■掲示板に戻る■ レスを全部読む 最新レス100
思い出に残る食事
1 名前: もの食うひと 投稿日: 2000/02/26(土) 17:14
いや、うまい・まずいはどうでもいいんだ。なんか状況とともに思い
出すってやつ。
おれは5年前に好きだった女の子と食ったスパゲッティだ。柄にも無く、
神戸のイタメシ屋でボンゴレなんぞを食していたのよ。相変わらず面白く
もない冗談連発してた。そしたら彼女が突然泣き出したんだ。くわしい
事情は省くが、おれにはどうすることもできない話だった。おれは
ただズルズルとスパゲッティ食ってたよ。
今日、あさりのスパゲッティを食って、突然そのときのことを思い出した。
あのときの彼女の表情や声がくっきりと蘇ってきたんだ。
それでなんか食い物ってすごいなと思ったわけだ。みんなにはこんな
経験ないだろうか? あったらぜひ教えてほしい。


2 名前: 10年前の横浜博覧会 投稿日: 2000/02/26(土) 18:08
ひとりで
ビックマックとスプライト、、、
そのときのビックマックは箱が紙でできたいるやつだった
(フライドポテトのMのやつと同じ紙質)なんか
そのときのことを考えると頭がほわーんとする


3 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/26(土) 21:24
高校の寮は死ぬほどメシがまずかった
死ぬほど。マジであんなにまずいメシは成長期の
食べ盛りには酷だった。
それで少ない小遣いからやりくりして学食のカレーを時々食ってた
そのうまかったこと。

昨日自分でカレーを作ったら、ちょっと焦げさせてしまった。
そしたら学食のカレーとおんなじ匂いがして
途端にもう十年近く前のことをいろいろ思い出したよ。
なんか若いと思ってたけど、もう自分も
高校生だったのは遠い昔だったんだなーとちょっとセンチになったよ。

>1
せつないね・・・


4 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/27(日) 00:22
20年前の小学校入学後、はじめての給食。
ハムサンドのからしが死ぬほど辛くて、それ以来、
高学年になるまで、給食に苦しみました。


5 名前: シュークリームだぜ 投稿日: 2000/02/27(日) 01:20
6年前の話。東京の大学に進んだ女の先輩から、突然電話があって、
ケーキを奢ってくれるというので、ケーキ屋についていった。高校生の
時よりずっときれいになってた先輩と2人でシュークリームを食べるの
は、照れくさかったけれど、うれしくて、僕は「おいしいですね」
ぐらいしか言わなかったと思う。先輩が、
「東京にはもっと美味しいケーキ屋さんが一杯あるわ」
と言ったのだけは今でも憶えている。それを聞いて、なぜか腹だたしく
思ったことも。後から、先輩は当時どろどろの恋(?)をしていたのだ
と知った。
その先輩も去年結婚。家に来た写真入りの葉書には、あの時の、なにか
張り詰めたような表情は無くて、高校時代の優しそうな顔に戻っていた。
今でもシュークリームを食べると、ウブな少年だったあの時のことを
思い出します。


6 名前: 食べ物で記憶が 投稿日: 2000/02/27(日) 03:58
…マルセル・プルーストですね。



7 名前: 何を食べたかは覚えてない 投稿日: 2000/02/27(日) 05:36
彼女が昼ご飯食べようとマックに誘ってきた。
入って食べ終わったあとも彼女はやけにたわいも無い話を続ける。
と突然彼女から別れ話を持ちかけられた。
なんだよおいと憮然とする俺、何故か泣き出す彼女。
周りの高校生がちらちらこっちを見てた。
俺はひたすら飲み終わったジュースの氷をガリガリ食ってたな。


8 名前: >7 投稿日: 2000/02/27(日) 06:21
マックで別れ話なんて・・・やりきれないね


9 名前: 三十路男 投稿日: 2000/02/27(日) 16:27
高校3年の部活最後の試合が終わってから食べにいったメンチカツ定食。
食事よりも会話が思いでに残ってる。
友人「終わったな・・・・・」
私「終わった。やっと終わった。」
友人「長かったな・・・・・」
私「長かった。本当に長かった。」
友人(笑い)
私「?」
友人「○○(私の名前)とメシ食いに来てよかったよ。
    ○(もう一人の同学年の部員)だったら "うん" しか言わないからな。」
もう一人の同学年の部員はその時はなぜかいませんでした。
別に嫌ってた訳じゃなけど。


10 名前: もの食うひと 投稿日: 2000/02/27(日) 18:05
レスありがとう。しかし「思い出」と言うのはせつないもんだなあ。
それと男が多いぞ。男の方が感傷的なのかもしれんな。
だが「センチメンタルで何が悪い」ってのが、おれのモットーだ。
他のスレッドの迷惑にならない程度に、よかったら書きこんでくれ。
それから、マドレーヌに紅茶をぶっかける大河小説は、読んだことが
ないのでよく知らんのだ。すまん。



11 名前: 恥ずかしい 投稿日: 2000/02/29(火) 04:09
ゆでたまごがまん中に入ってる桜形のかまぼこって知ってる? うちの
あたりではあれを「ばくだん」って言うんだけど、私は子供の頃、あれが
大好きで、スライスしたまん中のあたり、黄身のおっきいところを大事に
とっておいて、端からちびちび食べてたのよ。そしたら横から、弟が
それをぱくっと‥。
その後は惨劇だった。30分後、鼻血を出して泣いている弟と、その横で
半狂乱になって泣き叫ぶ私が‥。親はあきれて呆然とするばかり。
今から考えると、なんでそこまでって思うんだけど‥。
今でも「ばくだん」を食べると血が騒ぐわ、ってことはないよ。
‥色気のない話ですみません。




12 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/29(火) 20:27
食べ物の恨みはこわい。。。


13 名前: 2 投稿日: 2000/02/29(火) 20:41
食べものの恨みは怖いってのはホントだと思う。
俺は特別意地汚いほうだとは自分で思わないけど
楽しみにとっといた食べものとかを横取りされると
自分でも驚くぐらいの憎悪を覚えることがある。
食い物やでとなりのやつの方が、盛りが多いとかで
ケンカになっちゃったって記事が時々あるけど
わかるような気もする。


14 名前: かなちゃん、おめでとう 投稿日: 2000/03/06(月) 01:49
つきあってた男にふられた時、後輩と2人でやけ酒飲んで、そのまま
後輩の家へ。わめいていたからのど乾いちゃって、冷蔵庫開けたら、
飲み物って牛乳しか入ってないの。
「先輩、ミルクおいしいですよ」と彼女が言って、お鍋であっためて
くれた。彼女は気を使ってくれて「北海道のミルクはおいしかったなあ」
とか「子供の時は熱だしたら、いつもホットミルクでしたよ」とか、
どうでもいいことを饒舌におしゃべり。 私はそれを聞いているうちに
なんだか悲しくなって、とうとう声あげて泣いちゃった。
そしたら彼女が「なんか悪いこと言いました?」って取り乱しておろおろ
しちゃって‥。それがおかしくって結局2人で大笑いしてしまった。
彼女が春に結婚するって聞いて、思い出した話です。どこかに書きたくて
ここに書かせてもらいました。
今夜は、ホットミルクを飲んで寝ることにしましょう。



15 名前: >14 投稿日: 2000/03/06(月) 14:00
(・_・)(;_;)(T_T)……(^_^)


16 名前: おっちゃん 投稿日: 2000/03/06(月) 15:45
ええ話やなぁ


17 名前: 恋愛とは関係ないんですが・・・ 投稿日: 2000/03/06(月) 16:09
祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。


18 名前: ocq 投稿日: 2000/03/06(月) 17:29
17さんの書き込みを読んで思い出した。
随分前になくなったおばあちゃんが作ってくれた「ずんだもち」。
緑色のお餅だったんだけど、なぜかわたしは食べる気がしなくて、せっかく「食べてね」って勧めてくれたのに、結局食べなかった。
そのあとおばあちゃんは亡くなり、、、。
せっかくせっかく食べさせようって思って一生懸命作ってくれたものなのに、なんでわたしはひとくちでも食べて「おいしいよ」って言ってあげられなかったんだろうってずっと後悔している。

17さん、いいお話聞かせてくれてありがとう。
わたしも人の心づくしを無にしない人間になりたいです。


19 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/06(月) 18:45
うぇ〜ん(T_T)


20 名前: 独歩さん 投稿日: 2000/03/06(月) 21:57
泣けてきた。


21 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/06(月) 23:30
お袋よりもばあちゃんの料理を思い出す人多いんだな。
ばあちゃんが作る魚のてんぷらが大好きだった。安いてんぷら粉を使ったヤツ。
お袋とは折り合いが悪かったばあちゃんの家へ抜け出して、よくせがんであげて貰った。
ハフハフ言いながら一杯食った。安い魚で安いてんぷら粉で。
大人になった頃ばあちゃんが倒れて入院した。骨と皮だけになって意識も戻ったり戻ら
なかったり。見舞いに行ったときオレの顔を撫でてくれたけど誰だか分っちゃいないな、
みんなにやってたから。病室ではお袋や親戚がいつも揉めてた。世話の事や墓のことまで
大声で。それを見るのが嫌で病院へ行かなくなった。
ばあちゃん死んだ。葬式ではお袋も親戚もみんな泣いてた。俺は不思議と涙も出なかった。
一人になっててんぷら粉と魚をスーパーで買ってきて生まれて初めて料理をしてみた。
出来上がったてんぷらが堅くって真っ黒焦げで、その余りのまずさに食ってるうちに泣け
てきた。


22 名前: ゆめすけ 投稿日: 2000/03/06(月) 23:42
ちょっと泣きました。


23 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 02:15
「一杯のかけそば」板になってきましたねー。
と、平気で水を差す私は、この板で2回ほど泣かせられました。


24 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 02:18
>23

そうだね。でも一杯の掛けそばよりはまともだろって気もしますが。
泣いたのってどれ?私は17でちょっとウルってきました。


25 名前: >18 投稿日: 2000/03/07(火) 03:33
17です。哀しいこと思い出させてしまってごめんなさいね。
自分の書き込みを読んで、その後18さんの書き込みを読んだら
余計泣けてきてしまいました。だって、結局「食べられなく」て
それをおばあちゃんに言ってあげられなかったんですものね。
「おいしいよ」と嘘はつけなかったけれど、最後のおにぎりを
ちゃんと食べられた私は幸福者だったんだなー、って思いました。

ミルクの話も天ぷらの話も泣けます。もっともっと聞きたいです。


26 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 09:37
ほんと、いい話しばかりだ、、、。

食べ物って食欲を満たすだけでなく、
心も満たすんだなあって思った。
人の愛情がその食べ物に込められていればなおさら。

おかあさん、好き嫌いばっか言っててごめんなさい。
一人暮らしをしてみて、はじめておかあさんのごはんのおいしさがわかりました。


27 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 13:33
女子高生の頃、お母さんのつくる「味噌炒め」がイヤでイヤで。
いっつも異常にしょっぱい味付けだから、文句ばかり言ってた。

でも、一人暮らしを始めてから、作る料理全てが
お母さんの味付けとまったく同じ。外食続きで家庭の味に
飢えると作るのは、あの頃大嫌いだった「味噌炒め」。

今、彼氏が旨い旨いと言って食べる私の手料理は、
全部、お母さんの味です。文句言ってごめん。ありがとう。
そんな話ができるようになった今日この頃です。


28 名前: 18です 投稿日: 2000/03/07(火) 14:02
>17さん
もうこういう後悔はしたくないので、今では誰に作ってもらったものでも、とりあえずできるだけ残さずいただくようにしています。(^_^)もぐもぐ。

このスレッド読んでたら、なんかいろんな思い出が蘇ってきました、、、。


29 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 14:55
>27

凄くよくわかる
俺は男だけど、結構自炊もする。
そんなとき自分の味付けの基準になってるのは
母さんの味なんだよね。
ウチの母親はハンバーグとかはお世辞にも上手いとはいえないけど
煮物とか魚料理とかは上手い。あっさりした味付けで仕上げる
それが今の俺の料理の基準になってるね。

にしてもミルクの話は泣かせるね・・・・


30 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 15:11
ミルクの話、後輩が「どうでもいいことを饒舌におしゃべり」って
ことがすごく(T_T)。いい後輩だ。ってことは14さんもいい先輩なんだよね。


31 名前: 泣けないミルクの話 投稿日: 2000/03/07(火) 15:15
転勤する時、実家から母親がアパートに引越しの手伝いに来てくれた。
荷造りもほぼ終わってちょうど冷蔵庫の整理にかかってたら、
予定よりも早く引越屋が到着してドアをノック。「あ、もう来た」って
言った途端、母親が冷蔵庫に残っていた1リットルの牛乳パックを手に
持っていきなりがぶ飲みし始めた。

そんな母は今も元気だ。


32 名前: >31 投稿日: 2000/03/07(火) 15:20
いいお母さんでないの。


33 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 17:16
微笑ましいですね。(^_^)


34 名前: カールとさつまいも 投稿日: 2000/03/07(火) 18:11
小学生の頃よくやってた誕生日会。
仲良くなかったんだけど母親がどうしても呼べという子がいた。
クラスでもちょっと毛色の違う子。
その子からは算数のノートを1冊もらった。
正直どうでもよかったのを覚えている。
それから数ヶ月してその子が、廊下に私を呼び出して
自分の誕生日会をしたいから家に来てと言った。
仲良くないので行きたくなかったが
母とサンリオのグッズを選んで結局行った。

家にはその子以外だれもいなかった。
テーブルに置かれたカール。
ケーキもごちそうもそこにはなかった。
「これ全部食べていいよ」
結局2人で食べたんだけど
その後その子がさつまいもをふかし始めた。
料理するなんて驚いた。だってまだ小2。
慣れた手つきで出してくれたさつまいもは
びっくりするほど美味かった。
ずっと「ピアノがあっていいな」と言われてた気がする。
私は「今度弾きに来ていいよ」とは言わなかった。
帰り道母親がその子を呼べといった意味が
何となく分かる気がした。

カールとさつまいも。
彼女の思い出とは切り離せない。


35 名前: 独歩さん 投稿日: 2000/03/08(水) 19:48
また泣けそう。

なんでそう泣かせようとすんの。うぐ。


36 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/08(水) 22:31
とてもいいお話ばかり。
私も・・・と思ったけど、くだらなすぎるので
他の方にお任せします。



37 名前: もの食うひと 投稿日: 2000/03/09(木) 01:08
>36 そう言わずに、書いてくれないか。別に心あたたまる話じゃな
くってもいいんだ。くだらない話や恥ずかしい話を、良かったら書いて
欲しいんだ。おれもこんな風に気持ちのいいスレッドになるとは予想も
しなかった。思いつきで1を書いた自分がなんか恥ずかしいな。
いろんな話を聞かせていただいたみんなには本当に感謝してます。
おれは今、書くことが思い付かないから、引用だ。ごめん。

(略)こころさむい時代だからなあ。
 自分の手で、自分の / 一日をふろふきにして
 熱く香ばしくして食べたいんだ。
 熱い器でゆず味噌で / ふうふういって。
        「ふろふきの食べかた」 長田弘


38 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/09(木) 01:27
わたしもばあちゃんちで食べた「もち」が思い出です。
(心あたたまる話じゃないんですけど)

じいちゃんとばあちゃんが両方無くなってから、もちつきを
しなくなったので、もう食べてないんです。
じいちゃんが亡くなる数日前、正月についたもちを解凍して
一緒にたべてたんだけど、何故かじいちゃんはその時に限って
「なにもつけずに」食べたんですよね。なんでだろう?って思った。

でも、それだけ美味いんですよ!!ついた餅は。都会の人は
知らない人もいるのかなぁ。
だから餅は大好きだったけど、「サトウのキリ餅」なんて餅じゃねえ、
って感じです。あーばあちゃんの餅もう一度食べたいなぁ。



39 名前: 母ひとり子ひとり 投稿日: 2000/03/09(木) 02:02
私15歳・母40歳の我が家に、母の彼氏
(28歳の錦織一清似の中国人)が同居するコトに。

母は仕事でいないクリスマス。友人と3人、
我が家でパーティをしていると、彼が笑顔で
ごはんをお椀に、みそ汁をマグカップに、煮物を茶わんに
入れ、私の部屋に持ってきたのです。
当時、多感な年頃だった私は、友人に彼を見られたコト、
ちぐはぐに盛りつけられた料理、どちらにも動揺し、
「来ないでっ!!!」と猛烈に怒りモード。

その時の彼の健気な笑顔。余計に腹立たしくて。
でも、彼のせいじゃないのは自分でも分かってて。
今は国に帰っているらしいけど、悪かったなぁ…とか、
幸せに暮らしているとイイなぁ…とか思っていますです。


40 名前: >1 投稿日: 2000/03/09(木) 02:20
最初の話が良かったから、良い話が続いてるんだと思うよ。
「おれはただズルズルとスパゲッティ食ってたよ」っていうのが
なんか切なくて好きだな。



41 名前: クロレッツ 投稿日: 2000/03/09(木) 02:59
初キッスの味。
大好きな人との初めてのドライブ。
緊張しすぎて、噛んで噛んで噛みまくった挙げ句、
私のガムは口内でオガクズ状態に。
ガムは噛みすぎるとボソボソになる……。
そんなコトとキスの味を同時に初めて知った。



42 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/09(木) 18:39
小学生の頃、仮面ライダーカードを集めていた。カードはスナックのおまけで1袋に1枚ついていて、それが欲しくてスナックを買っていた。カードを揃えるためには、ダブっているカードを他人と交換(私の土地では「ばくる」といった)しなければならないので、違う学校にまでカード仲間がいたものだ。

隣町の学校に熱心な友だちがひとりいた。そいつと二人で町中の自販機巡りをして、返却口や機械の裏や下に手を伸ばして落ちている小銭を集めて回った。1ヶ月ほどするとまとまった金になったのでそいつがスーパーに行って1箱まるごと買ってきた。50個程のスナックは壮観だった。カードを山分けしたあと、スナックを私の家の押し入れに隠し、次の日曜に基地(空き地につくっていた)でまとめて食う計画を立てた。

ところがスナックは学校に行っている間に母親にみつかって知らないうちにどこかの施設に寄付したかなにかでとにかく処分されてしまった。母は私たちがスナックにはまったく興味がないと思ったらしい。当時カード目当ての子供がスナックを食べずに捨てているという記事を書いた新聞があったのだ。そのスナックを楽しみにしていた友だちは随分怒ったものだ。私もひとつも食べることなく消えてしまった大量のスナックの味というか食感を想像したことがいまもわすれられないでいる。

子供の頃は、ひとつの袋に入ったお菓子(たとえばレギュラーなサイズのポテトチップス)をいつか自分ひとりで全部食べられるようになるなんて思っていなかった。そのときのことをいつか文句を言ってやろうと思っているうちに大人になり、母は還暦を迎えようとしている。


43 名前: ちっともいい話じゃなくて 投稿日: 2000/03/09(木) 19:36
しかも贅沢入ってる話なんですが。
高校の頃、口うるさくて苦手な女の先生がいました(担任だったんだけど)。
無視とかはしなかったですが、まあ愛言われたことには想笑いで答える毎日。
そんなこんなするうちに修学旅行に行くことになったんですが、行った先の
車中で食べた弁当がすごく美味しい。聞けば本当は普通の(安い)お弁当を
頼むはずが、くだんの先生が断固この弁当(予算よりちょっと高いご当地の
名物弁当だった)にしろ、と譲らなかったんだとか。彼女曰く
「せっかく遠くまで行くんだもん、美味いもの食べたいじゃないの。
せっかく一緒に来たんだから、あんたたちにも味あわせたいじゃないの」。
すっごい贅沢な話なんだろうけど、なんだかこの先生も同じ人間なんだな、
と思えて、そして生徒にも美味い物食わせたいと思って(無論自分も食べ
たかったとは思うが)がんばってくれた先生のことを、ちょっとだけ認め
ちゃったエピソードでした。
・・・でもやっぱ卒業まで口うるさいのは直んなかったけど。




44 名前: 玉葱 投稿日: 2000/03/10(金) 00:53
大学にはいり、なかのいい連中ができてそれなりに楽しく過してたころ
まあ、サークルで三角関係なようになり、変動がなくなってきた時期
3人で飯をつくろうっていうことになり、友達のアパートにいき
ある材料で野菜炒めと、味噌汁、餃子をつくってたべた
野菜炒めをつくるのを失敗して、しょっぱすぎる味になったが
うわ、しっぱいしたーとかいい笑いながら食べていた
そのあと2かぶりにの飯だったのと、レポートの徹夜あけだったせいで
うとうとしていたら、ロフトから声が聞こえてきた
あんのじょうやっていやがる、目を覚ますわけにもいかず
眠ったふりをしていたが。歯にはさまった玉葱のせいでさらに最悪な気分
になった、もちろんサークルにはいかなくなった
卒業になったがあの女はサークルの男を全部食ったらしい
女を見る目がなかった..



45 名前: 暗い田中麗奈 投稿日: 2000/03/10(金) 01:01
>明るい田中麗奈

あんた幾つやねん!
ぜんぜん田中麗奈とちゃうやんけ!

俺も似たような経験ある。。。
同世代やね。


46 名前: おばあちゃんの味で 投稿日: 2000/03/10(金) 04:46
思い出すのがポテトサラダ。なぜか味付けが妙に酸っぱくて・・
子供の頃の私はこれが苦手で、その印象かポテトサラダは酸っぱいものと
信じてました(笑)。そんなおばあちゃんとも理由あって離れることになり
この酸っぱいポテトサラダも食べる機会はなくなりました。
先日しばらくぶりに、おばあちゃん家に遊びに行ったときのこと
帰り際 このポテトサラダをお土産に持たせてくれたのです。ありがとうと
云いながらも私は困惑していました。だっておいしくないんだもん。。
ところが 懐かしさに負けて一口食べてみたら…意外にもおいしい!!
ほとんど一気に食べてしまった。味は相変わらず酸っぱいのだけれども
初めておいしいと感じました。ほかでは食べられないおばあちゃんの味。。
大人になってから食べるとこんなに印象が変わるなんて、、
ごめんね、子供だった私はこのおいしさに気づかなかったよ。
今度レシピ教えてね、おばあちゃん。



47 名前: 王様のレストラン 投稿日: 2000/03/10(金) 04:46
美味かった不味かったばかりで
何のエピソードも浮かばない・・
これぞホントに貧粗な食生活
みなさんがうらやましい




48 名前: オタク 投稿日: 2000/03/10(金) 06:28
餅をうすーく切って、ある程度の期間干して、油で揚げたお菓子。
本来の餅の倍ぐらいの面積にまで膨らむ。味付けは何もなかったように思う。
でもうまかった。
うちのばーちゃんが時々造ってた。
もう一つばーちゃんの料理で印象の深いのはしそ巻き。
しその葉にみそを砂糖やら何やらで味付けしたのを巻いて3本くらいづつ楊枝にさしてあげる。
よく造ってくれてたけどここ何年かはあまり食べてなかった。
どっちも二度と食えない。
何でもう少し食べておかなかったんだろう。あんなに皿に山盛り造ってくれてたのになあ・・・。


49 名前: 悲しい思い出 投稿日: 2000/03/10(金) 08:55
小さい頃、小学校1年か2年の頃かな。家は両親上手くいってなくて
母親は何度目かの家出中だった。父親もろくに帰ってこない。しょうがなくて
おばあちゃんがたまに面倒見に来てくれてた。そんな或日、夕方7時過ぎた夕飯の時間も
誰もいなくて、私と妹はお腹が空いてたまらなかった。冷蔵庫には何も入ってない。
お金も無い。妹が可哀相だし私も我慢できなくなって、たいして付き合いも無いのに
近所で一番お金持ちの人の所に行って、事情を話した。多分、子供心にお金持ちなら
食べ物が余っているだろうと考えたんだと思う。そしたら英字型の乾パンくれた。
ぱらぱら塩がまぶしてあるやつ。なんだか自分のした事が恥ずかしかった。
その乾パンは明日の事も考えて大事に食べた。20年以上前だけど今でも覚えている。

食べ物にまつわる話なら、ここの誰もがエッセイストになれるね。


50 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/10(金) 10:12
泣ける。


51 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/10(金) 10:35
勤務中だっていうのに涙が・・・
「花粉症だ」ってゴマかしました。


52 名前: 独歩さん 投稿日: 2000/03/10(金) 10:41
しくしく。


53 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/10(金) 11:55
うううう、、、。(;_;)
49さんは妹さん思いの優しいお姉さんですね。
なんか情景が浮かび上がってきて、ちょっとうるうるしちゃいました。


54 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/10(金) 12:23
韓国にいった時、明洞にある(日本でいうとさしずめ
原宿のような感じなのかなあ?)
明洞ギョーザという名前のお店。
メニューは一律450円(当時のレートで)で安い。
もちろん美味い・量も多い・ご飯キムチは
お代わりし放題!(キムチもめっちゃ美味い、
日本のスーパーで売ってる奴は殆ど試したが
あれに勝るものはないって感じ)
日本に支店できないかなあ〜。


55 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/10(金) 16:27
私の故郷は沖縄の離島です。
島には10月頃になると、“サシバ”と呼ばれる 保護動物に指定されている
タカ科の渡り鳥が台湾の方から 何千と渡ってきます。
昔の貧しかった時代はこの鳥を林に入り捕ってきては食べていたらしく、味が忘れられないと
未だに捕る人達がいて島ではこの時期になると保護活動が盛んになります。

小6のある日、私は叔父の家に呼ばれ夕飯をご馳走になりました。
夕飯のメニューは鍋焼きうどんでその中に入ってたお肉がすっごく美味しくて
2回もおかわりして食べました。食べ終わって叔父さんに「あれ、なんのお肉?すごくおいしーね」
と言うと叔父さんはニコニコしながら「物置をみればわかるよ」と一言。
意味が分からず物置を開けてみた。そこには“サシバ”が2匹 目をパチパチさせて私を見ていた。

私はその時 学校でサシバ保護のボランティア活動の真っ最中。
なのに「おいしい おいしい」と食べてしまった。おかわりもした。
そんな自分にすごい罪悪感を感じて泣きました。
叔父さんちの物置をみるとあのうどんを思い出す。



56 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/10(金) 16:51
卒業旅行で2月に遠野に旅したとき。農家のおばあさんに遠野の昔話を聞かせてもらった。
わずかだけどお礼を包んだ。目上の人に現金を差し上げるなんて初めてで、失礼な気がしてたまらなかった
けど、宿の人の薦めでそうした。おばあさんは、それを何度も額に当てるようにしてお礼をいってくれた。
帰りがけ、おばあさんが軒下につるしてあった白くて四角い何かをどっさりくれた。
乾いたのし餅みたいな形で、「食べ物かな?」とかじってみたらほのかに甘くてかみしめるたび香ばしい。
パイみたいにぽろぽろと層になってはがれてくるのを夢中で食べた。

・・・この食べ物に心当たりのあるかたいませんか。
東北出身の人に会うたび尋ねてるけどいまだわからないのです。
生で食べていいものかどうかも不明なんだけど・・(^_^;)


57 名前: >56 投稿日: 2000/03/10(金) 17:37
その食べ物、気になりますね。
干し餅かなあ。
油で揚げたものしか食べたことがないから、生だと
どういう感じかわからないけど。


58 名前: >56 投稿日: 2000/03/10(金) 17:59
たぶん、「あけがらす」だと思います。
中に胡桃はいってませんでした?

それにしても、涙腺きまくり


59 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/10(金) 18:06
ウチのおばあちゃんは、初任給もらったとき
長年の夢を実現すべく、市場へ走ったそうです
そして、あのウニが細い木のケース見たいのに入ったやつを買ってきて
あつあつのご飯を前に、1列全部箸ですくって
もりもり食べたそうです。
ばあちゃんはウニが好きで好きで、いつかそれをやるのが夢だったそうです


60 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/10(金) 18:46
生前の祖母に聞かされた私の父の子供の頃の話。

そのころは食べるものがあまりなかったので、食欲旺盛な父は山で木になっているものを採ったり、野良犬を捕まえて皮を剥いで食べたりしていたそうです。

そんなある日、父の友だちが旅行のために飼っていた小鳥を預けに家にやってきたそうです。その子も父の性癖を充分知っていたのですが、他に頼めるところはなかったようで、父に「とみお〜、鳥食べるんでねえぞ〜」と繰り返し念をおして帰ったそうです。祖母もその日から毎日父に「とみお〜、鳥食べるんでねえぞ」と父の友だちと同じことを繰り返し言ったのでしたが、やはり父は食欲に勝てず、友だちが帰ってくる前の日、祖母の目を盗んで小鳥を焼いて食べてしまったそうです。次の日、やってきた友だちに父に代わってしどろもどろ謝ったのは祖母でした。

その話を「とみお〜、食べるんでねえぞ〜」のセリフをげらげら笑いながら再現して話してくれた祖母が亡くなってそろそろ十年がたちます。父は元気です。


61 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/10(金) 21:58
東京のお嬢さん育ちの母は、田舎にある父の実家が嫌いだったようだ。
私が子供の頃、母と一緒に父の実家に遊びに行った時、
祖父が「帰りの電車の中で食べろ」と言って、わら半紙の紙袋からはみだしそうなぐらい、
たくさんお菓子をくれた。
どぎつい色のついたゼリーや、見たことがないような袋菓子がたくさん入っていた。
電車の中で、私が「おじいちゃんのお菓子食べようよ」とせがんでも、母は無言だった。
東京に着き、駅のホームで母は紙袋の中のものを見ながら、
「何よこんなもの」と言い、袋ごとゴミ箱に投げ捨てた。
それを見て、私は泣いた。母は「もっとおいしいお菓子買ってあげるから」と言った。
私は、お菓子が食べられなくて泣いていたのではない。
孫のために、一生懸命お菓子を選んでくれた祖父のことを思い出して
悲しくてたまらなかったのだ。
お菓子を手渡してくれた時の、うれしそうな祖父の顔。
あの祖父の顔を思い出すと、今でも泣けてきます。
いい話でも食事の話でもなくてごめんなさい。



62 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/10(金) 22:05
>名無しさん 私にもよく似た体験があります。食べ物が出てこないので書けませんが。


63 名前: >60 投稿日: 2000/03/10(金) 22:08
いい話というか何というか…(^-^;


64 名前: >明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/10(金) 22:22
いい話と言うかなんと言うか、父が元気で何より。
生き物から命を貰って人間は生きているのです。動物でも、植物でも。


65 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/10(金) 22:39
父(ご紹介が遅れましたが、富夫です)によれば犬は赤犬(?)が旨いそうです。茹でる前に皮を剥くのですが、途中で逃げたことがあって、ぼったら(追いかけたらという意味)縁の下に潜り込んで真っ暗なところから皮を剥がれた犬の眼が光っていたこともあったという話を3回くらい聞きました。


66 名前: >65 投稿日: 2000/03/10(金) 23:19
赤U^ェ^Uo が美味いというには俗説で根拠が無い!と横でじいちゃんが
今怒っています。戦時中十数匹は食べて、自信があるそうです。
やっぱり、肥えて毛並みがよいのがいいと言っています.
毛色は関係無いそうです。そんなことではU^ェ^Uo に申し訳がたたん、
とまた怒り出しました。 (T_T) 画面切り替えます。失礼。



67 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 01:06
いいスレッドだねぇ(ToT)


68 名前: 僕が生まれたときの話 投稿日: 2000/03/11(土) 02:07
母は出産のために入院していた。亭主関白の父はそれまで料理をしたことは一度も
なかったのだが、祖母が既に他界していたために子供(わたしの兄姉)のために食事
を作らなければならない。

そして父は一生懸命慣れない手つきで子供のために卵焼きを作った。
出来あがった卵焼きの味は、とても食べられないほどに辛かったが、
兄姉は我慢して食べたとか。今でもたまに家族が揃って食事をする
とこの話題がよくのぼります。

そんな父親も退職し、最近では料理をするようになりました。



69 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 04:50
祖母の家では毎年お正月には餅屋に頼んだ餅でお雑煮をつくります。
いつもお正月には祖母の家に行ってそのお雑煮を食べていたんだけど
ある年「たまには家でお正月を過ごしたい」ってわがまま言って行かなかった年がありました。
家では母が祖母と同じようにお雑煮をつくってくれたんだけど
どこか味が違うような気がするんですね。
三が日が過ぎてから祖母の家に遊びに行ってこの事を話したら
私のために餅を残して置いたよ、と言ってお雑煮をつくってくれました。
「やっぱりおばあちゃんが作ったお雑煮が一番美味しい」と言ったときの祖母の笑顔が忘れられません。

あと何回一緒にお正月を過ごせるかわかりませんが、それ以来お正月は絶対に祖母の家に行くようにしています。
なるべく長い間、あのお雑煮を食べたいなあと思います。


70 名前: 高卒後 投稿日: 2000/03/11(土) 06:15
一人暮らしを始めたんだけど、親がよく米とか野菜送ってくるじゃん。
そういう荷物の中に、たらの芽が入ってたんだよ。
その日、母からの電話で「送ったたらの芽、天ぷらにすると良いよ」
なんて言われてさ。でもマンションの電化コンロじゃ天ぷらなんて出来ないから
「もうちょっと考えて送ってくれよー」なんて答えちゃって。

その2日後、用事があって実家に帰ったとき、母が手に絆創膏貼ってるのね。
最初見たときは「またなんかヘマしたんだろ」なんて思ってたんだけど、
妹から話を聞いたら、たらの芽を取りに行ったときに怪我したって。
知ってる人もいると思うけど、あれってトゲがあって採るときに刺さったりするんだよね。
それ聞いて、俺のためにわざわざ採ってくれたのかー、ってすごい罪悪感覚えた。

マンションに帰って、段ボールの中で痛みかけてたたらの芽を出して、
浅いフライパンで無理矢理に天ぷら作って食べた。
衣が生っぽかったのを今でも覚えてる。


71 名前: ごめんなさい 投稿日: 2000/03/11(土) 06:18
小学生か中学生の頃、母親と大喧嘩して
母親がそのまま家出してしまったことがあって
その翌日は、タイミングの悪いことにお弁当が必要で。
泣きながらどうしようと困っていたら
いつもは口も聞かない兄が早起きしてお弁当を作ってくれた。

甘い味の卵焼きを焼いてもらったら、焦げてて、見た目も悪くて
それがすっごくイヤで、また大泣きして。
いつもなら殴って怒鳴って終わり…な兄がもう一度丁寧に焼き直してくれた。

味なんて、もう忘れたし他のおかずが何だったのか忘れたけど
その失敗した卵焼きの苦さが忘れられないな……と。




72 名前: >61! 投稿日: 2000/03/11(土) 06:23
私にも同じ体験があります。
やはり母が、私への好意を踏みにじって・・。
母は、私にご飯を作ってくれたこともない。実の母なのに。
生まれて初めてまともに作ったご飯を、箸もつけず目の前で流しに
捨てられました。
だから今でも、私には楽しく食事することができません。
スレとずれていてごめんなさい。


73 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 06:26
他板で紹介されていたので読んでみたが……泣けるじゃねーか。(T_T)


74 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 08:43
前に付き合っていた彼氏の家で彼の好きなサンマを焼いた。
私は他の料理も作っていたので彼が先にサンマを食べ出した。
「おいしい、おいしい」と彼は言っていたけど、
私が口をつけたとき、そのサンマは生焼けだった事に気づいた。
彼に対する申し訳なさ、恥かしさから私は逆ギレし、
「なによ、まずかったら正直に言ってよーーー」と皿に乗っていた
サンマをそのまま生ゴミ入れにぶち込んでしまった。
振り返ったときに見た彼の悲しそうな顔が頭に焼き付いて、
あの時以来、サンマを焼く事が出来ないでいる。
本当にあの時はごめんなさい。


75 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 10:00
3人組の仲良しがいた。
そのうちの一人はバターケーキが大嫌いだった。
ある日1人がケーキを買ってきたから食べようという。
箱をあけたらショートケーキが2つとバターケーキが1つ。
ケーキを買ってきた子はバターケーキが嫌いな子のことが
嫌いだった。
もちろん分かって買ってきたのだ。
バターケーキが嫌いな子はそれからショートケーキも嫌いになった。


76 名前: 私の子供の頃はアイスが高級品だった。 投稿日: 2000/03/11(土) 10:38
くだらない話なんですがひとつ・・・。

家は3人兄弟で、小さい頃はいつもお腹空かせてた記憶がある。
小さい頃のご馳走は母がたまーに買ってくれる
レディーボーデンのバニラアイス。大きなカップのアイスで
大好物だった。めったに食べられないものだった。

ある日母が、「これから夕飯なんだからアイス食べたら駄目だよ。
御飯が食べられなくなるんだから。もし食べたら捨てちゃうからね。」
と私達兄弟に言い聞かせて夕飯の買い物に出掛けた。
当然私達は我慢できなくて。「一人一口だけだったら大丈夫だよね。
捨てちゃうなんて脅しだよね。」
って、小さいスプーンでアイスをすくって一口だけ食べた。
買い物から帰ってきた母は冷凍庫のアイスの蓋をあけて
ねずみが齧ったような跡を見つけて激怒。
「あれだけ食べるなっていったでしょ!」
私達兄弟が涙目になっている横でアイスを流しに捨てた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
と泣き叫ぶ私達の前でレディーボーデンはみるみる溶けていった。

・・・こんな事なら一口とは言わずもっと食べておけば良かった・・・。
なつかしく恥ずかしい思い出です。




77 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 13:58
あげます


78 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 14:21
あたしの家は共働きで家に帰ったらいつも一人でした。
毎日、お菓子は台所に袋菓子を分けたものが姉の分と二つお皿に
置いてありました。今考えるとそれだけでも十分うれしかったはずなのに、
よその家では母親がケーキなど焼いてくれてるって思っていた私は、
作ってってわがままを言ってました。
休みの日、不器用でお菓子なんて作ってくれなかった母親が
クレープを作ってくれました。
焼いたクレープ生地にチョコレートシロップをみたいなものを
塗っただけのものでした。おいしいものではなかったけど、
それが初めて食べたクレープでした。クレープを見たら思い出します。
母親は今も元気で働いてます。帰ってきたら覚えてるか聞いてみようかな。



79 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 14:22
小学校2年生の時の思い出です。

担任の先生は50だか60だかのおばちゃんで、
その年が教員生活最後の担任だった。
俺らの学校は1年生から2年生になるときはクラス替えがなかったから、
先生と俺らは2年目だった。
一番最後のお楽しみ会で、歌唄ったり、誰かの下手な手品見たりした後、
先生が「最後にみんなで食べよう!」と、なにかをみんなに配った。
「ミロ」(ココアみたいなお湯とか牛乳とかに溶かして飲む粉)だった。
当時「ミロ」が出だしたころで、テレビとかでコマーシャルガンガン
やってたから、先生も選んだんだと思う。
誰かが「先生、これ、このままじゃ食べれへんで」と言った。
先生は「そうなん」と言った。なにか他にも言ったかもしれないが
覚えてない。
結局、みんな「ミロ」をそのまま手ですくって食べた。
なんでか分からないがそういう雰囲気だった。

なんか間抜けな話なんだけど、今でもよく思い出します。


80 名前: >76 投稿日: 2000/03/11(土) 18:20
もうーこどもってやつは、正直っていうんだか
純情っていうんだか(^_^)必死さ加減が好きだな〜。
(大きくなっちゃうとアイスは自分で買えばいいんだもんね)


81 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/11(土) 19:23
昔よくミロとかクリープとか粉のままスプーンで食ってたなぁ。うまかった。
思い出に残ってる一番じゃないけど。学級みんなでやるのはヘンかも(^_^;)


82 名前: >81 投稿日: 2000/03/11(土) 21:02
79のは変とは言わんだろ。


83 名前: とうちゃん、ごめん! 投稿日: 2000/03/11(土) 22:30
小学生の頃、家の両親は共働きで凄く忙しそうにしていた。
いつも遠足とかに行く時,お弁当を持って行くんだけど、母は
仕事の関係なんかで,お弁当を作れない時がありました。
その時は,父がお弁当を作ってくれていたんですが、私は嫌な
子供で、どうしても父の作った,おにぎりが食べられないで、
いつも帰りに捨てていました。今だに、おにぎりは食べられない
けど、なんかここを,読んでたら思い出してしまいました。
なんか,悪いような、なんで親の作ったものが,食べられないのか
悲しいような,複雑な気持ちになりました。。。


84 名前: すいか 投稿日: 2000/03/12(日) 00:51
子供の頃からスイカが大好きで、ことあるごとにスイカへの愛を
語っていたら、高校3年の誕生日に仲のよかった子たちがお金を
出し合ってスイカをプレゼントしてくれました。
私の誕生日は2月で、そんな時期にスイカを食べられるなんて
嬉しくて、ホントに嬉しくて、冷蔵庫に大事にしまって毎日毎日
取り出してはながめて、幸せでした。
結局もったいなさ過ぎて食べるきっかけを失い、3月半ばのある日
異臭を放っているのを母に見付かり捨てられてしまいました。
あの時はとても悲しかった。
もらってすぐに食べればよかったと後悔しながら、腐って溶けた
みたいになったスイカの残骸をちょっとだけ食べました。
とってもまずくて吐きそうだったけど、友人にもスイカにも申し訳
なくてグッと堪えて呑み込みました。2度とスイカを腐らせて捨てたり
しない!とその時決めました。

今でもちょっと傷みかけのスイカに出会うとこの2月のスイカを
思い出します。
真夏の野菜室は結構腐りやすいのです。
でもちょっとくらいの腐りだったら食べちゃいます。
まだお腹をこわしたことはありません。
いい話のあとにこんな腐りネタでごめんなさい。


85 名前: カルボナーラ 投稿日: 2000/03/12(日) 02:00
遠い昔の中学生時代、つきあって間もない彼女とスパゲティを食べに行った。
しかし当時、うちのおかんのレパートリーといえば、ナポリタンとミートソースのみ、
彼女の前で気取りたい年頃だった俺は、そんなベタなものは頼めないと見栄を張り、
当時なんとなく聞いたことがあったような気がしたカルボナーラを注文した。
しかし俺の取り越し苦労をよそに、彼女の注文したのはミートソースであった。

それでも見栄っ張りな俺は「俺、スパゲティではカルボラーナが1番好きかなあ」と無駄口、
すると無垢な彼女は「私カルボナーラって食べたことない、何が入ってるの?」と尋ねてきた。
俺は「ヤバイ」と焦ったが、幸い彼女の後ろ、別の客のテーブルにウエイトレスが、
「カルボナーラと○○○○お待たせしました」と運んで来たのが見えた。
2つの皿のうち1つはトマトソースに貝やエビなどの魚介類が見て取れた、
今思えばペスカトーレだろう、もう1つの皿は白っぽいクリームソース状で、
その時確認できた具材はベーコンだけだった。

それを見た俺は、メニューの中に「ベーコンと何とかのスパゲティ」なる品名があったのを思い出し、
とっさに(あの白いのは「ベーコンと何とかのスパゲティ」だ、ということは
あっちの魚介類のトマトソースのスパゲティこそが、カルボナーラに違いない)と判断し、
「ナポリタンみたいなケチャップ味で、貝とかエビとかが入ってるやつだよ」と得意げに説明した。
さらに、「エビが丸ごと入ってるから好きなんだ」等と要らぬ付け足しを繰り返していた。

やがて運ばれてきたカルボナーラに「ここのカルボラーナはうちで作るのと違うなあ」などと
哀しい言い訳を繰り返すばかりの俺に、気まずさを察知して無口な彼女。
しかも何度も繰り返す「カルボ“ラーナ"」という言い間違いに気付くのは、その後何年も経ってからだった。

カルボナーラをセブンイレブンで買って食べると思い出す、でも店では未だに注文できない。


86 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/12(日) 02:08
文章長いけど、お前等いい奴ばかりだな。



87 名前: 卵かけご飯 投稿日: 2000/03/12(日) 04:40
高校の時、大学生だった先輩が田舎に帰るので、アパートの部屋を借りて
彼女と泊まり込み、猿のように覚えたてのセックスをしまくった。
途中お腹が減ったので何か食べようということになったが
服を着るのももどかしく、部屋にあるもので済ますことにした。
彼女は何の料理もできなくて、仕方ないのでご飯に生卵をかけて食った、
卵かけご飯を食ってはH、また腹が減っては卵かけご飯、そしてH・・・
若いということはああいうことなんだと思う。

品位ガタ落ちで失礼。


88 名前: >87 投稿日: 2000/03/12(日) 04:57
あー、君にはペナルティだ。
10日以内にメッコール5本を飲んで
経過のレポートを提出する様に。


89 名前: バッカーです 投稿日: 2000/03/12(日) 05:01
いや、タマゴってところがいいじゃないか


90 名前: いいじゃん 投稿日: 2000/03/12(日) 06:14
元々「状況とともに思い出す食事」スレッドだったんだし(笑)
いつの間にか(最初からか?)泣かせる話ばかりになって、
他の話する人がなんとなく書き辛そうだし。
もちろん俺も泣かせる話にハマッてる1人なんだけど。
このスレッド、名作だね....


