. パスタの歴史をひも解いてみる .

「パスタを食う」からには丸ごと食わねばなりません。パスタを食べるときには、彼らがたどってきた人生(あ、麺生かな?)をも一緒に口に入れてやらねばいけない。パスタをずるっとすするときに、エジプトの美人とか、シルクロードの街々の佳人たちや、あるいは中世イタリアの港町の女将の姿が浮かばなければいけない。そこにあるロマンが最高の調味料となるのである。

小麦の栽培

まずパスタを作るには「小麦」がなくてははじまらない。
小麦が主に野生として生えていたのは、西南アジアであった。人間は麦が旨いことをあるとき知った。というより先祖から代々受け継がれて知っていたのかもしれない。とりあえず西南アジアの人達は麦の魅力にとりつかれたのである。そのうち採集をするだけでなく、積極的に麦を育てようと考える人達が出てくる。食料を取りに行くのに遠くまで行くのがめんどくさくなった頭のいい人達が、近所の森林を焼き払ってそこに種をまいたり、他の食べられないものを除いたりするようになった。常に知恵を使ってものぐさをしようとする典型的な文明の方向性。
ともかくも、「栽培」が始まったのである。

ムギ 時期はいつか? これには各地に散らばる遺跡の調査が必要だった。
紀元前8000年、ユーフラテスの遺跡テル・ムレイビト(Tel mureybit)では、大量の石臼や石皿が発見され、野生の小麦の炭化種子が発見されている。ただここには栽培種の麦はなかった。
紀元前6750(+-200)年の遺跡であるイラクのジャルモ(Jarmo)遺跡は200人程度が済んでいたと考えられる集落であるが、ここには2種類の小麦と大麦の栽培が確認されている。ここの住人はヤギなどを育て、カタツムリを食用にしていたことで有名。
またトルコのチャタル・ヒュク遺跡(紀元前5750年)でも栽培種の小麦が発見されている。
このような調査により、紀元前8000年以後、イラン・イラク・トルコ・ヨルダン・イスラエルあたり(いわゆる「肥沃な三日月地帯」)で麦が栽培化されたことが明らかになった。これらの農耕は紀元前3500年以降のチグリス・ユーフラテス文明の原動力になったのである。

・・・硬い文章ですな。硬い教科書から抜粋したからでしょうな(笑)。注目するべきは石臼が各遺跡から見つかっており、粉にして食べるという方法がすでに出来ていたということです。これに水加えて細くすればすぐパスタになるのですが・・・その発明はまだ先かもしれない。実際このころこれをどうやって食べていたか詳細は不明である。
臼も時代が進むにつれ、平らな石の上で丸い石でごりごりこする方法(エジプトには女性がこの「すりうす」を使っている像がいくつか残っている)から、紀元前1000年頃の回転式の石臼へとより高度なものへ変化して行く。

中国では・・

小麦自体は肥沃な三角地帯で栽培化された後は一気にユーラシア大陸中に広まってしまった。紀元前7000年の河南省ではムギの圧痕が見つかっており、釣魚台の紀元前5000年の遺跡からは大量の小麦が発掘されている。ただ中国ではムギのほかにアワも食べている。
紀元前400年の戦国時代〜秦〜漢時代には回転式の石臼も現れるようになる。
これらの交流は、いわゆる漢の武帝がぐぐっと西まで勢力を広げて「シルクロード」が始まったよりも前におこっている。人間(とそれにくっついている文明)の拡散ってほんと早いです。

漢 さて、漢の時代(紀元前202-後220)、いくつかの文献に「餅(ビン)」というものが現れる。これは小麦の粉(「麺(ミェン)」:日本語の「麺」とは意味が違って小麦粉の意味である)を加工して作った食品。粉を練って、蒸したり焼いたり揚げたりするわけであるが、この他に当然茹でた調理法が編み出された。これが「湯餅(タンビン)」である。平らに延ばしたり形はいくつかあるが、2世紀後半には長く伸ばした麺類(中国で言う「麺條(ミェンテイアオ)」)が現れた可能性がある。わーい麺だ麺だ。

