新・東京の博多ラーメン!!

  

第一部  第一章  露呈しかけのアレンジ

  

  東京の博多ラーメンに関する新しい分類について


東京に博多ラーメンブームが起きてから何年経つのだろうか。よく指摘されるように、なんでんかんでんの出店をその契機とするなら、もう20年以上が過ぎたことになる。一人の人間が誕生してから大学を卒業するまでの時間である。この長い年月の間に、地方のローカル食であった博多ラーメンは東京で様々に変異してきた。その結果が「東京の博多ラーメン」たる不思議な存在の大繁栄である。この現状を見続けているうちに、一つの見方を思いついた。それは、東京における博多ラーメンの分類には、進化論の概念が援用できるのではないかという発想である。具体的には、東京における博多ラーメンの変容プロセスは、生物の適応放散に比することができるのではないかというアイデアである。もちろん、味を変えるのは人間の意図的行為であり、その点で基本的にランダム現象から生じる進化とは根本的に異なる。しかし、味を決めるのは意図的であるにせよ、どう変えれば儲かるかが恣意的に決められるはずはない。そこには消費者の嗜好の巨大な合成ベクトルが作用している。すなわち、個人的趣味でやっているならともかく、商売として維持しようとするなら、そこには「売れない=好まれない店は潰れる」という淘汰圧が存在するということである。この点でまさに進化の概念に通じるものがあるのは明白だろう。もともとの原博多ラーメンが、異なる嗜好を持った人々の暮らす異なる風土の地で「売れるか否か」という淘汰圧の元で様々な変異を生じる。まさに適応放散である。さらに言えば、ただ大勢に順応すれば良いと言う物でもない。客の好みだって千差万別なのだから、大勢ではないニッチ路線で儲けを目論むものも現れてもおかしくはない。この点も進化と良く似ている。こうして見てくると、九州北部で生まれた博多ラーメンが、東京というその出自とは異質な環境で変化し続けるのを進化に例えるのは自然ではないだろうか。厳密な学問ではない、単なるコジツケだが、こういう発想もそう的外れではないと考えてこのような見方を提出する次第である。このような認識の元、以下では現状における東京における博多ラーメンの分類を試みる。まず本章でその分類基準についてまとめ、次章において具体的にこの分類を各店に適用する。

なお、以下の考察の背景には、東京の地で変容した「東京の博多ラーメン」に対する強い疑念がある。簡単にまとめると、東京で「博多ラーメン」の名の下で提供されているもののほとんどは、博多ラーメンのエッセンスを改変するというデフォルメ、アレンジを加えたものであり、これを「博多ラーメン」の名の下で商品として提供するのは詐欺行為である、ということである。何をどのように売るのも買うのも自由であるし、他人がおいしいと賞賛するものにけちをつけるのは愚かな行為である。これには何の問題もない。だが、そもそも博多ラーメンではないものを「博多ラーメン」という名で売るのは詐欺と呼ばざるを得ない。嘘は止めるべきである、これが本サイトの基本姿勢である。これらの疑念については、第二部(旧コンテンツ)全般を参照して欲しい。そして博多ラーメンにおいて「本質」と呼ぶべきものは具体的に何かというと、まず何はなくともその匂い、次に白湯の質であり、地元民にとって違和感を抱かせない匂い、白湯をもつものだけが「博多ラーメン」の名に値する、というのが本サイトの主張である。この「俺様流博多ラーメンの定義」の詳細についてはこちらを参照して欲しい。

以下では東京の博多ラーメンを次のように分類している。クリックで各説明にジャンプする。

  
  

番外.   破廉恥詐欺ラーメン  (異物)


分類に入る前に、まず本サイトの立ち上げの切っ掛け(詳しくは第二部(旧コンテンツ)のこちらを参照)となり、本サイトを通じて強く非難している「博多ラーメンとは完全に無関係なのに博多をかたるもの」「全くの異物なのに破廉恥にも博多を詐称するもの」を切り離すべきであろう。本サイトでは何度も主張したいのだが、中身と看板が全く異なるという点で、完全な「詐欺」である。こういう「異物」はそもそもここで展開する分類に含めるべきではない。以前はこの手の詐欺屋が複数あり、それらの店は「どのように博多ラーメンとかけ離れているか」という点でそれぞれに違っていたのを更に分類していた。幸い現在ではここに含めるべき酷い店はただ1店しかない。従って以前行っていた更なる下位分類は置かず、とりあえず一つのジャンルとしておく。しかしいつまたこの手の詐欺屋が出現するか分からない。常に注意が必要である。

