人々にとって、共通のコミュニケーション・ツールです。

しかし、たった今ここで述べたように、異なる母国語と文化的背景を持つ人々が世界には何億人、何十億人と存在していることも事実です。日本語を知ることなくして、日本社会を深く理解することはできないということはわかっていただけると思います。同様に、英語以外の言語を母国語とする何千万人、何億人もの人々の生きている社会を深く理解するためにも、やはりその社会で育まれてきた、その地域の固有言語を知る必要があるのです。

英語が国際語となった今日でも、世界中のすべての人々の母国語が英語とならない限り(そして、そうなることは決してないでしょう)、英語以外の言語を学ぶ必要性がなくなることは決してないのです。

外国語学部のドイツ語学科、フランス語学科、イスパニア語学科、ロシア語学科、ポルトガル語学科では、ほかのどの大学にもない、密度の高いカリキュラムのもとで、これらの言語を初級レベルからスタートして(既習者のためのプログラムが用意されている学科もありますが、いずれの学科も始めて学ぶ人が大半です)、社会に出て即戦力となる上級レベルまでを4年間で学ぶことを目標にしています。

これらの学科では、それぞれの言語だけでなく、それぞれの言語が使われている地域、例えばイスパニア語では、イスパニア語を母国語とする人口がスペインよりもずっと多い中南米諸国、ポルトガル語ではブラジル、ロシア語ではロシア以外の中央アジア諸国を含む地域の文化・政治・経済・社会などを学んでいきます(地域研究)。 そして、もう一つ忘れてならないことは、英語以外のヨーロッパの言語を学ぶことで、実は英語という言語がヨーロッパの言語のうちの一つの言語であったことに気づかされ、英語をその成り立ちや、他のヨーロッパの言語との比較の中で、あらためてとらえ直すことで、より深く理解できるようになるということがあります。

例えば、現代英語では、youは相手がひとりでも複数でも使えますが(二人称の単複同形)、他のヨーロッパの言語では現在でも人称の単数と複数は使い分けられています。その使い分け方にも、言語によって独特なものがあります。例えば、ロシア語ではyouにあたる二人称複数形は英語と同様に相手がひとりでも使えますが、現代英語と違って二人称単数形もしばしば使います。では、相手がひとりのときに二人称単数形と二人称複数形をどう使い分けているのかというと、親しい相手や目下の相手には二人称単数を、それ以外の人には相手がひとりであっても二人称複数形を使うという習慣があります。したがって、知り合った二人の人物が、最初はお互いを二人称複数形で呼び合っていますが、親しくなると二人称単数形で呼び合うようになり、ところが喧嘩別れしてしまうと、再び二人称複数形で呼び合うようになるという、微妙な感情の変化と言葉遣いが対応することになります。

また例えば、英語は名詞に性の区別がないのですが、他のヨーロッパの言語の名詞には、男性、女性、中性という文法上の性の区別があるのが普通です。ドイツ語では、「雑誌」は女性、「本」は中性です。しかし、ロシア語では、前者は男性、後者は女性です。ドイツ語では名詞の前に置かれる定冠詞によって性の区別がなされます。したがって、無冠詞の未知の単語の場合、性の区別がつきにくいということになります。ところが、そもそも冠詞のないロシア語では、単語の語尾の違いで性が決定されますので、未知の単語でも性の区別はできます。このように、性の区別の方法も、区別の仕方も言語によって違いがあるのですが、そもそもなぜ性の違いがあるのか、ということを考えてみると、例えば、ロシア語では代名詞となったときに、雑誌はいわば「彼」、「本」は「彼女」ということになるので、代名詞が先に出てきたどの名詞を指しているのかより明確になるというようなことが考えられます。

さらに、英語は名詞や冠詞自体に格(主語になる役割、目的語になる役割といったもの)がありませんから、単語の位置で格を示すことになります。ところが、他のヨーロッパの言語では、例えばドイツ語のように定冠詞が変化して4つの格を示しますし、冠詞のないロシア語では名詞の語尾自体が変化して6つの格を示します。こうした格変化があると、文の中での単語の位置の自由度は高くなり、また文の論理的な構造もより明確になるという利点があります。 こんなふうにして、もう一つのヨーロッパの言語を学ぶことで、英語という言語の特徴も分かってきます。これは、英語以外のヨーロッパの言語を学ぶ大きな利点です。

