エリオ・グレーシーvs木村政彦戦の謎

昭和26年10月リオ・マラカナン・スタジアムで世紀の柔術試合一本勝負が行われた。 エリオ・グレーシー(170cm/63kg)vs木村政彦(170cm/85kg)の3R10分である。 会場に入ると、棺桶が一つ置いてある、驚いた木村が、なんだこれはと尋ねると、 これは木村のためのものだ、エリオが持参したんだという。それを聞き木村は笑う。 第9試合エリオは西側から木村は東側から登場、ブラジル大統領もエリオの応援という。 第1R、木村はエリオを捕まえようとするが、小柄なエリオは素早く動き攻撃をかわす、 しかしエリオは、捕まり押え込まれて絞められると、エリオの耳から少量の血が流れる、 木村「大丈夫か?」エリオ「まだまだ大丈夫だ!」というがエリオは失神をしてしまう。 木村は、エリオが参ったをしないので、絞めを緩めるとエリオは意識をもどすのである。 木村「おまえ、なかなかやるな!」(エリオは、失神してた事を木村に伝えたかったとか) 第2R、エリオは、大外刈りから押え込まれて、腕がらみを極められ決して外れなかった。 セコンドのカルロス・グレーシーがタオルを投げ入れた時には、もうエリオの腕の抵抗の 気配は少しもなかったという。”エリオの闘魂は日本人の鏡だ”と木村は思ったという。 木村は「試合では、勝っても、勝負への執念に関しては、私の負けである」と語っている。 木村がエリオを倒せた真相! 木村は10年無敗という天才的柔道家である、しかしエリオとの試合ルールは柔道ではなく、 バーリ・トゥードから打撃を禁止して、どちらかが参ったをするまで戦うというルールである。 なぜ、エリオに有利なルールであるのに、木村が、エリオを倒すことが出来たのであろう。 その真相とは”プロ柔道”にあるのである。正式な名称は国際柔道協会(牛島辰熊8段が創る) 昭和25年、木村は、牛島の創ったプロ柔道に第一号として入団する(木村は牛島の直弟子) そして本拠地を池袋に置いて、プロ柔道が従来の柔道より強い柔道とアピールするために、 それまで、危険技として禁止されていた、古来の柔術技、関節技を次々に復活させたという。 例えば、指関節(2本以上)足首、膝、肩、首絞めを認める、そして参ったで決着するルール。 昭和25年にプロ柔道は旗揚げするが、4ヶ月10回の興行で終わりハワイでの興行で消滅、 木村は、ハワイでプロレスラー(日本人初?)に転向してブラジルにプロレス遠征したという。 エリオが、木村の”プロ柔道”を事前に知っていたら試合結果は違ってたかもしれない。