新・東京の博多ラーメン!!

  

第二部  第三章  響きと怒り

一  戯れに批評はすまじ

前の二つの章では、私が本サイトを立ち上げるに至ったのは現状に対する怒りに駆られてのことであったことを述べてきた。だが単にそれを読むだけでは、私が一体何に怒っているのか理解されない恐れが多分にある。私はラーメンそのものに対して喜んだり怒ったりしているのだから、私がどの店のどのようなラーメンのどの点に対して怒り、喜んでいるかを具体的に知ってもらわなければならない。そのためにまず、私が博多ラーメンに対して何が本質であると考えているかを一般的基準として述べようと思う。最初にこれを知ってもらうことで、私の怒りへより容易に近づいてもらえることを期待しての方策である。ただ、私は現実に商売としてラーメンを作っている訳でもなく、食品分析のプロでもない。従って以下で述べる内容においては、私の一方的な思い込みでしかない極めて怪しい御託が含まれている可能性も多々ある、ということを最初に断わっておく。

博多ラーメンを分類する際、最も重要な観点は「香り」であると私は思っている。何度でも繰り返すが、博多ラーメンは「香りを楽しむ食べもの」だというのが私の信念である。この特有の香りこそ博多ラーメンを他のラーメンから区別する最大の要素であるし、また私が、そして多くの地元民が拘り続けるのも、また博多ラーメンが苦手の非地元民が拒否反応を示すのもなによりこの香りである。香りに比べれば他の特徴は副次的なものだと考える。例えばトンコツの炊き方でスープは白くなったり赤茶色になったりするし、その濃度も超濃厚から薄いのまで千差万別だ。麺や具の個性の幅はスープに比べれば大幅に狭いが、やはり店によって違いがある。これらの違いはどれが正当とかいうことはなく、どれもが個性の一部だと考えられる。しかしこの特有の香りが感じられないものや極端に薄いもの、あるいは醤油の香りの強いものなどは、もはや博多ラーメンとは呼べないと私は思っている。香りこそ博多ラーメンのスープの個性にとって最も重要な要素であると私は考える。従って、まず大分類として(私の思う所の)博多/非博多と言う分類が来る。

しかし香りだけで一次元的に博多ラーメンを分類するのは大雑把過ぎる。次に私が考えたのは、ラーメンを構成する要素に注目するという方法である。すなわち、ラーメンは麺、具、スープによって成立している。評価したいラーメンについて、これらの要素に個別に注目してその特徴を挙げることで分類を試みてはどうか、という方法である。しかしこれでは分類の次元が多すぎて、かえって分類の目的が拡散してしまいそうである。他方、これらの要素の内で、多くの地元民が拘るのはなによりスープである。構成要素の内、スープこそ個々の博多ラーメンの特徴付けにおいて最も大きな影響を持つのは明らかだ。であるなら、香りと言う基準に加えて、スープの特徴によって各ラーメン店の商品を分類すれば、分類基準にそれなりの客観性を持たせる事ができると同時に、分類としても複雑すぎず、ガイドとしての利便性、有益性も確保できると考えた。それではそのスープをどう扱えば良いか。しばしばラーメンのスープの味を評価する際「コクがある/ない」とか「こってり/あっさり」とか「濃い/薄い」などの表現が用いられる。もちろん大半の人は恣意的に用いていると思うが、スープに注目するなら当然これらの表現で表されるものを考慮するべきであろう。それでは、これらの表現で表したいものは何であろうか。