しかし、最大の利点は、英語以外の言語を学ぶことで、「もう一つ別の視点」から世界や物事を見ることができるようになるということです。上智大学の建学の精神を私なりに別の言葉で言い換えると、それは、「相手の立場に立って考える」ということになると思います。英語ともう一つの外国語を学ぶことで、私たちは、なおいっそう、相手の立場に立って考えることができるようになるのだと思います。

2006年度オリエンテーションキャンプ・パンフレット 新入生へのメッセージ 2006-04-01

第一志望で上智のロシア語学科に入学してきた新入生のみなさん。おめでとう。みなさんは、どうしてここに来たかったのか、その初心をいつまでも忘れないようにしましょう。

ロシア語をやりたかったけど上智が第一志望じゃなかった新入生のみなさん。みなさんは実にラッキーな人です。ロシア語ができるようになりたいのなら上智のロシア語学科に来るのが最善の方法です。

たまたまここに来てしまって、こんなはずじゃなかったと思っているみなさん。残念だったですね。人生はそんなものです。思った通りにはなかなかいかないのが人生です。でも、たまたま来たところが、素晴らしいところになるかもしれません。それは、これからのみなさん自身の生き方にかかっているのです。

上智のロシア語学科出身者には、作家も政治家も弁護士も国連職員もいます。ほとんどありとあらゆる職業の人がいます。大金持ちの社長さんもいればニートもいます。人生は大学や学部学科ですべてが決まるわけではありません。しかし、みなさんはいま思っている以上に素晴らしいスタート台に立っているのです。

ロシア語学科は勉強がきついと言われていますが、遊んでいて自分の望みが叶うほど世の中は甘くありません。それは、どの大学、学部学科でも同じです。あたりまえのことですが毎日ちゃんと勉強はしてくださいね。でも、自分の居場所や、やっていることに少しでも違和感を感じたとき、頑張ってるんだけど思うようにいかないとき、そんなときは一人で悩まずに、私たちのところに気軽に相談に来てください。人生はやり直しはいくらでもできるんです。きっと答えのヒントが見つかります。

さあ、いっしょに、がんばりましょう。

2005年度オリエンテーションキャンプ・パンフレット こんにちは、ロシア語学科です 2005-04-01

私は、学科長として、入学式のあとの学科集会でもお話をさせていただきましたし、『学科便覧』の「1.ロシア語学科とは」でも自分の考えを書いていますので、あまりこのページで説教くさいことを書くのもなぁと思いつつ、最近、学生さんと接していて感じていることを書きます。

新入生のほとんどは、4月の段階では、夢や希望にあふれているというか、「よーし、勉強やるぞぉ」みたいな感じなのですが、1〜2ヵ月して、学生生活に慣れてくるに従って、勉強もなんだかその場しのぎみたいになってしまい、まぁ、それでもそれなりに充実した楽しい学生生活が続いているような感じがしているので、落第でもしない限り、こんな感じでいいんじゃないかなと思っているうちに、気がついたら、もう3年も後半で就活が始まっていたりします。

そのときになって、「いったい今まで何やってきたんだろう?」って思たりするらしいのです。どうしてなのでしょう。20歳前後の4年間って、長い人生の中で、けっこう重要な4年間だと思うんですよね。「もったいない」が最近のキーワードらしいですけど、この4年間、ボーっと過ごしたら、ホント、もったいないと思います。入学したときの気持ちをいつまでも忘れずに、いま、ここでしかできないことは何かをよく考えて、毎日を過ごしてほしいと思います。

せっかく、ロシア語学科に入学したのだったら、サークルや友だちも大切だけど、やっぱりロシア語の勉強やロシアについて学ぶことを大学生活の中心にすえてほしいと思います。勉強という意味だけでなく、遊びや余暇も含めて、ね。ロシア語学科の学生は、旅行するならやっぱりロシアでしょ。見るならロシア映画でしょ。

それでは視野が狭くなる?そんなことはないと思います。だって、巷にあふれているのは、ロシア以外の情報ばかりではないですか。ロシア以外のことは、たぶん、普通にしていても、わかってくるものです。