  
  

1.   博多純血種ラーメン  (真性博多ラーメン)


言うまでもなく、東京の博多ラーメンの分類として真っ先に挙げられるべきものは、東京では一般受けが望めないという淘汰圧にも関わらず、過剰に走る事もなく、退化することもなく、あくまでその本性を失わずに原博多ラーメンの形態をそのまま保つものである。本サイトでは一貫してこの種のラーメンにのみ「博多ラーメン」の名を与えるべきであると主張してきている。言い換えれば、本サイトではここに含められていないものは「博多ラーメンではない」と判断していることになる。このグループに分類される基準は「地元で長く地元の博多ラーメンを食べてきたものが違和感を感じない(と私が思う)か否か」である。この感覚はもちろん俺様基準に過ぎないのだが、一方で地元民なら誰でも持っている感覚ではないかと勝手に妄想している。どうしようもないほどラーメンが食べたくなった時私の足が向くのはこれらの店である。

  
  

2.  東京変異系非博多ラーメン  (博多デフォル麺)


ここに含められるものは、「東京というフィールドに進出して変異を遂げた博多ラーメン」「東京で売れるようにアレンジが加えられた博多ラーメン」という類の「博多ラーメンに似た」ラーメンである。そういう意味で「東京変異系」と呼ぶことにする。変異、アレンジをデフォルメと読み替えれば、これらは「博多デフォル麺」とも呼べるであろう。もちろんこれらはすべて、本サイトの基準では「博多ラーメン『ではない』もの」である。数で言うとほとんどの東京の博多ラーメンはこれに属する。そういう意味で、「博多」ラーメンというジャンルではなく、「東京博多」ラーメンというジャンルであると見るべきである。そのラーメンの特徴は多様である。またこの手のラーメンは全国に広がりつつあるが、それも東京から全国に飛び火しているものがほとんどである。

さてその「博多ラーメンではないもの」であるが、「ではない」と言っても、どのように「ではない」のかという有様は多様である。これらのグループをどこまで説得的に分類できるかという点は、東京における博多ラーメンの多様性を正しく認識するための最重要ポイントであると信じる。このジャンルには更に「2.1  東京退化系」「2.2  東京異種融合系」「2.3  東京過剰適応系」「2.4  東京巧妙適応系」の4つの下位分類を置く。

  

2. 1  東京退化系  (ル−ディー麺)

これは、読んで字のごとく、東京の客に抵抗を受けやすい博多ラーメンの特徴の一部/すべてを不要なもの、邪魔なものと看做し、これ殺して骨抜きにすることで、非地元民に擦り寄った系統である。これらはまた旧分類で「無臭白湯麺」と呼んでいたものである。基本的に「受け入れられ難いものは削ってしまえ」という単純な発想に基づいており、そのあり方としては合理的であることは認めざるを得ないが、これで「博多ラーメン」を名乗るというのは(程度の差こそあれ)詐欺であると判断する。ここではさらに「2. 1. 1  真性退化系」「2. 1. 2  部分退化系」の2つの下位分類を置く。

2.1.1  真性退化系  

 退化系に於いてまず第一に分類すべきものは、博多ラーメンから匂いを抜き、さらには白湯濃度も下げたというグループである。この手のラーメンは大体において、単に匂いが抜かれているだけでなく、スープのコクが地元のそれとは質的に異なっており、博多ラーメンとは程遠いものが多い。これらのラーメンは、私には漆黒の深海底で真っ白に色素を失い、目も僅かな痕跡になってしまったグロテスクな深海魚のように見えてならない。かの地ではそれが合理的なのは理解できるが、地上の生物にとって怪異な容貌にしか見えないのもまた事実である。これらは、真性退化系とよぶのがふさわしい。だがその一方で、この手のスープは博多ラーメンに縁のない人にはとっつき易いらしく、長年一定の支持を集めている店も多い。正直この手のラーメン中には詐欺麺に分類する方がよい位の店もあるが、これらの差異は「程遠いとは言え博多ラーメンの延長線上にあるか否か」である。詐欺麺はそもそも博多ラーメンとは無縁であるのに博多ラーメンを名乗るインチキ商品である。