博多ラーメンのスープは、油、白湯、調味料(塩分を含む)の三つの成分に分けられると考える。油の量はスープの量と独立に設定できる。「こってり」や「あっさり」を頼むことができる店があるが、これは白湯に対して油をどれだけ入れるかで調整していることが多いと思われる。言うまでもなく、油は水に浮くのでこれが可能なのだ。(乳化と言う形で両者は多少混ざっているだろうが、それは僅かであろう。髄が分散した結果の乳化白濁を脂肪分の乳化の結果の白濁と混同してはならない。)さらに上で述べた通り、白湯本体は炊き方次第で濃くも薄くもなるし、風味も異なって来る。そしてもちろん味のほうも加える調味料や塩の量は自由に設定できる。これらの組合せでラーメンのスープの質は決まる。そしてどのように組合せるかはかなり自由に設定できて、これが各店の個性となる。例えば油を多めに、スープも数日煮詰めて、化学調味料もたっぷりとか、さっと煮ただけのスープから油を取り去り、ちょっと醤油が多めの味にするとか、さまざまなバリエーションが出て来る訳だ。

言うまでもないが、スープに含まれる油分が多い程食感の方はこってりしたものになるのは当然だ。「コクがある/ない」「こってり/あっさり」「濃い/薄い」等の表現の一部はこのような点を指していると考えられる。しかし油分についてはこれ以外の役割がある。私がこだわる問題の香りなのだが、これは主としてラーメンのスープの油分に含まれていると思っている。もちろんスープ本体にも香りはあるし、また麺も意外に強いアンモニア臭がする。これは小麦に含まれる蛋白質が加工の際に加えられたアルカリ成分で変性して生じるものである。この匂いがまたスープの香りと同系列なのだ。とはいうものの、やはり決定的なのは油分であろう。口の周りや手に油が付くと、いつまでも「さっきの香り」に悩まされると言う経験をした人は多いと思う。また九州人から絶大な人気を得ているあるインスタントラーメンの成功の秘密は、その調味オイルの出来のすばらしさにあると私は考えている。ただし、油が多いほど香りも強くなるとは言えない。ある程度までは油と香りの強さは正比例するが、それ以上は頭打ち状態になる。従って油抜きだと香りまで抜いた事になるが、油こってりでも香りが強くなる訳ではない。

スープの味の方は、化学調味料でむりやり付けたものが多いし、それで十分である。これについては東京では興味深い事態が生じている。それは「化学調味料論争」とも呼ぶべきものである。すなわち、化学調味料を使う、あるいは味付けを化学調味料に頼ることを、非難されるべきこと、恥ずべきこととする価値観が一つの勢力になりつつあるということである。これはネット上で著しいし、また某グルメ漫画での執拗な攻撃もこれに強い影響を与えていると思われる。東京では化学調味料を使う事に拒否反応を示す客とそれに呼応するラーメン店は少しづつではあるが確実に増えつつある。しかしこの価値観は博多ラーメンには当てはまらない。何故なら化学調味料で無理矢理つけた味こそ博多ラーメンのスタンダードになっているからだ。むしろ、かえってここで凝ろうとすると、それはもはや博多ラーメンとは呼べないものになってしまうように思う。少なくとも私は、スープに凝って複雑な味を出した「博多ラーメン」は、旨いまずいは別として博多ラーメンとしては違和感を感ずる。

確かに、化学調味料は他の複雑な味が少しあるとき、それに加えると驚く程の威力を発揮するものだが、味そのものを化学調味料だけで出そうとすると味が平盤になりがちだ。店によっては化学調味料の味が突出して、正直に言ってどうかと思うようなものも確かにある。また関東の味付けはは醤油中心だが、醤油は発酵によって生じた複雑な味を持っており、これに慣れた舌では化学調味料中心の味が平盤に感じられるらしく、博多ラーメンについてこの点を非難するものも少なくない。だがスタンダードはスタンダードなのだ。そしてこれはまた、私の(そして多分多くの福岡人の)舌に擦り込まれた記憶なのだ。私は自炊の際には化学調味料に頼らない味付けを心掛けているが、博多ラーメンはこの味でなければ受け付けない。化学調味料による味付けを無闇に非難するものはこの点を理解していない。自分の価値観を振り回すのは結構だが、何事に対してもその背景を理解しないものは浅薄の誹りを免れないだろう。話が別の方向に向いてしまったが、問題の表現について言うと、特に「コクがある/ない」という評価は調味料を控え目にするか多めにするかに依存していると考えられる。