91 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/12(日) 07:58
ん、じゃ軽く一本行きまーす!

中学の時。土曜の放課後、隣のクラスの男の子が、教室でお弁当を
食べるのを、何故か真ん前で見ていたことがあります。
私はそのクラスの女の子と一緒に帰ろうと思って待ってたし、
顔は知ってるけど話したこともない男の子は、今から部活だったと思う。

で、黙って見ている私の前で、しゃかしゃかと弁当を食べ終えた彼は、
最後にその銀の弁当箱にこびりついてたごはんの一粒一粒をお箸で
ひょいひょい取って口に運び、きれいにおべんと箱をカラにして
フタを「ぱたん」としめました。

すっごいカッコ良かったんですよ〜、それが。
気持ちいいっつーか。食べっぷりも良かった。
別にそれでその子に惚れたりはしなかったんですが、
それ以後「ごはんをおいしくきちんと食べれる人」「お箸を
正しく扱える人」という、好きな人の条件が増えました。


92 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/12(日) 17:52
やっぱり初給食かなあ。
給食食べる前に「三角食い」ってのを教えられた。
パン→おかず→牛乳を繰り返す小学校給食特有の様式美なんだけど
(現在もあるのだろうか?)
俺はすっかり「パンを全部食べて、おかずを全部食べてから牛乳を全部飲む」
ことだと勘違いしてしまった。
ちょうどその時のパンは食パン2枚。
6歳の子供にはあまりにもハードルが高すぎた。
しかしその日のおかずはカレーシチュー。大好物だ。
何とかその桃源郷に辿り着こうと、必死に食パンを口に詰め込んだ。
牛乳という助けは借りられない(と思いこんでいた)、
頼みのマーガリンも1枚目で尽きた。昼休みも残り10分。
後半分で地獄の食パンを食い終える・・・という直前で
痺れを切らした担任が「あなた、カレー嫌いなのね? 嫌いなら食べなくてもいいのよ」
と、俺の目の前でカレーシチューをあのでっかいアルミの鍋にジャーと戻した。
俺はその午後泣き通しだった。


93 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 03:15
同棲してた女が最後に作ってくれた食事、オムライス。
あれ食うとやっぱり、出て行ったあの女を思い出すな、昔の事だけど。


94 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 03:29
給食でのこしたら、びんたされた、学校に不信感


95 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 04:26
最近一人暮らしを初めて自炊しています。
何食べてもお母さんを思い出します、ホームシック状態(;_;)


96 名前: アステカ中毒 投稿日: 2000/03/13(月) 06:39
学校の給食は偉大だった・・。豚肉のしょうが煮が食べたい・・


97 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 07:07
おばあちゃんの話を見て思い出しました。
私には兄がいて、兄はおばあちゃんがつくるクリームシチューが大好きでした。
ホワイトソースも自分で作る本格的なもの。
実は私はそのおばあちゃんが苦手で、初孫だからといつも兄ばかりひいきして…
と、すこしひねくれていたんです。実際、私がきらいなものも食卓に
だしたりして、大泣きしたこともあったくらいで…。
そのおばあちゃんがなくなった時、涙もでませんでした。
嫌いというより苦手だったので、近寄りにくかったせいもあるんですが。

先日、自分でホワイトソースを作ってシチューを作ってみたのですが
なかなかおばあちゃんが作ってくれたような味にはならない。
結局、あまりまんぞくしないままそれを食べたのですが、こんなことなら
作り方を聞いておけば良かったと思いました。

今思えば、好き嫌いが激しかった私の為に、いろいろ作ってくれた
おばあちゃんの事を思い出し、当時の自分の行動を恥じました。
このスレッドを見て、おばあちゃんがなくなってから初めて泣きました。
今度、墓参りに行こうと思いました。
ここはいいスレッドですね。ありがとう。




98 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 07:55
給食だけどさ
じゃがいもをオレンジジュースで煮たという
奇怪な代物がでて、それが極めてまずかった。
一体誰があんなまずいものをこの世に送り出せたのかと
長年思ってたが、こないだ知人が作った「芋のオレンジ煮」
なるものを食べたら、めちゃ美味かった
給食のやつとは全然違う。
なんでこんなに差が出たのかしらね〜と思ったよ


99 名前: 若き日の過ち 投稿日: 2000/03/13(月) 08:52
二年前の誕生日、主人に嘘をついて恋人ととある山荘にいました。
浮気のつもりが本気になり、彼と一緒に死ぬつもりだったのです。
奇しくも、恋人が私の誕生日のために料理を作りはじめた時、
山荘の扉が開いて主人が現れました。言ったのはただ一言。
「帰ろう。」それだけ。私を詰るでもなく、私の恋人を殴るでも
なく。それから三時間、車に揺られて自宅まで戻りました。
無言の車内でしたが、どんなにショックをうけていても、空腹
にはなるものですね。ぐーぐー私のお腹が鳴っているのが聞こえた
のか主人は寂れた町に立ち寄り、ファーストフードのドライブ
スルーでハンバーガーとポテトフライを買ってくれました。
「食べなさい」とまたまた一言だけ。普段はファーストフード
なんて大嫌いな彼なのに。私はハンバーガーをかじりながら、
何がおかしくて自分の誕生日に、車の中でファーストフードの
ハンバーガーを食べなきゃいけないんだと考え、泣けて泣けて
仕方ありませんでした。
主人に謝ることが出来たのは、ハンバーガーを食べ終わって
やっと一息ついた頃。一緒に死のうとまで心に決めていた彼
とはそれ以来会うこともありませんでした。彼が作ってくれて
いたドイツ料理も、覚えているのは匂いだけです。
結局私は主人のもとに残り、十年経った今は何とか普通に
暮らしていますが、今でもあのハンバーガー・ショップ(チェーン
店)の看板を見かけると申し訳ない様な、切ない様な思いが胸一杯
に広がり、鼻の奥がつーんとして視界がぼやけてきてしまいます。


100 名前: >99 投稿日: 2000/03/13(月) 11:33
真面目に読んでたのに最後の4行でハラかかえて笑っちゃったよ〜



101 名前: 茶々 投稿日: 2000/03/13(月) 12:24
彼氏が中古だけど車を買ったので、ドライブで海に行こう!
という事になりました。
車の中で食べようと、浜辺でつぶ貝の醤油たれの串焼きを買って
隣で彼氏が運転して、私は串焼きを食べていました。
串焼きはおいしくて夢中で食べてたら、片手でもっていたスチロール
のトレイが傾いて、座っているシートにもちょっとタレがこぼれて
しまいました。
しまった!と思いあわててウェットティッシュでふいても
染みは取れません。車内に甘辛いたれの匂いが広まっていって、
彼に申し訳なくて半泣き状態で謝ったら、突然彼は運転しながら
大笑いしはじめました。
「夢中で食べているから、いつかこぼすと思っていたんだよ」
「だったら、一言言ってくれれば良かったのに」
「車は中古なんだから別に気にしなくていいよ。
おいしそうに食べているから、邪魔したくなかったんだよ。」

うれしくて、申し訳なくて、心の中がじわーんと暖かくなったのを
覚えています。


102 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 14:06
>茶々さん
ええ彼氏ですなぁ。大事にしてね。


103 名前: >99 投稿日: 2000/03/13(月) 14:19
創作よろめき料理モノですな。
イイ線まで行ってたのに時空が・・・・
2年前と10年前統一してほしかった。

よって6点!


104 名前: nora 投稿日: 2000/03/13(月) 15:15
オレの叔母の作るカレーライス。
ウチは喫茶店なんだけど共働きなので、子供の頃は叔母の家に預けられてた。
その叔母の作るカレーが大好きで、20歳を過ぎた今でも近くに用があるたびに叔母に電話をかけ
「叔母ちゃんのカレー食いたいから遊びに行くよ」って、甘えます。
すでに子供も独立して、叔父も亡くなっているので1人暮らし状態の叔母は
遊びに行くといつも喜んでカレーを作ってくれます。
正直、喫茶店のウチのカレーよりも美味いんだな、これが。

叔母ちゃん、長生きしていつまでもカレー作ってくれよ。
また遊びに行くね。



105 名前: まんぼう 投稿日: 2000/03/13(月) 15:35
>103さま
103様が指摘してくれるまで、99の何がおかしいのか全然わかりませんでした。そういやそうですね。ちょっとは感動したのにな。

砂糖が貴重だと思っていたばあちゃん。
ばあちゃんの作る「イチジクの甘露煮」はきれいなワイン色だけど、歯が浮くほどの甘さ。
でも、私や弟が遊びに行くといつも出してくれるので、そのとき
だけは「やせなきゃ」ということを忘れて食べていました。

ばあちゃんは同居していた嫁の愚痴もこぼしたことも、他の
誰かの悪口を言うこともない、楽しみといえば年に一回
町内の老人会で温泉に行くことくらいの、控えめな人でした。

ある時、ばあちゃんと一緒に住んでいるいとこ、いとこの友達、
私とで遊んでいるとき、いとこの友達が遊びのルールについて
けちを付けたので、「そんなに文句があるなら、もう帰れば」
と言ったら、ほんとに帰ってしまった。
事情を知ったばあちゃんは私に、
「おめ、なんでそんげこと言った・・・。」とだけいった。
ばあちゃんに怒られたのはそれが最初で最後だった。

8年前、ばあちゃんが死んだとき、香典の中で、
誰も(ばあちゃんの子供、孫たち)知らない名前のものが
いくつかあった。おばさんは、
「きっと、ばあちゃんが作った野菜をもらってくれた人だろ」
といっていた。

どこかの庭で、もがれていないイチジクの実をみると、
地味だけど、暖かかったばあちゃんの存在と重なって、
イチジクの甘露煮の甘さと歯のうずきと、友達を追い返した
後悔が一緒になって思い出されます。





106 名前: ロールケーキが100円だった時代 投稿日: 2000/03/13(月) 15:39
はじめてのお使いだと思う、母に朝のパンを買ってきて、と100円を渡された。
当時食パンが100円もしなかった時代だと思う。
100円を渡された俺は必死で100円の値札のついたパンを探した、
「お釣り」というシステムを知らなかったからだ。
やっとの事でジャスト100円の商品を見つけた、それはロールケーキだった。
それを買って帰ると、なんでケーキなんか買ってきたの、と思い切り叱られた。
お釣りとか引き算とか、まだ教えてもらってなかったのに...
トラウマ。


107 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 15:59
せっかくいいスレッドなのに作り話しないでよー>99


108 名前: 99です 投稿日: 2000/03/13(月) 16:05
・・・本当は10年も昔の話だったのですが、それじゃ年がばれる
と思い、2年と脚色したのに、やはり最後でぽろりと本音が・・・;。
せっかくいいツリーで、こちらも恥ずかしい話を(拙い文ながら)
書き込みしましたのに、意図しなかったこととは言え、テンション
落としちゃって申し訳ないと思っています。見栄をはった馬鹿(の上に
ばばあ)ではありますが、創作、ネタではありませんので、お許しいただきたいと
思います。m(_)m。

なんかでもこのツリーっていい人が多いみたいで嬉しいです
(他の掲示板だったら今頃叩かれまくりですよね)。いい年
して大泣きしながら読んでいますので、私の大ボケに構わず、これ
からもいいお話をどんどんよろしくお願いします。


109 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 16:32
>107

創作でも楽しめればいいんじゃないの?



110 名前: 遠野  投稿日: 2000/03/13(月) 16:41
56>57,58 謎の食い物情報ありがとうございました。
アケガラス・・は市販されますか? もう少し詳しく知りたい。
胡桃ではなく節分の豆のようなのが混ぜてあったのもありました。
乾かした草で綺麗にいくつも結んであったので「飾りもの」の可能性も
捨てきれてなかったのです。・・・とりあえず食べ物でよかった(^_^;)
別スレたてたほうがいいかな。


111 名前: !WU? 投稿日: 2000/03/13(月) 17:41
ほんとにみんないい話ですね。
感動話もくすっと吹き出しちゃうのも、みんなみんな好きです。
毎日ここを見るのがとても楽しみです。
心があったかくなります。
「日本一あったかい食べ物の話」って本が出せそう。(^_^)



112 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/13(月) 18:47
42の話を書いたとき、「あの頃なにかもっと重要な思い出があったはず」という思いが拭えませんでした。それを思い出したのでちょっと長いですがよかったら聞いて下さい。

小学校3、4年のころ私には同じクラスに親友が1人いました(42のカード仲間とは別)。毎日、学校にいるあいだはもちろん、家に帰ってきた後も空き地や空き家に入って基地づくりなどをして遊んでいました。私が住んでいた町は、その頃市街地の拡大の波が押し寄せていて、空き地や空き家が多かったのです。

空き地に捨てられた廃材を使って、いつになく大きな基地を作り上げたことがありました。基地は2人だけでつくったものでしたが、だいたい出来上がったころには興味を持った近所の子供も集まってきていました。私は完成した基地の中でまずなにをするかについて親友に提案しました。私がスーパーまで行って私のおごりでアイスを買ってくるから、そのあいだ基地を守ってくれ。親友は喜んで、「○○出撃せよ」と隙間だらけの基地の中に潜り込みました。

(つづく)


113 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/13(月) 18:49
私がカップのバニラアイスを2つ買って帰ってくると、基地の中にいたのは中学生でした。親友は中学生に追い出されて私の帰りを待っていました。私にも中学生を相手に文句を言えるだけの勇気はなく、どうすることもできずに中学生を見ていました。中学生は私がアイスを持っているのに気づき、「お、くれるのか」と言いました。そのとき私は何を考えていたのでしょうか。どうしても思い出せないのですが(この思い出自体もしばらく忘れていたのです)、おそらく私は平静を装い続けたかったのでしょう。私は躊躇なく「あげるわ」と答えて大切なアイスをひとつ、へらもつけて中学生に渡してしまったのでした。残ったひとつをどうしようか、もともと俺が買ったアイスだし、早く食べないと溶けてしまうなどと考えているうちに親友はどこかへ行ってしまったので、私は基地のことを中学生に説明しながらそのアイスを食べてしまいました。

中学生が帰ったあと、親友が現れて、口にした言葉の音声がいまも耳に残っています。「食べ物のうらみは一番だからな」

私は小5になる前にその町から引っ越しました。その一件で疎遠になってしまった親友には中学生になってから一度だけ会いましたが、ほとんど話すことがありませんでした。あんなに毎日一緒に遊んだのに最初に思い出すのはバニラアイスのことでした。住宅地だったその町は現在では繁華街に吸収され、マンションやホテルや遊戯施設や飲み屋ばかりになってしまい、私の子供の頃の風景はもう残っていません。


114 名前: >110 投稿日: 2000/03/13(月) 19:28
遠野の名産品を案内したサイトがあります。
明けがらすは、ここの「和菓子1」にありますよ。
http://www.shokokai.com/tohno/


115 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 19:47
小さい時、うちは両親が共働きで、土曜日とかはおばあちゃんにあずけられていました。
「今日は休みだから遊べるよ」といった父にとても私は喜んでいました。
だけど、急に仕事が入り出勤することに。がっかりしていると
以前、料理番組でやっていたコロッケをつくって、私に持たせてくれました。
そのコロッケは普通のコロッケなんですけど、パセリの茎をさして
みかんのようにするものなの。
忙しい中、作ってくれた父に感謝。


116 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 20:51
中学高校と体育会系だったのでいつも死ぬほど腹を減らしてた。
途中で間食もしていたが家に帰る頃には空腹でほとんど倒れかけになっていて、
風呂より着替えより何よりもまずメシ、という状態だった。
熱い汁物は喉を通らないので牛乳のリッターパックを片手にご飯を
掻き込み、定食屋換算で4人前くらいのおかずと4合の米(+牛乳1リットル)
を平らげた。母親は呆れて、いつも
「誰もとらないんだからもっとゆっくり食べなさい」
と言っていた。
父親は晩酌なんぞをしながらその姿を面白そうに眺めていて、
んで
「じゃ、俺も少し飯にしようかな」
かなんか言う頃には(四合炊きの釜なんで)飯は当然残ってない。
母親が申し訳無さそうにそう言うといつも決まって父は笑いながら
「いいよ、じゃあ蕎麦がきでも作ってくれ」
(*そば粉を丸めたもの)

腹が減っている間はヒトの事など構っている余裕はないが、
満腹になった頃に(ほぼ毎日のように)展開するこの光景を
どことなく心苦しく思っていた。

高校を出て家を離れ十年近く経ったいまは割と人並みの食事量になったが
蕎麦がきと言う言葉を聞くとなんとなく肩身が狭い感じがする。
(……いや、父親はまだ健在なんですけどね)


117 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 23:26
しかし、あの頃の食べ盛りの時代の食欲って
我ながら凄かった。とにかく食べまくってたなぁ

ウチの両親は、俺が昔に比べて食べる量が減っていくのを
しきりに食卓の話題にしていたが
多分、俺の食事量が減っていくのが、俺が成長していってるってことで
嬉しかったのと、自分たちがそのぶんトシをとっていっているのを
再認識する材料になってたんだろうな、と思う。


118 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 03:56
なんて気持ちのいいスレッドなんだ


119 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 06:36
ってことで、あげ!!


120 名前: >117 投稿日: 2000/03/14(火) 07:31
あと、昔の豪快な食事量がなつかしい、てのもあるでしょうね。
なんかいいご両親だねえ。大切になさってね。


121 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 10:07
毎日一回ここを見て、爽やかな気持ちになります。
ささ、もっと続けてください。
次の方どうぞ。



122 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 15:05
子供のころから唐あげが大好きだった。
ある日学校から帰り、急に食べたくなり、母にすごくせがんだ、いつもなら「明日ね」とあしらわれるのだが、その日はあまりのしつこさに「もう、わかった、わかった」とお皿にどっさり作ってくれた。
そして母は買い物に出かけていった。
その帰り母は事故にあった。買い物袋にはまだ
食べ盛りの子供に食べさせるためだろう、鶏肉と唐あげ粉が入っていた。もう二度と味わえないあの唐あげ。





123 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 15:49
中学生の頃、悪さ仲間と家に溜まってた時友人が「お腹空いた」
と言うのであり合わせの材料でチャーハンを作ったんです。
そしたらみんな美味しいって平らげてくれて嬉しかった。
その後も数回家に来て「あんたのチャーハン美味いから食べたい」
って言われて、その度にぺろりと食べてくれた。

その頃の仲間とは仲違いしたり離れたりで誰一人として付き合い無いけど
たまに作るとその頃のこと思い出したりして懐かしい気分。


124 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 16:35
唐あげと、「美味しい」っていう言葉で思い出しました。
子供の頃、友達の家に泊まりに行きました。晩御飯は私の大好物の唐あげでした。
その家のおばさんに「おばちゃんの唐あげとお母さんの唐あげと、どっちがおいしい?」
と聞かれました。私は躊躇なく「お母さんの唐あげ」と答えました。
おばさんは、ちょっと悲しそうな顔をしながら、何度も「本当?
お母さんの方がおいしいの?」と聞きましたが、その度に私は
「お母さんの方がおいしい」と答えました。
その後、おばさんが入院しました。お見舞いに行きましたが、
私は病室のドアの所までしか入れてもらえませんでした。
遠くの窓際のベッドでおばさんは横たわっていました。
おばさんは、びっくりするほど小さくなってしまった顔をこちらに向け、
泣きながら「○○ちゃん。元気でね」と私に向かって言いました。
あの時、おばちゃんの唐あげの方がおいしいって言えばよかった。
そんな嘘をついたからって、バチが当るわけでもないのに。
おばちゃん、私の大好物の唐あげを一生懸命作ってくれたのに、
悲しませてしまって、本当にごめんなさい。


125 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 17:33
それは敗戦の時。夫はロシア兵に連れて行かれたまま帰らず、
やっとの思いで一人娘を連れて日本に帰り着いた。
頼りの姉は、家族で東京から疎開していて連絡が付かず、
すがる想いで故郷の親戚を訪ねていったら、おばさんは、良く帰ってきたねと白いご飯を炊いてくれた。
それを見たとき、ほかほかのご飯の香りで、ああ、日本だ。内地に帰ってきたんだと
今まででなかった涙がぼろぼろあふれてきた。
手を合わせてから、箸を付けた。何年かぶりの白いご飯は本当に美味しかった。
しかし、ふと気づくと娘は少し口を付けただけで食べようとしない。
国民学校にちょうど1年生で通い始めたところで敗戦を迎えたのだが、
3月生のせいか体が小さい。やっと帰ってこられたのに、
こんなにおいしいご飯を食べる力も無くしてしまったのかと思い、
ご飯を食べれば力も元気も出るから食べなさいというと、
「このご飯美味しくない。あたし、黄色い普通のおいしいご飯が食べたい。」といった。
娘は、満州生まれだからコーリャン飯の方が白飯よりもなじんでいたのだ。
その言葉を聞いたとたん、なんだかあれやこれや色々な思いが一時に胸にあふれてきて、
私はまた泣いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

漬け物だけで何倍もご飯をお代わりする私を見て、
「おまえは、あの子の娘なのに、ほんとうに白いご飯が好きだねぇ。」と、
この話を何度も何度もして、そのたびに泣いてた婆ちゃんも、もういない。


126 名前: 独歩さん 投稿日: 2000/03/14(火) 17:38
さめざめ


127 名前: >124 投稿日: 2000/03/14(火) 17:41
子供の時って正直過ぎる故の残酷さってあるよね。
大人になってからそれをとても感じる。
子供心にお世辞とかっていえないのかもしれないけど、後悔した時には
いうタイミングを失ってしまったり。せつないね。


128 名前: >122さん 投稿日: 2000/03/14(火) 18:17
号泣。(T_T)



129 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 19:20
ばりばりのキャリアウーマン(のはしり)だった祖母は料理は全く駄目。
三度の食事はいつもお手伝いのおばさんの仕事でした。ところが祖父が
死の床に就いた頃、祖母は自ら台所に立ち、料理らしきものを作って祖父
のもとへ運んで食べさせてあげるようになりました。
私は当時五歳か六歳。祖父を見舞いに行ったら、ちょうど祖母が昼食の
用意をしているところに出くわしました。
「ああ、ちょうど良かった。加奈子も食べて行きなさい。」
祖母の手料理なんて食べたことがなかったので、期待と不安でいっぱい
でした。で、出された料理は、お味噌汁の中にご飯が入っていて、煮込んで
ある奴でした。しかも、まずい。
「おばあちゃん、これ、全然おいしくない」
一口だけ食べて投げ出してしまった私に謝りながら祖母は同じ食事を
祖父のもとに運んでいきました。お匙にその雑炊(もどき)をとって
祖父に食べさせてあげている姿を、私は黙って見つめていました。
「うん。うまい。うまいなぁ」
祖父はにこにこしながら与えられた食事をおいしそうに食べています。
子供心にびっくりしたのを覚えています。その後、こっそり居間に戻り、
冷たくなった残り物の雑炊(もどき)を食べてみたのですが、やっぱり
まずかった(笑)。
でも今でも、嬉しそうに「うまいなぁ」と言って妻の手料理を食べていた
祖父の姿と、誇らしげに食べ物を口に運んであげている祖母の姿が忘れ
られません。あの、煮過ぎで辛くなった雑炊(もどき)の味も・・・。


130 名前: もう15年前 投稿日: 2000/03/14(火) 20:02
親元を離れ、就職のため上京した私の唯一の頼りは、1年先にやはり
就職でこちらにきていたものすごく仲の良かったひとつ年上のいとこ。

まだまだ生活に慣れない梅雨の頃、職場に突然親から電話が。
「いとこの○ちゃんが倒れたらしい。近くにいるのはお前だけだから
行ってやってくれ。」
上司に事情を説明し、病院へ。病床には弱りながらも意識のしっかり
した彼がいた。
別室で医者に事情を聞くと、ずいぶん前から心臓が弱り続け、もはや
手のつけられない状態だと。

さっき話した彼には、死なんて認識はまったくない。中学で母を亡く
した彼へのさらにひどい運命のしうちに声にならない叫びをあげ拳で
壁を殴る私。
駆けつけた彼の父が残り、その日は寮に帰った。
もう会えないとはわかっていたが、そばにいるのは辛すぎた。

夜中に叔父から電話があり、「死にました」ポツリと告げられた。

翌々日駆けつけた彼の妹とうちの親たちと、悲しみながらも慌しく簡単な
葬儀を行なった。そして、彼は小さな骨壷になって妹に抱かれ新幹線で
帰郷した。

見送りの新横浜で、親が崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買ってくれた。

新幹線を見送る雨上がりのホーム、ポツンとひとり残された私。
大げさだがこの世でひとりぼっちになった気がした。

寮に帰り、途方にくれながら1人で食ったあの弁当、味はしなかった。


131 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 20:22
鬱病の私にはへヴィなお話しの数々でした。
皆さんどうぞ一食一食の食事を大切にして下さい。


132 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 21:34
会社で読んでて泣きそうになってしまいました。
欠伸の振りしてごまかしたりして……



133 名前: >124 投稿日: 2000/03/14(火) 21:47
ごめん、私そのおばさんより、124さんの方がかわいそう、って
思った。
>「おばちゃんの唐あげとお母さんの唐あげと、どっちがおいしい?」
これに対して124さんが「どっちもおいしいよ」っていえばよかった
んだよなぁとも思うけど、そのおばさんが普通に「おいしい?」って
聞いたら124さん絶対素直に「うん!」って言ってただろうにな、
って思って(泣)。結局おいしかったんだよね。その唐あげ自体は。


134 名前: 昨日の話 投稿日: 2000/03/15(水) 01:31
「ホワイトデー何欲しい?」と聞かれたので
「マシュマロ一箱」と答えました。
一箱までは行かなかったけど、なんのひねりも無い
白いマシュマロを3袋と、目覚まし時計をくれました。
雑誌に載っているような気の利いたプレゼントなんて
出来ない彼がちょっとかわいい。
たいした話じゃなくてごめんなさい。


135 名前: ふと思った 投稿日: 2000/03/15(水) 01:49
伊丹十三の「たんぽぽ」
なんてどうですか?


136 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/15(水) 16:07
あげー。


137 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 06:45
ここに書きたい思い出がひとつあったのだが
思い出してみるとあまりにも辛すぎてどうしても書けない。


138 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/16(木) 13:15
>137 そんなに辛い食べ物があるのですか?


139 名前: へほほ 投稿日: 2000/03/16(木) 13:56
まだ、港北ニュータウンが造成地だった頃
初めて母親とピクニックにいったのよ。
たぶん、幼稚園くらいの頃かな。
田んぼやら草原しかないようなところを
てくてく二人で歩いているだけだったんだよね。
でも、自分は、母親と二人でピクニック、ってだけで
なんだかものすごくうれしくて、そのときは
単純に近所を散歩、ってのと変わりなかったんで
お弁当なんか作るわけも無く、そのへんの店で
菓子パンとかジュースとかそんなもんだけ買って
持って行ったんだけど、途中、一休みして食べた
チョココロネがすごくおいしくて。
外で物を食べて、おいしいと思ったのは
あれが始めてだった。
チョココロネを見るとあの時のことをいつも
思い出す。


140 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 15:29
井川比佐志の妻が瀕死の床から立ち上がり
飯つくるシーン。僕も思い出しました。
それとも生卵口移しを思い出したんですか?


141 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/16(木) 16:07
>名無しさん そのシーンは実に日本的で余韻がありました。でも「たんぽぽ」ときいて私が思い出したのは、後者でした。ナインハーフ(だったかな?)を見たとき、「たんぽぽ」のパクリだと思ったものです。


142 名前: 投稿日: 2000/03/16(木) 16:15
兄と私と小学高学年から中学の頃。真夜中も真夜中深夜2時頃
毎晩酔っぱらっての父ご帰還。接待だかなんだか知らないけれど
その頃事業は絶好調だった。
「おーい起きろぉ寿司だぞ」毎晩決っておみやげの折。
中身は梅しそ巻だけの折。その梅はコリコリカリカリで刻んであって
あんな梅にはお目にかかれないな。
こっちは寝てるのに起され毎晩同じ折なんで適当に食べたり食べな
かったり。いいかげんにしてよと有難みもなかった。
ある遠足の日お弁当箱開けたら梅しそ巻が入っていたりして。
随分はぶりよくやってきた父だけどおきまりの没落して,最後の最後は
都会のアパートで一人で逝っちゃった。
今でも梅しそ巻食べると,「これはホンモノの梅しそ巻じゃない。梅は
カリカリした刻んだものでないと」などと思っています。
兄もそういうそうです。


143 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 16:18
>141 逆だよ。「たんぽぽ」が「ナインハーフ」をぱくったの。


144 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/16(木) 21:18
なるほどその可能性も高いね。どっちが先にできたのかな。「たんぽぽ」の製作は1985年らしいけど。私は先に「たんぽぽ」見たので「ナインハーフ」が真似したと思い込みました。あまり邦画を贔屓にしない私ですが、「たんぽぽ」のほうがずっと良いと思います(比較するのが無理かも知れませんが)。久しぶりに見てみようかな、たんぽぽ。


145 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 21:51
>144
頻繁に現れて殆ど食事と関係ない話ばっかするのはやめてけれ。
いちいちレスに反応しなくて良いからさ。
改行もしてないから読む気失せるのよ。
これにもレスしないでけれ。


146 名前: まだ思い出じゃないんだ 投稿日: 2000/03/16(木) 22:06
ねえ。悲しい時でも辛い時でも、やっぱりごはんって食べるよね。
でないと生きて行けないものね。
私は先週とてもとても辛いことがありました。しばらくは何も食べれ
なかった。でも今日はちゃんと3食食べてた。だって私の気持ちとは
関係なく、おなかがすくんだもの。なぜかおかしかった。
今はとても言えないけど、いつか、みんなのように、思い出として
つらかった気持ちを文章にできたらいいな。
おいしいごはんを食べたいな。


147 名前: ぷるぷる 投稿日: 2000/03/17(金) 00:44
ここを読んでいると、涙が流れてしょうがありません。
食べ物って一番身近なもんだから、みんないろんな思い出があると思います。
じゃあ、俺もひとつ。
父が自分で作った、前の晩から水に浸していた大豆をミキサーにかけて
煮ました。それを煮てみんなで綿の布でこしました。
それから、わざわざ沖の海から汲んできた海水を入れるとおぼろ豆腐になりました。
それに塩をかけてみんなで食べたのを覚えています。
父はもういませんが、美味しいものを子供に食べさせようとしていたんだと
思います。感謝です。



148 名前: 明日もキャベツ・・・ 投稿日: 2000/03/17(金) 01:30
親元を離れてしみじみ思ったこと。

親はいつも子供を心配していて、あらゆることに直接首をつっこんでは
こないかわりの間接的な愛情(心配)表現として一番多いのは食事のことでしょう。

大人の年齢になった自分が、大学で遠く離れた地域にいる妹に
宅配便として送るものがそこいらのコンビニで買えるような
食べ物類ばかり・・・。
親と同じ行動をしていた。

そういう私も親に食べ物をよく送ってもらうんですが、
一人暮らしの私にかぼちゃ7個・キャベツ3個・白菜2コ・大根2本は
ちょっと食えんわ(笑)、おかん。
腐らしたら捨てればいいっておっしゃるけどね、せっかく送ってくれた
あなたの「きもち」を捨てる気がして捨てれないのよね〜。
だから送ってくれたその日から当分、3食白菜食ってるときあるよ(笑)

しかし、すばらしい、すばらしい、このスレッド。
日々の生活で汚れがちな心の洗濯ができるよ。
ずっと残っててね、ココ!


149 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 02:30
>56,110さん
きのう、お昼休みに八丁堀をぶらぶらしてて
青森物産センターってとこに入ったんです。
そしたら、どうも遠野さんのおっしゃってる
謎の食べ物はこれじゃないかなってのがあった。
それは、ズバリ「干し餅」。
ラベルには、四角い白いのを藁でくくって
軒先に吊るしてる絵が。
食紅をまぜこんで筋模様をつけたり、あろうことかバターで!風味を
つけたりと、いらんことはしてあったものの
味は、さくさくしてうす甘く、ほんと、パイみたいにこぼれる。
腰の弱いおかきというか、なんか、遠野さんの説明と
符合するとこがすごく多いものでしたよ。
違うかなー。



150 名前: K子 投稿日: 2000/03/17(金) 03:03
小さい頃。お父さんが日曜夜はお好み焼きを焼いてくれた。
すごくはりきって、「K子、たくさん食べや」って言って、
焼き方、材料、鉄板にまでこだわって。美味しいもの私に食べさせたかった
んだろうな。

それなのに「お父さんはちゃんと育てられてないんや。悪いけど両親から
下品に育てられてるんちゃうの?」
なんて食べ方のささいなことで言ってしまった。悲しそうな顔してたお父さん。
戦争中、疎開先に親が迎えに来てくれなくて、ひとりですごく遠いとこから歩いて
帰ってきた話も知ってる。いいもん食べさせてもらえなくて身体小さくていじめられたから、
娘にだけは小さい頃からおいしいもの食べさせようとしてくれてた。

あんなことどうして言ってしまったんだろ。
自分が許せない。ごめんなさいって言いたかった。もう遅い・・・。


151 名前: 黄金飴 投稿日: 2000/03/17(金) 04:01
昔、自分が小学校卒業したあとに、自宅を新築することになり、
少し離れた場所の借家に移り住んだ。
その頃によくなめていた黄金飴という飴を食べると、
その頃の思い出が甦ってきます。
中学校の入学式の次の日は休みだと母に言われて休んだら、
担任から電話がかかってきてびっくりしたこと(母の勘違いだった)
冷暖房がなくてつらかったこと。
しきりがなくてストレスがたまったこと。(1人Hがやりにくかった)
ゴキブリがでてこわかったこと。
母方の祖母と父親がケンカして父親が自分の両親の家に行ってしまい、
何ヶ月か別居していたこと。
などなど。
そして半年以上が経過して無事、家は完成し、家族は新しい家に引越し
した。その後その借家は取り壊されて、駐車場になった。
高校生の頃に同じ黄金飴を食べてみたらば、
中学に入りたての思いでがぶわーって広がってきて、
とても切なくなりました。



152 名前: >150 投稿日: 2000/03/17(金) 06:18
号泣。
俺もオヤジの作ってくれたこげた卵焼きまずいなんて言わなきゃ良かった。
食えば良かった。今親になってあのときの親父の気持ちわかるようになった。


153 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/17(金) 09:36
>150 泣ける。普段かまってやれない分反省してはりきりすぎて娘にカウンターを食らう父親の悲哀がよく伝わってきます。

>145 おまえもな。

(ナインハーフも1985年製作のようです。従って、どちらかが他方をぱくったということはなさそうです)


154 名前: >148 投稿日: 2000/03/17(金) 10:59
その「きもち」、すごくわかります。

一人暮らしを始めてもう4年。今でも、たまに実家から荷物が届く。
みかんの絵のダンボール箱の中身は、
おせんべい、チャーハンの素、レトルトカレー、豚肉こま切れ3パック、りんご1袋などなど。
荷物が届いたのを見計らったように実家から電話が。
「ごめんね、なんか取り留めのないもの送っちゃって…」と謝る母。
「あんなに肉食べきれないよ」とか、「レトルトカレーならいっぱいあるのに」とか強がってみる。
すると母は必ず、取り繕うような口調で「冷凍しとけば」「いっぱいあっても困らない」とか言い訳を始める。

でも、取り留めないものでも、送ってくれた「きもち」が嬉しい。
「ありがとう」、なかなか言えないけど、今度、言ってみるか。

…食事の話じゃないですね、すみません。



155 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 12:50
ココいいね・・・・
2CH暦半年位だけど・・・
こんなにいいスレッドは初めてみたよ!