文献をあたることによっていくつかの麺があったことがわかる。
後漢末の字書「釈名」には「索餅(さくべい)」が現れる・・・がこれがそうめんであるか菓子であるかは意見が別れている。
後漢の「四民月令」には「水溲餅(すいしうへい)」が出てくる。これも麺條である可能性と、蒸して作るパンのようなものだったという説に分かれている。
北魏の「斉民要術」(530-550年ころ)には「水引餅(すいいんべい)」と「はくたく(漢字でない)」が出てくる。
「水引餅」は、小麦粉を肉のスープでこねて手で箸ほどの太さに伸ばす。これを24cm(当時の1尺)ほどで切り、水に数分浸した後に引っ張って延ばす。これの作り方は「文化麺類学ことはじめ」で実演されている。
「はくたく」は親指ほどの大きさにした練った小麦粉を指で薄く伸ばして煮る。これは日本の甲州にある「ほうとう」に通じるものかもしれない。
唐代(618-907)には、いくつか平らに延ばして刃物で切った「切り麺」が現れている。この頃にはシルクロードを通じて水車を使った製粉装置が伝えられた。また華北で2年3毛作の農法が成立し贅沢品だった小麦粉が民衆のレベルまで降りてきている。

こうして宋(960-1279)の時代には、各種麺類の店が待ちに並び、各種の麺が作られるようになる。中華の麺のこの後の発達はいちぢるしく、粉も米・豆・そば等にふえ、製法も各種の技法が発明された。まさに麺のパラダイスとなったのである。

西洋(古代)
〜粥状のものから焼きパスタ揚げパスタまで〜

中国での麺までの発達を追って来たが、西洋ではどうだったろうか?
その前に考えなければいけないのであるが、小麦が広まった、ということは当然それの食べ方も同時に広まっているのである。すでに粉食が始まっていた南西アジアから中国にすり臼と共に小麦が広まっていき、あるいは食べ方が逆に戻っていったこともあるだろう。人間の拡散の速さを考えると百年もあれば互いの文明をつなぐのは可能なのである。互いの食文化が全く独立していたのではなく、多かれ少なかれ影響を及ぼしあっていたと考えるのはごく自然なことです。

まず、「パスタ(pasta)」という言葉の語源が問題である。動詞である「impastare」はこねるという意味であるし、英語に入ると「ペースト(paste)」になる。つまりは小麦粉で練ったものということだろう(多分。ラテン語の"pasta"から来ているのだが、その意味不明。誰か教えて)。さらに当然火をいれなければ、腹を壊してしまってそんなものは食えない。しかし、これを煮たか焼いたか揚げたかが問題になってくる。水と小麦の割合とか、形とかも問題である。水が多ければ「すいとん」みたいなものになっているだろうし、水が少なければ、「団子汁」風の食い物になるのだ。

さて小麦食で名前がついているもので古いものでは、古代ローマ(紀元前6-8世紀に都市国家として成立しイタリア統一、さらにヨーロッパ、北アフリカ、中近東まで。この辺りの記述は主に「パスタ宝典」によっているが年代設定が明らかでない。ローマ帝国の滅亡は紀元後476年。その間の出来事だとおもってくれい。)の「プルテス(plutes)」である。小麦粉を煮こんで粥状にしたものを食べていた。これは現在とうもろこしの粉で作っている「ポレンタ」に通じる。これより以前の原始時代の食べ方もこれに似たものであったとは考えられている。そうすると中国でも最初はこのような食べ方があったのかもしれない。

また同じく古代ギリシャ語には「ラガノン」(古代ローマに入ってからは「ラガヌム(laganum)」)が存在していた。ラガヌムは焼いたり揚げたりしてさらに細長く切ったものを、スープに入れるものである。これは現在の湯で茹でるタイプの麺とは異なっている。ただ形状としては現在のタリアテッレにあたるものであるらしく、地方にはタリアテッレの別称として「ラガネッラ(laganella)」「ラナカ(lanaca)」というものがある。一方焼いたことをたどると、現在の「ラザーニャ(lasagna)」にも通じる。
古代ギリシアには「マカリア」というものもあるらしいが詳細はわからない。とりあえずかなり麺状のものが発生しているのである。

また紀元直後Apiciusというシェフが、レシピの中で"lasagna"に通じる言葉を使っているという(Barilla社HP)。これは前述の「ラガノン」のことかな?