話は変わりますが、ここには、上智のロシア語学科を目指してがんばってきた人ばかりでなく、迷った末に来た人も、たまたま来ちゃった人も、第一志望じゃなかった人もいると思います。しかし、人生なんて自分の思いどおりにはいかないものなんです。この学科に来たのも何かの縁です。与えられた状況で最善を尽くすことが大事だと思います。ロシア語学科を選択したのがよかったのか悪かったのかは、選択それ自体よりも、選択したあと、その人が、この学科でどのように過ごしたのかということによって決まると思います。

最後にもうひとつ。勉強(の仕方)がわからなくなったら、早めにそれぞれの教科の担当の教員のところに行って、遠慮なく質問してください。何か困ったこと、相談したいことがあったら、気軽に学科長のところに相談に来てください。大学の教員は、毎日は大学に来ていないので、突然、研究室に行っても会えるかどうかわからないし、会えても時間をとってもらえるかどうかわかりませんから、事前にメールや電話でアポをとったり、授業のあとに約束を取り付けたりしてください。

では、大学生活、いっしょにがんばりましょう。

2004年度卒業パンフレット 卒業していくみんなへ 2005-02-28

大学を卒業してから20年以上も経つと、大学生だったときのことを思い出すことは滅多にない。いま自分が持っている知識は果たして大学のときに授業で学んだことなのか、それとも授業とはまったく無関係に自分で読んだ本から得た知識なのか、あるいは大学を卒業してずっと経ってから人に教えてもらったことなのかも判然としない。自分は大学でいったい何を教えてもらったのだろうと思うことさえある。ところが、いま自分が生活の糧を得ることができるようになったその土台をつくってくれたのは、と考えると、それは大学だったということに、はたと気づく。

人生も半ばを過ぎると、今さら、親友がいないことなんかとくに気にならないと強がってみたりするのだが、10数年ぶりに帰国した昔のゼミの同僚と酒を飲むと妙に心が安らぐことに気づく。あのころ心優しいやつだった彼は、相変わらず、いや、ますます優しい人間になっていて、そういえば、彼の下宿で夜通し飲みながら、あれこれ議論していたことを急に思い出した。

入試のときも、卒業後しばらくしたときにも、人生なんて自分の思い通りには決していかないものだとつくづく思い知らされたが、そんなとき、ふと話をしてみたくなるのは、やはり昔の友人だった。

人生なんて、いいことなんかちっともないと若い頃はよく思ったものだが、さすがに歳をとったのか、人生もそれほど悪くはないと思えてくる。しかし、それは歳をとったせいなのか、それとも未来のある若い学生と接するようになったからなのか、わからない。当の若い学生のほうは、かつて自分がそうだったように、悩んだり落ち込んだりしているのに、教師のほうは、どうやらそんな学生から、人生の希望をもらっているのかも知れない。

あんまり気の利いたことは言えないたちで、つまらない独白を書いたが、君たちが、私がいま考えているような感じで、いつか大学生だった頃を懐かしむ日が来るのではないかと思って、なんとなく書いてみた。

そんな私にも教訓はあって、大学を卒業してからも伸びていくとすれば、それは自分の能力よりもちょっと上のレベルの仕事を与えられて、必死の思いでようやくこなすと、少し伸びた自分がある。ところが、次に、そのさらにちょっと上のレベルの仕事がまた与えられて、これもようやくアップアップの状態でなんとかこなす。こういう繰り返しで、自分は少しずつ成長していったのかなと思う。

2004年度オリエンテーションキャンプ・パンフレット 自分が置かれている状況において最善を尽くすこと 2004-04-01

大学についての情報はたくさんあるけれど、自分が通うことになった大学、学部、学科で自分がどんな勉強をするのかということについて、初めからわかっている人はそう多くないと思います。

上智のロシア語学科についていろいろ調べて、上智のロシア語学科に入学するために一生懸命がんばって、入学してきた人もいるでしょうし、たまたまここに入学してしまったという人もいるでしょう。

しかし、どちらの場合でも、実際にロシア語学科に入学して、しばらくすると、「期待していたのとは違う。こんなはずじゃなかった」と思う人が出てくるかも知れないし、反対に「たまたま来ちゃったけど意外に面白いかも」と思う人も出てくるかも知れません。