156 名前: !WU? 投稿日: 2000/03/17(金) 12:56
おなかすいた、でもなにもないや、、、と思った瞬間に思い出すのが、おかんが送ってくれたインスタントラーメン。
普段「インスタントなんて食べると身体壊すよ!」って言ってるのに、なぜか送ってくる荷物の中には必ず入ってる。
きっと自分のものぐさな性格を見抜いてるんだろう。
茹でただけのラーメン、具もないラーメン。
だけど送ってくれたおかんの顔を思い出すと、おいしく食べられるんだから不思議なもんだ。
母の日にはおいしいもんでもこっちから送ってあげたいな、と思う。


157 名前: けん 投稿日: 2000/03/17(金) 17:35
うぅっ!なんて仕事効率を落とすスレッドなんだ。
少しずつ読まないと大泣きしてしまう。
俺の仕事はどうでも良い!(2ちゃんを見てる時点でもうダメだが)
続けてくれ!感動を!!



158 名前: マヨラー 投稿日: 2000/03/17(金) 18:24
えーと、子供のときに両親が別居していて
私達姉妹は母と一緒にに暮らしていたのですが
別居して2年目に父が東京から私達に会いに来てくれたのです。
3日ほどですが一緒に過ごすことができました。
父はその時の夕食の為にマヨネーズを作ってくれました。
私と姉も手伝って・・妙にはしゃいだのを覚えています。
とってもたくさんのマヨネーズができました。
その味はなんとなくしか覚えていないけれど
手作りマヨネーズと聞くと今でも胸がジンジン痺れます。
あれから両親が離婚して17年もずっと連絡とれずにいるのですが・・

とにかく、それから私はマヨラーです。
下手な文ですいません。



159 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 18:45
>158
お父さんと連絡・・・いつか取れるといいですね。
私も両親が離婚してお父さんと連絡取れない状況ですが。
きっとお父さんもそのマヨネーズの味、思い出す事
あるんじゃないかなぁ。



160 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 19:24
>明るい田中麗奈 さん
だれかが共感してくれのは、いいことだと思う。
だから続けてくださいね。

私の中にも、何か話があるのでしょうけど
思い出すのが恥ずかしくて出てきません
いつか出てきたら書かせていただきます。
こういうスレッド他でも作ったらいいね。
「思い出に残る●●シリーズ 感動編」


161 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 23:47
このスレッドは大好きなんだけど、
145の言うように明るい田中麗奈って人が雰囲気を壊してる。
なに仕切ったつもりになって無駄レスつけてるの?
それと、お願いだから改行ぐらいしてください。

お前もな、っていちいちレスつけなくていいよ。
私は前にネタ書いたら今回は文句だけ、明るい・・さんもネタは良かったけどね(笑)


162 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 23:51
なんで食べ物のはなしで
こんなに面白いのかはふしぎですね〜

食べ物が人と人とを結んでいる部分が
あるのは知っているけど…これほどまでとは。

中国では毎食絶対、家族と食べるという話を思い出しました。
昼、子供は学校から家に帰ってくるらしい。
(みんながみんなという訳ではないと思うが…)

それほど大事という事らしい。(何を置いても食が一番)


加えてもう一言、、、「2ちゃんも、捨てたもんじゃないじゃん!」


163 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 23:55
親しくなりたい人を食事に誘う訳が分かった気がする。


164 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 01:15
いつも田舎のおばあちゃんは仏壇に毎朝炊き立てのご飯を
供えるのが日課でした。夕食にはいつもその日の朝に供えた
ご飯を食べていたそうです。僕が物心ついた頃にはカチカチの
ご飯を食べるのが辛い年になってしまい、お茶漬けにして
「ごはんですよ」を混ぜて食べていたのを覚えています。
そんなおばあちゃんが5年ほど前に事故で死んじゃいました。
買い物の帰りだったらしく、買い物のビニール袋の中に
傷だらけの「ごはんですよ」が入っていました。
お葬式も終わって、家族みんなでその「ごはんですよ」で
お茶漬けを食べました。涙がいっぱい、いっぱい出ました。



165 名前: 嫌なガキだった 投稿日: 2000/03/18(土) 02:47
小学校の卒業記念に、両親はイチジクの苗を買って植えてくれました。
父と二人で、成長するのを楽しみによく木を眺めたものです。
それなのにいざ実がなって父がジャムを作ってくれると、そのジャムが
なんだか汚いような気がしたんです。鳥がつついたかもしれないし、
虫だって食べたかもしれない。それに父はジャムなんか作ったことは
ないはず、そういったくだらないことが理由でした。
結局私はほとんど食べませんでしたが、そのうちに引越しが決まって
木は切られてしまいました。今なら無農薬手作りジャムの良さも
わかるし、木を大事にしていた親の気持ちもわかる・・・。


166 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 03:02
彼の家に初めて遊びに行った時の事。
私の大好物の生麩を彼のお母さんが出してくれたので
ちょっと感激しながら1口食べたら、生麩の中に髪の毛が入ってた。
「うわっ!!」と思ったんだけど、そんな事言ったらわざわざ京都まで
買出しに行ってくれたお母さんに申し訳ないし・・・。
ここは根性の見せ所だ!と涙ぐみながらにっこり残さず食べた。
その後彼とは結婚しましたが、お義母さんは未だに
「あんなに感激してくれて、私も涙出ちゃったのよ〜」
と言ってくれる優しい人です。



167 名前: スイカジュース 投稿日: 2000/03/18(土) 03:51
まだ私が高校生だった頃、父の田舎に帰ったときに、
おじいちゃんがスイカジュースを作ってくれた。

おじいちゃんは呆けてて、ミキサーにスイカの皮まで入れて、
茶色いスイカジュースが出来上がってしまった。
それを、私に「飲め飲め」と進めた。
おばあちゃんも、両親も「そんな物飲まなくて良いよ」と言ったが、
私のために、畑で重いスイカを採ってきて、一生懸命作ってくれた
おじいちゃんに申し訳なくて、一気に飲み干した。
「美味いか?美味いか?」と何度も聞くおじいちゃんに、
「うん、美味しかったよ」と、何度も嘘を付いた。

数年後、癌で亡くなったおじいちゃんのお通夜に出席した。
「いやー、成仏してくれて、清々したわ〜」と、
どんちゃん騒ぎする親族を後目に、私は一晩中おじいちゃんの側で、
「スイカジュース、ほんとに美味しかったよ」と言い続けた。

あの青臭い、苦いスイカジュース。
今でも味を覚えてます。


168 名前: お好み焼き 投稿日: 2000/03/18(土) 04:22
それは叔母がホスピスに移る少し前のこと。
叔母は乳癌が再発して肺に転移し、余命数ヶ月と言われていました。
遠くの大学に通っていた私は、帰省したときに叔母を見舞いに行きました。
叔母はこの時すでに告知を受け、病院を離れ、実家に戻っていました。

私が訪ねたとき、叔母はときどき咳をしつつ、お好み焼きを作っていました。
思い残すことがないように、食べたいものを食べておくのだと。
「○○君もどう?」 私の分も作ってくれました。
そのお好み焼きは本当に美味しかった。でも、
(あと数ヶ月でこの人はこの世から居なくなってしまうのだ。四十代の若さで)
そう思うと、悔しくて、悲しくて、胸が詰まってしまい、
私はほんの数口しか食べられませんでした。どうしても食べられなかった。
ごめん、さっき家で昼ご飯食べたからと言い訳すると
そう、と叔母は寂しそうに笑いました。

結局、これが今生の別れになってしまいました。
叔母を偲び、時折お好み焼きに挑戦することがありますが
どうしても、あの味には到達できません。
あのとき、自分も作るのを手伝ったのですが…
無理をしても全部食べておくのだったと、今でも悔やまれてなりません。


169 名前: へちま化粧水 投稿日: 2000/03/18(土) 07:00
みなさん、いいお話で、こんな朝から電車の音を聞きながら
ちょっとうるうるです。

私のは「いい話」じゃないけど・・・
彼とつきあって、初めてお泊まりした次の日。近所のイトーヨーカ堂で
二人でお買い物をして、「なんだか肉が食べたい」という彼のために
ステーキを焼いてあげよう、と思いつきました。
そう思って当時お金持ちだった(浪人中のバイトとかで)彼は
けっこういい肉をぽんとカゴに入れて、アパートに帰り、
わたしはごはんを作ってあげることにしました。
なにかステーキソースになるものぐらいあるだろうと思ってたけど
ひとり暮らしを始めたばかりの彼の部屋にはなんにもなくて、
サイコロステーキを焼いて、そこにおしょうゆをじゃーっとかけて
それを出しました。実家でよくやっていて、けっこうおいしいんですよ。
(強火でジャッとしょうゆをやるのがポイント)

彼はおいしいおいしい、って全部食べてくれて、どうやって作ったの?
って言いました。おしょうゆだけ、って言ったら、すごく感心してくれて
あとになって言うには「この子がいい」って、その時に思ったそうです。

いまでも彼は「ああいうのが食べたい」と言いますし、よく作ってあげるのですが
なかなか思い出の味、というものにはならず(笑)、「ちがう!」と
文句を言われます。でも、かならずおいしかったって残さず食べてくれる
彼のことが、私は大好きです。
実際私は、ステーキとか、いわゆる洋食より煮物を作ることが多く
彼も私の鶏じゃが、ブリ大根なんかを食べることのが多いです。
でも、「お前が作るめしばっかりで、他の煮物を食べるとなんか違う、って
いつも思う」って言ってくれて、なんかうれしいような、くすぐったいような。
昨日ケンカして「あなたのそういうのが大嫌い」って言っちゃったけど、
ホントは世界で一番好きです。ごめんね。


170 名前: へちま化粧水 投稿日: 2000/03/18(土) 07:10
ああ、長いしつまらない話を書いてしまった・・・

つきあってはじめての彼の誕生日に、ケーキを買おう、と思い
ふたりだけだし、とチョコレートケーキのちいさいのを買い、
お祝いしました。
そしたら、彼が「これじゃやだ」と言い出し、ケンカしました・・・。
彼がいうには、実家ではケーキを買って、なんてお誕生日はやらずに
大きくなったので、「白くて」「丸くて」「いちごがついてて」「チョコの
おめでとうプレートが置いてある」「ロウソクの立った」ケーキが
欲しかったそうです。子供だ・・・
とりあえず、次の日にご希望どおりのものを買って、無事にお祝いしたけど
でもケーキ屋さんでいかにもバースデーケーキフルコース!ってのを
頼んでおいて、「ロウソクは何本に?」って言われて「20本で」って
お願いするの、恥ずかしかったです。「は?」「ごめんね、20本ください」って。
いまでも彼のぶんのケーキはかならず白いやつです。絶対です。





171 名前: 二流サラリーマン 投稿日: 2000/03/18(土) 11:07
ギャンブル好きな父は、幼稚園に入ったばかりの僕の手を引き、
よく、日曜日、横浜桜木町の場外馬券売場に足を運んだ。
けれど、レースをするのはいつも途中まで。午後になると必ず
桜木町の駅に戻り、当時あったミルクスタンドで、
ホットドックを買って、僕に与えた。
ケチャップの甘辛い味と、やわらか歯ごたえが好きだった。
口の周りをケチャップで赤くした僕の手を引きながら、
いつも父の足は横浜港へ向かった。
空飛ぶカモメと港を行き交う船を見ながら、
港湾労働者だった自分の仕事を話をたくさんした。そして、
いつも最後は「この港が大好きだ。この港を支えるような大人になれ」
と僕の肩を掴んだ・・・。

あれから25年。期待にロクに応えられない息子で申し訳ない。
ギャンブルも酒も好きで、小さいアパート暮らしだったけど、
最後はマンションまできちんと買った。オレより遙かにしっかりしてる。
この間、風呂上がりに見た父の足のスネが、筋肉隆々だった面影もなく、
本当に細くなっていたのに驚いた。
ごめん、これから、もっと頑張るよ。


172 名前: 独歩さん 投稿日: 2000/03/18(土) 11:53
このスレッド読んで、昼飯前にひと泣き。ぅぅぅ。


173 名前: ぷるぷる 投稿日: 2000/03/18(土) 11:59
>独歩さん
私も潤潤しっぱなしです。
良いスレッドですね。



174 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 17:30
あげ。


175 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 18:58
10年程前、当時高校生だったTとオレとで山登りをした。
登山といえるほど本格的なものじゃ無いけど、テントを担いでいって
一泊の予定。
夜になり晩飯にはお約束のカレーを作って食った。頂上までは後少しだったし
荷物が重くなるのが嫌で食料はあんまり持ってきてなかった。
「とっとと寝て朝早く出発しようぜ。」
夜中になって自分達の甘さを思い知らされた。
春だから軽装にしたがその寒い事寒い事、とても寝てられない。腹も減ってくる。
歯をガチガチ言わせながらお互い泣きそうになってたらTがカップラーメンを2つ
持ってきたのを思い出した。周りから急いで木を集めてきて火をつけてお湯を焚いて
カップラーメンを寒さに震えながら食った。そのうまい事うまい事。
白い息を吐きながら「んとに美味いなぁ、今世界中でカップラーメンを一番美味いと
思って食ってんのは間違いなくおれ達二人だけだなぁ、はは」
ゲラゲラ笑いながら一気に食った。結局眠れずに色んな話をしたけど合間に「カップ
ラーメンを一番美味いというおれ達だけどな」なんて冗談を言い合ったりした。ゲラ
ゲラ笑いながら一晩中。ホントににうまかったんだよ。

卒業後の進路もバラバラで余り連絡もしなくなってた頃、Tが自ら命を絶ったことを
聞いた。理由はわからないし聞きたくも無かった。葬式には出れなかったけどTには
こう言ってやりたかった。
「馬鹿やろう。世の中にはカップラーメンよりももっともっと美味い食べ物が一杯あ
 るんだぞ。」


176 名前: まい 投稿日: 2000/03/19(日) 02:34
末の弟が幼稚園の頃、兄弟3人でパイナップルを
並んで食べていたら父が急に泣き出した事が
ありました。

私の父の父(私の祖父)は、終戦の前後、ある都市の
捕虜収容所に勤めていたそうです。
時々アメリカ軍の飛行機が飛んで来ては、毛布や
缶詰などの物資を落下傘で収容所の近くに落として
行くのだそうです。
もちろん、収容所に勤務するものがその物資に
手を付けるのは御法度でしたが、祖父は決死の
覚悟で(見つかったら、半殺しの目にあったとか)
パイナップルの缶詰を持って帰り自分は一口も食べる事無く、全部を7人の子供に
食べさせ、それをにこにこと見守って見ていたそうで
父は、当時、末っ子で5歳、「親父は、どんな
気持ちで、わしが食べるのを見てたのかと
思うと胸がつまる。」と、ぐっと来たそうです。
もともとからだが丈夫でなかった祖父は、3年後
結核で亡くなりました。

で、父の還暦のお祝いに親戚が、集まったとき
ちょっと、いたずら心が働いて
パイナップルの缶詰を、叔父や叔母達に出して
「お父さんたら、泣き虫で、これ見たら泣くしかなんわ」
と、祖父の話に水を向けると、兄弟皆が泣き出して
しまいました。「あんなに、ぼこぼこにへこんだ
缶詰を抱えて走ったお父さん、どんな気持ち
だったんだろうね。」とか、「学校に行って友達に
自慢したくても、お父さんに口止めされてたから
できなかったのよ」と口々に想い出話が、出ましたが
人の大切な想い出を、汚してしまったようで少し
後味が悪かったです。
ごめんね、お父さん。大切な想い出に、いたづら心なんか働かせて
と、すごく反省しました。


177 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/19(日) 04:20
何か、何かです。。。。
涙がいっぱいです。。。


178 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/19(日) 09:00
はじめて文章で泣いた。
ココっていいとこなんだと今気付いた。


179 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 02:31
おあげ


180 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 09:37
あげ


181 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 13:03
朝から夜まで働き通しだった母が忙しい時間の合間を縫ってつくってくれていたものだ。
そんな事はすっかり忘れていた一昨年、私は離婚して一人、今は母だけになった実家に帰った。
自暴自棄になり仕事も辞めていたから、実家で数日を過ごした。
毎晩黙って酒をあおる私を母は何も言わず、早く寝ろと促すだけで先に眠っていた。
ある日、昼過ぎまで寝ていた私が台所で酔い覚めの水を飲むとテーブルに何かあることに気付いた。
作り置きの冷えたオムライス。
メモがあって「用事があって出かけるから、これ食べなさい。」と書いてあった。
私はラップを剥がして、静かにオムライスを食べた。
懐かしさと、切なさと・・・色々な感情がまじって湧き出し、オムライスはしょっぱくなった。
私はその日、帰京する支度をして、また一からやりなおすと母に誓った。
今はまだ一人だけど、淡々とそれでも楽しく生きている。

口に出して言えないけれど……
お母さん、私は永遠にお母さんの息子です。
ありがとう。

近い内に、また帰省します。



182 名前: 181 投稿日: 2000/03/20(月) 14:40
書き込みミスりました・・・。

小学生の頃、一人っ子で、鍵っ子だったぼくの土曜日の昼食は冷えたオムライスだった。
毎週といっていいほど、ケチャップをつけてラップをかけたオムライスだった。
朝から夜まで働き通しだった母が忙しい時間の合間を縫ってつくってくれていたものだ。
そんな事はすっかり忘れていた一昨年、私は離婚して一人、今は母だけになった実家に帰った。
自暴自棄になり仕事も辞めていたから、実家で数日を過ごした。
毎晩黙って酒をあおる私を母は何も言わず、早く寝ろと促すだけで先に眠っていた。
ある日、昼過ぎまで寝ていた私が台所で酔い覚めの水を飲むとテーブルに何かあることに気付いた。
作り置きの冷えたオムライス。
メモがあって「用事があって出かけるから、これ食べなさい。」と書いてあった。
私はラップを剥がして、静かにオムライスを食べた。
懐かしさと、切なさと・・・色々な感情がまじって湧き出し、オムライスはしょっぱくなった。
私はその日、帰京する支度をして、また一からやりなおすと母に誓った。
今はまだ一人だけど、淡々とそれでも楽しく生きている。

口に出して言えないけれど……
お母さん、私は永遠にあなたの息子です。



183 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 23:10
これがあげずにいられるか!(T_T)/


184 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 23:17
だめ人間だもの・・・・・ミトゥオ


185 名前: みなさんが羨ましい 投稿日: 2000/03/21(火) 00:23
色々あっても、暖かい家と、食事を作ってくれる暖かい人。
そしてその思い出。

私には、はじめから与えられませんでした。
だからここ読んでいると、羨ましくて、自分が惨めで、涙が溢れます。
みなさんが羨ましい。


186 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 01:52
相変わらず泣けますね。このスレッド。
感動した人、ここに投票しましょう。
1人でたくさん入れたいけど、このスレッドを見た後ではなぜか出来ない。
1票ずつ入れましょう・・。
http://www9.freeweb.ne.jp/computer/nich/cgi-bin/enqsp/enqsp.cgi?


187 名前: 186 投稿日: 2000/03/21(火) 01:58
あれれ、クリックしただけじゃいけないですね。
ブラウザのアドレス入れるとこにURLを直接コピーすればいけるみたいです・・・。


188 名前: ANA 投稿日: 2000/03/21(火) 04:10
眠れなくて、なんとなく覗いたら感動しました。

私の食べ物の思い出は、今から10程前の事ですが、
そのころ付き合っていた彼女との思い出になります。

遠距離恋愛でもあり、彼女の母親にあまりよく思われてなかった
私ですが、正式に結婚のお願いを彼女の両親に申し込みに行きました。
当日、緊張で朝まで寝れなかったのに、
「ちょっと休憩。」と思いうつらうつらしてたら、電話が鳴って
ハッ!!としたらもうお昼!(大バカですね(笑) )
大急ぎで彼女に実家に約束の8時間遅れで行きました。

色々と経緯があり、彼女のお母さんに私は好かれてなかったのですが
とても沢山のご馳走を用意していててくれました。
「男の人だから沢山食べて!!」との事でしたが、、悲しいかな
私は学生時代、減量のあるスポーツをずっとしていたので
胃を小さくする(大量に物を食べない)食生活と習慣が身についてて
女性並みの食事料で腹いっぱいになるんです。それに貧乏性なのか
箸をつけて残す という事が嫌いなんですよね(駄目ですね〜。)

「結婚させて下さい。」の返答は「もう少し考えさせて欲しい。」
との事でした。



189 名前: ANA 投稿日: 2000/03/21(火) 04:31
駄文で済みません!(続きです。)

後で彼女から聞いたのですが、彼女の母親にやはり良い印象を与えられなくて
いわく「男の人の癖に、小食で線が細いね(筋肉質なんですが、(T.T))」
「男の人は豪快なぐらい食べる人がいい、神経質じゃないの?」
と言われたそうです。

それから、1年後色々有って結局彼女とはお別れとなっちゃいました。
4年前、彼女が結婚すると聞き、お祝いするわけにもいかないので
共通の友人に頼んで、その友人からということで3万円分の
彼女の好きだった花を送りました。

彼女には悲しい思い出しか作ってやれなかった悔しさが今でも
フッと頭をよぎります。幸せになってて欲しいなと思ってます。

私は相変わらずの小食ですが、それ以来は
沢山の食事を出されたときはトイレで隠れて吐いてでも(汚くてすみません。)
食べるようにしてます。折角作ってくれたご飯に対して申し訳ないと
思うんですが、「好意には相手の喜ぶように」と思うようにしてます。



190 名前: >189 投稿日: 2000/03/21(火) 04:53
少ししか食べれないとわかっていたら、
その少しでも「おいしい」と食べてくれたら喜ぶ人は
たくさんいるよ。今日からもう無理はしないで下さいね。
それにムリしてたってわかったら、悲しがる人もいるから。
あえて、正直に言う勇気も持って!


191 名前: ANA 投稿日: 2000/03/21(火) 05:25
>190

  ありがとう。


192 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 05:56
いい話しばかりですね・・・

わたしの両親は6才の時に別居し、10才の時に離婚しました。
でもわたしが幼稚園の年少組の時はまだ両親が仲がよくて
日曜日の夜には、いつも2人で晩酌をしていました。
わたしは9時には布団に入れられるんだけど、晩酌の仲間に入りたくて
のどが渇いた、とか、トイレ、とか理由をつけては起き出し
おつまみを食べさせてもらっていました。
ちくわチーズとかサラミとか、たいしたことないものなんだけど
仲間に入れてもらったのがうれしくて
次の日いつも妹に自慢してました。
いまでもおつまみを食べると思い出してしまいます。


193 名前: 192 投稿日: 2000/03/21(火) 06:08
もう一つ思い出したので・・・

小学校に入った頃から両親の仲が悪くなり、父がほとんど帰って来なくなりました。
ある日、久しぶりに帰ってきた父と母が大喧嘩をし
母が夜中に出ていってしまいました。

不安でわたしも起き出したのですが、なんとなく
ケンカのことは触れてはいけないように思い
「おなかすいたんやけど・・・」と父に話しかけました。
しかし「こんな夜中になにゆうてんねん。さっさと寝ろ」と怒られ、
「なんでママが出ていったん?パパなんかキライや、パパが出ていけばよかってん。」
と言い捨て、布団に潜り込んで泣いていました。

しばらくすると、なにごともなかったように父が部屋にやってきて
「ラーメンと焼きそば、どっちがいいんや?」
と聞きました。
泣きながら「焼きそば」と答え、父と2人で夜中に台所で
鼻をすすりながらUFOを食べた思い出があります。

駄文でごめんなさい。


194 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 08:18
おじいちゃんがぼけてしまって、もう何年もたつのですが…
戦争中、炊事担当だったこともあって、よくいろいろつくってくれた
ものです。なかでもにゅうめんがとてもおいしかったのですが、つくり
かたがいまだにわかりません。なすがはいってて、汁気のないどろっと
したやつです。誰かつくりかた知りませんか。
(ちなみに祖父は富山の人です)

実家はどいなかなのですが、高校時代、帰りがおそくなるといつも
おじいちゃんが自転車で駅の前で待っててくれました。でも私は恥ずか
しくて、無視してさっさと早歩きで帰ってた。おじいちゃんはそのあと
からだまってゆっくりついてきてた。
小学校のころは、学校から帰ると冬はストーブの前でパンをやいたり
豆をいったりしてくれたものです。
おじいちゃんはおばあちゃんよりも背も低くて、戦争のために耳も遠くて
ほとんどしゃべらない、私が朝食のとき新聞を独占してしまうのでずっと
チラシをながめてるような人でした。
もう私のこともわかりません。ゆうごはんのときになにかしたくて台所を
うろうろして、ちゃきちゃきのおばあちゃんにいつも怒られてたことを
おもいだすとなつかしいです。


195 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 12:01
>194
おじいさん、大切にしてあげてくださいね。
このスレッドでよくあるように、亡くなってしまってから、
後悔しないように。


196 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 12:30
うちの4年前に亡くなったおじいちゃんも、
最後の何年かはぼけていてとても悲しかったなあ・・・
仕事の関係で海外にいたので最後に会ったのは7年前でした。
仕事と酒にしか興味が無い祖父でしたが、私とは仲が良かったので
子供のころから一緒にいることが多かったでした。
最後に会ったときは、もう呆け始めていて、とても残念でした。
極度の出不精だった祖父でしたが、私が海外へ行く時は、
わざわざ空港まで来てくれました。 その時、空港の喫茶店で最後に
祖父が飲んでいたクリームソーダは私が注文したものですが、
そんな呆けてしまって子供のような祖父を見ていると、
私は何も言えず、ただとても悲しくなりました。
いまでもクリームソーダのあの緑色を見ると、
祖父のことを思い出します。


197 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 14:20
圧力鍋とこのスレッドは本にしてほしいなあ・・・。
このスレ読んで泣きそうになったら圧力鍋へ(笑)
っていうか、いい板だよね、「食べ物、料理」ってさ。

昨日まである事ですごく落ち込んでいたけど、
なんか、元気になれました。


198 名前: >194 投稿日: 2000/03/21(火) 14:51
「茄子が入ってて汁気のないどろっとしたにゅうめん」
実家が金沢なんですが、母がよく作ってくれました。
多分そうめんをゆがかずに乾麺のまま鍋に入れてたんだと思うけど…。
今度聞いてみますね。



199 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 23:58
小学生の頃、塾の帰りが遅くなったとき
同じクラスの男の子が自転車で追いかけてきて、
「先生が送っていけってゆーから」と、つまらなそうにいい
私の家まで一緒に、自転車を押してついてきた。
途中、彼は私に「おごりだからな」と
つぶつぶオレンジを買ってくれた。
彼はいつもバカなことや、私を怒らせるようなことをいうのに
このときは、家に着くまで一言もしゃべらなかった。
私は、そのいつもと違う様子にどきどきして、
ジュースばかり飲んでたんだよな。
みょーにのど乾いてたりして。
異性を意識したのってこれが最初かもしれない。

今も恋人にジュースを買ってもらうと
この時のことをちょっとだけ思い出す。



200 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 00:25
>199 いいな、いいな〜。とーぜん男の子の方も意識してるんだよね、
それって。


201 名前: 匿名希望 投稿日: 2000/03/22(水) 00:54
ここはホントに泣ける話ばかりで(T_T)
駄文ですが自分の話もひとつ。

今から15年前。小学校6年の5月。当時オヤジの仕事の関係で海外に住んでたんよ。
当時、駐在員同士で母親連中が集まっていろいろ食事を作って晩にパーティーなんぞ
開いてた。親父連中は朝早くから遠い海辺の町へ新鮮な魚を買い付けに。
でかいカジキをうちのオヤジが見事にさばいたりしてたなぁ。
子ども心にオヤジかっこええ!と感じてた。
で、その時は手巻き寿司パーティーだったな。「納豆」があってびっくりした。
なんで「納豆」がこんな遠い異国の地に?と思いつつ、食ってたんだな。
日本から新しく来た人が納豆菌を持って来てくれてたらしい。
ところが、その「納豆」のおかげで翌日に頭フラフラして・・・
なんと腸チフスにかかった。すごい高熱が何日も続いて、必死になって母親が看病して
くれた。いやあんまり覚えて無いんだ。とにかくずーっとそばにいてくれて
冷たいタオルと水分を切らせないように必死に冷たいお茶を作ってくれてた。
汚い水道水を煮沸して氷をたくさん作ってたらしい。
ともかく1ヶ月にわたる闘病生活で俺は10kg痩せ、なんとか回復した。
「あぁ、生きてるんだ」とその時に生まれて初めて感じた。
当時ちょっとひねてた俺はそれほど母親に感謝もしなかったように思う。
もっとあの時に感謝すれば良かった。
母親はその9ヵ月後、俺が小学校を卒業する2週間前、伝染病らしき脳炎で
37歳でこの世を去った。

今でも「納豆」を食べると厳しかったが優しい母親を思い出す。
ありがとう、かあさん。少し遅くなるけど、今度、墓参りに行くね。



202 名前: 194 投稿日: 2000/03/22(水) 01:40
>198
そうか、ゆがかずにつくってたんだ。ありがとうございます


203 名前: そういえば50年前・・・ 投稿日: 2000/03/22(水) 05:47
結核で死ぬ前に食べた甘納豆うまかったなぁ…


204 名前: バッカーです 投稿日: 2000/03/22(水) 10:07
>203
誰だよ


205 名前: 自分の話 投稿日: 2000/03/22(水) 11:24
じゃなくて悪いんだけど、もう十五年ぐらい前の話。早稲田の教育学部
に岡村っていう教授がいて、「道徳教育がどーたら」という、教職をとって
いる者には必修の課目を教えておられました。その中で、生活保護をうけていて、
本当に貧しかった母子家庭の話が出ました。その母親は、家庭訪問の日、
先生が来るから、というので、自分の食事を削って羊羹をおやつに買って
おいたそうなんです。ところが、その先生は家庭訪問の間にその羊羹を食べ
なかった。そのまま帰ろうとしたので、母親がその羊羹を包んで、「是非
お持ち帰りください」と渡したらしいんですよ。教師はそれを受け取った
のですが、家を出て数メートル行った所のごみ箱にあっさりとそれを捨てた
そうです。その羊羹を後で母子が見つけて、はらはら涙を流した・・・っていう
話だったんですが、岡村教授の結論は「こういう人間は教師になる資格は
ない」ということでした。いやー、その話、うちも激貧だったもので、
本当に胸に響いたんですよ。大きな階段教室だったんですが、泣けて泣けて
仕方なくて、途中で退室しなければならなくなってしまいました。
岡村先生、どうしておられるんでしょう。結局私も教師になりました。うち
は家庭訪問なんてありませんが、あの先生のお話、今でもしっかり覚えて
います。泣き出しちゃって本当に申し訳ありませんでした。


206 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 13:59
このスレッドの書きこみで一本番組作ったらどうだい>テレビ局関係者


207 名前: >205 投稿日: 2000/03/22(水) 14:09
似たような話が「人間交差点」というマンガにありました。マンガの
ほうは羊羹ではなくぼたもち(あんころもち?)だったけど。
読んだときは泣けました。思い出したので、ちょっと書き込みを。


208 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 15:27
>205
あの、うちの両親は教師なのですが…
家庭訪問などのときにお菓子を食べるのはいけないことなんですよ。
ルールとしてということもあるし、全部のうちで気つかって食べてたら
おなかこわしちゃうから。だから、生徒側も、出さないか、カタチだけ
とわりきるかにしないと。
…と、いうような話じゃないか…その親子の気持ちはいたいほどわかり
ますけど。その教師のいけないのは、みつかる可能性のあるところで
捨てたってことなのかな。もってかえらないと
いずれにせよ、最近ではイナカでも教師は聖職というかんじはないので、
もうこんなこと(自分の身をけずってまでも先生におもてなしする)は
ないんでしょうね。以前はうちにもお中元やお歳暮がやまほどきてまし
た。今はあまりない、いいことだとおもいます。


209 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 16:53
>208
教師の家は、お中元、お歳暮は親戚以外の物は受け取れなくて、
子供は何となく恨めしく思うものですよねー。
下らない話ですが、カルピスを持って生徒さんの親御さんが、
大学入試に合格したお礼にといらしたとき、
父親が玄関で、まだ在学中の教え子のうちから贈り物を貰うわけにはいかないからと
断っていたのですが、滅多に飲めないフルーツカルピスが入っている箱を
見てしまった私たち兄弟は、引き戸一枚奥なだけの台所で、
「かるぴすーかるぴすー、ほしいよー。」と、大騒ぎをやらかしたのです。
なんとか、親御さんに引き取っていただいた父は、恥ずかしさと怒りで
顔を真っ赤にさせて、「お前らみたいな恥ずかしい子供はうちの子供じゃねぇ!」
と怒鳴り、自分たちをぶん殴ったのでありました。

その後、何週間か後だと思いますが、なぜかうちにカルピスがありました。
年度替わりのご挨拶で出入りの業者さんが職員室においていったものを
父が貰ってきたという記憶があります。
母は、「学校の先生は、絶対にものを貰っちゃ行けないのよ、わかった?
買えなくても、こうやって気にかけてお父さんもって帰ってくれたりするんだから、
欲しい欲しいと騒いじゃ駄目なんだからね。」といいながら、
カルピスを作ってくれました。

親御さんからは、ものを貰っちゃ駄目だという事だけど、
卒業した生徒さんが就職して自分の給料でおみやげ買って
年末年始に遊びに来るのは、とっても嬉しそうにしていた父です。
必ず「俺には酒を土産にしろ!」と言ってましたが、
元生徒さん達もうちが貧乏なのを心得ていて、年末に必ず蜜柑を一箱送ってくれる人、
ハムの詰め合わせをくれる人、子供達のためにジュースの詰め合わせを
持ってきてくれる人と、なんか役割分担していたような。
今考えると、いい人ばっかりだったなー。


210 名前: >208 投稿日: 2000/03/22(水) 19:37
教師がモノをもらってはいけない、という話と205さんの言ってる
話の本筋は違うと思うです。
教師が生徒の家庭訪問でお菓子を断るっていうのは、家でも覚えは
あるし、わかるけど

>その教師のいけないのは、みつかる可能性のあるところで
>捨てたってことなのかな。もってかえらないと

・・・・違うと思う・・・。職業柄、その先生が受け取れないなら
「私はいりませんので、ぜひ子供さんに」っていって断固受けとら
なければよかったし、もし受け取ったのなら、自分が食べなかったと
しても、他の好きな人に食べてもらうとか、とにかくくれた人の好意
を無にすることをしてしまったその先生の道徳感の無さが問題なのでは?