またこの時代(「パスタ宝典」から原著を引けないため年代設定ができない・・・)、イタリア南東部では「チチェリ・エ・トリー」、イタリア北部では「テスタロイ」のレシピが発見されている。前者は揚げたタリアテッレ状のものをエジプト豆のスープに入れたもの。後者は土器の上で円盤状に焼いたパスタ(プルテスを焼いたようなものであるらしい)を細長く切ってスープに入れたものである。

エトルリア(Etruscan)(紀元前10-6世紀?)の墓からパスタを作ったと思われる道具が出たそうである(Barilla)。どういうものなのか詳細は文献を当たってます。

西洋(中世)
〜生パスタと乾燥パスタ〜

イタリアの地図 西ローマ帝国が滅びた後、イタリア付近は「中世」にはいる。5世紀から10世紀までの間は各方面で進歩の停滞がある時代である。パスタに関する文献もなくどういう発達を遂げているのか分からないのである。
であるが、古代〜中世にかけて、前述の焼いたり揚げたりするという手順を省いて、水でただ練っただけの小麦粉を茹でるという料理法が発明されたはずなのである。 これらは「ニョッキ(gnocchi)」や「マカロニ(maccharoni)」と呼ばれていたらしい。この時代(そして現在の地方の呼び名もそうであるが)のニョッキとマカロニは互いによく混同される。またジャガイモはこの時期はまだもたらされていないので、この時代のマカロニやニョッキは小麦粉団子を指すわけです。
1041年の文献には「マカロニ」は“うすのろ”という比喩として存在する。これは現在お人よしを「パスタ野郎(uma pasta d'uomo)」というのと似ている。マカロニは既にこの頃には一般的な食べ物であったことが分かる。「マカロニ」の語源としては、ラテン語の「Maccare(押しつぶす)」であるというものと、ギリシャ語の祭事の食べ物である大麦粉を煮た食べ物の「マカール(makar)」から来ているものであるという説がある。
この時点で揚げたり焼いたりしない「麺」が発明されたかどうかが問題である。団子状のものまで来れば麺もすぐに生まれそうなものである。実際にラガヌン等長細く作ったものは揚げ麺とはいえ存在していたのだから。また現在「キタッラ」として伝えられているパスタは、ギターの弦でタリアテッレ状に切る麺であるが、これの正式名称は"maccheroni alla chittara"であり、「マカロニ」という言葉が麺状のものに対しても使われていた可能性を示している。

1000年くらいの文献で、Aquileia(どこ?)で仕えたMartino Cornoが書いた"De arte Coquinaria per vermicelli e maccaroni siciliani(The Art of Cooking Sicilian macaroni and Vermicelli)"という最初のレシピがみられる(Barilla)。

15世紀の文献には、現在の手作りマカロニに見られるような、芯をに棒を巻いて転がして棒を引き抜く、というショートパスタが紹介されている。この形のものがいつからあったかは不明である。

ところでこのころ詰め物パスタも現れている。
13世紀にはラヴィオリが広く普及していたことに、パルマのサリンベーネの年代記は触れている。また「デカメロン」(1348〜53作品。作者のボッカッチョはナポリ〜フィレンツェに住んだ)にもラヴィオリとマカロニが出現する(第8日第3話)。

ここまで述べてきたパスタは、いわゆる生パスタと考えられるものである。それでは現在主流の乾燥パスタはどこから来たのか?誰が発明したのか?