2.1.2  部分退化系

次に分類すべきものは、香りはほとんど取り去られているが、白湯濃度はさほど失われていないグループである。無臭白湯麺に比べれば白湯に強さを感じると言える。いわばある部分だけ退化した系統で、部分退化系とでも呼べばよいだろうか。これも博多ラーメンに縁のない人にはとっつき易いらしく、しばしば個人サイトで高評価を受けている。確かにラーメンそのものとしては、口を極めて罵るレベルではない店が多い。しかし問題はそこにはない。問題は、ラーメンとして良いか悪いかではなく、博多ラーメンでないものを博多ラーメンと名乗っているという点である。これこそここできちんと指摘しておくべき問題である。

  

2.2  東京異種融合系  (キメラーメン)

ここに分類するものは、東京退化系と同じくスープから香りを抜いてあるのだが、白湯に典型的豚骨スープ以外の味を感じるものである。「典型的豚骨スープ以外の味」とは、多くの場合は魚系の味である。豚骨に魚の匂いというのは、地元の人間にとって強烈な違和感を感じさせるものである。近年流行った「ダブルスープ」というのがまさにこれで、博多ラーメンで育ったものには一種耐え難い感覚を覚える。いわば刺身にジャムをつけるとか、アイスクリームにポン酢をかけるとかいう、食欲を逆なでするような組み合わせである。ただチャンポンの場合は豚骨+魚介類でも違和感がないから不思議と言うか勝手なものである。勝手ではあるが、気持ち悪くないものは気持ち悪くないし、気持ち悪いものは気持ち悪い。そういう訳で、豚骨ラーメンを食べるときに魚の香りがすることには特に敏感になる。ここに分類する店はダブルスープのように極端ではないし、あるいは魚だしを加えてはいないのかもしれない。だがそこはかとなく「異物感」を感じるという点で共通している。また魚系の味ではないが、鶏がらから取った白湯を多くブレンドしているのではないかと思われる店もある。白湯の質感が異なることから、これも違和感を感じるラーメンである。いずれにせよ、食べて思い浮かぶのは「奇形」とか「キメラ」とかいう言葉である。こういうラーメンがはやるのは勝手だし否定するつもりもないが、それを「博多ラーメン」の名で売るのは、しつこいが「詐欺」である。また、何が「混じって」いるかで下位分類を置くことも可能だが、キモくてやる気にならないので放置しておく。

  

2.3  東京過剰適応系  (コラーメン)

これらは、東京退化系とは正反対に、博多ラーメンが元々持っていた特徴を極端に強調する事で適応を図ろうという系統である。具体的には、その臭み、白湯の濃さ、麺の細さなどを異常なまでに強調している店である。特に最も大きな相違点は、スープである。このグループのスープは、単に豚骨を炊いただけではなく、皮や尾などのゼラチン質が多量に含まれる部位(豚足もそうだが、これはやや価格が高いので用いない店が多いようである)を追加している。その結果、(私が博多ラーメンの本質であると考える)匂いは失ってはいないのだが、スープの粘度や白濁度は異常に高くなっている。コラーゲン添加系、博多コラーメン、過剰濃厚系などという名称がふさわしいと思われる。大切なことは、「コラーゲン強化」は地元の普通の博多ラーメンには見られない要素だと言うことである。すなわち自分にとってこれは「違和感」でしかなく、俺様基準ではこれらも博多ラーメンと呼ぶことに抵抗を感じる。(と言っても魚介臭のような嫌悪感を抱かせる違和感ではないが。)また麺についても極端なデフォルメが加えられていることがある。店によっては糸のように細い麺の店もあり、これも異常な違和感を抱かせる。これらは一見豪快な博多ラーメン風ではあるが、ここまで極端な店は地元にもほとんど存在しない。率直に言うなら、「コラーゲン強化」も「細麺」も端的に「やり過ぎ」と言わざるを得ない。もう一度ここで声を大にして唱えたいのだが、これに属するラーメンは地元で博多ラーメンとして食べられているものとは異なる。従って本サイトでは、やはりこの種のラーメンを「博多ラーメン」とは認めない。何度も繰り返す通り、「地元の味ではないから」である。(実際には、地元の人が食べたとしても、麺の細さに感ずる違和感は別として、スープについてはベースの匂いは失っておらず、人によっては「こってりし過ぎだな」とは思っても無臭退化系のような強い違和感を覚えない場合もあるかもしれないが。)