 それにその羊羹を出した親は相手が「先生」だからじゃなく、「いつも
子供がお世話になってる人」をもてなしたいという気持ちで羊羹を
用意したんじゃないかな。別に先生に限らず、めったに会えない親戚、
親身になってくれた人が訪問してきてもその家の人は、心づくしを
したんじゃないかな。


211 名前: >205 投稿日: 2000/03/22(水) 20:15
うそっ(驚きの意味で)!!その話、自分が小学生のときうちの母が
「PTAで聞いた」っていって話してくれたのとまるっきり同じ話だ!
有名な話だったんだね。
(ちなみにうちは九州。聞いたのは25年ぐらい前)


212 名前: >211 投稿日: 2000/03/22(水) 21:29
私も同じ話を聞いたことがあります。

たぶん、「道徳」というものを教えるときに、物の大事さとか
を教えるための1つの話なのではないかと思います。

>210

羊羹ならまだよくて、現金とか、金券をおみあげにする家庭も多い。


213 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 22:30
うぇ〜ん、号泣。
会社でこのスレッドを見つけて読み始めたけど、泣けてきちゃって困るので、
今家に帰って読み終えました。
2chでこんなに感動するなんて、思いませんでした。

私は、実家が好きではなくて、10年ほど前に家を出ました。
でも、家を出て初めて親のありがたさとか、気持ちが分かった気がします。
未だに、母親が、父親が庭の畑で作ったたくさんの野菜や缶詰とかを
短い手紙を添えて送ってきてくれたりしてくれます。
その野菜で、母親の味を思い出したり、電話で作り方を聞いたりして、
煮物を作ったりするのですが、やはり何かが違います。
このスレッドを読んでいて、なんだか実家に帰ってお母さんの
料理が食べたくなってしまいました。


214 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 22:41
叔父の家は、ウチから電車で1時間位の所で蕎麦屋を営んでいて
ちょくちょくと遊びに行っては美味しい物を食べさせてくれたり、
夏休みに一寸仕事を手伝っては結構な額のお礼を貰ったりと
可愛がって貰っていました。
産まれて初めて「ステーキ」なるものを食べたのも叔父の家でした。
叔父が焼いた「ステーキ」は当時、我が家では牛肉を滅多に
食べる事も無かったので、妹と二人でとっても喜びました。
それから、何年かして僕も社会人になっていた有る日の事
叔父が癌で発見が遅れた為、開頭手術をしても患部は全て
取り除けなかったと母から言われました。

手術後、妹と見舞いに行き、自分が癌である事を知らされていない
叔父は、「早く、店を開けなくちゃナ」と言ってリハビリをしていました。
叔母が病室の外で「抗がん剤で気分が悪い筈なのに、メシを食わないと
力が落ちるからって無理にご飯を食べているんだよ」って泣きっぱなしでした。
帰り際に、妹が「叔父さん、またステーキを焼いてね」、叔父が「うん」と
一言。

数週間後、叔父の娘さん(従兄弟)が予定を繰り上げて結婚式を
するとの事で出席し、そこで見た叔父はメッキリと老けてはいましたが、
結構シッカリした様子なので少し、安心しましたが、その数日後、
従兄弟が新婚旅行中に逝ってしまいました。

今でも、あの叔父が作ってくれた2度と食べれないステーキが
忘れられません。


215 名前: >205 投稿日: 2000/03/22(水) 23:35
なーんか小学校の時の道徳の教科書「にんげん」に載ってた気がすんなぁ
その子の家は貧乏で、汚い家に住んでたから・・・・ってオチだった


216 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 02:26
私は小学校1年から4年までずっと同じ担任でした。
そのおじいちゃん先生は その年も例年のように家庭訪問にきました。
その日の訪問は家が最初で、当日珍しく私の父もいたのです。
私はすれ違うように友達と遊びに行き、夕方帰ってきてびっくり。
そこは宴会になっていました。すっかり酔っ払っている父と先生・・。
脇にビールが4,5本空いてました。母に「この事は内諸よ」と口止めされ…。
もちろんその日の訪問は家でストップ。後にはまだ3,4人はいたはず。。
訪問予定だったお宅には何と言い訳したんでしょう、、
あとから聞いた話では、先生も奥様を亡くされたり色々あったみたいです。
それだけ長時間いて私の話はほとんどなかったとか(笑)


217 名前: やだ、もう 投稿日: 2000/03/23(木) 12:47
泣けてきてしょうがないよー。
職場なんで、慌てて目薬さしちゃいました。


218 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 13:35
花粉症なので、会社で周囲をはばかることなく涙を流しながら
読みました。


219 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 15:57
ほろっとはくるけど、泣けないなどれも。
感受性が死んでのかな>自分。


220 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 20:25
高校生の頃、母と兄の3人家族でした。
母も兄も仕事をしていたため、家に一人でいることがほとんどだった私の
唯一の遊び相手は猫のミーコでした。
ある日学校から帰ったら、珍しく兄がいて、「ミーコが車に轢かれて死んだ」
と聞かされました。私は「ふーん」とだけ言っていつものように夕飯の支度をし、
黙々と食事をしました。食べ終わった瞬間、涙が滝のようにあふれてきて
とまりませんでした。それから2日間、涙が止まりませんでした。
なぜあのとき、普通にご飯を食べたのか、今でもよくわからないのです。


221 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 01:28
おばあちゃんがよく作ってくれた みそ田楽のおにぎり。
まるい形のおにぎりを焼いて丁寧に味噌を両面にぬったやつ。
おばあちゃんのしわだらけで今までの人生がしみこんだような手でにぎられたおにぎりは
なんとも言えず美味しくて大好きだった。
今おばあちゃんはぼけちゃって施設にはいっている。
自分でそのおにぎりを作ってみたけど やっぱりあの味にはならない。


222 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 01:39
小学生低学年の頃です。
父が家に昼飯を食べに帰ってきたのですが、何か嫌なことでもあったのか
その日はかなり機嫌が悪かったのです。両親は自営業をやっていて、悪い
ことにその日は休日で人がおらず母も忙しかったため、簡単にカップ麺
で済まそうとお湯の用意をしていたのでした。
食卓についた父が何かのことで母をなじり、気が強かった母は父に言い返し、
父はその母の言葉に反論できなくて、眉間のしわをさらに深くして不機嫌そ
うに黙っていました。
母がカップ麺にお湯を注いでふたをした直後、父がそれを母に向かってなぎ
払いました。ふたが外れて中の熱湯が母の手や足にかかり、母は床にうずく
まって泣いてしまいました。カップ麺の散乱した中で、やけどした手を押さえ
「痛いよう、痛いよう」と子どものように泣く母の姿は、普段母の強気な姿しか
見たことがなかった私にはとてもショックでした。恐らく母にとっても、父の
その仕打ちは非常にショックだったのだろうと思います。
その後、さすがに父も悪いと思ったのか、母を病院へ連れて行きました。
床を掃除しながら、母がかわいそうだという気持ちと、こんな家庭にいる
しかない自分が子どもながらにみじめに感じて、泣けて仕方ありませんでした。
病院から帰ってきた母の、手や足に巻かれた包帯やガーゼは直視できませんでした。
その両親は何年か前に離婚し、去年父の会社も倒産しました。
サンポーの焼豚ラーメンを見ると、その時の嫌な気持ちがよみがえります。


223 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 03:53
せつないねぇ・・・。


224 名前: >222 投稿日: 2000/03/24(金) 04:11
これから幸せになられるといいですね。心からそう思います。


225 名前: >39 投稿日: 2000/03/24(金) 04:22
その気持ちわかります。
あとで思い返して胸が痛くなるんですよね。
いま悪いと思った気持ち、絶対相手に伝わると思いたいっす。


226 名前: >61 投稿日: 2000/03/24(金) 04:23
祖父様はいまも健在なのでしょうか。
つらいですね。自分を思ってくれたお菓子を捨てられちゃうなんて。



227 名前: 226 投稿日: 2000/03/24(金) 04:24
同じような経験があるので、読んでて身につまされました。



228 名前: >74 投稿日: 2000/03/24(金) 04:24
いい彼氏だったね…


229 名前: >220 投稿日: 2000/03/24(金) 05:20
とっても辛い出来事ってすぐには実感できないから、夕御飯を食べて
お腹がおちついたら、さめざめと実感してきたんじゃないかな。
私も大好きだったおばあちゃんが死んじゃった時、30分くらいして
いきなり泣き出した。遺体とはとっくに対面してたのに。


230 名前: 親不孝者 投稿日: 2000/03/24(金) 05:42
高校2年の秋、母が癌で入院した。
若干マザコンの気があった私は毎日学校が終わると病院に直行し
面会時間が終了するまで母と一緒に過ごしていた。
ある日、学校ですごくイヤなことがありムシャクシャした気分のまま
病院へ向かったのだが、病院の駐輪場で自転車の置き場所のことで
警備員にちょっとキツメに注意され、不機嫌だったこともあり口論になってしまった。
ますます不機嫌になった私が母の病室に着いても憮然としたままでいると
母は気を遣ってお見舞いのフルーツ籠からバナナを1本取ってくれた。
当時はバナナが大好物だったのだが、まだ幼かった私は気分の切り替えが出来ず
不機嫌な顔のまま「いらない」と言ってすぐに家に帰ってしまった。
母はキョトンとした顔で私が病室を出て行くのを見送っていた。
それから2、3日の間気まずい思いで病院に行かなかったのだが
次に会いに行った時には母の病状が急激に進行していて
会話すらまともに出来なくなっていた。
その後は死相の浮かんだ母の顔を見るのがイヤで、結局臨終まで病院に行けなかった。
なぜあの時もっと母に優しくできなかったのか。
なぜあの後今まで通り会いに行かなかったのか。
あれから10年以上経つけれど未だに当時の自分が許せない。
そしてその時以来バナナが食えなくなりました。


231 名前: 彼と食べ物と私 投稿日: 2000/03/24(金) 09:09
8年前、彼は留年の決まった大学4年生で、とても貧しくだらしない生活を送っていた。
お金持ちではないけど不自由のない自宅OLだった私は彼に何かしてあげたくて
慣れない料理を覚ることになる。ほとんど私がお金を出して食材買ってたので
悪く言うと「ヒモ」みたいなものだったかも・・・

初めて彼の部屋で食べたのはカレーライス。
家から2合の米とレトルトのカレーを持って行ってごはんを炊いたのは良かったけど、
カレーライスを盛るお皿がなくて(かろうじてスプーンはあった)、結局、
炊き立てのご飯の入った炊飯ジャーに温めたカレールーを入れて二人で食べた。
一つのお釜から直接食べるのがおかしくて、二人でくすくす笑った。

次に作ったのは親子丼。
「ぶきっちょさんのお料理ブック」と言うレシピ本を買った私は
夕方からバイトに出掛ける彼の出勤に間に合うように一生懸命卵を溶いた。
卵に気を取られるあまり、炊飯ジャーのスイッチを入れ忘れているのに気付き
慌ててご飯も炊いたんだけど時間ギリギリになっちゃって
ご飯が熱いのを我慢して一生懸命かきこんで食べた。
ちょうど「美味しんぼ」の再放送で親子丼の回だった。
自分の作ったものが画面の親子丼と違ってないかドキドキした。

初めてケンカしたのはビーフシチューを作った時だった。
煮込んでいる間に彼がイビキかいて寝てしまったのが悲しくて
お鍋を火から下ろして泣きながら家に帰った。
起きてびっくりした彼が電話で謝ってきてすぐにまた会ったんだけど
お金もないのに大学の生協でお菓子を買ってくれた。
彼の部屋に戻るまでほとんど口を聞くことはなかったけど
手だけはぎゅっと握り合っていたのを覚えている。

3年前、私は彼の扶養家族になりました。
今日の晩御飯は何にしようかな。


232 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 09:21
奥さん、奥さん、まだ朝ですけど。(笑


233 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 11:25
>231
田嶋陽子が怒りそうな(笑)メルヘンな人ですね
そうそう、ごはんつくってるときの態度ってむかつくときあるよね。
私は、料理してるときに音楽をきこうと思って、かけてたらその横で
テレビつけられたので怒ったことがある。ま、気づかないんでしょうが…
世話するのがキライで、世話してちょうだい!とおもってる私でも、
料理だけは自分でする。というか、食事にかまわない男の人に異常に弱い。
今日は朝から菓子パンいっこしか食べてない、というようなことをきくと
胸がときめきます。
(若い男の子に限る)



234 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 11:52
今朝(と言うより昨日の夜)から何も食べてません。(泣
でもご飯よりもそろそろ睡眠の方が…。


235 名前: 61 投稿日: 2000/03/24(金) 13:08
>226さん
祖父は亡くなりました。だからよけい辛いです。
母も悪い人ではないので、ちょっと機嫌が悪かっただけだと思います。
けれど、私はああいうことをしないようにしようと思ってます。


236 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 14:18
今気がついたけど、「からい」と「つらい」は
同じ字なのねん。食べ物って奥が深い・・・


237 名前: ビール 投稿日: 2000/03/24(金) 17:30
 ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

 親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

 横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。


238 名前: >237 投稿日: 2000/03/24(金) 18:06
私も、もらい泣き(涙)


239 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 19:45
高校3年生の時、隣のクラスの好きな子を映画に誘って
運良くOKの返事をもらい、映画の後お決まり喫茶店で
とりとめの無い話をしたな。
自分が何話したか食べたかは忘れたが、彼女がエビピラフを
食べたのは今でも覚えている。
店で告白しようと思ったが、すぐ隣に人がいたので店を出てから
告白、返事は「いい友達でいましょう」あえなく撃沈。
高校の友人にたまに会うが、彼女のこと聞けない
「結婚した」と聞いたら心臓止まるかも…


240 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/25(土) 13:55
age


241 名前: 円谷幸吉の遺書(閑話休題) 投稿日: 2000/03/25(土) 15:37
父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。


242 名前: >241 投稿日: 2000/03/25(土) 15:47
閑話休題の使い方が間違ってるよ。


243 名前: >241 投稿日: 2000/03/25(土) 19:46
昔、そのまま歌詞にして歌にしたグループあったよね。
女性ボーカルが「幸吉はもーう、走れません♪」って歌うの。
スポーツ選手にとって仕事以外のいちばんの興味って、やっぱ食べ物なんだなあ
と思うと、なんかやるせない。
世の中にはもっと楽しいこといっぱいあるのに。


244 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/26(日) 04:13
私の父は40代前半で、ガンのために、発覚してから数カ月で他界しました。
死亡する前日父の病室に行き、いつものように梅干しと、母が作った おかずをを差し入れました。
入院直後からちょくちょく差し入れはしていたのですが、そんなにすぐ死んでしまうとは
考えもしなかった私はそれが億劫で、いつも夕食の時間より遅く届けていました。
帰りがけ父が、何か言いたそうにしていたのをぐっと呑み込んで、バイクで帰る私に
「気をつけてな」と、いつものように一言声をかけました。
それが最後の言葉でした。

その後私は何度か入院することがありました。
体調が良くなると、病院の生活は実に退屈で「次の食事まで後◯分」という気持ちで
時計を見るようになります。
その食事があまりおいしいものではなく、また量も物足りない。
父が差し入れをどんなにか楽しみにしていたか、自分で体験し分かったような気がしました。

私はこれまで、現在の自分がたいした人間でもないわりには、自分の行動を後悔したことが
ないのですが、このことについてはたいへん後悔しています。
もっと早く届けていれば良かった。毎日運んであげれば良かった。
いや、むしろ自分のために、残り少ない父との時間をもっともっと大切にするために、
そうすれば良かった。
差し入れを届けてもすぐに帰ったりするんじゃなかった。

父の死後しばらくの間、梅干しを食べる気になれませんでした。
しかし15年経った現在は、自分で漬けています。
梅干しを漬ける度、あるいはそれを食べる度、思い出してしまいます。


245 名前: さつき 投稿日: 2000/03/26(日) 14:09
以前、寮生活をしていた時、滋賀の子が、おそうめんをゆでて
どんぶりに入れ、おしょうゆとミョウガとマヨネーズをまぜて
食べていた。最初見た時、ウゲーっと思ったけど、
ちょっともらって食べてみると、おいしくって、あれから10年
いまだに食べてます。


246 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/26(日) 14:54
小学校一年、入学したての頃。
上級生(6年)が給食の手伝いに来てくれた。
その日の献立は、食パンにスライスチーズ・レタス・マスタード(他は覚えていない)。
「いただきます」の合図で食事を始めるのだが、その前に、
上記の食材からサンドイッチを作らないといけない。
私もサンドイッチを作り始めたのだが、スライスチーズのかけらが
残ったので、つい口にしてしまった。
そのとき、上級生に「まだ食べたらだめだよ」と注意されてしまった。
25年前の、食事に関する一番古い記憶です。なんで覚えているのか。



247 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/26(日) 18:55
私には子供の頃「この世でいちばん美味しい食べ物は?」という質問に真面目に「スイカ」と答えた記憶がある。あの頃のスイカはほんとうにうまかった。


248 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/26(日) 22:54
私も寮の話し。貧乏な大学の寮に入っていたので、朝は卵かけご飯とお味噌
汁のみ。家は母が厳しかったので、卵かけご飯は犬のご飯と呼ばれていて
食べさせてもらえなかった。だから私も寮に入った当時は、敬遠してたけど、
ある日思いきって食べてみたらこれが思ったよりおいしい!それからは毎日
食べてました。今はアメリカにいるんだけど、一番食べたい日本食としてま
ず思い浮かぶのがこの卵かけご飯です(こっちの卵はこわくて生では食べら
れない)。


249 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/26(日) 23:44
ポテトチップスが大好きだった俺だが、
子供のころ、祖母が自家製のポテトチップを作ってくれたことがあります。
作り終わったポテトチップを見て、祖母が,
「戦争終わったころ思い出すな」と言って、仏壇にそのポテトチップを
供えて、手を合わせました。
油は貴重品だったんだけど,油が手に入ったときはジャガイモをそうして食っていたそうだ。
今でも,コンビニでカルビーのポテトチップスの袋を見ると時々思い出します。


250 名前: >248 投稿日: 2000/03/27(月) 02:38
横レスでごめんなさい。アメリカで生卵。日本人ならやっぱり食べずに
はいられない(笑)。というわけで、自然食品のお店やヘルスフードの
お店に行くと、生で食べられる卵売ってますよ(健康食品として食べる
アメリカ人が多いらしい)。Mothersとかああいうタイプのチェーン
店です。すき焼きするにも生卵がいるので、うちはいつも卵はこういう所
です。値段もそんなにびっくりするほどじゃないですよ。
これからも頑張って卵かけご飯、沢山食べてくださいね!


251 名前: 〉248,250 投稿日: 2000/03/27(月) 06:05
カナダですが、全然気にせず食べてます。それほど危険ではない
とも聞いたのですが、気を付けたほうが良いですね、これから。


252 名前: さばおどり 投稿日: 2000/03/27(月) 06:54
私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。
当時、母が病気で入院してしまい、父は単身赴任中であることから、
私達は祖母(父方)の家に預けられておりました。
母や私達を嫌っていた祖母は、朝から夜遅くまで舞踊のお稽古に行き、
私達の世話は一切しませんでした。そこで、私達はいつも近所に住む
Aさんという人のいいかたの家でご飯をいただいておりました。
ある日、母が一日だけの許可をもらって退院してきました。
本当は体がとてもきつかっただろうに、母は甘えつく私達を何回も
抱っこしてくれました。
夜は、三人で歌いながらハンバーグをこねて作りました。
「今日はお母さんが帰ってきたから、ご飯はお家で食べます!」
Aさんの家に挨拶に行った時の弟の、何か誇らしげな表情を見て
嬉しくなった私は、その紅潮した頬っぺたに何度も自分の頬っぺたを
擦りつけて家に帰りました。



253 名前: さばおどり 投稿日: 2000/03/27(月) 06:55
家に着くと、既に料理が食卓に並べられていた。母は暖かい牛乳を差し出して、
「おばあちゃんが帰ってきたから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね。」
と言った。私達がAさんの家に行っている間に帰ってきたようだ。しばらくすると、
着物から着替えてきた祖母が台所に入ってきた。
「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください。」
その母の言葉を遮るように祖母は、
「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するかわからないのに…」
と言って、母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨てていきました。
「も、申し訳ありません…」
さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いていきました。
私は(どうしよう!どうしよう!)とただただ混乱していました。
「バカヤロウ!」
突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
仁王立ちになった弟は、祖母をにらみつけながら、ごみ袋から
母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
「俺はなぁ… 俺はなぁ…」
後の言葉が出てこずに、目から涙をボロボロとこぼしながら、弟は食べました。
小さな肩を震わせて、必死に強がって…
そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの恨みの味…



254 名前: ↑ひゃー 投稿日: 2000/03/27(月) 07:06
ヘヴィーです・・・・ヘヴィー過ぎます・・・ >_<
文章が上手なのがイヤですぅ〜!
しくしくしく・・・



255 名前: わたしも・・・・ 投稿日: 2000/03/27(月) 07:27
>さばおどりさん
朝から泣きはらした目で仕事に行かねばなりません。
それにしても、悲しすぎます。
どうか現在のあなたは幸せであることをお祈りします。


256 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 08:33
涙が止まりません、さばおどりさん。

このスレッドにはいくつか悲しいお話があるけど、
あなたのは特に悲しすぎる。母を思う弟さんとあなたの気持ちが
おばあさんにつたわらなかったのでしょうか。
同じ人間としてすごく悲しい。
朝から泣かずにはいられませんでした。


257 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 09:46
さばおどりさん、あまりにも泣けすぎる。
二日酔いでも、この涙は忘れる事はできません。


258 名前: 緑一色 投稿日: 2000/03/27(月) 15:55
泣ける話ではないが…
中学に入る直前の春休みのある暖かい夕方、桜を見に近くの公園まで出かけた。

北国なので、4月中旬でも桜はまだ5分咲きくらいだった。人はあまりいなか
ったが、ふと同じクラスの女子に会った。彼女とは殆ど話をしたことが無かっ
たが、せっかくなので歩きながら、新学期からのことなどいろいろしゃべった
ように思う。確か彼女は直しに出した制服を取りに行った帰りとかだった。

ふと見ると、薄桃色に色付いた川沿いの桜並木の上に、白い満月が昇っていた。
ガキだった俺が、「今日は花見と月見が同時にできてラッキー」みたいなこと
を言ったら、「本当、もし緑一色君と私が大人だったら、一緒にお酒飲めたの
にね…」と彼女。

別に大した意味があるわけでもないのに、厨房にもなってなかった俺はその言
葉に何だか急にドキドキして、「ラムネ飲も、ラムネ、おごるから」と、売店
でラムネを買って彼女に1本渡した。彼女は「ありがとう」と快く受取ってく
れた。その後どんな話をしたかは覚えていない。

でも、あの時の甘く暖かい春の空気、冷たいラムネの味、夢のように美しかっ
た桜と月、そしてそれを見て微笑んでいた彼女の横顔は、今でも忘れられない。

桜の季節にラムネを見ると、思い出して少し切なくなる。


259 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 17:59
小学校低学年のとき、同居していた祖父が入院しました。
昨日までピンピンしていたし、誕生日を目前に控えた私と一緒にプ
レゼントに買ってくれる予定だった鉄道模型の選択をめぐって、カ
タログを見ながらああでもないこうでもないと話していたので信じ
られない気分でした。

父も母も病院に行ったまま夕方になり、おなかをすかせた私と兄は
途方にくれていたのですが、病院にいる母から電話があって、とり
あえず冷蔵庫にあるメロンを食べていなさいと言われました。
15年くらい前なので、メロンといえば高級品、という時代でも無か
ったのですが、いつもは1/4かそれ以下分の、しかもサイコロ状に
切ったものしか食べていなかったので、自分たちで一個のメロンを
好きに食べて良いということがよっぽど嬉しくて二人ではしゃぎま
くりました。
とりあえず半分に切って分けることにし、どこに切れ目を入れるか
で兄とはしゃぎながら言い合っていたところに病院から父が帰って
きて「何してるんだ!おじいちゃん死にそうなんだぞ!」とすごい
剣幕で怒鳴られました。
私たちはシュンとしながらも(怒られたので)味のしないメロンを
黙々と食べ、そのまま寝ました。

翌日、祖父が息を引き取りました。
私は祖父の身体を綺麗にしおわった後に病院に到着し、おそるおそ
る祖父と対面しました。
病院自体が恐くて堅くなっていた私が冷たくなった祖父との対面を
冷静に出来るはずもなく、恐ろしくなってすぐに部屋から出てしま
いました。


260 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 18:01
そこで、母から「○○(私の名前)へ」と祖父の字で書かれた封筒
をもらいました。
中をあけるとお金が入っていて、私と約束したプレゼントを買うよ
うにと祖父が母に言付けをしたそうです。

私の誕生日に行われた葬儀の時に、父が葬儀屋の用意した白い座布
団に涙を一粒だけ落としたのを隣に座っていた私は見ました。
そのとき、自分の父親(=私の祖父)の死が迫っているというのに
メロンの切る場所ごときの事で大はしゃぎしてしまったことや、
誕生日のプレゼントを買うようにとお金を残してくれた優しい祖父
の死に顔をまともに見てあげられなかったことへの後悔が一気にや
って来ました。

私は今年でもう25になるのですが、父にあんなに怒られたのは今の
ところあれが最初で最後です。

このスレッドを見始めてかなり経つのですが、今になって突然この
話を思い出してしまいました。
今となっては祖父の顔や声の記憶は薄くなりつつありますが、雰囲
気だけはなんとなく思い出せます。

私も多分、父に対しては父が祖父に接していたのと同じ様な接し方
をしていると思うので、もう少しトゲの無い接し方をしたいと思い
ました。



261 名前: からあげの 投稿日: 2000/03/27(月) 22:33
話読んでて思い出しちゃった。
高校生のとき公園で子供にいじめられてた子猫を、そいつら怒鳴りつけて
取り上げてきたんだわ。
6ヶ月ぐらいに育った頃かなあ、夜に弁当のオカズのチキンカツを
揚げてたらいつものように猫がねだったんで、かけらをあげたんだ。
そして食べ終わったら、猫がじいーーっと真剣な顔して人の目を
見つめたんだ。「もう1個ほしい」っていうんだったらニャ―ニャ―
鳴くんだけど、黙ってじーっと見つめるんだ。
ちょっと気味悪くなったんだけど、すぐ寝た。
・・・翌朝、猫、家の前で車にひかれて死んでた。




262 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 00:46
でも、最初は普通に感動したりうるうるしたりで楽しんできたんですが
皆さん泣きネタ合戦になってきて、最近は引いてしまいます。
さばおどりさんのネタも既に小説ででてますよね。誰かは言いませんが。

皆さん、スレッドの趣旨に立ち返りましょう。



263 名前: >262 投稿日: 2000/03/28(火) 01:47
い〜や。ネタでもいいぞ!!
もっと俺を泣かせてくれ〜。


264 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 03:33
完全に泣かせネタスレッドになってしまってる。
そのためには小説、エッセイのパクリあり、創作ありで・・お腹一杯。


265 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 04:01
そうだな。創作っぽいのもある。パクリも有るんだろう。
しかし、たいがいはホントのことだと信じたい気分。
揶揄するレスもいいけど、それじゃ次の人が書き込みにくい。
2チャンネルの良心っぽくなってきたからさ、このスレッド。
大事にしようぜ。


266 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 04:46
つまらない話ですが聞いてください。(涙とは全然関係ないです)
中学生だったある冬の日のこと。その日の夕食はカキ鍋でした。
家族みんなでカキを食べてた時、自分も何個目かのカキを口にしてたら
突然奥歯に「ガリッ」と何かが当たりました。
以前、歯に詰めたもの(銀色のヤツ)が取れたことがあったので、
今回もそうだろうと、おそるおそる口から出してみたら、白いモノが目の前に。
「何コレ?」次の瞬間ビックリ。「真珠?」そう、色も乳白色でまんまるなんです。
大きさは直径4ミリほどですが、本当に真珠そっくりでした。
家族の反応は「へー珍しいこともあるもんだ、でも価値もないし」(カキだから?)
でも捨ててしまうのもなんか惜しくてしばらく大事にしまってました。
(結局どっかにいってしまったが)あれ以来カキを食べても何もでませんが、
今でもたまに思い出します。(スミマセン下らない話を書いてしまいました..)


267 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 05:15
>266

牡蠣の中にまれに真珠が入っているそうですが、それに
当たるとは266さん、運がいいな。それは天然真珠でしょう。
明治天皇が皇后と食事をしていたときに、皇后の食べていた
牡蠣から真珠が出、それを羨ましがってたくさん牡蠣を注文して
食べた(でもでなかった)という逸話もあります。

>262
気持ちはわかるけど、悲しい(泣けるネタ)思い出=
思い出に残る食事っていうのは、別に外れてないと思うよ。
ただ、「楽しくて思い出に残る食事の話」も知ることがで
きたら本当にいいですね。




268 名前: >248 投稿日: 2000/03/28(火) 08:01
卵のこと、ありがとうございます。一応生で食べられる卵があるとは
聞いてたのですが、ものすごく高いと友達が言っていたので、手をだし
てなかったのです。今度コープをのぞいて見ます。


269 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 11:31
 離れて暮らしているので、月に1度か2度くらいしか会えない彼女が
います。たまに泊りがけで遊びに行く時は、夕ごはんを何にするかで
盛り上がるのが常です。
 とりあえずメインディッシュを決めたら、スーパーに一緒に買物に行き、
サイドディッシュをどうしよう、あれも食べたいがこれも捨てがたい、などと
互いに検討しあいながら食料品売り場をくまなくうろつきます。
 スーパーから帰る道すがら、今回の料理の手順とそれぞれの担当をどう
するかを相談し、帰宅と同時に相談した通りに調理を始めます。

 ワタシは、このように夕食ひとつで大騒ぎしてますが、たいへん楽しい
ものです。今は現在進行形ですが、これが将来、思い出すと切ない記憶に
なるのかもしれないと思うと、ちょっと複雑な気持ちになります。


270 名前: さばおどり 投稿日: 2000/03/28(火) 12:21
>262さん
私の話が小説ですか…
できればその小説の表題を教えてもらえませんでしょうか。
是非、読んでみたいと思います。
私の母は重度の肝炎でした。昔、看護婦だった祖母の行った行為は
感染の可能性が高いことから考えると、あながち間違いではありません。
ただ、もっと他のやり方がなかったのだろうかと、未だに思い出しては
怒りを感じ、泣いてしまいます。祖母の実家は嬉野という温泉町で
母はそこのスナックで働いていて、父と知り合い、結婚しました。
やはり田舎であることから、いろいろと揶揄されていたそうです。
祖母はそんなことから、私が生まれた時も「うちの〇〇(父の名前)
の子供じゃなか!どこか知らん男と作ったとやろうもん!」と
言って、けっして孫とは認めなかったそうです。ただ、父の兄の子供
達にはとてもやさしいおばあさんでした。母のなくなったとき、
父はAさんから私達がどのような生活をしてきたかを知り、
憤怒して、葬儀の後に私達を引き取り、祖母とは絶縁しました。
ただ、父はあまりにも多忙であった為に、結局私達は
宮崎にある母の実家に預けられました。宮崎の祖父、祖母は私達に
とてもやさしくしてくれました。父も毎月会いにきてくれました。
現在、私は大阪の大学に通っており、弟も春から大阪の調理師の
専門学校に通います。とても幸せに過ごしております。
最後に長文、駄文をお詫びし、ご挨拶といたします。


271 名前: >270 投稿日: 2000/03/28(火) 14:15
うんうん、がんばれ。
俺は信じていたさ。


272 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 14:28
>さばおどりさん
今はお幸せなんですね。よかった。

話しが「ネタ」という人もいるけど、全く同じ環境だった人もいるのでは
ないでしょうか。私はここにある話しを「ネタ」くくりにしたくないです。
悲しい話が多いのは、楽しい事はすぐ忘れちゃうからでしょうか。





273 名前: ふに 投稿日: 2000/03/28(火) 14:57
里帰り中の「なー」に読ませる為age



274 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 16:27
ネタでもいい
それでも泣けるのなら
それでいい


275 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/28(火) 19:17
ネタであってくれと祈りたくなる程泣ける話ですな。ううっ。


276 名前: 夕雨 投稿日: 2000/03/28(火) 19:18
さばおどりさん、あなたと弟さんの悲しすぎるほどの
やさしさに、胸を打たれました。今は幸せそうでなによりです。
こらっ、262さん!人のお話を小説扱いしちゃダメですよ(笑)
ホントにそんな小説があったのならば、教えてあげなさいよ。
・・・わたしも読みたいので(笑)

でわ、僭越ながらわたしもお話を・・・
私がビンボー学生だったある日、3日間を無一文で過ごさねば
ならなかったことがありました。部屋にあるのはサラダ油だけ・・・
そんな時に、友人が旅行に行くからハムスター預かってくれと
持ってきました。本当はそこで友人にすがってお金を借りたかった
のですが、変なプライドが邪魔して結局言えずじまい。(^^;
でも、ハムスターのお蔭でとっても助かりました。
あの時はゴメンね☆


277 名前: 夕雨 投稿日: 2000/03/28(火) 19:26
☆補足です♪
ハムスターの餌として友人が一緒に持ってきたひまわり種を
私がほとんど炒めて食べてしまったのです・・・(笑)
塩をかけたら絶品だろうなあ・・・と思いながらぽりぽりと
食べていました。お金が入った3日後にはハムスター君に
ゴメンの意味をこめてチーズを買って食べさせてあげました☆

いや、なーんか自分の文章を読み返したら、どう考えてもわたしが
ハムスターを焼いて食べたようにしか受け取れなかったんで(^^;;


278 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/28(火) 20:14
私の父ならおそらく食べてます。


279 名前: そうなんだよな。 投稿日: 2000/03/28(火) 22:49
自分でも、書き込んでて思ったのは、
何で、食べ物で思い出すのはもうあえない人の話なんだろうってこと。
でも、考えてみたら、いつでも会える人とは、今も想い出を積み重ねているから、
固定されてしまっていないんだよね。
死んだときのことは、忘れられないものね。
食べるのは毎日のことだから、それをきっかけにして何度も思い返すし。
自分が書き込んだ話は、読んだ人が泣ける話ではないのだけど、
自分にとっては何時思い出しても涙が出る話なんだな。
なんでだか自分でもわからないのだけど。
人に、「おかず喰いじゃなくてご飯喰いなんだ〜」といわれて思い出して
勝手に悲しくなってしまうのが、どうしても直らないのだなぁ…


280 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 10:34
毎朝、ここを読んで一泣きしてから、仕事に取りかかるパターンが
定着しつつあります。
私は、在宅で仕事をしてるんですが
仕事に追われてくるとどうも食事の支度がおろそかになりがちです。
皆さんの書き込みを読んでいると
下手でも質素でも、とにかく愛する夫や子供のために
心を込めてご飯を作ろうと改めて思います。

悲しい思い出なのにとても優しい文章でかかれているなあと
切なく思います。本当にいいスレッドですね。


281 名前: 脱線ちゃん 投稿日: 2000/03/29(水) 12:06
このスレッドが好きな人は、向田邦子のエッセイなんかも好きかも。
「父の詫び状」がおすすめ。


282 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 15:41
>280さん
そうですね。毎日の食事って作る側にしてみると結構大変だし、
手を抜こうと思えばできるのかもしれません。
でもこのスレッドを読んでいろいろ考えさせられました。

うちの子は重度の知的障害児です。
歩行はできますが、生活の中ではまだまだ介助が必要です。
今思えば「家族の為に心をこめて」とは程遠い、、、義務感から食事を作っていた
のかなと反省しています。
彼の口からは生涯「おいしかった。また作ってね。お母さん」という
言葉は聞けないとは思うけれど、好きなものが食卓に並んだ時の笑顔を
励みにこれから食事を作っていきたいなぁと思ってます。
たまごが大好きなんだけれども、何個も食べると太ってしまうので
ほうれん草とハムの入ったたまご焼きが彼の思い出の一品になるのかな。
(たまご焼きというよりはほうれん草のたまごとじだね)

ちなみに宅配ピザのチラシを私のところに持ってきて「ングング」と
催促することもできるようになったので、たまにはそーゆーのもOKかな
と、頑張りすぎずにやっていこうとも思ってる母でした。




283 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 16:09
えっとね、うちは両親共働きで、朝ご飯は各自で作って食べるのが決まりだったの。
高校生の時、朝インスタントラーメン食べてたら、仲悪い姉がちょっとくれるって聞いて来て、
私はすっごくむかついて箸を投げ出してそのまま家を出たの。
その後何があったわけでもないし、結婚して今では姉とも仲良くつきあってるけど、
その朝の、姉の脅えたような悲しい顔を思い出すと胸が痛む。


284 名前: バッカーです 投稿日: 2000/03/29(水) 16:36
今からでもいい。
素直に謝ろう。


285 名前: 小学生 投稿日: 2000/03/29(水) 17:01
泣ける話ではありませんが、 小学生の頃、妹と二人で天津甘栗を食べてました。
剥いては食べる私とは違って、妹は丁寧に皮を剥いた栗を後でまとめて食べようと
横にためてありました。

悪い兄の私はそれらを、ひとつかみに自分の口の中へ、、、、
妹は泣いた、怒った、 もう大変でした。

それ以来、誰にでもその話をします。 私の家内や子供もその話を知っています。
家族で天津甘栗を食べる度にその話が話題になります。今は1児の母である妹の
復讐は充分に達成されたと思っている私です。


286 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/03/29(水) 21:35
>小学生 その思い出があなたに「小学生」を名乗らせていたのですね。
そのときの気持ちよく分かります。私も、カニを食べる前に一通り殻を剥いている人を目の前にするとそれをしたい衝動にかられます。


287 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 21:49
学生の頃(10年前)、自分のアパートの向かいに小料理屋がありました。
おばあさんが一人で切り盛りしている自宅兼小料理屋でカウンターに5人座れば一杯になる規模。
一人でもよく行ったが絶対儲からないだろうなぁーと思うほどサービスたっぷり。

ある日、道端で会った時に「カゼ引いちゃいましたよ」と言ったら、”すいとん”を作って持ってきてくれました。
恥ずかしながらそれまで”すいとん”というものを食べたことがなかったのですがおいしかったという記憶だけがあります。
まさに私にとっての思い出の食事。
その日をきっかけに”客”というよりも話し相手という感じでお茶や昼間から酒を飲んだりのお付き合いになりました。

卒業式の日にお世話になったことを報告に行ったら、「おめでとう。私も今日で店を閉めるのよ・・・」
えっ!
息子さんらしき人が来ていて「お世話になりました・・・」って・・・

前々から息子夫婦に実家へ帰って隠居するように言われていたことは聞いていたけど自分の卒業式の日に店を閉めるなんて・・・
「アンタの卒業が節目かなぁー」「スーツ姿もいいんじゃない?」と言っていたのが忘れられません。



288 名前: 『なー』に見せる為 投稿日: 2000/03/29(水) 22:36
あげ


289 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/30(木) 00:26
>288
『なー』て誰?いつも気になる。興味津々。(笑)

自分はねー、給食のひな祭りにもらえるケーキが好きだったなぁ。
アイスケーキなんだけど、これが毎年楽しみで楽しみで。
誰か休んだりしていると、その子の分も食えるかなぁ…って
ずーっと考えていたなぁ。で、普段は欲しい人が集まって
ジャンケンするんだけど、このケーキは皆欲しがるんで
先生が教壇に立ってみんなと一斉にジャンケンして振り落としていく
って、一大イベントになっていたよ。あー…給食が食べたい。


290 名前: って言うかさあ 投稿日: 2000/03/30(木) 04:08
ここって、泣ける話じゃないのを書く人が
「泣ける話じゃないんですが」
「つまらない話ですみません」っていちいち断る雰囲気が嫌なんだよなあ。
十分面白い話なのにー


291 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/30(木) 05:20
11年付き合って、最後の2年は同棲してた彼。一方的に振っちゃった
から、自分は思い出を引き摺る事なかった。ここ見たら、一緒に私
の作った御飯食べた事、数えきれない程思い出した。彼はこんな思いを
したかもしれないって、涙止まらないです。別れてからも「いいから、
料理のレシピを書いてくれ。新しい彼女ができたら作ってもらう」
「どこで食べても同じ味が見つからない」ってTELしてきた。最近は
そうでもないけど、いつもTELは涙声だった。 ごめんね。
奇しくも、別れた理由のわずかな一つに「彼が偏食だった」ことがありました。
何でも食べれるくせに、「何食べたい?」って聞くと「唐揚げ」「ミート
スパ」「カレー」「ハンバーグ」ばっかり。付き合い始めたのが若くて、
最初の頃から私が作ったもの。 そういえばレシピも製作途中で、忘れてた。
今度会うので、がんばって作ります。



292 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/30(木) 05:37
291さんの話しで昔の彼のことを思い出して泣いてしまいました。あのころは
貧乏だったけど、それなりに工夫していろいろ作ってました。床に寝転がりな
がら二人で料理の本を見てたとき、いくつかを彼が指差して今度作ってねって
言ってました。そのうちの半分ぐらいは結局作ることなく別かれてしまいまし
た。今も元気かな。ちゃんとご飯食べてるかな。


293 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/30(木) 07:19
明るい田中麗奈さえでて来なきゃ面白いのに・・・・
いい加減顔出すのやめろよ。



294 名前: 小学生 投稿日: 2000/03/30(木) 16:07
>286  田中さん、初代田中さんですか?
HNの由来は違いますよ。 


295 名前: 唐変木 投稿日: 2000/03/30(木) 18:39
小学生の頃、ポテトチップスが大好きだった俺。
母親の買い物に付き合っておやつを買ってもらう時には、
母親が「100円以内にしなさい」と言うところ、いつも「108円でもいい?」と聞いていた。
(当時カルビーのポテトチップス、定価120円。近所のスーパーでは1割引で108円だった)

大人になって実家から離れている俺が実家に帰省すると、
決まって大量のポテトチップスが買い置きしてある。
母親は何も言わないが、実家の姉がある時
「お母さんって、○○(俺の名前)が帰ってくる時って、いつもポテトチップ買い込むよね」
と言っていた。

実家に帰って大量のポテトチップスの袋を見ると、その母の情が身に沁みるとともに、
母親にとって俺はいつまで経っても子供なんだと再確認する。
そして帰省からUターンする時にはいつも、食べきれなかったポテトチップスの袋が
俺のバッグの中にある。


296 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/30(木) 21:04
両親が共働きで中学、高校とずっと夕食の準備と父の晩酌の
相手(おつまみを作ったりするだけね)な毎日だった。
夜遊びなんてしたことなかったし、学校での昼食はパン。
体育祭などで家族が来てくれた事も一度も無かったし、家族で
外食に行ったことも全然無かった。

高校を卒業して上京する日、「これ適当に食べて」と母に紙袋
を渡された。
新幹線の中で中身を見ると、小学校の時以来に見る母の弁当。。
からあげやハンバーグ等の若者が好むようなおかずは全然作れない
母の、自家製の漬物や煮物ばかりの弁当を見て涙が出た。

当時の事を不憫に思ってるのか、たまに帰省すると無理にでも高級
な料理を用意しようとするので「母さんのみそ汁と漬物だけでいい」
って前もって釘をさす事にしてる。


おかげ様で男だけど肉じゃがとか得意です(笑)



297 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 05:45
揚げバン食べたい


298 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 11:11
ラ博で揚げパン買ったけど、給食の時食ったヤツとは違った。


299 名前: >296 投稿日: 2000/03/31(金) 11:15
君はいい奴だ。がんばれ!