13世紀の世界 アラブの地理学者アル・イドリーシ(Al-Idrisi)(1100-1168)は、シチリア島のノルマン王国に滞在した。このころのシチリアはアラブの文明との関係が深かった。その地理書によればトラビア(Trabia, パレルモから30kmくらい)では、「線状のパートの一種であるイットリーヤを製造し、その相当量がカラーブリア地方(イタリア)、イスラム、キリスト教徒の国々へ輸出される」と書いてあるらしい。この輸出されている「イットリーヤ(itriyyah)」は、輸出に耐えるくらいだから乾燥であったと考えられるが、その形状製法について詳しいことは分からない。
最近になってフランソワ・サバンによる「パスタの比較歴史学」中に編まれた「イスラム世界のパスタ」(ベルナール・ローゼンベルグ)の中に「イットリーヤ」についての3つの記述が見られる。イスラムの哲学者医学者であったイブン・シーナ(980-1038)の著作の引用の引用の中に「イットリーヤは、皮ひもの形をしている。(中略)われわれの国では「リシュタ(richta)」と呼ばれる」とある。また13世紀のイラクの料理書には「(リシュタ)は「粉と水をこねて、麺棒でのばし、4本の指の長さの、細い糸状に切ってつくるもの」とされている。ただしこの文献では「イットリーヤ」と「リシュタ」は別のものとして扱われている。また13世紀のアンダルシア・モロッコ料理書では、「イットリーヤがない場合は、粉と水と塩でこね、テーブルで両手で転がして細く延ばす。そして天火で乾燥させる」とある。
これらのことは、この「イットリーヤ」という乾麺がアラブ−シチリアを経由してイタリアに入っていたことを示している。アラブまではシルクロードに沿って麺文化が散在してる。「文化麺類学ことはじめ」の石毛直道はここから中国からパスタが入った可能性を示唆した。

ところでイタリア南東部で「チチェリ・エ・トリー」があったことはすでに述べたが、この「トリー(trii)」は「イットリーヤ」に語源を持つものであると考えられている。中世の医学書「健康全書」の14世紀頃の写本には、麺状のパスタを作っている絵がありそれを「トリー」と呼んでいる。傍らで木製の枠に細い長いものを広げていることから乾燥パスタであることがわかる。ただその製法は定かではない。

そのほか1279年にはジェノヴァの公証人が作った、顧客の財産目録の中に「マカロニがいっぱい詰まった箱」が出てくる。これも保存に耐えるものであるから、乾燥であったに違いない。
また、12世紀からのジェノヴァでは、シチリアから乾燥パスタを輸入し、それを地中海各地に輸出していたことが分かっている。これも乾燥パスタであるはずである。
1244(←誤植?1984?)や1316の文献ではリグーリアで乾燥パスタをつくったという記録がある(BarillaのHP)
1284年の、リグニア(ジェノバ付近)の労働契約書の中には「ヴェルミチェッリ」が現れる。これはどのようなものかはわからないが、手で整形した乾燥パスタである可能性があるらしい。

このころの味付けとしては、鶏のスープ、チーズ、バターなどのだしと、ナツメグ、シナモン、ハチミツといった調味料が見られる。

あ、それから「東方見聞録」のマルコポーロが中国から麺を持ちかえったという話しがあるが、これは以上に述べてきたような証拠の中にいくつかマルコポーロの帰国以前のものもあるため否定される。また食生活というものは一般に一人の人間が方法を伝えることにより広まるものではないと思われる。また数多くの写本の存在する「東方見聞録」には麺状食品に関する記述はないということである。まぁロマンってやつですね。

それからこの時期、マカロニは船乗りなどの保存食料として用いられていたが、一方財産目録に登場するように高級品でもあった。ボローニャ大のモンタナリ氏によると14世紀まではパスタは一般的な食品では無かったという。

西洋(近世)
〜押し出しパスタとトマト、それから産業革命〜

ルネッサンスが始まった15-16世紀になるといくつか料理書も残っており、乾燥パスタの料理法ものっている。1500年代のプラティーナは、ヴェルミチェッリを1時間茹でるようにと書いており、現在のアルデンテとは全く違っていたと思われる。