またここで是非指摘しておきたいのだが、東京でしか博多ラーメンを食べた事のない非地元民の「東京の博多ラーメン」通(言わば「意識の高い人々」)は、この手のラーメンを絶賛するのも特徴的である。その「意識の高い」人々の多くが、地元で博多ラーメンを食べ、一様に「地元の博多ラーメンは意外なほどあっさりしている」という意見を述べるのを見るとうんざりさせられる。「意外なほどあっさり」ではなく、この手のラーメンがコラーゲン強化というデフォルメを受けており、それを標準だと思い込んでいるだけである。こういう事情を見ると、なおさらこのグループのラーメンを「博多ラーメンでない」と強調したくなる。コラーゲン強化されたこのグループのラーメンは、私には過度に巨大化した恐竜やマンモスや牙を伸ばしすぎたサーベルタイガーのように見える。

  

2.4  東京巧妙適応系  (トリック麺)

東京退化系や東京過剰適応系は匂いや白湯濃度について極端に弱めたり強めたりする、言わばデフォルメ系のラーメンであるが、ここで挙げるグループはそのどちらでもなく、博多ラーメンの特徴を殺してしまわない範囲でぎりぎりまで弱め、かつ環境に巧みに適応している系統である。すなわち改変を非常に巧妙に行っているタイプのグループがこれらの店である。匂いについては極限まで抑えているが、わずかに博多ラーメンの雰囲気を残している。この「僅かに」というのが絶妙で、本場の博多ラーメンの匂いが苦手な人でも問題なく食べられ、かつ「豚骨ラーメンを食べた」という満足感を与えるレベルに止められている。さらに博多ラーメンについてしばしば訴えられる「白湯の旨みの平板さ」を、様々な素材を追加することで強化している。その程度もまた絶妙で、魚臭さや磯臭さが立ったりして台無しになるようなあからさまな強化は行わず、様々な要素を複雑に配合することで旨みを自然に感じるような巧妙なレベルに留めている。単に引き算や足し算のような単純な方法のデフォルメではなく、掛け算や割り算的なトリッキーな合わせ業のデフォルメである。これこそ商売として最も巧妙な路線であり、一般人にも、また「ちょっとうるさい」非地元民のラーメン好きにも受けの良いラーメンである。なにより拡大指向の地元発のラーメン店が東京進出の際にこの系統の味への転換を選ぶことが多い所に、この種のラーメンが考え抜かれたものであることが示されているように思う。しかしながら、いくら食べても、自分には「良く考えられた紛い物」という印象しか得られない。極めて残念なのは、これが地元発のラーメンであるという点である。

  

3. その他


 さて、分類を進めるに連れ、分類に困るものが出てくるのは致し方がない。そういうときに分類を完成するための常道は、「分類に困るもの」という分類を立ててそこに残りを放り込むことである。ここでは東京の博多ラーメンの完全な分類を試みるのであるから、最後にこのジャンルを立てておしまいとする。バスク語やシーラカンスのごとく孤立した一属一種の店あり、複雑な経緯で簡単にジャッジを下し難いものなど様々である。

  

  本分類の意義について


以上をもって、東京の博多ラーメンの分類理論編は完成である。最初に延べた通り、本サイトのスタンスは、「博多純血種ラーメン」に分類されるもの以外はすべて、エッセンスを改変すると言う作為によって作り上げられたにも関わらず「博多ラーメン」の名を騙る「『東京の博多ラーメン』なる不思議な存在」であるということである。その「作為=各種の改変、デフォルメ、アレンジ」を墳類整理したのが上記分類であると考えてもらいたい。これまではこのような情報は広く知られておらず、異物だろうが何だろうが看板に「博多ラーメン」とあればそれは博多ラーメンとして通用すると言う状況であった。しかしいつまでもそのような欺瞞が通じるとは思えない。これまで名目上「博多ラーメン」とされていたものは「アレンジ品」でしかなかったという事実は少しずつ露呈しかけているように思われる。博多ラーメンにより興味のある人は、上記分類に属するラーメンを次章の紹介を基に実際に食べ、何が本サイトで主張する「デフォルメ、アレンジ」なのか、何が本サイトで主張する「本物」なのかをぜひ知ってもらいたい。これこそ本サイトの第一の存在意義であると考えている。

次章では、この分類基準に準拠し、東京の博多ラーメン各店を具体的に分類しながら、評論を加える。

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