300 名前: >295 投稿日: 2000/03/31(金) 14:10
最後の2行でやられた・・・ (T_T)


301 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 00:31
あげあげ♪


302 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 03:01
全レス見させていただきました。いいです、ここ。


303 名前: 寝れない男 投稿日: 2000/04/01(土) 04:48
3月31日で父が下っ端公務員を定年退職した。41年間も同じ仕事を
していたと思うとすごいなと思う。



今日は、特上のすしとビールで乾杯した。
よくありがちな風景だがきっとよい思い出になるな。

ところで父が退職金を私たちに見せようと家に持ってきてしまった。
生まれて始めてピン札の1000万の塊を持ったが、
なんかおもちゃのお札みたいだ。スゲーちゃっちい
ってゆうか
畳の上に札束を無造作に置いて「うわぁーすごい噴煙」とか
まったく日常と変わらない会話をしているんだよねぇ。
しかも最後のハンパな給料の小遣いを2万か3万かで
口ゲンカしている。いや、していやがる(笑)

このしっかり記念写真まで取った札束もド田舎しかも祖母の
土地に建てた家の建築費で無くなってしまう。月曜日で。

家族・人生・仕事について深く、深ぁーく考えてしまった。
そんなオイラは無職街道ばく進中!!

長文失礼。
ってゆーか、食いもんの話だったな。
ちなみに父は中卒だ。



304 名前: >303 投稿日: 2000/04/01(土) 11:47
働かざるもの食うべからず

中卒でも、41年間も勤めあげた、お父上が居なかったら、特上すしも無いのサ
とっとと職を決めてその給料で、お父上に特上すしをご馳走してください



305 名前: 山水トランス 投稿日: 2000/04/01(土) 17:47
この板、涙・泪。
思いでの食いもんか。
ロシアケーキだな。母が旦那と分かれ、自立せざるを得なくなり、山野美容学校に通ってた頃、2ヶ月ぶりに母に会い,新宿駅で別れる時渡されたケーキ。
今でもダイスキ。



306 名前: 牛乳 投稿日: 2000/04/01(土) 19:32
小学4年、牛乳当番でクラス全員の牛乳を運んだときの話。
なんの気なしに、自分のスカート(体育で着替えたんで)を牛乳
かご上に置いた私。
あるクラスメイトがそれを見て「汚い」と言った。
その一言がもとで、その日は35人(自分除く)誰一人として、
牛乳を飲んでくれなかった。
イジメ体質だったので、その件で延々責められました。
(イジメのナマナマしい話になるので割愛)
6年前、同窓会があり、その席でも牛乳の話を言われて、脱力。
2次会で多めに出してきたけど、もう出席はしたくない。
幹事の「オレらの子供時代ってイジメってなかったよなぁ」
の一言が耳に残ります。

自分の『やったこと』って都合のいいように脚色されてしまうんだなぁ。
もちろん、『されたこと』もそれってあると思いますけど。

牛乳飲むとたまに思い出します。



307 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 20:29
あまりにもいいスレッドだったもんで、家族に見せようと夕べ印刷した。
午後9時の段階で66ページ!一時間かかりました。
今ばあちゃんが読みふけっております。

高校の時、天体観測会の名目でクリスマスイブに学校で一晩過ごした。
クラブの現役やOB、部外者も入れて20人いた。
部員の一人が手作りのデコレーションケーキを2個持参してきたが、
1個を10等分に切るのはちと難しい。どうしようか、と聞かれて
私は全員に言い渡した。「よし、みんな箸を持て。」
鍋物を突っつくように20人で2個のケーキを食べた。
「フツーするか?こんな食べ方(笑)」とウケつつ2個のケーキは
あっという間になくなった。
今でも正月恒例のOB会なんかで当時のメンバーが集まると話題になる。


308 名前: もっと読みたいので 投稿日: 2000/04/02(日) 14:21
あげ。


309 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/03(月) 18:21
あんまり食い物の話とはいえないのだが・・・

1年半ほど前2年ぶりに帰省した。
幼い頃の友人に会ったり、親戚のうちを回ったり。
全て弟が運転してくれていた。
弟は高校卒業後定職につかずぶらぶらしていた。
そんな弟があまり好きじゃなく、
いつも餓鬼扱いしていた。

東京に帰る前日、二人無言でラーメンをすすっていた。
「にーちゃん、明日どうする?」
「わかんねぇ・・・」
交わす言葉はこれぐらいだった。
ラーメンを食べ終わり一服していると・・・
「にーちゃん、明日時間があったら、じーちゃんの墓参りいかねぇか?」
いままで、祖父の法事にさえ面倒くさいと言って出なかった弟の口から出た言葉だと思えなかった。

次の日、朝早くから祖父の墓参りに出かけた。
途中で花を買ったり、酒好きだった祖父の為に酒を買い
祖父の吸っていたタバコを墓前に供え・・・

弟よ、今おまえを誇りに思う。
俺は東京で何とか生きている。
まだまだ帰る事はできないけれど、
今のおまえがいる限り安心して東京にいられる。
ありがとう、これからもよろしく。

また美味いラーメン食いにいこうな・・・。


310 名前: マタタビ酒 投稿日: 2000/04/03(月) 21:32
大学生の頃のことなのでもう10年以上経っているのですが、
当時の彼とはもうだめなんだろうな、と薄々感じてはいたものの、
別れるのがつらくてだらだらと付き合っていました。

2月くらいだったか、試験も終わって冬休みだったんだけど、
成績の発表(単位の修得状況発表)があったので
学校のある街へ出かけていきました。
彼と会わずに発表だけ見て帰ろうと思っていたのですが、
学校に行くはずの私の足は、彼の下宿の方へ。
そこでいつものようにとりとめのない時間を過ごして、
夕方、私は一人で学校へ行きました。

私の方は無事、進級できたのですが、そこにいた彼の友人が、
私を見て、「○○○(彼の名)、まずいよ」と言ったのです。
名簿で彼の名を確認すると、落ちていたのです、必修課目が。
私は頭の中が真っ白になって、それでも何を思ったか駅前で
みたらし団子を何本か買い、ふらふらと彼の下宿へ帰ったのです。

今見て来たことについて話すと、彼は学校へとんで行きました。
残された私はみたらし団子を半分食べ、残りを置いて帰ったのですが、
だんだん彼が留年するという実感がわいてきて、彼が学校を辞めて
もう会えないかもしれないと思い、次の日また彼の下宿に行くと
彼は留守で、寒い部屋の机の上に、彼の食べかけの、冷えて固まったみたらし団子が。

あの時、どうしてみたらし団子を買っていったのか、今ではもう思いだせませんが、
今でも時々みたらし団子を見ると、彼の下宿の、冷たい空気を思い出します。



311 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/03(月) 22:37
帰宅途中に思い出した。

冬の寒い夜に同期の友人たちと鍋パーティーの約束をした。
材料は実家に頼んで送ってもらうことにした。
適当にたらの切り身でも送ってくれとだけ伝えておいた。

2日後家に着いたクール便は・・・
発泡スチロールの大きな箱に、
たらが1尾、毛蟹が5杯、カキが十数個・・・
白菜まで入っていた。

母上様、
3人で食べるといったのに、なぜ毛がにが5杯も入っている?

おかげで楽しいときを過ごせた。
いまだに仲間内では伝説になっているぞ。
ありがと。


312 名前: 小学生の頃に 投稿日: 2000/04/04(火) 12:52
母が天丼に「そばつゆ」と間違えて
「アイスコーヒー」入れて
私達兄弟に食べさせた。悪意が無かったとはいえ
あまりのまずさと変な苦さに、二人で泣いた。

(母はそばつゆを自分で作ってタッパーで保存
していた。同じ形の別のタッパーにアイスコーヒーも
入れていたので「うっかり間違えた」らしい・・・)


313 名前: まい 投稿日: 2000/04/04(火) 16:57
(「あめぞう」にも書いた事ある内容ですが・・・)
幼稚園の頃お絵描きの時間に先生が
「大好きなものを描いてね」といういやに抽象的な
テーマをだした。
みんなは、「おかあさん」とか「愛犬」とか「お花」を
描いていたが、私は、画用紙一杯に茶色の丸を
何個も何個も描いた。先生の「これ、なあに?」の問いに
「とりのからあげ!」と元気に答えた私。
教室内は大爆笑、「だって、好きなものって言ったやん」と、子供心が傷ついた。その絵を、返却され家に持って帰る事になり「お母さんも笑うかなあ、」と心配になったが、お迎えに来た母に「好きなもの、から揚げ描いたら先生も皆も笑ってん。」ここまで話すのが精一杯で
大泣きしてしまった。
母は満面の笑みを湛え「そっかあ!」とその足で
すぐスーパーに行き鶏肉をいっぱい買って来て
その日の夜と、次の日のお弁当にから揚げを
入れてくれた。
年子の弟がいたので、「お姉ちゃん」というプレッシャーがあったのと、食が細かったので、
「これが好き」とか「これ食べたい」とかあまり
言わない子供だったので母はすごくうれしかったみたい
父も「この子は酒飲みになるぞお」とうれしそうに
から揚げをたべていた。
期待を裏切らず酒飲みになり、あてはいつもから揚げ
身長も171センチと大きく元気に育った。

「から揚げの絵」は、いまも大切に実家に保管して
ある。
おかあさん、ありがとう。


314 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 01:19
給食に私の大嫌いなチーズが出たとき

一年生   先生が給食を残してもいいという考えの人だったので残してた
二年生   隣の席の子にあげていた
三年生   ごみ箱に捨てて怒られた
四年生   窓の外に投げて怒られた(こっそりとやったのになぜかばれた)
五年生   壁にすりこんで、掃除のときにそこを拭いといた
六年生   ポケットに忍ばせてトイレで流すというゴールドパターンを覚えた

それにしてもたかが給食をどうして残しちゃいけないんだろう
残すのがダメだとしても隣の子にあげるくらいい気がするけど




315 名前: どんべい 投稿日: 2000/04/05(水) 03:11
母とあまり仲が良くなかった祖母が作ってくれた、親子丼。
汁気が多くて、今思うと親子丼って感じじゃないけど、おいしかった。
ちょっと悲しい死に方(というか、15年前から行方不明。寒い時
だったから、死んでるよ。)だったので、悲しい思い出の一品になった。

それから私は、鶏肉大好き人間になった。
高校卒業して、就職で田舎から大阪に出てきた私は、
ストレスがたまると、田舎には無かったケンタッキーフライドチキン
をやけ食いし、彼氏ができて、こっそりダイエットに励んでた時は
鶏肉と大量の野菜を酒蒸しにしたのを食べ、
お金が無い時は、皮とキャベツやもやしを炒めて食べた。
実家の事を思い出すと、大好物だったささみの刺身を思い出して
もわーんとした気分になる。

どこのスーパーに行っても、鶏のから揚げを、つい買ってしまい
でも、全然あきないようになってしまったのは、
ああ、おばあちゃんのせいなのね、と認識させられたこのスレッド。
これからも、嬉しい時も悲しい時も、
どんな時も鶏肉を食べていくでしょう。

あの親子丼が食べたい。でも、もう食べられない。
そんなこんながあって、みんな大人になっていくのね。
みんないっしょだ。
長文申し訳ないです。でもどうしても書きたくて。ごめんなさい。


316 名前: > 投稿日: 2000/04/05(水) 04:38
高校の悪友たちと、高三の夏に泊まりがけで海水浴に行った。
夜、テントでメシを食おうとして、持ってきた「日清焼きそばUFO」を取り出したが、当時、水不足で断水中だったため、どうしても水が手に入らなかった。
仕方なく、皿ウドンのような麺にソースをぶっかけて、みんなでかじった。ゲラゲラ笑いながら。
今となっては、懐かしい想いで。


317 名前: ぁゃιぃ 投稿日: 2000/04/05(水) 06:00
あまりにもいいスレッドなのでage
帰ってから読みます。


318 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 07:05
中学の時、林間学校の朝食で大嫌いな納豆が出た。
残していたら、周囲の席の連中が、
「残しちゃダメなんだよー」「なんで食べないの」と
やたら責めてくる。
半べそかきながらむりやり全部飲み込み、やっと片づけの時間に。
まわりを見ると、みんな色々残してるんだ。文句をいってた連中も。
単なる「いじめ」だったわけです。

もう絶対、嫌いなものを無理矢理食べたりしない。と心に誓った。
おかげで今でも偏食がなおらないけど、それでもいいや。
あんな思いをするぐらいならね。


319 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 10:51
昔、夏休みの観測合宿に参加した時。女性が少なかったので、
(ここはせいぜい役に立つべし!)とばかりに台所に立つようにした。
料理にはいっぱしの自信があったので
そんなワタシも見てね〜な、下心もあったかもしれない。
毎食、まずまずの出来ではあったのだが、
カレーライスを作った時、給食用の?大鍋に作ったため
(山奥の学校での合宿、給食施設を使用させてもらっていた)
水量の目測を誤り、買い置きのルーでは全然足りなくなってしまった。
商店のある市街地まで車で片道一時間以上かかるのに
先生に車を出してもらい、ルーの追加買い出しをする羽目に。
しかも結局、追加しても味はするものの水っぽ〜い仕上がり。
申し訳ないやら恥ずかしいやら、トホホな気持ちになってしまった。

その当時はまぁ、許せる失敗の範囲と「自分では」思っていたのだが、
後に聞くと今も語り継がれる笑える伝説になっていると知った。
たまにカレーや大鍋料理をする時なんかに、
なんともナサケナく、寒い気持ちを思いだします。



320 名前: >313 投稿日: 2000/04/05(水) 18:40
甥も保育園で紙粘土で「肉」をつくって、展覧会のときそれだけ
浮いてたそうです。ステーキ用みたいなやつ。かわいい。



321 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 19:53
父は糖尿があって結構食事制限がある。いまは定年後家で家事手伝い。
母はまだ現役。
この前の連休私たち夫婦が義理の家の手伝いから帰ったあと、土産を取りに来たとき、
(私の家と私の実家は近い)「腹減ったからなんか食わしてくれ」
と言われたんだけど、わたしは婚家に行った気疲れからか食事作る気力なくて
「何も用意してないよ」「疲れてるから」と言ってそのまま帰しててしまいました。

このスレッド久しぶりに読んで大反省。そういえばうちの父は私の手料理食べたことないのだ。
近いうちに両親呼んで食事でもするか。でも母は多分「お母さんの作った方がおいしい」って
言うんだよね。(調理師である)

というわけで、わたしの思い出の料理は「料理のない話」でした。



322 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 19:57
おっと失礼「思い出に残る食事」ね。
「思い出に残る、食事のない話」でした


323 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 00:01
食事の話じゃないのですがこのスレッドみて
思い出したことがあります。

私の祖父はすごく恐い人で、明治生まれの頑固じじいっていう
言葉がぴったりな人でした。
でも、昔のヒトなのにコーラとか若者が好むような食べ物が
大好きだったんです。

私達姉弟が幼稚園くらいのときのコトだったと思います。
ある日祖父が庭の雪かきをやってて私達が手伝ってました。
そんな時祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」って
いうんです。
なんだなんだと掘ってみると雪で冷やされたコーラが2本出てきました。
なんでコーラが出てきたの?って祖父に聞いても教えてくれません。
祖父は庭の裏手に見える遠くの山を指差して、
「あの山から魔法使いが運んできたんだ!」の一点張り。。
コーラは250mlのやつで1本は祖父の分もう1本は私達の分。
1本のコーラを弟と分けあって興奮しながら飲んだ覚えがあります。
それから何日かコーラ掘りは続きました。
「いい子にしてないと魔法使いは運んできてくれないぞ!」
という祖父の言葉を信じその冬の私達はとてもいい子でした。
恐い祖父から魔法使いって言葉がでること自体私達にはオドロキで
しばらくは本気で信じてました。魔法使いが運んできたんだ!と。
恐いだけになんだか真実味が溢れてて・・・
まんまと騙されてました。(笑)

祖父は随分前に他界してしまいましたが、今でもスキー場など
雪のあるところでコーラを見かけると祖父のコトを思い出します。

食事の話じゃなくてホントにごめんなさい。



324 名前: 22年前の事・1 投稿日: 2000/04/06(木) 05:12
もう、22年も前の事。
専門学校生だった私は、アマチュア劇団に入り、そこで主人と知り合った。

私が入団してまもなく、その劇団の公演が池袋で行われた。
無事に公演も終わり、楽屋口に戻ると、彼が何かを探している。
財布が見あたらないらしい。どうやら盗まれたようだった。
「騒ぎ立ててみんなが厭な思いしてもなんだから・・・。」
と彼は財布を諦め、その劇場を後にした。
その夜は団員一同打ち上げを兼ね、西荻窪にある稽古場へ泊まり込み、
翌朝帰途についた。(彼の定期は無事だったのだ)
新宿で乗り換え、渋谷方面へ向かうのは私と彼の二人だけ。
「暇だったら、代々木公園にでも行こうか。」
彼にあこがれていた私は天にも昇るうれしさで
「暇です。」と即答。初めてのデートが成立したのだ。

渋谷で電車を降り、頃は昼時。そろそろお腹も空いてきたし・・・。
しかし彼は昨夜財布を盗まれ、文無しのはず。ここは私がおごらねば・・・
と、思った矢先、
「腹、減ったなあ。メシ、食べに行こう。おごるよ。」と、彼。
「あ、でもお財布盗まれたんじゃないんですか?」
「大丈夫、美味しいところ知ってるから。」
どんどん先に立って歩き出す。不安を抱えてついていく私。


325 名前: 22年前の事・2 投稿日: 2000/04/06(木) 05:17
入った先はガード下のカレー屋。
美味しそうな匂いが狭い店内に充満していた。
「なんでも好きな物頼んで良いよ。」と笑顔で言ってくれる彼。
そっと壁のメニューに目をやり、
内心、「いざとなたら私が払おう。」と思いつつビーフカレーを注文した。
出てきたカレーはとても美味しかった。
先に食べ終えた彼が脇に置いた鞄をごそごそやっている。
と、ワンカップ大関の空瓶を取り出したのだ。
からっぽ・・・ではなかった。中に小銭がじゃらじゃらと入っている。
彼は蓋を開け、二人分のカレー代を取り出すとまた蓋を閉め鞄にしまった。
それは昨日舞台で彼が持っていた小道具だった。

あこがれの人とあこがれの初デート。初の食事。
それはあこがれていた情景とはほど遠いものではあった。
けれどもあの時のカレーは美味しかった。
・・・確かに美味しかった。
見てくれなんか関係ないと言うことを厭になるほど教えてくれた味だった。

家族となり、家族が増えて、東京を離れてもうずいぶんと経つ。
主人が住んでいた渋谷のアパートは、今では東急ハンズになってしまった。
まだ、あのガード下のカレー屋はあるのだろうか。

長くてごめんなさい。


326 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 13:20
泣ける話も、そうでない話も
食べることって生きていくことなんだと感じさせてくれます。

ってなわけであげ。


327 名前: ましゃ 投稿日: 2000/04/06(木) 16:49
私が結婚するまで、やきそば作りは父の担当でした。
「ほーら、いっぱい食べろよ」といって
たくさん取り分けてくれたっけ。
今度実家に行ったとき(近いけど)、また父やきそばが食べたいな。


328 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 17:27
クレイジーソルトのメーカーのものではありませんが、
レモンとハーブ数種類が入っている、似てる製品があります。
(Mrs. Dashとかいう名前だったかな?)
鮭の切り身にふりかけて焼いてみたら、ものすご〜くおいしかった!
その製品には塩が入ってないので、お好みによって
付け加えてもいいし、健康を気になさる方は、そのままでも十分OK!


329 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 17:32
↑うきゃ〜!違う所に書き込んでしまった!ごめんなさいっ!


330 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 19:28
やってくれたぜ、名無しさん!!(微怒)


331 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/07(金) 15:26
友達と旅行にいったら
揃って胃の調子が悪くて
全くごちそうが食べられなかった
大雪で観光地も休みだった
部屋でパズルしてテレビみて
食事はヨーグルト1個を2人で分けて食べた


332 名前: あぁ 投稿日: 2000/04/07(金) 16:47
まだ幼稚園の頃、母親は妹の出産の為入院していた。
当然父親と私だけだったのですが、いつも食事など作ったこと
の無い父親が作れるものといったら、インスタントラーメンだけ。

暗い台所で一生懸命(?)インスタントラーメンを作っている父親
の姿が今でも目に浮かびます。


333 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08(土) 00:41
子供の時野菜嫌いで、母の作る野菜たっぷりラーメンより父の作る
そのままのインスタントラーメンが好きでした。
今は自分で作りますが体のために野菜を入れてラーメンを作ります。
大人になったなあと自分でしみじみ思ったりします。


334 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08(土) 10:33
魔法使いがコーラを運ぶ話良いなぁ
ウチの祖父もちょっと近寄りがたい雰囲気のする
おじいさんだったんだけど、部屋の天井に据え付けた
スポットライトをさして、「アレはここに泥棒が入ってきたら
退治するためのレーザーを出す機械なんだよ」と
刷り込み、孫を興奮させていました。ちゃめっ気のある人でした。

ウチの祖父のうちは田舎だったのでかなり広大な庭を
もっていたのですが、ここで鶏を放し飼いにしていました。
夜は木ノ上で眠っていて、鶏は飛ばないと思っていた僕ら孫どもは
驚いたものでしたが、あるとき祖父宅に行くと鶏がいない・・・
「どうしたの?」と聞くと、「客が来たので食べてしまった」
と言って、孫達をびびらせました。
これはホントに食べてしまったみたいです。


335 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08(土) 16:51
数時間かけて最初から最後まで読んでたら
泣きすぎて気持ち悪くなってきてしまった。オエ〜〜
こんなに天気のいい昼間に、一人で何やってんだまったく。
朝から何も食べてないよ。



336 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08(土) 21:18
たまらん あげ。


337 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09(日) 01:22
5年前、6つ下の人と付き合ってて、でも歳の差を気にして悩んでた時
愛想の無い(悩んでたからね)私に、「大好物をもってきましたー。」
って言って、魔法瓶の水筒にクリームシチューを入れて
もってきてくれました。
入れるときは押し込んだのであろうジャガイモが出なくて、
面倒な事になりました。二人で笑いながら、菜箸でつぶしました。
自分で作ったらしく、大根が入っていました。普通入れませんよね。
結局、その彼とは別れてしまったのですが、
シチューを作る時に、時々大根を入れるようになりました。

楽しかった思い出のはずなのに、こうして書いてみると
やっぱりせつない気持ちになりますね。私にしかわからない気持ち。



338 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09(日) 01:33
もの食うひとさん。ちゃんと見てる?
うれしいよね、こんなにたくさんの人にね。
個人的には、魚のてんぷらの話と、給食の三角食べの話が好き。
皆さんはどう思います?って話題が変わっちゃうからだめね。



339 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09(日) 01:35
高校の時に学校でそうめんをしたことがあります
麺担当、氷担当、つゆ担当,薬味担当などに別れて朝から準備
先生にもクラスのほかの子達にもあきれられた
でも楽しかったよ
あ、でも樽担当になった子はもう二度とやらんと怒っていた
樽ってそうめんを入れるあの容器のことです
なんかすごく持ってくるのが恥ずかしかったみたいです
でももっと小さいので良かったのに、
何であんな巨大なすしダルみたいなのを持ってきたんだろう?


340 名前: AYAKA 投稿日: 2000/04/09(日) 03:28
給食といえば、小学校のとき同じクラスに好きな男の子がいて。
給食の時間に半で机を寄せるんですが、
そうすると、前のこの肩越しにちょうどその子が見える。
で、その子がパンを食べるとあたしもパンを、
その子がおかずを食べるとあたしもおかずを、と、
給食の時間中、ずっと真似していたのを思い出しました…


341 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09(日) 04:38
私が5歳で兄が10歳だった時。母が珍しく熱を出して
寝こんでしまいました。夕飯を作る人がいなくなってし
まったので、2人ではじめてチャーハンを作ることにな
りました。母が寝ながら次はあれをいれてとか、あれを
炒めてとかの指示にしたがって作りました。八割くらい
出来たところで母が「じゃあ香りづけにお醤油をいれて」
って言ったんですが、「お醤油をいれて」ってとこが聞き
取れず、香り付けに・・・と言うところだけ聞こえまし
た。当時母親とよくケーキ作りをしていた私はそれでピ
ンと来てしまいました。香りづけと言えばバニラエッセ
ンス!!。。。。
2人ともはじめての料理だったためバニラエッセンスに
疑いを抱かずチャーハンに投入。しかもおもいっきりい
れました。。。
当然チャーハンは食べれたものではなく私は本気で泣い
てしまった記憶があります(笑)。それで寝ていた母が起
きてきて、チャーハンを一口食べてゲラゲラ笑っていま
した。結局ラーメンを取って食べる羽目になったのです
が、今でも思い出すとおかしくなります。

でも無知ってすごいですね〜。今考えるとチャーハンに
バニラエッセンスって絶対入れられないけど、まあ思い
っきりよく入れたものです(笑)


342 名前: >341 投稿日: 2000/04/09(日) 07:07
うちも小さい頃、母が家でお菓子を作る人だったんで
なんか好きだわ〜この話(^_^)


343 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09(日) 12:44
ひとりぐらしなんですが
このスレを読むと
ううっ(涙)……里心が……


344 名前: 拙い文章ですが 投稿日: 2000/04/09(日) 20:00
7年前、仲の良かった大伯母夫婦が私の実家の近所に庭付きの家を買った。
それから1年程たったある夏の日、私の家族と大伯母夫婦とでバーベキューを
する計画を立てた。
何日も前からとても楽しみにしていた。
炭も買った。網も新しいものを用意した。
肉も野菜も買ってきた。
ところが前日の夜、大伯父は倒れた。
そして、その日の内に亡くなってしまった。

次の日、バーベキューをしているはずだった大伯母の家の庭には、
通夜に来た親戚たちばかりがいた。
結局、大伯父がその家に住んだのはたった1年だけだった。
血のつながっていない私たち姉妹をかわいがってくれていた。
誕生日やクリスマスには両親がくれる以上のプレゼントをくれていた。
でも私はまだ大伯父に中学校の制服を着ている姿を見せていなかった。

大伯母の家は独りで住むには大きすぎる。
私は帰省するといつも泊りに行く。
いつも大伯母は私に肉を焼いて食べさせてくれる。

6年前のあの夏の日、親に反抗した事なんてなかった良い子の妹が
なぜかしきりに「バーベキューする日、もっと早くにしようよ」と
訴えていたのを今でも思い出す。


345 名前: 酔ってません 投稿日: 2000/04/09(日) 20:25
ヒック・・・


346 名前: 24才 投稿日: 2000/04/09(日) 20:37
大学4年間ずっと交際していた彼女がいた。
僕に友達が少なかったこともあって、週末は
いつも一緒だった。
大学生活=彼女との時間と呼べるほど長い時間を過ごして
いた。でもそれは自然すぎて、就職というイベントの前に
簡単に、その関係を崩してしまった。
大学生活はあまりにへいたんすぎたように思う。

一人暮らしだったけど居酒屋でバイトしていた僕は結構
こまめに料理し、彼女にも振る舞っていた。
彼女が特に気に入ってくれたのがキムチ鍋だった。

一つ年上だったけど、無邪気に喜んでくれると凄く
嬉しくて月に2回は作っていた。

省略

とにかくキムチ鍋は二度と見たく、食べたもない。


347 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 02:01
ついこの間のこと。
事故などでお金が無い彼氏。
その日は天気も良くて、ハトのいる公園でぶらぶらしていました。
「ハトのエサ20円。20円ぐらいなら、いいよねえ」と一袋買いました。
でも、彼はそのエサをじーっと見てた。。。
「ねえ」って私が振り返った時、彼の口はなぜか、もぐもぐと動いていました。
「きゃーっ、何食べてんの?」って大声で言っちゃったもので
回りの子供達も「食べれるの?」って恐る恐る口に入れちゃってて。
ちょっとした騒ぎになりました。

その後「おいしかった?」って聞いたら
「こんな味」と、ちゅっとキスしてくれました。
びっくりどっきりな、食べ物・・エサの思い出でした。
ちなみに26歳と25歳の大人の2人ですので、恥ずかしいのですが。


348 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 07:31
ははは、なんか↑の話、いい!
私も奈良で鹿せんべい食べてみたことが、ある。
「奈良に行って来ます」って大学の先生にいったら
「食べてみたいから鹿せんべい買ってきて」と言われ、買ったついでに
なんとなく、口へ・・・うーん、激マズでもないし激うまでもありませんでした。


349 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 07:36
亡くなった祖父の手打ちうどん、手打ちそば……ジュルル(笑)
お盆の時期に田舎に帰ったら、私は手打ち職人にされてしまう。
まともに手打ちを教わったのは、孫娘の私だけ。


350 名前: さう゛いぼ 投稿日: 2000/04/10(月) 09:26
>349
代々伝えてくださいです。



351 名前: みそ 投稿日: 2000/04/10(月) 11:43
age


352 名前: 草壱号 投稿日: 2000/04/10(月) 14:53
食べた物でな無いのですが…


少し大きめの喧嘩をし、少し距離を置く約束をして4日目。
彼女は話があるから会いたいという。
その日の夜に会う約束をした。

が、結局彼女は抜けられない会議、俺は残業。
気がつくと既に夜の10時近く。
晩飯を食いに行くには少々遅い時間。
そして彼女からの連絡で俺は彼女の会社まで迎えに行った。

彼女を待ってた俺も、10時まで会議をしていた彼女も
お互い少々どころじゃなく腹が減っていたんだろう。
送る車の中で彼女が言う。

「どっかで食べようよ。ロイヤルホストとか…」
「…ロイヤルホスト?何か買って君の家は?」
「家?…うーん…ちょっと…」

俺は自分の嫌な予感を感じた。
普段、絶対そんな所で食べない彼女。
その彼女が、家に入れないで外で食べる。
しかもその場所はロイヤルホスト。間違い無い。

「いや…あのうどんとか食べようよ。ローソンの。」

半ば無理やりその方向に持っていき、ローソンで買い物。
冷凍のうどんを2個買って彼女の家に。
彼女の家に上がって、冷凍のままコンロに乗せる彼女。
暖めはじめた2個の冷凍うどん。
俺は話を切り出した。

「話…って何?」

この後は決まりの別れ話コース。
冷たい状態からコンロにかければ10分で暖かくなるのに。
俺達の仲は10分で冷え切ってしまうんだね。
でも飯を食う前に別れ話も無かったね。
食欲なんてどっかに飛んじまったよ。

結局その冷凍うどんを、食べないままに俺は彼女の家を出た。
きっと、これからも冷凍うどんを見る度に思い出すだろうな。
きっと、もう二度と買う事も無い。


353 名前: 草壱号 投稿日: 2000/04/10(月) 16:44
同じ彼女ネタでもう一つ…
ごめんね生々しいんだ、未だ記憶が。

去年の暮れ。
毎年両親は年末から年始にかけてスキー旅行に行く。
だから大晦日とかその前日に俺は実家に帰る。
何れ結婚するつもりだった俺は、彼女を実家に連れていった。
両親に紹介するために。

実家について家に上がると、スキヤキの準備がしてある。
何時も俺が帰る時は豚汁とかカレーなのに。
彼女を連れていくってんで奮発したらしい。
何時もは買わないような良い肉が用意してあった。
実際食べると、すこぶる旨い。
随分久しぶりに食べる上等な牛肉。
普段牛肉が余り好きでは無い俺も、つい頬張る程だった。
隣に居る彼女は、とても美味しそうに食べている。
彼女とこれからこういう食事の機会が何度もあるんだな…
漠然とその時俺は思ったもんだ。

今このスレッドを改めてずっと読み返して、あの時の牛肉の味と
美味しいといってにっこり笑った彼女の顔が思い浮かんだ。


354 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 21:12
うーん、みんな頑張って生きてるんだなぁ。おれも頑張ろう。


355 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 22:20
本当にいいスレッドだ…。


356 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 22:35
両親共働きで夕ご飯を作るのは私の役目になってました。
といっても、ディナーサービスとかいって材料だけ分量もはかって
箱に入ってる配達のやつを作るだけなんですけど、当時小学4年生。
ある日、学校から帰ってくるとどうも熱っぽくて体がだるい。
二つ下の妹にご飯をたべさせなくちゃって、わかってても
どうしてもつらくて、妹ができる卵ごはんをたべててって
眠ってしまった。「お姉ちゃん、ごはんできたよ」って
起こされて「勝手に火をつかったの?」て心配しながらテーブルに
行くとそこには八宝菜ができていました。
トローってしているのをどうやって作ったのか感動したのを
今もとろみがついてる物を食べるたびに思い出します。


357 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 00:09
LAの郊外のとある街に、一軒家の日本レストランがありました。うまく表現でき
ないのですが、楓や松に隠れた建物は、南カリフォルニアとは思えないようなとこ
ろでした。残念ながら、取り壊されて今はもうないのですが。
社長夫人の提案で、五人組は食事に出かけました。部屋は一つしかなく一日に一組
限定でした。懐石料理は素晴らしく、ああこの人(社長夫人)はいいお店を知って
いるんだなあと思いました。
食事が終わって、お庭や浮世絵を見せていただいているときに、オーナーのマリさ
んが挨拶に来られました。社長夫人は紹介してくれたのですが、マリさんを目の前
に、
「やまださん、マリさんはね、交換留学生だったのよね。米人の家にホームステイ
して。それが、まあ、奥さんを追い出して、ホストファーザーと結婚したのよ。弁
護士さんだったんでしょう、マリさん?ずいぶんお金持ちだったんでしょう。その
ダンナが死んでから、遺産相続で、、、ほら、ダンナの連れ子とかずいぶんもめて。
大変だったんでしょう、ねえ、マリさん。結局、このお店を始めるお金だけしかも
らえなかったのよね。連れ子がいると後妻は大変よねえ、マリさん。」
びっくり仰天してしまいました。社長夫人は、相当変わった人だとは思っていまし
たが、ここまで凄いとは思いませんでした。同時に、私の中の冷静な部分は「駐在
員夫人にだけ、おかしなことを言うわけではないんだ」と考えていましたが。




358 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 00:13
しばらく後、私が五人組を抜けてから(!)、偶然マリさんと再会しました。年齢
は離れているのですが、すぐに仲良くなりました。
マ「あなたも、そういう性格だから、あの親分と一緒は大変でしょう」
み「もう、今は単独行動ですから。怒ってるみたいですけど、気にしてません。」
マ「さっきも言ったようにね、ホームステイ云々で、あの親分の言っていることは
  本当よ。でも、それを本人の前で言える人は、やっぱり、、、違うわね。歳の
  離れた弁護士と結婚して玉の輿にのったけど、相手の連れ子に財産持っていか
  れて、仕方なく食堂やって食いつないでいる、可哀想なおばさんに、どうして
  もしたいみたいね。気にしないことにしてるけどね。」
み「あっ、はああ。。。。。」




359 名前: だるまいんこ 投稿日: 2000/04/11(火) 01:11
>357、358
よその板からのコピペは止しましょう。
ここの雰囲気を壊すのはやめてね。


360 名前: >347 投稿日: 2000/04/11(火) 02:13
うち、子供のころの写真を親が子供別に凝ったアルバムに
してたんだよね。んで、俺の奴には、
三才くらいの俺が鳩のエサを拾って食ってる写真があって…(汗
キャプションつけてありやんの。
「だめ! それはハトの分!」。。。。トホホ
自分じゃ覚えてないけどね。

覚えてるので一つ。子供のころ三つ葉狩りに連れて行って
もらったんだよね。お吸物とかに入れるあの三つ葉。
俺、ガキのくせに大好物でさ、生えてるのを、むしる端から
食ってしまった。もちろん洗ってないっす。
後で思い出したら、そこって親戚の犬の散歩コースだったん(汗
どくぜりって紛らわしい植物もあるそうだし。
でも、あのときの三つ葉ほどうまい三つ葉は後にも先にもないなぁ。
三つ葉を食べると思い出す。


361 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 09:48
>357、358
生活板の、あの悪名高きスレッドからのコピペですね。あるいは、ご本人でしょうか。
あの方が来ると掲示板が荒れるので、ご遠慮ください。
ここの雰囲気がロビーや生活板と違うのが分からないですか?


362 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 14:28
ずいぶん前の事、高校からのたった一人の親友がいて大学でて、就職して
からもずっと仲が良かった。
でも彼女に彼ができてから状況が変った。
素性が不明の彼で、働いている所に104で調べて電話をしたら「そうい
う者はこちらには居ません」といわれた。
彼に聞くと「ふーん、わざわざ電話したのヒマだね」と返された。
出身地もウソ、両親の事もウソ、彼のいうたくさんの友達にも会わせても
らえない。
飲みに行けば酔ってあばれる。あばれて壊した物品代も含めて店への支払
いは、私と割り勘。
彼女と同棲をしていてもお金は全然出さない、反対に彼女にお金をせびる
毎日。
彼女がお金に困っているのは良くわかっていたけれど、そんな彼と別れな
いでいる彼女に私はすごく腹を立てていて援助はしなかった。
ある日、彼女が私の職場にいきなりお弁当を持ってきてくれた。
(彼女のアパートと私の職場はすごく近い)二人で一緒に食べて、久々に
楽しくおしゃべりをした。
お弁当は野菜炒めと卵焼くらいのものだったけれど、ご飯があたたくてお
いしかった。お弁当箱を洗って返しながら
「おいしかった、ご馳走さま」といったら
彼女は「お弁当代は払ってくれないの」って。
すごくショックでお金を払いながらも、なんだか気持ちが混乱していて、
いまだったらもっと気楽に「ハイッ」って払えるだろうけれどその時はで
きなかった。
それからも彼女の彼の事が許せなくて、彼女とは音信不通になってしまっ
た。
職場で皆とお弁当をひろげてワイワイやっているとき、たまーに思い出す。
もっと心を広くもっていれば今も親友でいられたのかなって。





363 名前: バッカーです 投稿日: 2000/04/11(火) 15:17
きっついハナシだねぇ


364 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 21:28
旦那が夜働いているから、私が残業すると
家には腹を減らした子供達と呆けたお姑さんだけになってしまう。
お姑さんは呆けていても、腹が減ればなんか食べるが、
当時、小学校3年生を頭に、離乳食を終わったばかりの子供までが
腹を減らしたまんま私の帰りを待つことになるので、なるべく、遅くなりそうな日は
旦那に作ってもらうか、出かける前に支度しておくようにしていた。
ある日、何の支度もしていないのにどうしても翌日の朝一番の会議の資料を
作らなければならないときがあった。
旦那はその日は早出で、子供を保育園に迎えに行き、家に連れ帰ったら即座に出勤しなければならなかった。
とにかく、ご飯は炊いてあったので、ふりかけで食べなさいと
子供に電話をかけ、なんとか仕事を終わらせ夜遅くに家に帰った。
子供達はとうに寝床に入り、気配はなかった。
夕御飯、一番下のちびもちゃんと食べられたかどうか心配しながら台所にはいると、
納豆臭いのである。子供達がみんな揃って納豆を食べた後があった。
そして、テーブルの上にはへたくそな字で長女の手紙。
「ママ、おしごとたいへんだね。ふりかけがなかったから、なっとうつくったよ。
みんなおかわりしたからママのぶんなくなったの。ごめんね。キムチでご飯たべてね。」
そんなことが書いてあった。
子供達が悪戦苦闘して納豆を作ってご飯を食べる様子を想像して、
笑えてきて、仕事の疲れは吹っ飛んだ。
もう、家のお手伝いしてもらえるぐらい、子供が大きくなったんだと思うと、
妙に幸せな気分になった。
次の日、納豆を自分で作ったことと、ちびにそれをちゃんと食べさせたことで、
普段はおこりんぼの私もむやみやたらと上機嫌で娘を褒め称えたのであった。



365 名前: 上の続き 投稿日: 2000/04/11(火) 21:29
あれから2年。今では、長女と次女はあれこれ料理に興味を持っていて、
包丁仕事を手伝ってくれる。私の帰る前にご飯を炊いておいてくれるようになった。
なのになぜか、我が家の子供達は未だに母親が残業する日には納豆を食べる。

将来、納豆を見て奴らは、子供だけで囲んだ食卓を思い出すのだろうか。
それは、寂しい想い出になってしまうのだろうか、
それとも、そんなこともあったなぁと言う、子供の頃の一風景になるのだろうか。

そんなことを思いつつ、3パック100円以下で売っているおかめ納豆を見れば
必ず3パック買ってしまう私なのであった。
娘達よ、卵だけでなく、面倒がらずにネギも刻んで入れたほうがうまいぞ。


366 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 23:27
いい母ちゃんだね。
寂しい思い出になっちゃう時期もあるかも知れないけど、
きっと大人になったらいい思い出になる。
俺も親の大変さとか、まだあんまりわかってなくて
(ちなみに実家暮らしの二十歳、一応職有りです。)
未だに親にムカついてみたりもして、いい子供じゃないけども
鍵っ子だった頃、一人で飯食おうとして
レンジにアルミホイル入れて壊しちゃったこととかいい思い出よ。



367 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/12(水) 01:26
>364・365さん。
納豆キライだけど、食べてみようかなって思っちゃいました。
自分は親になった事がないから、母親の目から見た世界って
こんな感じなんだーって思いました。
きっと子供から見たら、子供たちだけで食卓を囲んだことより、
お母さんがいっぱいほめてくれたことの方がずっと強く記憶に残ると思うから、
大きくなって思い出したらほわーんとしたいい思い出になってるんじゃないかなあ。
ずっといいお母さんでいて欲しいです。
お仕事と母親は大変だろうけど、負けないでがんばってください!