15世紀には、リグーリアの職人が作る"fidei"が広まった。1574年のGenoaでのパスタメーカーの会社の発見でこれは証明されている。1577年にはSavonaで、"Regolazione dell'Arte dei Maestri Fidelari(Rules for the Pasta-Masters' Art Corporation) "が作成されている(らしい。どんなものか不明。BarillaのHPより)。

ソースの方にも劇的な変化が起ころうとしていた。
1492年コロンブスによって新大陸の発見。16世紀には冒険家達が、メキシコやペルー高地からトマトを持ちかえった。(ついでにいうとジャガイモも持ちかえった。これはニョッキに使われるようになる) 当初は小さい実であったトマトは疫病の原因であるとして嫌われていたが、品種改良が進むにつれ17-18世紀にはナポリでトマトソースが使われるようになる。肉厚のサンマルツァーノ種へと向かうのである。
パスタ料理を始めとするイタリア料理のトマトとの出会いがなかったら、こんなにもイタリア料理が世界中で愛されることはなかったかもしれない。ありがたや。

屋台でパスタを食う人達 このころのナポリの絵には、手掴みでパスタを食べる民衆の姿が描かれている。まさに一大名物という感じになっていたわけである。押し出し機で大量に作れるパスタはすでに高級品ではなくなっていた。しかし、こうしてみると、立ち食いパスタ屋台はあってもいいねぇ。あればきっと使うと思う。手づかみは問題あるけど。

ちょうどこのころ、ナポリ領主(フェルディナンドII世)がそれを食ってみたいと所望されたものだから(あるいはお客に出したかったのかもしれない)、さすがに手づかみで食わすというわけにもいかず、当時の肉差し用に使っていたフォーク(11世紀の末に東方ビザンチン帝国の皇帝ミケーレ7世の妹がヴェネツィアの統領と結婚して、フォークが伝えられた)を改良して使うようになった。肉差し用の3本歯の鋭いフォークから現在あるような4本歯の先をつぶしたものへ改良したのが、ナポリ王家に使えていたスパダッチーニという人らしい(スパゲッティーの名とは関係ない)。こうして、優雅な正餐料理としても定着してゆくことになる。
「パスタ宝典」の序でヴォナシージが書くには、パスタを正餐料理として組み込み、スープの位置である「プリーモピアット」に入れたことこそ、パスタ料理がカロリーの多い悪いものとして一時期捉えられた理由であり、“本来1品料理である”と述べられている。

パスタ周辺の技術革新はまだまだ続く。

13-14世紀ころにはマディアと呼ばれる木で出来た槽に小麦粉と水を入れて、天井からつるした紐に捕まって足で踏んで生地をこねていた。まさに家内制手工業ならぬ足工業。
またナポリでは、長いすに座ってやはり足でこねていたりする。前述のフェルディナンドII世は、ふたたびスパダッチーニに命じ、捏ねるときに熱湯を使う方法(なんと湯ごねが行われていた)とパスタ製造機を製作させた(BarillaのHP)。

リグーリア地方には、パスタメーカーとして有名なアネージ(Agnesi)があるが、パスタの資料を集めた「スパゲッティ博物館」を有している。この中の所蔵品には1650年のパスタ押し出し機の実物が展示されている。また1767年に刊行された百科事典では、ナポリで、パスタ押し出し機でヴェルミッチェリを製造している挿絵がある。16世紀にはパスタ押し出し機が利用されるようになってきたわけである。ナポリはこの押し出し機を利用しての大量生産、乾燥させやすい気候とあいまって今やパスタの一大生産地になっていた。

1740年にはベニスは、Paolo Adamiに最初のパスタ会社の設立の許可を与えている。
1763年には、パルマ(Parma)の領主のブルボン王家のDon Ferdinandoは、Stefano Lucciardi of Sarzana に、10年間の乾燥パスタ("Genoa Style")のパルマでの専売権を与えている。

