ラモス引退記念

 

ラモス瑠偉氏の思い出の写真、コラム等にて、引退記念としてラモス氏の功績を称えたいと思います。

長い間、お疲れさまでした。

 

宮崎編集長が語る「ラモスの思い出」

 

途中交代でついにデビュー  1977.10.10  読売サッカー場

1977.10.10 読売サッカー場
鈴木武一と途中交代でついに日本公式戦デビュー

 

JSL2部  読売クラブ  4−2  帝人松山  当時20才  うまさは感じなかったが、とにかく足の速いのが印象的だった

JSL2部 読売クラブ 4−2 帝人松山
当時20才
うまさは感じなかったが、とにかく足の速いのが印象的だった
この試合3本のシュートを放ち1ゴールを決めている

当時の読売クラブは、
監督 西邑昌一、コーチ 相川亮一・千葉進
主将 小見幸隆、主務 佐藤英男

GK 高田喜義
FB 飯室順次 松木安太郎 佐伯憲二 関口直右 小見幸隆
HB ジョージ与那城 橋本好章 鈴木武一(ラモス)
FW 岡島俊樹 浜口和明

’77年度JSL成績
1部   1位 フジタ 2位 三菱重工 3位 日立    得点王 23点カルバリオ(フジタ)
2部   1位 読売クラブ 2位 日産 3位 住友金属 得点王 11点岡島俊樹(読売)

 

ラモスを日本に誘った  ジョージ与那城

ラモスを日本に誘った ジョージ与那城(当時27才)

 

左側がいとこのカルロス・ニコトラ  右側は相川監督  「江戸の街」は現在芝のグランドになっている

左側がいとこのカルロス・ニコトラ
右側は相川亮一コーチ
後ろに見える「江戸の街」は、現在芝の練習グランドになっている

 

グランドは現在ヴェルディの練習場  観客は試合に来ている子供たちやよみうりランドのお客さんなど数十人だった  取材記者もカメラマンも私以外に誰もいなかった

グランドは現在のヴェルディの練習場
観客は、試合に来ている子供たちやよみうりランドのお客さんなど数十人だった
取材記者もカメラマンも私以外に誰もいなかった

<1977.10.10 撮影:下村章一>


 

「私は、ラモスのデビュー戦を読売サッカー場で観た。」 もう22年前なので、ラモスを見に行ったのか、JSL2部の試合を観に行ったのか、またよみうりランドに遊びに行ったのか、記憶が定かではないが、私のアルバムには、その時の写真が残っているので、試合を、またラモスを観に行ったということは事実なのである。
それまで、ヤンマーのネルソン吉村(後に帰化して、吉村大志郎となる)を見ていた私にとって、ブラジル人にしては、巧さはあまり感じられなかった。しかしボールを追いかけたり、相手と並走する時の足の速さは、特に印象的だった。
どうせ2〜3年でブラジルへ帰って行くのだろうと思ったものだが、いい意味でも、悪い意味でも、日本サッカー界に影響を与える選手に成長したことを思うと、感慨深いものがある。
(文=下村章一)

 


1981年度読売サッカークラブからの年賀状、左端がラモス

1981年読売サッカークラブからの年賀状、左端がラモス

 

1982年の年賀状、ラモスは写っていない

1982年の年賀状、ラモスは写っていない

 

1984年の年賀状、ラモスは前列右から4人目

1984年の年賀状、ラモスは前列右から4人目

 

1977年日本サッカーリーグ2部プログラム表紙

ラモス来日年の日本リーグ2部プログラム

 

 

 

 

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