368 名前: PB 投稿日: 2000/04/12(水) 02:19
小学生のころ、市内に一軒だけあった大手ファーストフードのモスバーガー。
ある日、両親が仕事帰りに買ってきてくれることになった。
その夜は楽しみで楽しみで、兄弟3人ワクワクして待っていました。
(ワクワクしていたのは自分だけだったかもしれませんが)

帰宅した両親はニコニコ顔。
ほ〜ら!といった感じで取りだしたのは、個人経営の、100円バーガーをウリに
していた、今は無きしょぼいバーガー店のハンバーガーでした。
私は、モスバーガーのフィレオフィッシュなんかを期待していたので、正直がっ
かり。父は「こっちの方が安くて、たくさん食べられるだろ〜♪」などと上機嫌。
複雑な気分でした。
たった一個でもいいからモスのを食べたかった・・・という気分でしょうか?

その時の台詞のやり取りなど、詳しいことは覚えていませんが、父の「嬉しいだろ?」
調の笑顔と、テーブルの上のしょぼいハンバーガーと、両親の意に反して、がっかり
していた気持ちだけはよく覚えています。

親からしてみれば、子供らを喜ばしてやろう!ってしたことが、スコーンと外してる
パターンのいい例だったです。
でも、なぜそんなにモスのハンバーガーが食べたかったのは、よく分かりませんし、
父も随分前に他界してしまったので、今となってはいい思い出だなぁ。うん。



369 名前: モスバーガーのフィレオフィッシュ 投稿日: 2000/04/12(水) 02:41
うーん つらいなあ


370 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/12(水) 03:58
368と似たような話しだけど
小さかった時貧乏な我が家ではおやつ代は切り詰める対象
になっていて、安いものだけ食べてました。そんな私たち
兄弟に高嶺の花だったのがカロリーメイト!!
1回2回食べて気に入ってたんだと思うんだけど、カロリー
メイトがすっごく憧れでした。そんな私たちに父が「明日買
ってきてあげる」といって会社に行きました。その日も残業
だったけどカロリーメイト食べたさに待っていた私たち。
そんな私たちのために父が買ってきたものは、まさしくカ
ロリーメイトでした。し、しかしドリンクの方だった。。。
遅くまで待った挙句にあのまずいドリンクのカロリーメイト。
父親は信用ならん、と思った1件でした。


371 名前: >納豆 投稿日: 2000/04/12(水) 12:18
いいお母さんだね。こういう家庭だと子供はきちんと育つんだよ。
手間暇かければいいってもんじゃない。
自立が早いとしっかりするし。
う〜ん感激。


372 名前: 緑一色 投稿日: 2000/04/12(水) 14:52
大学の頃、毎日自炊していて常備菜も少し作っていた。
初めて彼女が部屋に来た時、冷蔵庫の中のタッパーを見て、おかずを
届けている別の女がいると誤解し、喧嘩になってしまった。
確かに、タッパーの中味は茹で豚(醤油&八角風味)とか、筑前煮とか、
男の学生が自分で作って保存したりしないだろ普通、というものだった
ので、いくら俺が作ったといっても信じず、すったもんだの末に、俺が
彼女の目の前で料理を作ることになった。

その日、俺が料理するのを彼女は近くで見ていた。メニューは回鍋肉、イカ
とセロリの炒め物、コーン卵スープだった。(中華でまとめてみました)
手軽なインスタントの合わせ調味料は使わず、豆板醤や甜麺醤、酒、五香粉
などを使ってきっちり調味した。といっても特にテクがいるわけでもなく、
ただ事前に手順を頭に叩き込んでおいて、手際良く進めることを第一とした。

料理が完成した時には、彼女の誤解も解け、仲直りできたが、その後
何回も料理を作らされるようになったのはちょっと失敗だったかもしれない。
彼女とは結局別れてしまったのだが、あんなに真剣に、絶対失敗しない
ようにと気合入れて料理したのは後にも先にもあれっきりだなー。


373 名前: ハト 投稿日: 2000/04/12(水) 16:46
私の中学校の昼飯は給食ではなく弁当持参だった。

私の母の作る料理はお世辞にも美味いとは言えないもので、なおかつ見た目も悪かった。
そんな母の弁当を、とても恥ずかしく思っていて、学校にも持っていけず、
毎朝、家の玄関に母の作った弁当を忘れたフリをして置きっぱなしにしていた。

でも母は何も言わなかった。

ある朝、4時頃に、私は急にトイレへ行きたくなり目が覚めた。
両親ともまだ寝ているだろうと、そっとトイレまで向かうと、台所で物音がしている。

母だった。

一生懸命レシピを片手に弁当を作っていた。
私は兄弟が多く(5人)、母は全員分の弁当を朝早くから作っていた。

そんな事、ちょっと考えれば分かるのに、母の顔をもっとよく見れば分かってあげられたのに…。

それからは絶対に母の弁当を置いていくことはしなかったが、
私は長い間母の心を踏みにじっていた事を考えると今でも涙が出ます。




374 名前: 号泣さん 投稿日: 2000/04/12(水) 17:07
え〜んえんえん。


375 名前: >364 投稿日: 2000/04/12(水) 17:15
ええ話やぁ〜(T_T )
いつか大きくなったお子さんと食卓を囲んだときに
昔話をするのもいいかもしれないですねぇ


376 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/12(水) 23:26
私の家は4人兄弟の大家族。決して暮らしも豊かなものでは
無かったため、友達が小銭持って駄菓子を買うのを、
いつも横目で見ていてうらやましかったなぁ。
おやつは、皆でカールや、麦チョコを一袋とかだった。
まだ小さい私と妹は、机の上にティッシュを4枚並べて、
ひとつひとつ数えては、均等に分けていくのが楽しみだった。

そんな兄弟も中高学生ぐらいになったある日、まだ小学生にも
ならない、小さないとこが遊びにきた。
ちょうど その時に、いちごが我が家にあったので、
洗ってざるに入れられて、出された。
私たちは、バラエティ番組を見ながら、
ものも言わずに、そのいちごを口の中へと運んでいった。
ふと、いとこに目をやると、いとこは必死の形相で、両手に
いちごを手にして、一生懸命はやく食べようとしていた。
その横を、何も気にしてない兄や姉の手がいちごを
ひょいぱくひょいぱくと・・・。
思わず大笑いしちゃいました。
いとこは、ひとりっこだったんで、思わずとてもびっくり
してしまった ようです。
兄弟で育てられて、知らず知らずのうちに食い物競争しちゃって
たんですね。




377 名前: (T_T) 投稿日: 2000/04/13(木) 16:18
いいスレッドじゃ〜


378 名前: 元板前 投稿日: 2000/04/13(木) 16:52
嫌な思い出だけど...
中坊の時、友人数人と遊んでいる時に一人が「たこ焼き、食おうぜ」と
言い出して近所のたこ焼きやさん(おばちゃん経営)に、行ったが、
僕は少し前にファミコンのROMを買ってしまって、小遣いが
無かったので、「俺はいらないヤ」と言って店の前で皆が
食べ終わるのを待つことにしましたが、店のおばちゃんが、
一人食べずに友達の輪から外れている僕を見かねて、
「(お店の)中にいらっしゃい、たこ焼き、食べさせてあげるから」と
声を掛けてくれたにも関らず、僕は「要らない!」と強く拒絶をしました。
なんだか、あの時は人に同情されているのが気に食わなかったのか、
声を掛けられた瞬間、おばちゃんの優しさを同情から来るものと思い、
自分が無償に惨めに思えて心の中で悔し泣きしました。
今、思うとおばちゃんは、僕が仲間外れにされていると思って声を
掛けてくれてたんだよな〜と後悔しきり。
今もたこ焼きを自分で作ったりすると、あの当時に、悔し泣きした自分、
おばちゃんの気遣いを拒絶した自分が甘くて、青くて、
厨房だった事を思い出して、胸が少し痛くなります。

おばちゃん、ごめんなさい。


379 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/13(木) 21:03
なけてなけて。
本年度2ちゃんねるスレッド大賞ノミネートである。


380 名前: 納豆かあちゃん 投稿日: 2000/04/13(木) 22:14
>366,367,371,375
ありがとうございます。実際あんまりいい母ちゃんでは無いのだけど、
自分の書いたの読み返して、皆さんのRES読んだら、
ちと、子供を怒るのは控えようなぁと思ったり…
親の稼いでる間、子供も働いてくれてるようなもんですから。
今、忙しいけど、RESで気力貰いました!がんばるぞう!!

>373
んでも、「おいしかった。」の一言で母は報われます。
きっと、おかーさんの心は、弁当を持っていってくれるように
なったところで癒されてると思います。
「また作ってね」と言われるから、弁当のある日の早起きも苦にならないのが母です。
(単純バカとも言うかも。あ、これも親ばかのうちかな?)

>378
私の子供(3才〜10才の5人)と、弟の子供(ひとりっこ4才)に、
大皿にあられをのっけておやつとして出したとき、
同じ様な事が起きました。あられを出した後、母親同士はのんびりとお茶を飲んでいると、
突然、弟の子供が大きな声で「わーーーーーん!」と、泣き出したのです。
「だれか、虐めたの!?」ときくと、他の5人はきょとんとして首を横に振るばかり。
泣きじゃくりながら必死に訴えるのを聞いたら、
「まだ、ちょっとしか食べてないのに、からっぽになっちゃったー!!」
ということだったのでした。
普段は人に取られることがないから、一人っ子ちゃんはのんびり優しいんですよねー。
自分自身も4人兄弟だから、ちょっと一人っ子はうらやましかったり。


381 名前: ?1/4?3?μ?3 投稿日: 2000/04/13(木) 23:16
私が小学1年の時、母と姉と3人であこがれのマクドナルドに
初めてはいりました。
3人とも初のファーストフードにどうして良いか分からなかった
ようで、なぜかチキンナゲット16コ入りを
飲み物も飲まず黙々と食べていた。
今でもマクドナルドのチキンナゲットの
匂いを嗅ぐと、その時の間抜けな光景が思い浮かびます。



382 名前: 三子の魂 投稿日: 2000/04/14(金) 01:18
332「あぁさん」へ

>まだ幼稚園の頃、母親は妹の出産の為入院していた。
>当然父親と私だけだったのですが、いつも食事など作ったこと

私も、同じような思い出があります。
母が病気のため入院した日、母と別れるのがいやで泣きわめいて
いた当時3歳の私は、無理やり父に背負われて帰りました。

帰宅してから、父がズボンの腹の部分にタオルを挟み、エプロン
代わりにして夕飯を作り始めました。
始めてみる父の料理支度の姿を不思議に思い、私は父の背中を
食卓からぼーっと見ていました。

できた料理はベーコンとサヤエンドウのバター炒めでした。
そんな料理は母も作ったことがなかったので、食べるのにとても
躊躇したのですが、泣き疲れてとてもお腹がすいていたので、
一気に食べてしまいまいました。ちょっとベーコンが塩辛かった
のですが、とても美味かったので驚きました。

父は、潔癖なうえ厳格でしたので、当時どうしようもなく我がまま
だった私は、始終殴られておりました。おかげで父には恐怖を感じ
ていましたが、この時の父の料理をする姿には、なにか別なものを
感じました。

もう母はこの世になく、父だけが残っておりますが、たぶん父が
母のもとに逝っても、この料理姿と背負われて帰った日の記憶は
一生忘れないと思います。



383 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/14(金) 18:29
滅多にない父の料理って記憶に残るものなんですね。
うちは釣った魚は必ず父がさばいて刺身にしてました。
あじは(これは買ったのかな?)いつも大皿皿山盛りのたたきでした。
「店で頼むとこーんな少なくて500円も600円も取られるんだぞ。」
が口癖でした。居酒屋に行く歳になってそれが真実と知りました。
あー皿一杯あじのたたきが食いたい。三杯くらい。



384 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 00:58
普段から少食でそれがコンプレックス気味の私。
彼とご飯を食べに行っても、何よりも食べきれるのか心配。
彼もそれを知っていて、だんだん辛そうになる私を見て
「大丈夫。無理すんなよ。残り、食べてあげるから」って食べてもらってました。
いつも最後まで食べきれない私が
初めて食べきれた時、彼は「よし、イイコだなー」って
頭を撫でてくれて、とっても嬉しかった。
でも、ぼそっと「おれ、カルボナーラ大好きだったのに」って。
私が残すのをちょっと期待してたのかなー。

カルボナーラを頼むたびに彼のあの嬉しいような
哀しいような、複雑な顔を思い出します。





385 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 20:39
しかし、最近名作スレが増えたな〜。
他の所は沈静化しそうだけど、ここはずっとアゲ続けてほしい。


386 名前: 三子の魂 投稿日: 2000/04/16(日) 00:40
>383
>滅多にない父の料理って記憶に残るものなんですね。

そうなんですよね。もう30年以上も前のことなのですが、
いまだに鮮明に覚えています。
ところで、私もあじのたたきを腹いっぱい食べたいです。


387 名前: 三子の魂 投稿日: 2000/04/16(日) 00:44

小学4年の時に家族で飛騨高山に行った。
串団子を食べた。
急いで食べたので、串ごと食べた。
喉に串が刺さって、痛くて泣いた。

彼女の実家に結婚の挨拶へ行った。
飛騨高山だった。
義母が串団子を買ってくれた。
今度はゆっくり食べた。

うまかった。



388 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 00:54
381さんは、私の弟じゃないでしょうか。
誕生日は、2月20日ですか?



389 名前: たか坊 投稿日: 2000/04/16(日) 19:15
今から10年ほど前の話です。
当時、両親が離婚して経済的な理由から
父親に引き取られていた私は、中学校帰りに近所のスーパーで
パンと牛乳を買って帰り。それが夕食となっていました。
ところが、ある日。
いつもの様にパンを買って帰りTVを見ながら食事をとっていると。
隣に住んでいる、顔見知りのお婆ちゃん(当時80歳くらい)が
「たかちゃん、いつもパンなんやろ?こういうの食べへん?」
と野菜の煮物を持ってきてくれてました。
このお婆ちゃん、光江さんと言う方でして
戦時中に兄弟や、お子さんを何人も無くしたらしく
残ってる子供は全員女という事もあってか
男である私のことを、それからも非常に可愛がってくれました。
中でも思いで深いものに、おやつ代わりに作ってくれた
「さつま芋の砂糖菓子」というのがあったんですが。
当時食べる菓子は、スナック菓子のみだった私にとって
すごく美味しく感じられました。(食感は甘納豆風です。)
光江さんは、私が高校2年の時に亡くなられてしまったんですが
今でも、甘納豆を食べる度に。
お婆ちゃんの事を思い出してしまいます。
お惣菜以外にも沢山大事なものも貰ったな・・・と。(^_^)


390 名前: 人力 投稿日: 2000/04/17(月) 04:29
あげときますね


391 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/17(月) 14:36
3年前、父がガンの末期状態で母と弟とホスピスへ申し込みに行きました。
申し込んだ後、喫茶店であんみつを頼みました。
みんな胸が詰まって食べれなかったのですが、
父が「食え!全部食うんだぞ!」とものすごい形相で食べ始め、
母も下を向いたまま涙をボロボロ流しながら必死で食べてました。
弟は席をはずした後、真っ赤な目で戻ってきてものすごい勢いで食べました。
私は、これを全部食べたら父が良くなるような気がして一生懸命食べました。
ほどなく父はホスピスに入ることなく亡くなりました。
今でもあんみつを見るとあの日の光景が浮かんできてつらいです。



392 名前: あねーろ 投稿日: 2000/04/17(月) 15:55
いつだったか母が家を空けたときがあり、
その日の夕食は父が作りました。
確か野菜炒めか何かで、とてもまずかったことを憶えています。

あれから20年近く、一人暮ししている私の作る料理は
幸い母に似て美味しい(らしい)ものでホッとしております。
今なら私が作ってあげれるのに… お供えしようかな。


393 名前: 明るい田中麗奈 投稿日: 2000/04/17(月) 20:09
私がはじめてミスタードーナツで食べたのは小学生の頃でした。開店間もなかったその店はハロウィンにあやかって10月31日が誕生日の人にハロウィンの絵柄のハンカチをプレゼントする企画をやっていました。私の誕生日はまさに10月31日なのでやったーという思いでハンカチを貰ったのですが、一緒に来ていた祖母も「私も10月31日が誕生日なんだ」と言ってハンカチを貰ったのでした。おかげでその日以来高校の頃まで自分と祖母は誕生日が同じだと信じていたものでした。皆さんもお察しのようにそれは景品のための嘘だったのですが。そんな祖母が亡くなってもう10年が経ちます。


394 名前: 肛門の田中麗奈 投稿日: 2000/04/17(月) 20:27
おらよ〜、外で食う飯は何でもうまいと思うんだ〜


395 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/17(月) 22:05
うちは祖母・母・私と女が3人います。
祖母もまだシャキシャキしているので、仕事を奪っちゃ悪いよな〜との
大義名分の元、核家族だった頃はかなりやっていた食事の支度を全然
しなくなり、早3年くらい経った時のこと。
祖母・母が何の用だったかは記憶にないですがすっごく忙しく、急遽
私が夕食を作ることになりました。メニューはカレイを揚げて、あんかけ
をかけるというもの。双方アツアツをタイミング良く合わせたいところで
すが、何しろとんと料理をやってなかったので、カンが狂って右往左往
しました。
出来た辺りで祖父が外から帰ってきたので、皿に盛って食べてもらいました。
「久しぶりに作ったんやけど、どう?」ときくと「おいしいよ」と祖父は
言うんです。で、ざっと流しを片づけていざ自分が食べてみると、マズイ!
「きゃ〜、じいちゃん、なんでおいしいって言ったの〜!(笑)」
即刻あんかけを回収して味を付け直しました。タイミングに気を取られて
味見しなかったのが敗因でした。
いつもは祖母や母の作った料理に何かと文句を言う祖父なんですが、
いくら孫が作ったからってあんなマズイ料理に「おいしい」と言うなんて・・・。

最近前にも増して気むずかしくなった祖父が煙たかったんですけど、
この話思い出したから、明日からちょっと接し方が変えられそうです。


396 名前: XR乗り 投稿日: 2000/04/17(月) 23:08
高校生の時は毎日母親が必ず弁当を作ってくれていた。
ほとんど欠かさず毎日毎日朝5時半くらいに起きて
揚げ物とか手巻き寿しとか色々なメニューを作ってくれた。
でもたまに母親出かけている時などは親父が作ってくれる弁当だった。
メニューは必ず海苔弁に焼いたポークソーセージを乗せただけの弁当。
でもこれがとてもうまかったぁ。おかげで高校時代は1度も購買のパンや
コンビニ弁当のお世話になる事はありませんでした。


397 名前: 388 投稿日: 2000/04/18(火) 03:59
弟からの連絡は、無い。

この前、友達と電話で花見の段取りを相談してた。
「筑前煮持ってきて。」って言われた。
それは、料理が苦手な私が、2年前に同じメンバーの花見に
持っていった物だった。
はじめて人のためにお料理して、はじめて美味しいって言ってもらった
私のお料理だった。嬉しくて必要以上にはしゃいじゃったよ。
でも、それはお世辞だったと思うんだなぁ。後で思うと。

でも、それを覚えててくれた事がうれしくてうれしくて。
少々どうであれ、私が一生懸命作ったってことを、その子は見抜いて
いたんだな。ほんとに料理をしない私だったからなぁ。

「食べた思い出じゃなくて、食べてもらった思い出。」


398 名前: 本の虫 投稿日: 2000/04/18(火) 04:55
この学歴社会のさなか、地方出身ながら進学率の高い高校を
選んでしまった私は実家を出て下宿から通学していました。

中学を出たばかりの子供には寂しい状況で、泣き暮らした日々
もありましたが、しばらくして学校にも慣れ、当時無類の本好き
だった私は学校の図書室に入り浸るように。
司書の先生や同じ趣味の友人とも仲良くなって、親元離れた寂しさ
も薄れて来たある年の夏。私の誕生日が。

いつものように図書室に行くと、なんとそこには「おたんじょうび
おめでとう」と書かれたケーキが!
先生が下宿暮しの私を気遣って購入してくれた物でした。

学校隣のケーキ屋で売っている一番小さいホールケーキでした
が、その嬉しかったこと。生涯で一番美味しかったバースデー
ケーキです。今思い出しても涙が。

下宿先の食事情が良くなくていつも顔色の悪さを心配されて
いたような状況でしたから、少しでもカロリーのあるものを…
とか考えていたのかもしれませんが、それもまた良しと言う
ことで。


399 名前: 名無し野郎 投稿日: 2000/04/18(火) 13:47
出張先の塩釜で食った大トロと牛タン。
今までにどちらも食ったことはあったが、このときほど
「こんな美味いものを食ったことはない」と思ったこと
はなかった。


400 名前: 俺が小さい頃 投稿日: 2000/04/18(火) 14:36
母親の実家に行くと、決まって出てくるのが五目ご飯と
てんぷらとうどんだった。
いとこ連中もみんなまだ小さくて、正月とかに集まると
ゲームしたりトランプしたりして大いに盛り上がったものだ。
いまではみんな独立してバラバラになり、実家もなくなって
しまったが、あの五目ご飯の味はたぶん忘れない。一生・・・




401 名前: 三子の魂 投稿日: 2000/04/18(火) 21:45
以前のお話に、一番大好きなものを弟に取られてぶちのめして
しまうお話がありましたが、私は祖母に似たようなことをして
しまいました。

祖母が若いころ私の家に遊びに来て、近所で評判の割烹があると
いうことで、皆でその店に食事にいきました。
たしか私は小2か小3のころだったのですが、そのとき初めて
その店で「うなぎの蒲焼」を食べたのです。あんまり美味かったの
で、最後に全部食べようと思い、そのままお皿に残しておきました。
ところが、ちょっと目を離したすきに、祖母が全部一口で食べて
しまったのです。

私は、なにもない皿をみて、血の気がひき、「きーーーーー」という
掛け声とともに、そこらじゅうのお皿をひっくり返して涙をながして
怒りました。
驚いたのは、家族だけではありません。店の人も驚いて事情を知り
なんと私のために蒲焼をまた焼いてくれ、慰めてくれたのです。
悲しさと恥ずかしさが一緒になって味などわからなくなってしまい
ました。

祖母は今年で97歳になり完全にボケてしまったのですが、
ちょっと悲しいのは、私の顔を見るたびにこの話を5分に一回
することです。人間キレてはいけないということを身にしみて
思います。


402 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/18(火) 22:08
>401さま
身の程を知りました。ごめんなさい。
もう絶対切れてあらしたりしません。
                  厨房代表



403 名前: 三子の魂 投稿日: 2000/04/19(水) 06:58
>>401さま
>身の程を知りました。ごめんなさい。
>もう絶対切れてあらしたりしません。
>                  厨房代表

わざわざのご挨拶ありがとうございます。
でも、「キレれる」というのは遺伝的要因もあるらしいです。
私の親族の多くがキレやすく、親族が集まると修羅場です。


404 名前: 夏の思ひ出・・・ 投稿日: 2000/04/19(水) 15:02
沖縄出身の夫(結婚前)と夏休みに沖縄に行って
本島からフェリーに乗って ある島へ行きキャンプをした。
夏休みだというのに キャンプ場には私たち2人のテントしか無かった。
当然 辺りに商店、露天商の類も無い。
2日目の朝、前夜の残りで朝食を済ませた私たちは 朝から泳ぎまくり、
2時ごろ空腹にはなって海からあがった。
材料はあるけれど 昼食を作るのが面倒になり
港に行けば飲食店があるだろうと車で港に向かった。
港の店はランチタイムを終え 全ての店が休憩時間で閉まっていた。
どこか観光名所に行けば何かあるだろう と、島で一番(?)の名所に向かう。
土産物屋に食べ物は無く、なぜか「にんにくラーメン」という
カップ麺が置いてあったが 私はにんにくがキライなので買わなかった。
来たついでに 島で1番高い山に登る。
次なる観光名所(某ガイドブックを参照)へ向かうも
店どころか人っ子1人いなかった。
来たついでに 観賞。
すでに 4時を回っていた。 にんにく嫌いがこんな形で仇になるとは!!
あまりの空腹に 半べそになりながら車を走らせていると
1件のパーラーを発見!!!!! (この時点ですでに5時過ぎ)
慌てて車を止め、走ってパーラーに向かった。
「俺、ハンバーガー!! 2つ食う!!」「私、チーズバーガー!!」
走りながらメニューを読み、叫びつつ店内へ。
店のおばちゃんが 「ごめんねぇ〜。今日、オードブルの予約が入ってて
食べ物無いのよ。 飲み物だけね」
「ええええええええええええーー!!!!」
おばちゃんの揚げる唐揚やポテトの山を恨めしそうに見つつ・・・・
「なに? お腹空いんの?」 「うん」 「食べたいの?」 「うん」
おばちゃんは 2人に唐揚を2つづつ、ポテトを一掴みづつくれました。
涙が出るほど美味しかった。
「美味しい?」 「おいしぃ〜〜 ありがとおぉぉ〜〜(涙)」
ありがとう、おばちゃん! あの唐揚の味は 一生忘れないよ。

でも 今考えたら 港に戻った方が
早く食べ物にありつけたかもしれないなぁ・・・・



405 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/20(木) 08:37
いいスレだのぉ (T_T)


406 名前: 夏休み 投稿日: 2000/04/20(木) 11:33
中学生くらいになるまで夏休みは必ず両親と父方の叔母、叔父と
海にキャンプに行ってた。
がんがん泳いでお腹を空かせたあとに
ネットにいれて海水で冷やした西瓜と青リンゴや、
海風の匂いのするお握りを食べたり。
貝を採って大きな鉄板で焼いたのが一番美味しかったな。
地面が見えるほど潮が引かないので足で探って採るんだけど、
たまに蟹に挟まれたりして。
烏貝がびっしりついた岩を見つけたときはほんとうれしかった。
岩場には海苔やかんぴょうが干してあってそれを見ると
「ああ、夏だなあ」と感じた。


407 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/20(木) 12:03
読んでたら午前中終わっちゃいました(笑)

私は、母のつくる手作りコロッケと、祖母の味ご飯(炊き込み御飯)が好物です。
就職でひとりぐらしをはじめた私は両方ともなかなか食べられない。

たまに祖母宅に遊びに行くと、
こちらから頼む前に「あじごはん持ってかえりー」と持たせてくれます。
祖母宅までは、電車で2時間ほど。
帰って食べようと思いつつ、家に帰る頃には、
2合ちかく入る容器はすでに空(笑)

そんな祖母とも1年以上会ってません。

就職して一人暮らしをはじめて1年、
彼女ができて、たまたま作ってもらったあじごはん、
なんと祖母のつくるものと味がそっくりでした。
ごはんが醤油色に染まった、濃い味のあじごはん。
味付けは親譲り、とのこと。
おいしさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。
涙をこらえるため、難しい顔をして食べる私を見て、
「まずかった?」と心配そうに聞いた彼女(笑)
とってもおいしゅうございました(笑)

こんどのゴールデンウィークには、祖母に会いに行きます。
味ご飯食べにね(笑)

そうそう、彼女とは、来年結婚します。
わがままで嫉妬深くて泣き虫でやかましいけど、
きっと幸せにしてみせます。

TO:彼女へ
大学でつきあってた彼女がいたなんて、見栄でついた大嘘です(笑)
あなたが、初めてまじめにつきあった人です(笑)
でも、ホントのことは絶対教えません(爆)



408 名前: >407 投稿日: 2000/04/20(木) 12:32
いいね。お幸せに。


409 名前: 小学生 投稿日: 2000/04/20(木) 13:27
>407
すごく大切な所が省略されてるよ。
確信犯なら見事としか言いようがない!


410 名前: 曾祖母との思い出1 投稿日: 2000/04/20(木) 13:55
曾祖母は 男勝りで、凛としていて でも優しくて
大好きだったけれど ベタッとは甘えられないような
不思議な雰囲気をもっていました。

私がまだ小学生のとき。
なぜかは忘れてしまったけれど 曾祖母と2人だけで
お蕎麦屋さんに行った事がありました。
私は 蕎麦よりもうどんが好きで 特にたぬきうどんが
大好物で いつも食べていました。
曾祖母が 「何でも好きなのを頼め」 と言うので
「たぬきうどんが食べたい」 と言うと
「俺が鍋焼きうどん頼むのに おまえがたぬきうどんじゃ
俺がおまえを苛めてるみたいじゃないか。 鍋焼きか
天ぷらにしろ」 と言われて無理やり天ぷら蕎麦に
変えられてしまいました。
(たぬきうどんがたべたいのに・・・)と天ぷら蕎麦の
天ぷらを全部残して怒られてしまいました。


411 名前: 曾祖母との思い出2 投稿日: 2000/04/20(木) 13:56
二十歳を過ぎたある日、曾祖母が入院してしまい、
ある日 危篤状態になってしまいました。
ベッドの横にいる私の手を握って
「○○(母の名前) 大きくなったなぁ」と
何度も何度も 繰り返してました。
面会時間が終わり、「まだ しばらくは大丈夫でしょう」と
病院の方から言われたので 歩いて15分ほどの曾祖母の家に
親戚達と一緒にもどり、 叔母の作ったカレーを食べながら
従兄弟の子供達と一緒に「8時だよ 全員集合」を見ていました。
(う〜ん、歳がばれてしまうな・・・)
半分も食べないうちに病院から電話があり 曾祖母は亡くなりました。
飛び出して 病院まで走っている間
カレー食べて 「8時だよ 全員集合」見て笑ってた自分が
すっごく情けなくて あと15分病院にいれば 最後まで
付いていていられたかも と思って 大泣きしながら走ってました。

今でもたぬきうどんが大好きで良く食べるのですが
たまにお蕎麦屋さんに入ったときに「今日は鍋焼きうどんでも食べるか」
なんて思ったりします。
カレーの話はこのスレッドを読むまですっかり忘れてました。
(良いスレッドですね〜 会社で午前中泣きっぱなしでした (^_^;)

故人は「思い出してあげるのが 一番の供養」だと言うので
これからは うどん、カレーを食べるたびに (あ、天ぷらも)
曾祖母を思い出そう!!! と思いました。
(〜しました、ばっかりで読みづらい文章でごめんなさい)


412 名前: >409 投稿日: 2000/04/20(木) 15:10
なに? わからん????


413 名前: >412さん 投稿日: 2000/04/20(木) 15:18
全レスで見るとわからないですね。

http://www.2ch.net/food/index2.html

↑ここから見るとわかりますよ。
見事に最後の数行が省略されてます。


414 名前: >413 投稿日: 2000/04/20(木) 15:22
いや、読んだけど わからんかった・・・
が、 スレッドに直接関係無いので
謎は謎のままにしておこう・・・ >自分

さぁ! 次の話はどんなかな?


415 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/20(木) 16:03
うーむ、ホンと確信犯だとしたら素晴らしい。感動しました。
どうぞお幸せに。

最新レス100から読んで見ましょう。>407


416 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/20(木) 16:04
誤)最新レス100から読んで見ましょう。>407
正)最新レス100から読んで見ましょう。>414




417 名前: 412=414 投稿日: 2000/04/20(木) 16:38
「長いので省略・・・」ってなるのを計算して・・・
って事だったのだね >確信犯
やっとわかりました ありがとう。 >413、415
謎は謎のままに・・・ なんて言ってたくせに結局書いちまった。
おかげで元ネタの407が見えなくなっちゃうな。

最新レス100 もしくは レスを全部読む から見てね >ALL


418 名前: お節介さん 投稿日: 2000/04/20(木) 17:20
板に関係ないけど・・・
みんな確信犯の意味を間違えて使っております。
「悪いことと知りつつ、行う」
のが確信犯と思ってらっしゃる様ですが。
「本当は悪い事であるのに、
本人は世のためによいことだと固く信じて行ってしまう事」
が確信犯の本当の意味です。
でも今って前者で使う人が大半ですよね。

「遊説」「判官びいき」の読みしかり、「閑話休題」の意味も・・・
あ、どんどん話題がそれていく・・・



419 名前: 415 投稿日: 2000/04/20(木) 19:13
>お節介さん様

書かれたご本人は世(彼女)のためによいことだと固く信じて行って
しまった事だと思って「確信犯」を使ったのですが、真意が伝わらなく
て残念です。



420 名前: 三子の魂 投稿日: 2000/04/20(木) 20:41

確信犯という言葉で、思い出した料理があります。

学生のころ、貧乏なくせに、ある喫茶店に昼に夜に出入りして
いました。料理も美味しかったので、お金があれば、食事も
その店でしておりました。
その中での絶品は、ホワイトソースピラフというもので、ソース味の
ピラフの上に、ベーコン、シメジ類のホワイトソースを上から
かけたものでした。(ミックスベジタブルと合わせて、簡単に家でも
作れるのでお試しあれ)
福神漬けと一緒に食べると、それはそれは幸せな気分でした。

その店のマスターは、いろいろ試作したものをお客に食べさせて
日夜メニューを研究していましたが、と、ある日いつものホワイト
ソースピラフと同じものを私に出してきました。まずくてもタダ
にしてくれるので、ほいほいと了解して食べ始めました。
いつもと違ってベーコンではなく、寒天のようなものがいくつか
入っていましたが、どうも味がしなかったので、
「なんか味がしないし、歯ごたえ悪いよ。」と言ったところ、
「ダイエットホワイトソースピラフを考えているんだけどね。駄目?」
という答えが返ってきました。

ふと料理場のほうに目を向けると、猫の絵が描いてある空き缶が
ちらりと見えました。なぜか悪い予感がして、どかどかと料理場に
押し入り、缶を良く見ると「鶏のトサカ 水煮 ネコちゃん大喜び」
と書いてありました。

それ以降、その店のホワイトソースピラフを食べるときには、
あちこち突付いてから食べるようになりました。

このマスターこそ確信犯というものでしょうか?


421 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/20(木) 22:59
外食の話は
外食板に行かないと怒られるよ(笑)


422 名前: 三子の魂 投稿日: 2000/04/21(金) 00:31
421様:
食事には、外食も家庭もないのですけど、世知辛い世の中ですね。
では、さようなら。


423 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/21(金) 00:52
あげとくよ



424 名前: 名無しさん>417 投稿日: 2000/04/21(金) 01:18
ごめんなさい。
「最新レスを全部読む」でもわからない。
具体的に教えてください。
このスレッド、ずーっと見てきてるのに、何のことかわかりません。


425 名前: >424 投稿日: 2000/04/21(金) 01:27
板に関係なくてゴメン。
419の書き込みがいっそう訳わからんものにしてると思うよ。
お節介さんの言いぶんであってない?>417さん



426 名前: 424 投稿日: 2000/04/21(金) 04:03
あと数行書いたら、「長いので省略・・・」ってなるの?
自動的にそうなるようになってるの?
でも、なぜ数行省略されてるのがわかったの?
んんん、私馬鹿かな。ほんとにわかんない。
わかりやすく教えて。気になっちゃって・・・。
関係無い話でごめんなさい。


427 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/21(金) 06:53
30行過ぎると 長いので省略されます。

それを踏まえて読んで見ましょう。 


428 名前: 愛川欽也>424 投稿日: 2000/04/21(金) 07:56
15
10
15
20
25
30
        ハイッ 消えた!