産業革命(18世紀末)がイギリスから波及するに及び、動力が蒸気に変わって、パスタが大量生産されるようになった。油圧のプレスが1882年に、蒸気式のものが1884年に最初に出来ている。
粉引きに関しても水車と石臼を使っていたが、1878年にはセモリナ(荒引き小麦粉)を作る画期的なMarseillais精製機が出た。 また、パスタの乾燥も1875年のディチェコの人工乾燥設備の開発により天候に関係なく量産できるようになった。
業界最大手のBarilla社の設立はPietro Barillaにより1877年。
19世紀には、ダイス(パスタ押し出し金口)メーカーは、各種のパスタの形を変化させることを思いついた。20世紀に入ってから「ひも」を意味する「スパゲッティ(Spaghetti)」という名称がようやく現れる。ただ乾燥パスタの需要はかなり後まで南部に限られており、イタリア全土でスパゲッティが食べられるようになったのは実は20世紀中ごろになってからである。

1933年には、Braibante Brothers of Parmaにより、連続式プレス機が発明され、機械を休止せずにパスタを生産できるようになった。右から粉を入れると左からパスタが出てきてしまう。

このほか、Barilla社によりパスタを押し出すテフロン製のダイスを開発されたり(これがアメリカで大流行しイタリア本国へ逆輸入)、各社もオーブンで高温で乾燥させて仕上げるなど生産速度も上がっている。
その一方昔ながらの製法を求める声も強くなってきている。

料理法としてはPellegrino Artusiが1891に出版したイタリア料理のレシピがベストセラーになり、料理人のバイブルとなった。この辺りからイタリア料理が各国の料理にも採り入れ出している。
海外へ
〜世界のパスタ、日本のパスタ〜

パスタはその保存性の良さから新大陸へと運ばれていった。中でも19世紀末から20世紀初頭にかけてイタリアからのアメリカへの大移民は大量のパスタ料理を新大陸、ことにアメリカへと送りこんだ。おもな出身地は、ナポリの南のカンパーニア地方とシチリアの人々。まさに乾燥パスタの本拠地だったわけである。
アメリカは今も昔も小麦の大生産地であり、その追い風もあってか、アメリカのパスタ産業はイタリアに次いで世界第2位である。もっともアメリカでは「トマトソース」の缶詰が非常に広まった。イタリアンテイストなものではなく、アメリカンテイストとでもいうべきものが成立するのでした。

1792年のアメリカの料理書は、パスタを水から3時間茹でスープで10分煮るとある。時代が下がるにつれ、90,45分とその時間は縮まり、1932年には30分。1944年には20分。現在でもやや柔らかめであるが、当時に比べれば硬くなった。



それでは、日本にいつはいってきたかというと、多分幕末にヨーロッパ各国から九州に上陸したマカロニが一番最初であろう。
明治5年(1872年)年には横浜の外国人居留地の西洋料理店に「素麺(そめん)」として出されている(「散歩の達人」9905号より)。
また明治28年にはイタリア帰りのシェフが新橋でパスタをメニューに連ねている。
次に入るのは第2次世界大戦敗戦後の進駐軍の持ち込んだナポリタンまでまたねばならない。もっともこのころのスパゲッティやマカロニは、米不足を補うご飯の付け合わせでしかなかった。学校給食にも導入されたがしょせんは付け合わせだったのである。

日本に入ってからは例えば「壁の穴」とうの和風パスタの開発が行われている。「タラコスパゲッティ」は中でも最高の発明だった。 これらのイタ飯屋の奮闘もあって、今日の地位まで上り詰め、家庭の食卓にも並ぶようになったのは昭和の後半である。

元々日本人は、そば、うどん、ラーメンと麺類大好き国民だからパスタは受け入れやすかったに違いない。まさに人類は麺類であった。日本固有の醤油ベースの味付けも誕生し、いまやパスタは「第4の麺」になっている。

長かったねえ。ここまで読んだあなたはえらい。

参考文献