実は、自分の選択がよかったのか悪かったのかは、選択それ自体よりも、選択したあと、その人が日々どのように過ごしていくかということによって決まるように思います。

人生は希望通りにはなかなかいかないものです。私は中学校までは地元の公立だったので志望校とかということはありませんが、その後の高校受験と大学受験では、いずれも第一志望には合格しませんでした。就職についても大学院を出たら大学の教職に就きたいと考えていましたが、うまくはいきませんでした。社会人になったら、自分自身の希望というよりも、偶然というか巡り合わせで、職場や仕事が変わっていきました。これまでの人生を振り替えると、事前の希望通りにはぜんぜん進んできませんでした。

それでも、悔やんだことはあまりありません。この学校に、あるいはこの職場に来たのも何かの縁、ここで頑張って次に進もうと、いつも考えてきたからです。自分が置かれている状況において最善を尽くすこと、これが大事だと思ってきたのです。

ところで、「ロシア語学科はロシア語ばっかりやらされて大変」、「自由がない」、「大学生活を楽しめない」と言う人がいます。でも、ちゃんと資格を取ったり、自分の希望する仕事に就こうと思っているなら、あるいは漠然としてはいても、それなりにちゃんとした仕事に就きたいと思っているなら、どの大学どの学部にいても、けっこうしっかり勉強しないとダメです。○○学部はラクらしいとか、△△大学って結構遊んでいても大丈夫らしい、などという話をあまり額面通りには受け取らないように。ラクだと言っている人はもう少しすると実は大変になるんだけど、まだせっぱつまっていないか、実は見栄かカッコつけたくて「ラクだよ」って言っているに過ぎないのかも知れません。また、ロシアについてよく知らない他学部他学科の学生が「ロシア語なんていう、役に立たない語学をなんでやってるの?」なんて言うかも知れません。

しかし、ロシア語だけではありません。他の学部学科の勉強でも同じことです。大学でいい加減にしか勉強をしなかった人は、大学でやったことは結局、すべて何の役にも立たないのです。逆に、ちゃんと勉強した人は、それを仕事のなかで役立たせ、活かすことができるのです。

ロシア語ができることが、どんなに素晴らしいことか、わかるときがきっと来ると思います。

2003年度ロシア語劇パンフレット ロシア語劇上演によせて 2004-02-05

ロシア語学科の学生有志がロシア語劇を上演するのはロシア語学科創立4年目の1960年以来の伝統だそうである。中断したこともあったらしいが最近は毎年上演されている。正直言って演劇や文学にうとい小生には「すごい」という一語に尽きる。そう言いつつ、実は小生も自ら劇の脚本を書き、演出をし、演じたことがある。

1991年12月末、場所はモスクワである。当時、私が仕事をしていた職場の忘年会は、いわば学園祭のような盛り上りで、テレビの「新春隠し芸大会」よろしく、職場の全員が2チームに別れ、来賓が審査員となって、いろいろな出し物で勝ち負けを競った。そのメインイベントが「劇」である。劇は、この職場でも長年の伝統だった。演目は、「語劇」同様、チェーホフなどが多かったようだが、そのとき我がチームは、日本語でシリアスな創作劇をやった。タイトルは「8プラス1」。主人公はその年の8月のクーデター未遂事件の首謀者の一人、ソ連内相プーゴ。ストーリーは、クーデター前夜、プーゴ邸に国家非常事態委員会メンバーの8人が集まって謀議したその様子を推測して再現したものだった。我がチームは年末の忙しい中、早朝7時から「朝練」を繰り返した。劇では、クーデター首謀者の8人と黒幕のルキャーノフ最高ソヴィエト議長らの服装や口癖などのディティールを忠実に再現して大受けし、ボリショイ劇場にまで衣装を借りに行くなどのこだわりを見せたライバル・チームを破った。

ここまで書いて、しかし、これはとんだ失言だったかも知れないと思った。というのも、我が露劇は、職場の忘年会でやるような半端なものではないからだ。それは見ればすぐにわかる。かなり「すごい」のである。

さて、最後に、すこし気の効いたことでも書いて締めくくろう。「人はなぜ演じるのか。それは人生もまた一つの劇であり、人は、もう一つ別の劇を演じてみたいという欲求にかられるからだ」(T.U.)。

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