429 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/21(金) 09:29
せっかく良いスレだったのに
関係ないことでおかしくなってきてるな。
毎朝読むの日課にしてるのに。


430 名前: 412=414=417 投稿日: 2000/04/21(金) 10:00
すみません。
私の不用意な書き込みで おかしなことになってしまいました。

最初、407さんのエピソードに対する 409さんの書き込みの意味が
わからなかったんです。
結局 407さんが 「長いので省略・・・」となるのを『計算の上で』
その省略される部分に TO:彼女へ の文章を入れたのだとしたら
やるなぁ。 って事だったんですよ。(あくまでも だとしたら の話です)

他の方はわかりませんが
私にはその やるなぁ って思った事が 409さんの「確信犯」という
言葉にピタリ と来たわけです。
なので あまり深くは考えず ただ引用してしまいました。
(418さんのおっしゃる通り、私は 間違った「確信犯」の使い方をしていました)

せっかくのスレッドの話題をそらすようなことになってしまって本当にすみません。
ホントは 恥ずかしいのでしらばっくれちゃおうかと思ったんですけど
このままにもできないので 恥ずかしながら出て参りました。
これで わかっていただけたでしょうか・・・

また いろんなエピソード、期待してます。




431 名前: 412=414=417 投稿日: 2000/04/21(金) 10:18
恥ついでに レスをもう1つだけ。

>424さん
417を 書き込むとちょうど407が見えなくなってしまったのですよ。
私の417の書き込みが 407を押し出す(?)カタチに
なってしまったわけですね。
で、407を読むには レスを全部、または 最新レス100 でなければ
読めなくなってしまった、 そうすると 「長いので省略・・・」コメントも
表示されなくなってしまうので 何のことだかわからなくしてしまったわけです。
すみませんでした。

>425さん
419は 私ではありません。
言い訳っぽくなってしまいますが 「確信犯」という言葉を最初に使ったのは
私でありません。
先ほども書いた通り あまり深く考えず 「確信犯かぁ、なるほどねぇ〜」程度で
書いたに過ぎませんでした。

以後、不用意な書き込みをしないように 気をつけます。



432 名前: お節介さん 投稿日: 2000/04/21(金) 11:20
いや、こういう律儀ないい人がここにいたというのもまた
いい雰囲気になってると思いますよ。お節介はホント余計でしたね。

私も実はいろいろ食べ物に対しては思い出があります。
ほとんどが悲しい思い出ですけど・・・
そのうちの一つをば。

小学1年の頃、父親の会社が危なくなって、人の良い親父は
全部借金を自分でしょってしまってました。
その結果、持ち家は売られ、車も売り払い、借家住まいになりました。
そしてその借家すらも家賃が払えず、とうとう夫婦別居
(母親は実家に帰り、父親は会社に住み込み)
ことになり、姉一人と私が、どちらかの親の方に行く事になりました。
そこで馬鹿だった私は、ガミガミ言う母親より、口穏やかな父親の
方を選びました。(姉は母親を選んだ)
今考えると、借金でそれどころではない父親に負担が掛かるのも
考えていなかった自分が悔やまれます。

そして2人の住み込み生活が始まりました。
しかし、父親は自炊どころではないため、ずっと二人で会社の隣の
食堂に通っていました。そこで好きになって毎日のように
食べていたのが鯖の味噌煮定食。アサリのバター蒸し。

しかしそんな生活も長くは続かず、急に終わりが来ました。
ある日曜日の朝、父親が夜逃げしたのです。
父親が逃げたとは露ほども知らず、父の帰りを待つ私。
しかし、夕刻になり、あまりの空腹にたまらず私は母親の実家に
電話をかけました。すると母親が飛んできて、御飯を炊いてくれ、
近くの市場で買ってきた揚げ物をおかずに晩ご飯をたべました。
その時、父親が逃げたことを知らされたのです。
久しぶりに、しかも空腹時食べる母親の料理。
(といっても店の物ですが)
嬉しい反面、父親に捨てられたんだという何ともいえない、
挫折?落胆?感。
そんな思いが入り交じり、泣きじゃくって食べたあの御飯は一生忘れません。

とりあえずこの辺で。リクエストがあればさらに続きを
思い出して書きます。あー思い出したら波だ出てきた。



433 名前: 415=419=三子の魂 投稿日: 2000/04/21(金) 12:34
ありゃりゃ、これは混乱させてしまったようですね。
失礼しました。


434 名前: 412=414=417 投稿日: 2000/04/21(金) 13:17
>お節介さん さん(?)
律儀だなんて・・・ そんな・・・

私の父も 私が幼稚園の時に事業に失敗し
家、車等を手放しました。 幸い夜逃げするには
いたりませんでしたが 子供の頃、結構つらい食事を
したのを思い出して ちょっと涙が出てしまいました。
現在 両親は小さいですが居酒屋を経営しております。

私も何か書こうかな とは思うのですが
なかなか文章にするのは難しいですね。
恥ずかしいので 417での登場はこれで最後にします (^^;;;
次回からは 名無しさん で参加させてもらいます。



435 名前: 小学生 投稿日: 2000/04/21(金) 14:18
確信犯を最初に使ったのは私です。
「結果を確信した上に悪いと分かっていて実行」みたいに
曲解していたようですね。417さんのいう意味の使用例には運悪く
まだ出会ったことがなかったので、、、一つ賢くなりました。


436 名前: お節介さん 投稿日: 2000/04/21(金) 15:39
「確信犯」は
http://teri.2ch.net/2ch/test/read.cgi?bbs=gengo&key=956221023
こちらに移動しました。
(ていうか日付見て分かると思うけど418書いた後すぐに建ててました)

こちらも2ちゃんの「良いスレッド」ランキング目指してます。
勉強になりまっせー。



437 名前: りんご 投稿日: 2000/04/21(金) 19:35
母は友達のようにふざけあえる
元気で明るい人でした。
美人薄命などといつもふざけていた
そんな母が癌におかされたのは
私が高校生の頃でした。
入退院を繰り返し
もともと痩せていた母の身体は更に痩せていき、
食事もすでに流動食しかとることはできなくなっていました。
そんな母は100%のリンゴの透明ジュースが好きで
私や父が病院にきたときにはいつも
「リンゴの透明ジュース買ってきて」と頼んでいました。
土曜日学校の帰りに寄ると
「お昼まだなんでしょ、買ってきなさい」と言われ
そのリンゴジュースとお弁当を買ってきた私は
食べたくても流動食しか食べることの出来ない母の前で
何も考えずお弁当を食べていました。
月日も経ち、もう保たないと医者から宣告され、
母の日がきました。
毎年プレゼントを買っていたのですが
入院していて死を宣告されてる母に
私は何を買ってよいのか分からず
「退院したら買うね」といったのです。
母の日当日、本当なら見舞いにいくのでしょう。
意地っ張りな私は、友達の様なノリでいたのに
病院に行ってしまうと変に優しく接してるように思われるのが嫌で
せめてカーネーションの一本でも持っていけばいいのに
後悔するとわかりながら結局行かなかったのです。
それから約1カ月後、母はやはり他界してしまいました。
優しく出来なかった自分・・・
透明のリンゴジュースをみると
今でも苦い思い出として蘇ります。



438 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/21(金) 22:22
…残業中なのに…涙が…


439 名前: OL野郎 投稿日: 2000/04/22(土) 00:12
ここを知ったのが今週。
ずっと会社で急に涙ぐむ私。周りはなんと思っているのか・・・

私の話は以前の彼との思い出の食事。
お互い勤めていたにもかかわらずいっつも貧乏。
でも月に一回くらいは奮発して、焼肉を食べに行ってた。
実は私の実家は外食が嫌いな家で、それまでロクに焼肉を
食べたことがなかったんだけど、この彼は妙に焼肉好きで。
「レバ刺」「ユッケ」なるものを初めて知った私。
お互い別の人と結婚しちゃったけど、レバ刺食べると
ダンナに悪いなと思いつつ、元気かなと思っちゃう。
今でも最初はビールとホルモンで、最後の最後にカルビ頼んでるのかな?
向こうもレバ刺で私のこと思い出しててくれたら嬉しいな。





440 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/22(土) 00:40
感動超大作は結構だけど30行で区切って再度書き込んでください。


441 名前: 父の話 投稿日: 2000/04/22(土) 06:16
うちの父は昭和十三年生まれ。十六年に父親を、続いて終戦の年に
母親を亡くしている。その後すぐ、母親の実家に預けられたのだが、
そこの家長(つまり父の祖父)は学校の校長先生。愛情はある人
だったが、生きるためでも法に触れたことは出来ない、ときっぱり
言う人だった。だから闇市にいけず、食事は貧しいもの。すいとん
ばかりの毎日だった。
その後、父の母親の一回忌で父のやせ衰えた姿を見た父の叔父は
自分も子供を三人抱えていたにも関わらず、このままでは父が
栄養失調で死んでしまうと確信した。そして無理矢理、父の母方
の祖父母のもとから自分の家へ父を連れ帰ったのだ。その叔父の
家は裕福ではなかったが、「生き抜くこと」が何よりも大切だと
思い、叔母が嫁入り道具の着物を全部闇市で食糧に変え、自分の
甥に当たる父にもどんどん美味しいものを食べさせた。
終戦後初めて食べた白米がどれだけ美味しいものだったか、そして
いかにその叔父に感謝しているか、言葉で言い表すことは出来ない
−−そう言った父のためにこのスレッドに書き込みさせていただき
ます。大叔父さん、父を育ててくれてありがとう。それから、美味し
いご飯を食べさせてあげてくれてありがとう。あなたがいなかったら
私は今ここにいません。心からお礼を言います。この話を聞いてから
白米の味がもっと心に染みるようになりましたよ。本当にどうも
ありがとう。


442 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/22(土) 17:13

親は生きてる間に大切にしないとね…ここ読んで、しみじみ思ったよ。

小さい頃、うちもここのみなさんのご他聞に漏れず貧乏で(笑)、
たまに出前のラーメン食べるのが数少ない楽しみでした。
一杯のかけそばではありませんが、ラーメン一杯頼んで、お袋と
小さかった妹と3人で分けて食べたっけ。
妹はまだ小さかったので、チャーシューはだいたい僕の小さな茶碗に
のっけてくれました。今でも、あのときに使っていた茶碗や、小さな
ちゃぶ台、部屋の風景とか、全部はっきり覚えてます。

いろいろつらいこともあったけど、なんとか道を踏み外さずにここまで
生きてこれたのは、やっぱり小さい頃にお袋が目一杯愛情を注いで
くれたからなんだろうな…「こういうことをしたらお袋はなんて思う
だろう」って思うと、悪いことはできないよ。

今はもう、ラーメンくらいいつでも食える状況になりましたが、
あの頃よりうまいと思ったことはないですね。

もうすぐ母の日なので、離れて暮らしてる人は電話とかしてみては?



443 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/22(土) 21:44
彼女と付合う前に二人で行ったサティ。
ここで初めて食べたたこ焼き屋の「銀ダコ」
開店直後で一杯行列が出来ていた。
二人でずっと並んで他愛も無い話を続けて。
ようやく順番が来て車に持ちかえって食べた。

空腹は最大の調味料。
とっても美味しかったのを覚えてる。
その彼女とその後半年付合った後に別れた。
もう何週間も前の話。

今日会社の休日出勤の為に出社した。
途中、休日出勤用の昼飯を買う為に近所のサティでお買い物。
入って入り口すぐそばに「銀ダコ」のお店。
行列は出来ていない。
何の気無しに1個買って会社で食べた。

あの日と同じ味がした。
急に記憶が、一杯の思い出が戻ってきた。
無人の会社でポロポロ泣けてきた。
全部食べられなかった。


444 名前: ちっ…… 投稿日: 2000/04/23(日) 04:04
泣かせてくれるじゃねーかよ……。

ツマラン話だが俺も書いとこう。
俺がどうしても忘れられないのは高校生時代、一人暮らししてるときに
毎週食べに行ってた定食屋の半ラーメン+半炒飯だな。
貧乏学生にとって、安いメニューの筆頭である↑(2つで250円)は
なによりも助かった。店の爺ちゃんがいい人で、よくおまけで餃子も付けて貰ってた。
ラーメンと炒飯食べる度に学生時代のこと思い出すよ。

しばらく行ってないが、GWの帰省ついでに寄ってみるかな……。
あの爺ちゃん、元気だと良いんだが。


445 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/23(日) 04:31
2chにこんな良いスレッドが...(T-T)


446 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/23(日) 05:17
私は、グレープフルーツを半分に切ってお砂糖かけて食べるのが好きです。
小学生の頃、祖母が出してくれたグレープフルーツを喜んで食べようとしたんですが
どうも味が変なんですね。
それもそのはず、上にかかってたのが、お砂糖じゃなくてお塩だったんです。
幼かった私は祖母にとっても怒りました。
そして、私が大きくなっても、そのとき居合わせた叔父がいつもその話をしてたんです。
いい加減しつこいなあと思ってたんですが、祖母が亡くなり、叔父も事故で急死してしまった今
グレープフルーツを食べるたびに、ふたりのことを思い出します。


447 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/23(日) 12:46
幼稚園前くらいの時、母方の祖母が私達姉妹のおもりにきた。
(同居していた父方の祖母が用事で家を空ける+母は通勤)
初日のおやつは、文明堂のカステラ
一人一切れ、といっても立方体!の一切れだった。
彼女が、たまにしか会えない孫に
めちゃめちゃ甘いことを見抜いた私達が、
切らせた分厚さだった。

ずっとあとになってから
その日帰宅した父方の祖母に、母方の祖母(ああ、ややこしい)が
すごくとがめられたことを聞いた。
(父方の祖母には、買い食いはもちろん、甘いお菓子自体
あまり許されていなかった)
翌日のおやつが、千切りキャベツソース掛けだった理由が
後年解明した。

同居して、毎日子供の面倒見ていた父方の祖母は、
どこかで悪役の役割を引き受けざるを得なかったのだろうし
母方の祖母は祖母で、わずかな孫との時間をせいいっぱい
濃密に過ごそうと、(おやつ以外にもゲームとかお絵書きとか)
さまざまなサービスをしてくれた。
いまは、どちらの立場もよくわかる。

あの2日間の、すごい差のあるおやつを思い出すと、胸がきゅんとなる。


448 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/23(日) 13:57
泣 泣 泣


449 名前: 2ちゃんねる最高 投稿日: 2000/04/23(日) 16:07
ここ読んで、GWに実家に帰ろうと思いました。
さっき電話したら嬉しそうな母の声。
早く手料理食べたいな


450 名前: >447 投稿日: 2000/04/23(日) 21:11
ええ話やなあ〜


451 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 00:32
子供のころ貧乏だった、両親は駆け落ち同然で結婚したらしく
実家とは疎遠だった。
小5の僕の誕生日に祖母がカステラを持ってきた、始めて食べる
カステラはとても美味しかったが、紙のシートみたいのをはがす
なんて判らずに「噛み切れないよ〜」騒いでたら祖母が呆れ顔で
「はがしてから食べるのよ、まったくこの子はー」
今思うと娘である母に、少しは頼りなさいみたいに言ってたんだと
思う、母も照れくさそうにしてたんだけど、それ以来だんだん
実家とも行き来するようになった。
母も祖母も亡くなりましたが、カステラを食べるたびに
母の照れ笑いの顔を思い出します


452 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 00:49
私もGW仕事しないで帰ってみようかな。
うちの家族みんなお空の上だよ。思い出に残る食卓なんてないけど、
海外行った時においしい料理食べて「ああこれ食べさせてあげたかっ
たな」って思った瞬間が私にとっての思い出に残る食卓かもしれない。

ああちくそ、2ちゃんねるで泣かされるとは。


453 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 03:31
母の実家は、埼玉です。
僕が小さい頃、母は毎年のように実家に帰っていました。
僕がまだ小学校に上がってない頃だったと思います。
僕と、僕と二つ違いの妹、それから母の3人で、実家から空港に向かう道中のことでした。
母は、タクシーを拾おうとするもなかなか拾えず、途方にくれていました。
しかたなく3人で大きな道路沿いを歩いていましたが、母のつかれた顔を見て、僕ら兄妹もなんだか暗い気持ちになりました。
親のそういう気持ちは、子供にも伝わるものです。

とぼとぼ歩いているうちに、焼きそばの屋台の前を通りかかりました。
母は、そこで焼きそばを買い、歩き疲れた僕たちに食べさせてくれました。
その味の、なんと美味しかったことか。
あの味は、20年以上経った今でも忘れられません。
そして、いまだに僕は、あの時味わった焼きそばより美味しいものに出会った覚えがありません。
僕の、味に関する初めての、そして最良の思い出です。


454 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 03:58
思い出の弁当
高校のとき、4時間目が体育の曜日はいつも食堂で昼食をとっていた。
私はいつも母に弁当を作ってもらっていたので、弁当の包みを開き、蓋を開けた。
中身を見て、私は思わず再び蓋を閉じてしまった。
なんと弁当箱にはお菓子が詰め込まれていたのである。
内容は、おにぎり(これだけが救い)2つ、キットカット(分包)2つ、残りの隙間を
クッキーで埋めてある。まぎれもなく昨夜台所の食卓においてあったお菓子達である。
私はとっさに、これを他の友達に隠すべきか披露するべきか(隠せるわけ無いのに)
困ったが、急に蓋を閉じて黙っている私を周りが不審に思い始めたため
無理に笑い出して「これ、見てよお!!」と、皆さんに披露した。
とりあえず人目の問題は解決したので、食べ始めた。
おにぎりとキットカットの取り合わせはあんまりなので、おにぎりを食べ終わってから
お菓子類を食べた。よりによって体育の後なので、全然満腹感は得られなかった。
帰宅後、母に理由を聞いたところ、朝から体調が悪くおかずを作れなかったため、
お菓子をつめといた、とのこと。
体調が悪いのに手作り(?)弁当を作ってくれた母の気持ちはうれしかったが、
「今日はしんどいから、食堂にして」といって500円くれたほうがよかったと思った。
今なら笑えるが、その瞬間は全く笑えなかった。


455 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 04:17
あー。454さんのエピソードを読んでたらおれも思い出したよ。
おれが中学生のとき、学校に弁当持って行くの忘れたことがあってさ。
いや、母親はちゃんと弁当作ってくれたんだけど、おれが弁当箱をカバンに
入れるのをうっかり忘たんだな。
んで、お昼に母親はわざわざ学校まで届けにきてくれてさ、母ちゃんありがと
ってお礼言って受け取り、教室に戻って弁当箱のフタを開けてみたら。
白いゴハンの上に細く刻んだ海苔で「バカ」って書かれてたんだよ。
クラスメートに大笑いされたな。うん、おれもちょっと楽しかったね。


456 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 04:38
あんまり学校に来なかった同級生の彼が「運動会くらい出席しろ」
と言われたとかで、学校に来る事になった。
会う事も久々だったので、嬉しくってお弁当を作った。
ご飯の上に焼肉を乗っけた焼肉弁当。
簡単だけど高3の男の子にはウケルと思ったの。
2人で食べようと思って、小さ目のお重箱に詰め込んで行ったんだけど
何が気に入らないんだか、蓋を空けて中を見るなり不機嫌モード。
「食べないの?」と聞いたら、1口2口食べてポイっと返された。
見た目は悪いけど、味にはには自信があったので、かなりムカツイタ。
バカらしくなって、彼の目の前でゴミ箱に直行した。
本当は、すごく悲しかったのを思い出した。もう10年も前の話。


457 名前: >456 投稿日: 2000/04/24(月) 06:30
なんだよ〜〜、ひどいよ〜〜〜〜〜!
456のモト彼はこのスレッドを読んで反省しろ!


458 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 06:54
彼はきっとかわいいお弁当を期待していたのかもね。
色合いも。。。


459 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 06:57
男は味の善し悪しよりも、
手の込んだものに憧れるのかも。



460 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 07:20
ヒッキーが、久々に学校に来て運動会なんかに参加したら、
日が眩しくて普通気持ち悪くなると思うけどなぁ。(経験者は語る)
たぶん、脂っこさが、うっときたんだと思う。
あまり気にするな >456


461 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 12:40
高校時代、父がいない夜、母と喧嘩して部屋にこもっていたら、「ごはんだよ。」と母。
部屋を出てテーブルを見ると、白飯だけがのっている。
「おかずは?」と聞いたら、「私、『ごはんだよ』とは言ったけど、『おかずだよ』
とは言ってないわ!」と怒られた。思わず納得してしまった私。
しょうがないので、母と向き合って、無言で白飯を食べた。
今思うと笑い話だけど、ふりかけぐらい欲しかったな。


462 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 16:15
「食事」ということではないんですが…

私が10歳の頃の話です。
母方の祖母が呆けてしまっていて、その祖母の家に向かう
車中でのこと。

祖母の家では畑を持っていて、大量にジャガイモを収穫したのですが、
そのジャガイモに芽が生えてきてしまった。
母と、叔父が「あんなに芽が生えちゃって、どうしよう」と困っているのを
聞いた私は、「じゃあ婆ちゃんに食べさせればいいじゃん!
ボケてるんだし、『うまい、うまい』って食べちゃうかもよ」

そのときは、母と叔父は笑ってたんですが、
自分も30手前になり、親も着実に年を重ねている今思うと、
なんだかとてもひどいことを言ってしまったようで胸が痛みます。
祖母にも、母に対しても。


463 名前: オムライス 投稿日: 2000/04/24(月) 21:19
うち母親が食堂やってて、中学校の頃お弁当にオムライス
詰めてくれてた。すげー旨かったんだけど、マジにおかず
なしでオムライスが弁当箱いっぱい。そんででかいスプーン
持って食ってたから同級生にからかわれた。
でも忙しい母ががんばって作ってくれてた弁当だから、
隠すのが悔しくってかえって「わりーか!」っていばって
たなあ。そのうち誰もからかわなくなったけど。
天むすとかも作ってくれた。ちょっとだけあの頃に
戻りたいなあ。


464 名前: 456っす 投稿日: 2000/04/25(火) 01:34
私の適当な思い出話にレスが・・・ちょっとビックリしました。
今思うとね、確かに色合いは悪いわな〜。
でも、お重はもう1段あったわけで。(色目の良いもの系おかず)

その彼は結局その後も学校に来なくて、一緒に卒業できませんでした。
今でもたまに夢に出て来るけど、別れた頃の18歳の顔。


465 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 01:39
ひとり暮らしをしたことがなく、食事もまともに作った事の無い
私も、結婚して母親になると毎日否応無しに3度の食事づくりを
余儀なくされています。ふと気づくと私の卵焼きは、母とおんなじ
味。そしてそれは、おばあちゃんの卵焼きの味。そーいえば煮物も
だいぶ母の味に近づいてきたかな。おばあちゃんは年のわりにハイカラ
な料理が好きで色々作ってくれたから、今、私の子供に作っても
喜んで食べてくれます。
いろんな料理と一緒にいろんな思い出が受け継がれていくんですね。


466 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 02:42
>464
へえ、女性でも昔の男のこと、思い出したりするんですね。
彼氏は幸せ者だよなぁ。

俺のことなんか、きっと思い出すのも嫌なんだろうなぁ。>昔の彼女。


467 名前: まい 投稿日: 2000/04/25(火) 04:06
>466さん
女でも、しょっちゅう昔の彼のこと思い出しますよ。

私のことを、覚えてくれていますか?>昔の彼。


468 名前: 昔の彼 投稿日: 2000/04/25(火) 04:50
もちろん覚えていますよ。

男性は、たいてい昔の彼女を「良い」思い出として、
記憶してますよ。けっこう、ひどい別れ方をしても。
僕も女性の方が「記憶から消しさりたい」って人が多いと思う。

風邪をひいて寝込んだ時に作ってあげたおかゆを
「まずい」といって残された、なんてことでも、
何もかもが懐かしい。


469 名前: 昔の彼 投稿日: 2000/04/25(火) 05:09
まい、もちろん君のことおぼえているよ。
今、幸せかい?
僕はいつでも、君よりちょっとだけ不幸せでいることにするよ。


470 名前: 昔の彼 投稿日: 2000/04/25(火) 06:58
君はブランドものが好きだったけど、おかゆまで
デパートブランドのレトルトが好きだったね、まい。


471 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 11:28
>463さん
高校のとき、お正月開けて最初のお弁当のとき
大きなお弁当箱に伊達巻がぎっしり というお弁当の男子がいた。
ご飯と伊達巻だけのお弁当。
ご飯の上に輪切りにした伊達巻が隙間無く並んでいて
鳴門の渦潮のようだった。
「俺、伊達巻嫌いなんだよなぁ〜」と恥ずかしそうに言いつつ
全部平らげていたのを思い出しました (^-^)




472 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 11:46
風邪をひいて少し熱っぽかった時に 1人暮らしの彼の家へ
遊びに行って そこで熱が上がって倒れてしまった。
食欲も無くて 朝からほとんど何も食べていなかった。
普段、料理なんかしない彼が 何か作ってくれるというので
「何でも良いよ。 でもあんまりたくさんは食べられないかも」と答えた。
買い物から帰った彼は なんと! カレーを作り始めた。
どうやら ジャワカレーの中辛らしかった。
(当時私は辛いのが苦手で バーモントカレーの甘口しか食べられなかった)
12皿分のカレーとご飯を作ってくれた。
そのカレーは 辛い上になんだか変に苦くって
「玉ねぎの茶色い皮も入れたの?」と聞いたら(ホントに玉ねぎの皮の味がした)
「ビールを1缶入れたんだ。 美味いだろ」
「・・・ 苦くてあんまり食べられない・・・ ごめんね」
「うそっ!!! こんなに美味いのに???」

結局 コンビニでレトルトのおかゆを買ってきてもらって食べました。

今は夫となった彼は あれ以来二度とカレーを作ってくれません。



473 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 11:54
>472
す、すごい味覚かも


474 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 12:23
>472
それでも夫にしたあなたの博愛に拍手


475 名前: 472 投稿日: 2000/04/25(火) 13:12
>473さん、474さん
「うわっ! なんでこんなにマズくなっちゃったの??」 というような
失敗料理でも食べてもらえるので 助かっております。


476 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 17:40
すてきなだんなさまですね(笑)>472様

小学校のとき、駄菓子屋で少ないこづかいで買っていた
30円のソースカツのお菓子を思い出し、
先日たまたまスーパーで売っていたのを買ってきました。

20年ちかくたった今でも、やっぱりおいしいです。
懐かしい味でした。
若返った気分・・・(ほんとか?(笑

・・・でも、買いすぎた(笑
どうしよう、40個も(-____-;


477 名前: デカビタ 投稿日: 2000/04/25(火) 17:45
母の死から2年後、後を追うように父は自ら逝ってしまったとき
ひとり残されてわけがからなくなり
自暴自棄になってしまった時がありました。
私はまだ、専門学生で進級制作があったのですが
とてもそんなことをする気が起きず唯一頼りだった当時の彼氏に
弱音ばかり吐いていました。
でも、何がきっかけだったのか、もともと気が強くて楽天家なほうな
私は自分が逆境でも何も変わらない世の中、父に死を選ばせて
しまった社会が憎らしくもあり負けたくないと思う様になりました。
課題の提出まで後わずかとなり、
彼氏の手伝いをかりつつ仕上げていました。
提出のその日朝方、ほとんど寝ていない身体に栄養を補給しなければ
と思い栄養ドリンクのデカビタCを初めて買って飲んだのでした。
しかし、その1時間後、耐えられない腹痛に悩まされ
とうとう起きることが出来なくなってしまいました。
病院に行くとインフルエンザにかかっていて、
それから寝込む日々が続きました。
やっぱり、栄養ドリンクなんかじゃ体力の衰えはごまかされないのね・・・
と痛感しデカビタCをみると具合の悪さを思い出すため
以後飲めなくなってしまいました。
課題のスケジュールは無理せず徐々に・・・とつくづく思ったのでした。


478 名前: 下がっているので 投稿日: 2000/04/25(火) 21:32
ageておきます。
ちょっとだけ。

仕事の都合で、今は大阪に住んでいますが、
生まれは、北海道の北のほうでした。
社宅にいたのですが、近所のおばさんが可愛がってくれてました。
おばさんは、水羊羹が得意で、よくつくってくれました。
売っているものに比べて、もっと水気が多いというか、
プルルンとしていて、私はそれが大好きでした。
小学校のとき、父親の仕事の関係で、遠く離れたところに
引っ越してしまってからも、自分の母親に、
「水羊羹は、おばさんのが一番」と言っておりました。
その後、10年ぶりにおばさんのところに遊びに行きました。
おばさんは、バット一杯に水羊羹を作って、もてなしてくれました。
昔と同じく、美味しかった。
それから、15年は経っています。
このスレッドを見て、また、遊びに行きたくなったなあ。


479 名前: >478 投稿日: 2000/04/25(火) 22:20
すみません、バットってなんですか?
プラスチックバットの中に水羊羹かなとネタ的に
考えてしまったのですが、まさかね。


480 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 23:19
長方形のステンレス製容器。で、丸いのがボウル。
わかったかい?
料理に興味ある人なら、小学くらいから知っている単語なのですが。
やっぱ世の中、いろいんな人がいるんですねえ。ふむふむ。



481 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 23:45
琺瑯引きのものもある。というか昔はステンレスがなかった。


482 名前: っつうか 投稿日: 2000/04/26(水) 00:24
ナゲぇ


483 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 04:03
昔、よく通っていた定食屋さん。
中華も洋食も和食も美味い。家族四人で行ってしこたま食って
5000円程度。そしてそこでいつも頼むのが、餃子。
タレも絶品で、あれほど美味い餃子は食ったことがなかった。
ほかにも、ラーメンもうまいし、オムライス、カツ丼、野菜炒め、
洋風カツレツ、などなど、なかでも一番美味かったのが特大エビフライ。
毎週行くのが楽しみだった。
しかし、そのお店が借地だったために地主から立ち退きを要求されて
お店は閉店。10年近く通ったお店がなくなってしまい、とても
悲しかった。後にはどうでもいいような外車の展示場になってしまった。
その後何年かして、お店をやっていた奥さんがとあるところの事務をやっている
と聞き、尋ねていって挨拶がてら、お菓子を渡して帰った。
すると、ご主人がわざわざ餃子の具と皮とタレをたくさん持ってきて
くれた。家族でその具を使って餃子を焼いた。
不恰好だったけれど、あのときの美味しい餃子の味がした。
とっても美味しかったです。


484 名前: >483 投稿日: 2000/04/26(水) 04:44
ええ話や〜。
栗良平あたりが小説化しそうだ。


485 名前: >480 投稿日: 2000/04/26(水) 06:03
解説ありがとう。
>料理に興味ある人なら、小学くらいから知っている単語なのですが。
食うほうにだけ興味があってね。


486 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 14:44
よっこらしょ


487 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 23:56
>483
なんて地主だ
私もその定食屋さんの料理食べたいー
いつか再開しないかな



488 名前: AGE 投稿日: 2000/04/27(木) 01:17
まだ俺が若くって自分勝手だった頃、いつも不機嫌で彼女を泣かせて
ばかりで、それでもついてくる彼女にいい気になっていた、
今思えば、あのときの俺って、本当に馬鹿だったと思う。
その頃は2人、親元に居たので、彼女の手作り料理などを食べる
きっかけって無かったんだけど、正月休みかなにかのとき、彼女の
両親が出払っていて、その日の夕飯を2人でつくることにした。
2人とも料理とか、あまり作ったことが無くて、二人でスーパーに行って
ステーキ肉とか、彼女が「作れる」というホウレンソウのホワイトソース煮
の材料とか、そういうものをざっと買ってきた。
二人で仲良く作って、いざ食べてみると、両方とも美味しくなかった。
そのとき、無神経だった俺はまず、自分の焼いたステーキからはじめに
手をつけた。
あんまりおいしくないけど、本当はおいしいって言えばよかったんだけど
まずくもない彼女の料理を、「まずい」って言っちゃった、
せっかくつくってくれたのに、俺の馬鹿。

彼女とはその後もよく喧嘩をして、泣かせてしまった。
別れる日、彼女は「もしあなたに新しい彼女が出来たら、その子の
手料理は、一番最初に箸をつけてあげてね」って言われた。
その後、新しい彼女が出来て、言うとおりに彼女の作ったものを
一番最初に箸をつけるようになって、おいしくなくても「おいしい」
っていうようになった俺。
でも、出来ることなら、あの彼女が作ったホウレンソウのホワイトソース煮を
また食べたい


489 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 01:58
妻と付き合いはじめて2ヶ月ぐらいですかね、
ウチに来て作ってくれた肉じゃがの味、今でもしっかりと覚えております。
なんの変哲もないごくごく普通の肉じゃがだったのですけどね。
肉じゃが、現在まで数え切れないほどの回数食べてるハズなんですが
なぜかあの時の肉じゃがだけは忘れられませんです、はい。




490 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 03:16
↑彼女より料理が上手な男の人生にこんなドラマは皆無だそうです。
俺のことですが(笑)。


491 名前: ANA 投稿日: 2000/04/27(木) 03:46
>488
似たような思い出が私にもあります。
今から3年前。脱サラしたのはいいけど、そのころは、公私共に
中々思うように行かず、いつもイライラしてました。
その頃同棲していた彼女が作ってくれたのが「メバルの煮付け」(私のとこの名物です。)
ついこの前まで学生だった彼女が作ってくれたそれは、半生状態で
生臭くて、小骨が取れなくて結局大喧嘩!彼女は怒って捨ててしまいました。
歳の離れた彼女なのに、そのころはやさしくしてあげる余裕も無かったんですね。

結局、私の気性の激しさと仕事の不安定さで1年前に別れたんですが
今になって思うのは、なぜもっと優しくしてあげれなかったのだろう?
なぜ、もっと大切にしてあげれなかったのだろう?って想いです。
今でも彼女とはたま〜〜ぁに連絡を取り合いますが
「もう、2度と煮付けは作らない!」って怒られてます。(笑)

次に付き合う子は私の年齢的にも、女房にする子だと思いますが
今度、そんなことがあったら 鮎の塩焼き みたいに頭からボリボリ
食べて、美味しかったよ!ってニッコリと笑えるようにしてやろうと思ってます。

本当に大切なものが無くなってから気づくなんて、、。
「一期一会」じゃないけど一緒にいたその一瞬を大切に出来なかった
ことに後から後悔するなんてなんて、、。

男ってホント馬鹿ですね。(笑)




492 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 08:48
妻と結婚する前の話。
共に家族と同居していて、とにかく一緒に住みたくて結納だけ
した。そして二人でアパートを捜し、2週間位かけて二人だけで
少しずつ荷物を運び込んだ。電気と水道は使えたけど、ガスはまだ
使えなかった。毎日仕事が終わってから一緒に生活用品を買いに
行って、それを片づけながら近くのスーパーで買った弁当を
食べ、それぞれの自宅に帰る生活を送っていた。
ある日の晩、いつものように新居に行くとなにやらいい匂いが
充満している。日中休みを取っていた彼女が、電子レンジを購入
し、肉じゃがを作って待っていてくれたのだ。
早速スーパーで白飯を購入し、電子レンジの箱をテーブル代わりに
して、二人で食卓を囲んだ。すげえうまかった。よく味のしみてる
ジャガイモをハフハフしながら食った。食いながら本当にいい女に
巡り合った幸せを噛み締めてた。絶対に幸せにしてやろうと思った。
晴れて夫婦になって、完全に生活出来る今でも、あの電子レンジの
箱だけは捨てていない。
二人の間でなにかあったら、俺はきっとあの箱を持ち出してきて
妻に言うだろう。
「肉じゃが作ってくれよ。そしてこの上で食おうよ。」と。



493 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 10:46
>488、491
ほろり (T_T)

>492
二人の間でなにか なんておこらないように祈ってます。
結婚×十周年記念なんかの時にレンジの箱でご飯 なんてできたら
ステキですね。


494 名前: 26歳・女 投稿日: 2000/04/27(木) 11:46
もう何年も前の話なのですが、好きだった人がいて、何回かうちに
行ったとき、よく料理してもらいました。
つくってる途中であーこれ足りない、ということになって彼が近所の
スーパーまで走って買いに行くとき、ひとりぼっちで待ってるのが
さびしくもありうれしくもありました。うちの中、わるいかなーと
思いつつきょろきょろみまわしたり。
それからこのあいだこの板みてたら、関西人はカレーに卵を入れると
書いてあったのであーそうだったのか、と思いました。
カレーに生卵入れてた。私は初めてだったのでちょっとびっくりしたの
ですが。
そのとき大学生だったのですが、私にはつきあってる人がいて、別れ
られなかったので結局その人とはうやむやになってしまって、今
考えるとなんで別れてつきあってくださいって言わなかったのかなーと。
で、今でもその人とは話すことはあるんだけど、このあいだ話していた
とき「自分はうちでナベをやったことはない」と言ってて、実は私
ナベやってもらったことあるんだけどなーとすごいがっかりしたのですが
もう遠い昔のことだし、言うのもなんなので黙ってました。いろいろ
覚えてるのは自分だけなんだなーと思って。
私は料理わりと得意なのですが、男の人につくってもらうこと多いです。
つきあってても友達でも。ラザニアつくってもらったとき、あまりにも
時間かかるので冷蔵庫にあったサンドイッチを食べてしまい、ラザニア
食べれなかったこととかあったなー。
これからもいろんな人といろんなもの食べていきたいなー。


495 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 14:35
>488,>491
まずいってはっきり言ってくれたほうがいい。

昔、彼にほうれん草とベーコンのスパゲッティ(にんにくをいためて
香り付けし、塩・故障で味付け)をつくった時。
口にしたなりヤツは、「しょうゆない?」と聞き、スパゲッティに
ドバドバかけた。

「味が薄い」なり、「まずい」なりなんか言ってくれた方が良かった。
いきなり「醤油」は傷つくよー。


496 名前: 495 投稿日: 2000/04/27(木) 14:38
もちろん“胡椒”です。失礼。


497 名前: >495 投稿日: 2000/04/27(木) 15:20
「不味い」はともかく 「塩が足りない」とか「煮すぎたかな」とか
とにかく 感想は聞きたいですよね。 作る側としては。
(「美味しい」って言われるのが一番だけど)

「美味しい」って言われれば 「やったぁ!」ってまたがんばる気になれるし
「薄い」なら 次こそは! って思うし。
でも「不味い」としか言われなかったら 「だったらもう2度と食うな」って
思っちゃうもんなぁ 私は。


498 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/28(金) 11:39
あげ〜


499 名前: >495 投稿日: 2000/04/28(金) 14:20
味見しな。


500 名前: アーモンドチョコ 投稿日: 2000/04/28(金) 15:58
私は小さい時からおじいちゃん子で、祖父も初孫の私をよく可愛がって
くれました。ある日、小学校から帰ってこたつに入ってテレビを見てると
祖父がきて、「お菓子あげよ」というので、嬉しくって待ってたんですが
祖父はなかなかお菓子をくれません。「お菓子どこ?」と聞くと、
「そこにある」と言ってニコニコ笑ってるだけです。こたつ机の上には
食べ物何もなかったので、「おじいちゃんまたからかってるわ」と思って
いると、祖父が自分の薬袋を私に渡して、「開けてみ」というので
中をみてみると、そこにはアーモンドチョコレートが何個も入ってました。
「薬やと思って、分からんかったやろ」と得意そうに笑った祖父が今でも
忘れられません。その時祖父は癌で、毎日薬を飲んでいて、体も目に見えて
痩せてきていたのですが、いつも何か面白いこと言っては、私と妹を笑わせて
くれていました。祖父は7年前に他界したのですが、亡くなる前は私がちょうど
高校受験の時期と重なり、また私もそんなすぐ祖父が逝ってしまうとは思って
もいなかったので、最後もっと一緒に過ごしたかったなと悔やんでいます。
アーモンドチョコレートを見ると、祖父のことを思い出します。
ちなみに、その時の薬袋はまだとってあります。



501 名前: アーモンドチョコ 投稿日: 2000/04/28(金) 16:06
ごめんなさい、私のは食事じゃなかったですね。
皆さんのレスを読んで、祖父のことを思い出してしまって
つい書いてしまいました。


502 名前: 食事じゃないけど・・・。 投稿日: 2000/04/29(土) 01:10
私も、「食事」じゃないけどゴメンなさい。
なんて良いスレなんだろう・・・ほろほろほろり、ときて、
いろんなこと、思い出しては思い出にひたってしまいました。
そのなかのひとつ・・・。

高校1年の頃、初めてつきあった男の子に、
「あいちゃんの作ったクッキーを食べてみたいな」
って言われて、お菓子作りには多少自信のあった私は、前日の晩、
直径30cmはあろうかというほどのハート型のクッキーを焼いて、
ていねいに箱に入れてラッピングして、学校へ持っていった。
それを見た彼は、びっくりして、大喜びしてくれた。
「こんなハートのカタチしてたら、食べるのもったいないよ〜」
と言いながら、嬉しそうに手に取ろうとして・・・その瞬間、
箱から手が離れて・・・地面の上で見事にクッキーはボロボロになった。

ちょっとショックを受けて、でも、「せっかく作ったのに・・・」よりも、
とても楽しみにしてくれてたのに食べさせてあげられなかったことが
悲しくて、無理に笑って、
「ゴメンね・・・おっきく作りすぎちゃった、今度は普通のサイズで、
いっぱいハート焼いてくるからね」
って言ったら、彼が、しんみりと、でもすこし微笑んで、
「ゴメンな・・・でも、今の言葉で、もっとあいちゃんが好きになったよ」
そういって、地面に落ちたクッキーのかけらを拾って口に入れて、
「おいしい!今度は残さないで全部食べるから、また作ってくれる?」

けっこうひどい別れかたをして、もう10年になるけど、
あの時の思い出は今も大切にしまってあります。
結婚してたりするのかな。元気だったらいいな・・・。


503 名前: まなみ 投稿日: 2000/04/29(土) 23:12
私はいつもおにぎりを食べる時に、思いだすことがあります。

何もできない私が、はじめて彼の為に、おにぎりをつくろうとして
一から米を洗って、炊きました。
炊きあがったご飯は、かなり柔らかくて、これじゃおにぎりは
にぎれるの?って感じだった。

でも、彼はそれでも食べたいと言ってくれたので
頑張ってにぎろうとしたけど、なかなか形が綺麗にならなくて。
私は気が長いほうじゃないので、直に「もう〜辞めたぁー」って
あきらちゃうんです。
でも、彼は笑顔で私の手からご飯を取って無言で
作ってくれました。感動しちゃいました。

それから、今は完璧にその彼(旦那)におにぎりを
作ってます。



504 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/30(日) 01:59
もう17年前になるな。彼女と北海道ツーリングに行ったんだ。
2人とも学生で金なんてないからキャンプだよ。
東京〜長野〜新潟(陸路)〜小樽(フェリー)ってルートでやっとこさ北海道。
船内では買い込んであったフランスパンばっかりもそもそ食べてたな。
でも若いっていいよね。もそもそが楽しいんだ。
日本海(鉛色)は十分見たんで、今度はオホーツク海だ!って、根室に向かった。
途中、いろんなキャンプ場があったはずだけどそれはよく憶えていない。

まあ、とにかく納沙布岬に着いたんだよ。
2人とも腹がへっててね。もう夕方だし今から飯盒炊飯するのはきついかな?って感じだった。
いいにおいにつれられて単車を止めたところは大きな公園だった。
かまどが数カ所あるんだよ。あそこは何だったのだろう。
近所の人たちが親睦会を開くような所なのかな?