しかし「コクがある/ない」「こってり/あっさり」「濃い/薄い」等で表されるスープの質の印象を決める最大の要因は、何と言っても白湯の質であろう。沢山食べている人は知っていることだが、博多ラーメンのスープのバリエーションの幅は非常に広い。単に濃い/薄いというだけでなく、その質も醤油ラーメンかと見紛うばかりの赤褐色から糟汁のような乳白色まで様々である。もちろん色の違いは風味の違いに対応している。そして特にその濃度はスープ全体の印象をまずこれで決定するという意味で、いわばトンコツスープの表看板とも言える。スープに注目するのならまず第一にこれに注目するべきであろう。香りと白湯の質(特に濃度)を主たる観点とする分類を採用することで、当初の私の目的は達成されるのではないかと考える。しかし、それではどちらをメインに採用するべきであろうか。これについては現実的にはあまり問題が生じない。小数の例外を除いて、香りが強いラーメンはまた白湯の濃度も高いという傾向にあるからだ。(だが、もし両者が常に一致するならここまで大層な分析をするまでもなく、濃い/薄いという一元的観点で済んだのであろうが、そうは行かないのが博多ラーメンの面白い所でもあり、難しい所でもあるのだ。)

最期に、残りの要素である麺と具について触れておこう。まず麺に付いてであるが、私は麺についての評価が甘いということを断っておかねばならない。正直言って私はスープをまずいと思ったことはあっても、麺をまずいと思った事はあまりない。(もちろんちじれ麺とか多加水タイプの麺が使われているとか、ゆで過ぎて溶けかけているとかいうとんでもないものを除く。)これは私は麺の質の違いをあまり分っていないせいだとも考えられる。多分私の能力の限界なのだろう。従って、私は麺の旨いまずいをほとんど気にしない。以下の評価においては、このように麺についての私の評価は極端に甘い事を承知されたい。(もっとも既に述べた通り東京の細すぎる麺には辟易しているが。)

また麺同様、具に関しても私はこだわりがない。もともと硬く薄いヤキブタと高等ネギという貧弱な具がスタンダードだったのだから、凝るといってもそのような余地は少ないのではないだろうか。というか、ここも下手に凝ると博多ラーメンではなくなると思う。「とろけるようなチャーシューがおいしい」は一般的なラーメンにとっては褒め言葉かも知れないが、博多ラーメンに対する褒め言葉とはならない。軟らかいからダメだ等というつもりは毛頭無いが、博多ラーメンにはチャーシューのとろけ具合を競う伝統は無い。茹で卵や海苔は地元ではスタンダードでない(海苔がスタンダードなのは久留米ラーメンである)が、あっても極端に邪魔になるとは思わない。(もっとも個人的には何度食べてもメンマは博多ラーメンには合わないと思う。)キクラゲも地元では入っている店とそうでない店はばらばらで、無ければならないとは言えない。要するに、よほど気違いじみたこと(例えば明太子を入れるとかスープの味のバランスが狂うほどの醤油まみれの煮豚を入れるとか)などというをしない限り大目に見られると判断している。

以上の考察の結果が、ここで採用した香りの強さと白湯濃度に注目した分類である。香り命、スープについて主に白湯の質を個性として楽しむ、その他、麺や具はよほどひどいもの以外は問わない、それが私の立場だ。そして実際の分類としては、まずそもそも博多ラーメンとは呼べないと感じられるものを排除した後、香りの個性と白湯の質の個性の融合の結果生じる全体としての個性に注目して分類し、各グループに名前を付けてみた。具体的な分類は以下を見て欲しいが、もちろんこの方法が決定的なものだとは思っていない。結局は素人が無い知恵を絞って考えた一つの試みである。その妥当性や有用性は各人に判断してもらうしか無い。

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