そこでは大宴会が開かれていたんだ。
でかい鉄板。
さんまが焼けている。
イカが醤油をかけられておどっている。
じゃがいもがアルミホイルにつつまれて熱くなっている。
ジンギスカン部隊(勝手に命名)が肉を焼く。
やきそばジュージュー。
大人も子供も大騒ぎ。

2人、なかば呆然と見ていたんだな。
いや、それほどまでに盛会だったんだ。
いったいあそこには何人いたのだろう。

そのうち、期待していたことがおこった。
「おい、にいちゃんねえちゃん。こっちに来て一緒に食え」
我ながらあさましいがこのお誘いを待っていたんだ。
2人、生きててよかった〜 モードに突入。
食った食った。

もしもあの時の根室の人がこれを読んでいたら。

ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
今でも「根室」というと気前のいい人がいっぱいいるところだ...

そんな会話をしている夫婦がいます。



505 名前: バッカーです 投稿日: 2000/04/30(日) 03:14
1〜504を全部読む(ダウンロードする)シンドさを全員が味わう必要がない
と思いましたので勝手ながら別発言にします
っつーかみんなムズムズすると思うので

見えない部分(一部重複)は以下の通りです

-----------------------------------------------
我ながらあさましいがこのお誘いを待っていたんだ。
2人、生きててよかった〜 モードに突入。
食った食った。

もしもあの時の根室の人がこれを読んでいたら。

ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
今でも「根室」というと気前のいい人がいっぱいいるところだ...

そんな会話をしている夫婦がいます。




506 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/30(日) 05:47
うちは夫が出張勝ちで、いつも四才の息子と二人殆ど母子家庭状態。
実家は車で一時間弱だけど、姉夫婦と二世帯建てて私はカヤの外って勝手に思ってたから
誰にも頼れない、がんばらなくちゃって思ってた。
ある日私40度近い熱出してどうしてもおきられなくて、もともと少食の息子は朝から
昼くらいまでひとりで遊んだりテレビみたりしてた。
はっと気がつくと夕方、私の隣には息子が布団に入り込んで一緒にねていて、
そばには食パンの空き袋とピーナッツバターとスプーンがころがってた。
なんだか息子がかわいそうで、自分もかわいそうで悲しくて泣いた。
今考えたら意地張らないで素直に誰かに頼れば良かったんだけどね。
ピーナツバターをみると思い出して、つい息子をむぎゅっとしてしまう。


507 名前: >506 投稿日: 2000/04/30(日) 06:00
おれ、男だけどもらい泣きしちゃったよ。ほろり。(T_T)


508 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/30(日) 08:53
いい話ばっかりなんで、夢中で全部読んでたら、鍋こがしちゃった。やれやれ。


509 名前: 緑一色 投稿日: 2000/04/30(日) 13:34
>505
あう、気づくのが遅かった。
んでも、「レスを全部読む」じゃなくても、「最新レス100」でも504の全文見えるよ。
100でも多いならリンクURLの最後"ls=100"を"ls=30"とか好きな数にすればいいし。
でもこういう心遣いのカキコって、2chで初めて見た。やっぱ違うなー


510 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/30(日) 17:40
あれは私がまだ高校生の時です。
母は体が弱く肝炎にかかり入院した当日、晩飯は祖母が作り始めていま
した。私はその隣の部屋でテレビをみていたのですが窓ガラスごしに、
炎があがっているのにきずきました。
私はあわてて隣の部屋へ行くと、祖母は焼肉をしようとして電気式のホ
ットプレートをガスコンロにかけていたのです。
すぐに火を消し、父は怒り出しましたが、私はその時の
「鉄板が全然熱うならんのや」という祖母のいいわけと生のまま残って
いた肉をみて笑ってしまいました。
今では祖母なりに一生懸命だったんだなとおかしく思い出しますが祖母
は今なお健在であります。
ちょっとスレからはなれた話すみません。このスレよんでたら思いだし
ちゃいました。




511 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/01(月) 09:32
上げておきましょう。


512 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/01(月) 13:24
飲み物の思い出になるんですが。
中学2年の時、遅い初恋をしました。相手の彼は目立たないけど
優しくて努力家な人で、本当に好きでした。
何も言えないまま中学を卒業し、別の高校に進学しました。
離れてしまえば忘れるかと思ったのですが、忘れるどころか
好きで会いたくてしかたなくて、思いきり告白しました。
「つきあった下さい」という私の言葉に、笑って「いいよ」。
初めてのデートはふたりで映画を見に行き、映画を見終わってから、
私は初めてつきあうからか何も話せず、彼は無口な人だったので、
お互い無言で歩き続けました。
ようやく話せた言葉は、「お腹空いたね。」
目についたロッテリアに入り、私はハンバーガーとアイスコーヒー
を注文したのですが、何故かこの時、コーヒーをブラックで飲む
のは可愛くないと思いました。甘いコーヒーは嫌いだったのに、
彼に可愛く思われたいあまり、無理してガムシロップとミルクを入れ、
飲んでいると、彼から「ごめん、やっぱりつきあえない」。
「分かった」と言うのが精一杯で、あとは甘くてまずいアイスコーヒー
を飲んでいました。
あれから6年、今は好きな人の前でもブラックのコーヒーを平気で
がばがば飲んでます。今度のデートでは、甘いコーヒーを
飲んでみようかな〜、なんてな。



513 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/02(火) 15:09
ええスレッドや‥



514 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/02(火) 16:57
いつ見てもここは、いい。


515 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/02(火) 22:58
ああ。


516 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/03(水) 02:40
わんわん泣きながら読みきりました。
田舎に帰りたいなぁ。

ばーちゃんの鯖のぬか味噌煮とぬか漬け食べたい。
いまでも電話をかけると宅急便で送ってくれるけど、
やっぱりみんなで食卓をゆっくり囲みたいです。

なんかいまから料理作りたくなったのでマルエツに行ってきます。



517 名前: >516さん 投稿日: 2000/05/03(水) 12:37
あの・・・質問があります。
鯖のぬか味噌煮って初めて聞いたのですが、ぬか味噌って
漬物を漬けるぬか味噌ですか?



518 名前: S@yu 投稿日: 2000/05/03(水) 18:21
想い出に残る食事というより思い出に残るお店なんです
もう20年位昔なんですけど、練馬区の上石神井という所に
<カルダモン>という、小さなカレー屋さんがありました
初老のご夫婦が、2人でやってらして、当時付き合っていた彼氏と
何度か足を運びました
とにかくおいしい! 小麦粉などは使わず、野菜スープと カルダモン等・・・何十種類
のスパイスを使い、一人分ずつ丁寧に作る味わい深い最高のカレーでした
今では(かなり前から)もうなくなって、消息不明ですが
今どうしてらっしゃるのかな
どなたかが(娘さんとか)受け継いで、どこかでお店やってらっしゃるなんて事は
ないでしょうか・・・
あのカレーの味は、今だかつて巡り合えずにいます
どんなに評判のカレー屋に行っても、一口食べてガッカリという
残念なカレー人生を送っています
駄目元で
どなたかの、有力情報を期待しています
死ぬまでにもう一度食べたい  あのカレーを・・・・・



519 名前: ねたはないけど 投稿日: 2000/05/04(木) 12:46
あげるよ。


520 名前: 戸碌斎 投稿日: 2000/05/05(金) 11:17
近所の小さな神社にトタン葺きの小さな屋台。
そこで売っていたみたらし団子
まちまちの大きさのひらたい団子に、醤油味のタレ。
神社とつながってある神主さんの家の軒先に、
寄り掛かるように建っていた小さな屋台で、
一本二十円だか三十円だかで、雨の日も雪の日も売っていた。
近所の人は、何かあるとそこで団子を買っておやつにしていた。
子供もいず、どう見ても裕福とは言えない団子屋の老夫婦が
かわりばんこで屋台にたっているのを、近所の皆が支えているようだった。
いつも同じネズミ色の着物を着た無愛想な婆さんと、
これも殆ど言葉を発しないが酒ヤケの赤ら顔のにこやかな爺さん、
決まって子供には十円おまけしてくれた。
一本買っても十円引き。お使いで二十本買っても十円引き。

大学に入って町を離れ、数年してからふと気がつくと、
団子の屋台はなくなっていた。
屋台に車が突っ込んで婆さんが亡くなり、
気落ちして見る影もなく痩せ細った爺さんも
数カ月後、後を追うように病気で亡くなったそうだ。
それを聞いてちょっと泣いた。
屋台が無くなって間もなく、神主さんは家の改修をしたという。
屋台がある間は言い出せなかったんだそうだ。

あれから十数年。あの団子の味をもう一度味わいたくて、
みたらしと見れば飛びついて買って食べる。
でも、どれも甘ったるく、なんだか上品で、
あの神社の屋台の団子の味がした事はただの一度もない。


521 名前: キソ肉マソ 投稿日: 2000/05/05(金) 14:38
俺は3人兄弟の長男。
俺が21のとき一番下は16高校1年だった。

俺は仕事のため実家を離れて一人暮らし。
父は実家から車で2時間のところへ半単身赴任。
半と言うのは母方の祖母の家(名義は父親)に住んでいたからだ。

いずれ父の単身赴任先へ引っ越すことが決まっていた。
1番下の弟は父の住んでいる家から徒歩3分のところにある父方の祖父母の家に居候。
父方の祖父は厳しい人間で、些細なことに対しても怒鳴り散らしていた。
弟は高校1年という若さで円形脱毛症が出来てしまった・・・。

ストレスのせいか弟は激やせ激ぶとりを繰り返していた。

そして1年後・・・
実家が引越しをし1年ぶりに食卓を囲むことが出来た。
そのとき母親が弟に・・・
母「すしでも作ろうか?」
弟「いや鍋がいい・・・」
母「???」
弟「だって、すしは一人一人が食べるもんだろ。鍋ならみんなで食べるから。」

俺がその話を聞いたのは、それから半年たったときだった。
母は笑い話(?)としてはなしてくれたのだが、
俺は心が痛んでしまった・・・兄貴として何にも出来なかった。

今でも鍋を食べるとその話を思い出す。
一緒に食べている人には悪いと思うが、
俺が鍋を食べるときに、無愛想なのはそのせいだ。


522 名前: う〜ん 投稿日: 2000/05/05(金) 19:25
みんな、いいなぁ。


523 名前: 浪花のバーテン 投稿日: 2000/05/06(土) 11:01
ずーっと読んでて、今思い出した。
今から8年前の8月31日。
高校生活最後の夏休みもオーラスを迎えたあの日。
俺達、和歌山N高校の美術部軍団十数人で
「最後のこの日に、思い出を作るぜ!」っつーて
海岸でバーベキューをすることになった。
網や木炭やら用意して、全員集まってさあ始めるか!
っつーたんが午後10時頃。
しかもその日は台風が近付いてて、風の強いこと強いこと。
でも、アホな俺たち。
「こんぐらい、いけるいける!」とかゆって
そこらへんにあった大きめの石積み始めて、用意始めたんだわ。
で、木炭真ん中に置いて、新聞丸めて火を付けて、
やっと木炭も赤くなってきた。



524 名前: 浪花のバーテン 投稿日: 2000/05/06(土) 11:03
 つづき
さあ、やっとや!肉喰うでー!と肉を網にのせた時。
ザッパーン!
肉!網!木炭!全てが波に呑まれていった。
数秒の沈黙。そして、友人が一言。
「あ〜あ。」
次の瞬間大爆笑。
やっぱりこういうんが俺ららしいわ。とか
最後の最後にコレかい!とか言うて、
結局余った食材持って俺の家で焼いて喰った。
次の日学校やのに、朝まで騒いでた。
普通にバーベキューやってたら、ここまで
鮮明に憶えてなかったやろな。
ほんまに、あの時の仲間は最高やった。
だから俺は水辺でバーベキューする度に、
あのほんまにオモロかったあの高校生活と
もう疎遠になった仲間達の顔を思い出して、
なんか妙にセンチになる。


525 名前: 酒飲みモナー教徒 投稿日: 2000/05/06(土) 15:46
良いスレッドですね〜。(T_T)

私の思いでの食事は初めて彼氏に夕食を作った時のことです。
留学中に付合い始めたベジタリアンのアメリカ人の彼氏で、
はじめて私のアパートに泊まりに来たときの事。

いつもはラーメンしか作らない私ですが、
この時ばかりはと、日本食5品を作りました。
日本から送ってもらった半インスタント食品の品々。
たきこみ御飯、味噌汁、マーボ春雨、ワカメのサラダ、酢豚(肉なし)
いまでもはっきり覚えています。

味噌汁は外国人には合わないかな〜と思ったけど、
全部を御代わりしてくれて、最後に
”こんなに美味しいディーナーは、生まれて初めてだよ Thank you!”
と言ってくれました。
まぁ、アメリカ人のオーバーな誉め言葉と言うことを差し引いても
私には最高の夕食でした。
多分、初めて料理をしてよかったと思った瞬間だったと思います。

今、その彼氏は、よほど日本食が気に入ったのか(?)
九州で英語を教えに行っています。私はまだアメリカにいますが、
彼はこの夏にこちらに戻ってくる予定です。

今度は、私に日本食(九州地方ののなにか)
を作ってくれたらな〜と期待しています。




526 名前: ZX4 投稿日: 2000/05/06(土) 18:21
うちの母はとても料理がとても下手で、私を含め兄弟は全員、母の毎日
の食事よりも父の時々作る外れが無い料理になついて育ちました。
(両親ともに健在です)

ある時、女の子の友達に母の料理が家族全員のブーイングに遭ってる
話をしたら、(当然、それでも全く母はめげてない)「え〜お母さん、
かわいそう」とか言われてしまったことがあったのですが、
○ある日のみそ汁の具はピーマンだった
○別の日のみそ汁の具はレタスだった
○休日の昼飯に出たホットケーキはダマ入りwith桜エビと青ノリだった
○腐りかけの残り物のおかずがでることは珍しいことでは無い
etc.の数々の母の武勇伝や、それらを残すと容赦なく親父のゲンコツが待っていた話をすると、すぐに納得してもらえました。
家族にとって「お袋の味」=ゲテモノ料理となってます。(^^;)

そんなわけで兄弟全員にとって、ミッション「食べ物は好き嫌いなく残
さず食べる」「男でも簡単な料理ぐらいは作れるようにする」などと
いうことは造作もないことでした。母の料理が反面教師となって、
「味的にも傷み具合の上でも異常がない食い物を残すなんて罰当たり」
「料理に文句があるなら自分でどうにかする」という意識が英才教育
されてしまってたのです(恐るべし母)。
おかげで給食や、めったに行かない外食はご馳走も良いところでした。

つづく


527 名前: ZX4 投稿日: 2000/05/06(土) 18:22
つづき

やがて月日はたち、社会人になって一人での生活を過ごす今となっては
、ガキの頃の憧れだった外食や、コンビニ弁当などで済ませる食事も
増えました。そしてそれらの、味は憧れるほどのものじゃないってこと
(注:当然外食≠高いとこの料理です)、毎日食べるには栄養のバランス
が悪いこと、などが分かるようになり、今では逆に毒々しい色の漬け物
とかは意識して残す習慣になりました。

口当たりは良いけど野菜が少なく、添加物とかが入ったわびしい食事と、不味いけど家族の団らん(喧噪?)が絶えず、添加物は入ってないけど一発当たったら逆の意味でおつうじに悩まされる食事。
未だにこの究極の選択のどちらが良いのか答えが出ません。

あ、オチは「親父の手料理が恋しい」です。(^^)
長文駄文すいません。


528 名前: 投稿日: 2000/05/06(土) 18:28
↑すいません、改行がかなり変になってしまいました


529 名前: 栗 良平@一発のかけそば 投稿日: 2000/05/06(土) 18:56
このスレッドの内容を語り物にしたら、
しばらくドサ回りで喰っていけそうですね。


530 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/07(日) 03:02
最初にお断りしておきますが,私は世間で言うオカマちゃんです.

そんな,私にも彼が居た頃です.

私が具合が悪くて,寝ているとき彼が料理を作ってくれました.
料理と言っても,お粥とレトルトのお味噌汁.
お粥は固かったし,お味噌汁はしょっぱかったのを記憶してます.
その時,私は手術の後だったんで食欲もなかったんですけど
彼が折角作ってくれたんで,無理して食べました.
はっきり言っておいしくなかったです.
でも,彼が作ってくれたのと手術の成功からでしょうか泣いてしまいました.
すると彼は何も言わず,玄関から出て行ってしまいました.
数分後,息を切らして戻ってきて,無言で私にコンビニ袋を差し出しました.
中には私の大好きな焼きプリンひとつ.
泣き続ける私.
彼なりの愛情表現だったんでしょうね.
でも,その時の私は自分の事で精一杯で彼の気持ちには答えられませんでした.
その後,彼が事業に失敗,連絡がなくなり自然消滅です.

あの焼きプリンだったのかなぁ と今更ながら思う私です.
今だったら,良い奥さん?になれる自信あるんだけど.

#女性ホルモン打つと(初期)情緒不安定になるらしいです.


531 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/07(日) 17:26
うえーん(><)
いいなあここ・・・。



532 名前: ftp 投稿日: 2000/05/07(日) 20:14
サッカー部の先輩が難病で他界した。死ぬほどの重病だったとは知らなかった。
22歳で一人っ子だった。お通夜の弔問客は少なく、意外なほど年老いた夫婦に、
2階に案内された。友人ら3人でしばらく酒を飲むのだが、俺たち以外に2階には
誰も来ない。そのせいか、盛り上がらず、早々に退散しようとした。老夫婦はどうぞもっと
いてください。息子も喜びますからというのだが、誰も手をつけていない上寿司
ばかりがが並んでいる2階がなんとなく居づらく帰ってしまった。
一人息子を亡くした夫婦のさびしそうだったこと。なんで朝まで飲み騒いでやらな
かったのか、ずいぶん薄情なことをしたと今でも後悔している。



533 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/08(月) 06:33
幼稚園の頃実家でやってる仕事の取引先に
母親といっしょにいったことがある

母親はその会社の入り口のところで
じっとしてなさいってきつくいったけど
待っても待っても母親は帰ってこない
それで急に一人でいるのがこわくなってその会社のなかで母親を探しはじめた
なんでかわからないんだけど社員とはすれ違いもしなくて
灯りもついてなく薄暗い、天井が凄く凄く高くて
ガラーンとした廊下をとぼとぼ歩いてると
もしかして自分は捨てられてしまって
もうここで一人ぼっちなんじゃないかと思えてきた
もう皆とも大好きな坂本先生ともあえなくなったんだとおもったら
そうしたらなんだか鼻の置くがツーンとして涙がでてきて
でも泣くのがかっこ悪いと思ってたから必死に我慢して

そうしてずっと歩いてたら掃除のおばあちゃんに出会った
そのおばあちゃんがどうしたのって声をかけてくれたらもう我慢ができなくって
訳がわからなくなってそのおばあちゃんにしがみついて大声で泣いてしまった
そんな困った子供をそのおばあちゃんは頭を優しく撫でてくれて
泣き止むまでずっとそうしてくれた
それから紙コップに入ったコーラと食パンを手渡してくれて
そのころコーラが辛くて飲めなかったんだけどすごくおいしく感じられて
それをのんだらものすごく心が落ち着いたのを憶えてる

もうあのおばあちゃんの顔も覚えてないけど
抱きついたとき感じた作業服の匂いとあのときのコーラの味はまだ憶えています


534 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/08(月) 16:06
涙でキーボードが見えないのでブラインドタッチできてよかったなぁ。


535 名前: このスレッド良すぎる! 投稿日: 2000/05/08(月) 17:32
このスレッド読んで、たまらずGW実家に帰って来ました。
母親がすごいよろこんでくれて私の好物ばかり作って
くれました。

美味しかったです。ありがとう>2ch



536 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/08(月) 19:21
家庭の事情により、バスで幼稚園に通っていたことがあります。
バスは幼稚園バスではなく市営バス、周りは朝を急ぐ大人で一杯。
当時4歳の私にはみんなが誘拐犯に見え、座ることもできず
泣き続けていました。
やっとついたバス停にはかならず祖父母がいて、祖父は大きな
逞しい胸で泣きじゃくる私を抱き締め、なだめ、3人で手をつないで
幼稚園に行っていました。幼稚園が終わると、祖父母の住むアパート
に行き、夜まで過ごしていました。
私をかわいがってくれた祖父母が、たまに『特別』といって買って
くれたお菓子があります。デパートの食品売り場にあった、何g
何円という、回るワゴンに乗ったお菓子です。
好きなのを買いなさいと祖父母が見守る中、決まって買うのは
風船に入った丸い羊羹。羊羹といっても、今思うと子供騙しの味で、
なのに大好きでした。
あの時間の事を思うと、いつも笑っていたように思います。

その後幼稚園にバスで通わなくなり、祖父母と一緒に住む
ようになったのですが、祖父母と両親の間には、お金のからんだ
大人の事情というものがあり、いつも殺伐とした空気が流れていました。
私は徐々に祖父母に甘えることはなくなり、冷たい態度さえとる
ようになっていました。
その後祖母が他界し、しばらくして私は進学の為家を出ました。

たまに帰郷すると、祖父が小さくなっているのです。大きなはずの
胸は痩せ、足は驚く程細く、強かった足腰は今では杖を使う程です。
いつも涙ながらに私の帰郷を喜び、小さな私が泣きながら抱き着いて
いた話しをします。今がどうであろうと、冷たい態度をとってしまっても
祖父にとって私はいつまでも小さな女の子です。
今度帰ったら、祖父とたくさん話をしたいです。いつまでも長生きして
いつか私が産む(かもしれない)曾孫も可愛がってください。


537 名前: にゃん 投稿日: 2000/05/08(月) 21:52
おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。

帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。

帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。

家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。


538 名前: >537 投稿日: 2000/05/08(月) 22:30
うぇ〜ん(ToT)
私も泣けてきました・・・。
タクシーの運転手さんも一緒に泣いてくれるなんて・・・なんていい人
なんだ!!



539 名前: 僕もひとつ、半年前に別れた彼女のことを。名無しさん 投稿日: 2000/05/09(火) 09:12
彼女は、ほんとになにも料理ができない人だった。
あまりに何もできないので、「肉じゃがってのはこうやって
作るんだぞ」なんて、僕のアパートで作り方をおしえていたくらい。
3年くらい付き合っていて、僕は一足先に社会人になっていた。
彼女はまだ学生。僕はマスコミ関係の仕事に就いたこともあって、
なかなか会えないことも多かった。でも、僕は将来は結婚しよう、
と密かに考えていたんだけどね。

ある日、将来のことを話していて、自分の進路をちゃんと考えていない彼女に、
かなり厳しいことを言ってしまった。電話口で泣き崩れる彼女。
僕は、変に社会人として先輩風をふかしていたんだと思う。
その場はなんとか収めたけれど、しこりが残ってしまったような感じだった。

そして数日後の早朝、突然に彼女は急にアパートへ押しかけてきた。
そんなことは今まで無かったのでびっくりしていたけど、なぜか彼女はゴキゲンで、
「いっしょに朝ごはんを食べよう」と、
彼女はコンビニのおにぎりとカップ味噌汁を取り出した。
僕は、おいおいコンビニのおにぎりかよ、と思いつついっしょにおにぎりを食べた。
夜遅くまで帰れない僕といっしょの時間を過ごすには、これしかなかったし…。

でも、それから2か月もしないうちに、彼女から別れ話が出た。
僕の方も、うすうすと感づいていたので、驚きはしなかった。でも、
ただただ、悲しくてポロポロと泣いてしまったのを覚えている。

彼女、つらかったんだろうな…たぶん、あの日は眠れなかったんだろうな…
無理に明るく振る舞ってたんだろうな…
徹夜で仕事中、コンビニのおにぎりを食べると、あの日を思い出して泣けてきます。
そんなときは「クソッ、彼女が料理できたら、仕事中に泣かずに済むのに」と、
一人で強がって気を紛らわせています。



540 名前: だから 投稿日: 2000/05/09(火) 20:26
仕事中に泣かすなって。


541 名前: 俺も泣いている 投稿日: 2000/05/09(火) 21:37
今日も残業の夜だけど、少し疲れてきたらこのスレッドを
読んで深夜まで頑張る事にしてる。
優しくも哀しくせつない気持ちになる。
別れたあの子は元気だろうか。
今、誰の声を聞いて暮らしているのだろうか、と。

お前の手料理をずっと食いたかった。
あの手料理を、もう食べる事は出来ないんだな。

お前のサラダがとても好きだった。
あのレシピを、お前から教わった通りに作っているけれど
お前のようには上手く作れない。

あのサラダを作る度に思う。
いつか俺が幸せになった時に、あの味は再現出来るのだろう。
今、俺は同じ場所で、独りで頑張っている。
あのサラダの味の再現はまだ遠い先のようだ。


542 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/10(水) 14:00
よいしょっと。


543 名前: ANA 投稿日: 2000/05/10(水) 20:42
おなじく よいしょっと!


544 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/11(木) 05:23
ちょっと思い出したので、イイ話じゃないけど俺も。

俺がまだ小学1〜2年生ぐらいだったかの頃、母がなにかの用事とかで
夜まで帰ってこれないことがあった。
日曜日で親父が家にいて、昼時になったので飯を作ることになった。
いつも仕事ばかりで、たまの日曜でも寝てるかゴルフ見てるかしかない
親父だったので、なんだか妙に嬉しくてはしゃいでいた。
で、出てきたのは黒いさつまあげ。焦げまくっていた。
一口食べると苦くて苦くて、「いらない」って言ったら「食え」って
怒られて、泣きながら食べた。
その次の日曜も親父の料理だったので、俺は憂鬱だった。
「できたぞ」と言うので渋々台所に行くと、明かに「チャーハン」
ではない「焼き飯」が皿に盛られていた。しかもリンゴのかけらがちらほら・・。
見るからに具が怪しい(リンゴと鶏肉等)ので、暗ーい気持ちで口に入れると
なんでか判らんが不思議と美味かった。
しかも、それはあの「クジラ」の味がした。入ってないのに何故か。
恐るべしウチの親父。

今でもいっしょに酒を飲むとき、親父は妙なつまみを作ることがある。
不味い事も多いが、美味い時もある。
その時は、大抵「違う何か」の味がする。恐るべし。


545 名前: メロン 投稿日: 2000/05/11(木) 21:25
あれは小さい頃、4歳ぐらいかな?
私はメロンが大好きだった。
祖父母の家に行く度に大きな美味しいメロンを食べては喜んでいた。
でもそのメロンは末期ガンだった祖父のお見舞いの品だった。
祖父はホテルマンの重役だったからいつも沢山のお見舞い品をもらっていた。
私は小さかったから意味もわからず食べていたけど
おいしそうに私が食べているのを見て嬉しそうにしている祖父の顔は
今でもなんとなく覚えている。
笑っていた時もガンの痛みと戦っていたんだろう。
祖父はそういう人だった。15年経った今でも一番尊敬している。


546 名前: ナナ 投稿日: 2000/05/12(金) 00:08
中三の時つきあってた彼女と、彼女の友達の家に遊びに行った。
で、ただダベったり漫画読んだり音楽聴いたり。
それは一見幸せそうな時間だったけど、
彼女を友達にとられたような気がしてちょっとふてくされて、
ベッドでごろんと横になってた時、その友達が、
「お腹すいた」と言い出した。すると彼女が、
「あ、クッキー焼いてきたんだよ。食べる?」
…まさに、寝耳に水。
でもそこで飛び起きるのはプライドが許さない。
些細な事なんだけど、いっそうその友達に嫉妬して、
「声をかけられるまで待とう、自分から行くものか」と意地になった。

二人がクッキーを食う音が落ち着いた頃起きあがって、
置いてあるクッキーに気づかないフリしてた。
その時もまだ、「声をかけられるまで」と思ってた。
でも結局その声がかけられる事はなくて、そのまま二人で帰った。
三枚くらい残ったクッキーは、
置いていったのか、彼女が包んで持って帰ったのかは覚えてない。
帰り道は、平静を装ってたけど、不安で不安でしょうがなかった。
ホントに俺の事が好きなのか?と(笑)。

思い出せば出すほどガキくさい思い出だけど、
先にも後にも彼女の手料理に触れられる機会はなかった。
「おいしーい」という友達の声と
「さくっ、さくっ」という音を聞きながら、
まぶたを閉じていた俺を今から叩き起こしに行きたいくらいだ。
ホントにもったいないことしたなぁ…。食いたかった…。


547 名前: >546 投稿日: 2000/05/12(金) 09:02
もう〜! 意地っ張りなんだから〜(TДT)
でも気持ちわかる。今度は素直にネ。


548 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 09:20
昨日の朝、女房と喧嘩した。というかひどいことをした。
原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。
「仕事行くの嫌だよな」とか呟く俺。そこで女房が何を言っても
俺は切れただろう。前例もあったし。あいつもそれを良く知ってる
から何も言わなかった。それも分かってたけど、なんだか馬鹿に
されてるような気もして、八つ当たりしてしまった。
すごく美味そうだったのに、せっかくあいつが作ってくれた味噌汁
もおかずも全部ぶちまけて暴言を吐いてしまった。
あいつは泣きながら残りの味噌汁の鍋を流しに捨ててた。ものすごく
後悔したけど、用意してあった弁当も持たず、虚勢をはったまま
謝りもしないで俺はそのまま会社に出掛けてしまった。
夜になって、気まずい思いを抱きながら帰宅した。もしかしたら
女房は実家に帰ってるかもしれないと内心不安だった。が、部屋の
灯りはともっている。しかもなにやらいい匂いもする。
思い切ってドアを開けると、女房は俺の好物のビーフシチューの
鍋を抱えて出迎えてくれた。「これで仲直りしよう」と笑顔で。
俺の方こそ、朝のお詫びに気の利いた土産の一つや二つ買って来る
べきだったのに。
もう、自分の勝手で女房に八つ当たりをしないようにしようと
心に誓った。
本当はあの味噌汁食いたかったんだ。俺は。


549 名前: 541 投稿日: 2000/05/12(金) 09:27
朝から泣かせんなよぅ…
良い女を選んだなぁ、あんた。>548
心の底からそう思う。


550 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 10:01
会社で泣いてるのがバレないように 目薬を買っちゃった。
「ドライアイなのかなぁ〜」なんてわざわざ周囲に言ったりして。
いつもはほとんど使わないうちに 古くなって捨てちゃうんだけど
今度のは もう半分に減ってる。


551 名前: >549 投稿日: 2000/05/12(金) 13:37
同感。
もう奥さん泣かしちゃだめだぞーう>548




552 名前: 548 投稿日: 2000/05/12(金) 15:32
今、改めて自分の書込みをみた。改めて自分の身勝手さに
呆れた。(文章も変だった)
皆さんレスありがとね。
今日はケーキの一つや二つ、花の一本や二本でも買って
帰ろうと思った。誕生日でも何かの記念日でもないから、
きっとあいつは変な顔するかも知れないけど。


553 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 16:23
初めて見て、全部読みました。久々に号泣してしまいました・・・
色々思い出して私も一つ・・・

小学生低学年のころ、両親は共働きで私は毎日学校が終わると、妹を保育園までを迎えに行っていました。
母は、パートではなく正社員で働いていたため、帰ってくるのは夜の7時とか8時・・・。
うちには作り置きの食べ物も無く、あるのはサッポロ一番だけでした。
おなかが減ったら泣き出す妹に、サッポロ一番を作ってあげて一袋を2人で分けて食べていました。
ちょっとでもゴージャスにしようと思って、とき卵を最後に落とし込んでかき混ぜると格別においしかったのを覚えています。
(麺は硬めと、子供ながらにこだわりまであった^^;;)
正直言って、子供のころに母の手料理を食べた記憶があまりなく、
トラウマか、つい最近までインスタントラーメンが食べれませんでした。
今、小規模ながらも一事業主として1からスタートし、成功している母は、
「あんたが子供のころ、妹を面倒見てくれたから、お母さんは成功したんよ。
あんたがいなかったら今の私は無いと思う」と泣きながら「ありがとう」と言ってくれました。
そして急に卵を入れたサッポロ一番が食べたくなって、久々に食べました。

母はその後、「それにしても今思うと、子供に子供を迎えに行かせて、しかも背の低い子供に
平気でガスコンロを使わせてたなんて・・・恐ろしいわ〜〜
よく無事だったもんだ」と笑っていました。





554 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 16:30
>548
ステキな奥様で 幸せですね。
今夜は楽しいディナーになるといいですね。

私は 共働きなのを言い訳にして 最近あんまり丁寧な料理を
作ってないなぁ・・・ (反省)
今日は がんばってビーフシチューでも作ろうかな。
(家の夫もビーフシチューが大好物)
夫 ビックリするかな・・・




555 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 19:44
泣ける話じゃないんですが。

自分が小学校5・6年の頃、
クラスメートの女の子からバレンタインデーに
手作りチョコをもらいました。
翌日、あれぐらいの年齢特有の「女子vs男子」感覚から
「食べたけど、うまくねー」みたいな強がりを
学校で言う(本心はウキウキだった)と、
その女の子は泣いてしまいました。
依頼、モテたためし無し! バカたれ > 俺


556 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 20:25
こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。


557 名前: だるまいんこ 投稿日: 2000/05/12(金) 20:35
>556
低脳でもかまわないよ〜ん。
素直な感性の方が人として大切だよ。


558 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 00:49
どうしてもピザが、食べたかったらしい。

家に帰ってきたとき、妹の奮闘の結果が台所一面に広がっていた。
開いたままの薄力粉の袋。溶いた小麦粉がこびりついたボウル。
まだ熱いレンジの横にケチャップのチューブとソーセージの断片(たぶんサラミの代用?)
皿の上に乗っていた一切れを囓ってみたが、
それは『塩味クッキーのソーセージ乗せ』としか表現のしようない代物だった。
レシピを見る、という観念のないまま食欲の赴く限り勘だけで(!)
料理を作り始めた弟は数多くの失敗を重ね、いまでは(私を越える)
いっぱしの料理上手になっている。
ある日の夕食に出たホイコーロー(絶品だった)の作り方を訊いたところ
彼女は『クックドゥ』だと答えた。なんだレトルトを使ったの、拍子抜けした私が笑うと
妹は違うという。
「スーパーでクックドゥの後ろにある源材料名を見るの。たぶん含有量の多い順に並んでいるから
あとは食材に火を通せば、どうにかなるでしょ」

正直言って、食事を作るというごく簡単な(筈の)ことにも天賦の才能というのが存在するんだと
思い知ったのはあのときが初めてだった。




559 名前: ギコ猫より 投稿日: 2000/05/13(土) 09:28
      ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)<  556は逝ってよし。
 UU ̄ ̄ U U  \_____________


560 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 12:42
>558
話の途中で出てくる弟さんはどうなってしまわれたのですか?(笑)


561 名前: >560 投稿日: 2000/05/13(土) 12:55
性転換に1票(ワラ


562 名前: ギコ猫より 投稿日: 2000/05/13(土) 13:58
      ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)<  556も逝ってよし。
 UU ̄ ̄ U U  \_____________


563 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/14(日) 21:24
よこいっしょ


564 名前: 投稿日: 2000/05/15(月) 01:09
大学進学のため、一人暮らしをはじめたとき、
最初の3日間、母がついてきた。
いろいろな手続きなどを手伝ってくれ、
ご飯を作ってくれた。
何の変哲も無い肉野菜炒め、生野菜サラダ、白いご飯。
いつもの味だった。
これから一人で暮らす部屋での、母と私の一対一の食事。
奇妙な感覚だった。

さっぱりした性格の母は、「体に気をつけて」とだけ言って、
田舎に帰っていった。
急に寂しくなった。
そして、その後1週間、
同じ材料で肉野菜炒めを作ってみたのだが、
同じ味は出ない。
3年たった今でも、できない。
料理屋でバイトし、そこそこの腕を身につけたはずなのに。

盆や正月に実家に帰ると、親が喜んで、食事が寿司の出前や外食になる。
また、友達と遊んで飲み屋で食事をとったりする。
今度帰省するときは、いきなり帰ってみようかな。
そしたら、夕食がいつものおかずで、
あの「肉野菜炒め」が食べれるかもしれないから。


565 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/15(月) 06:37
>564
良い話です。
帰国して、一番食べたいものって子供の頃から熟れ親しんだ母親の
料理だったんだと最近気が付きました。
出前の寿司よりもかあちゃんの作ったカレイの煮付けが喰いたいよ。



566 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/15(月) 10:03
>564
俺も帰ってみたくなった。金がないのに・・・

家の味の思い出といえば、コロッケかな?
何の変哲もないコロッケだけど
むちゃくちゃうまいんだよね。
コロッケのしたくの際によく手伝わされてさ。
夕方のアニメ見ながら芋をつぶしたり丸めたり。
丸めながらつまみ食いしてた。

今一人暮らしだから、「揚げ物と言えば総菜屋」になってるんだよね。

前に実家に帰ったとき
「何食べたい?」と言われて「コロッケ!」と即答したら。
実家に住んでいる弟からブーブー言われた。
「せっかくご馳走食べられると思ったのに・・・」だってさ。

毎日コロッケでもいいな・・・


567 名前: ギコ猫より 投稿日: 2000/05/15(月) 10:28
     ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( T_T)<  逝逝スレッドだな。
 UU ̄ ̄ U U  \_____________


568 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/15(月) 23:11
あgE!


569 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 03:10
ばーちゃんの作ったチキンライスが食いたい。
ばーちゃん曰く、それはチャーハンだったんだけど、
ガキん時によく作ってもらった。
うまかったよ。大好きだった。
2年前にばーちゃんが倒れたと連絡があったとき、自分で
チキンライスを作って願をかけた。
マジで泣きながら作ったよ。
ばーちゃんは命を取りとめはしたけど、もうオレが誰かも
わからない。
もう一度食いたいよ、ほんと。


570 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 11:22
あげておこっと!


571 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 11:26
両親が商売を始めたので同じだけ仕事をしてるのに父に労わりがなく
家事を母にだけ求めていた事で良く喧嘩をしてました。
それを見たくない一心で10歳から家事を始めた私。
冷蔵庫にある物でちゃっちゃっと3,4品のおかずを作れてしまう。
でも20代前半はそんな事ができてしまう自分がコンプレックスでも
あり、子供の頃の悲しい気持ちも思い出してしまうので彼ができても
料理はかなり信頼するまでする気になれない事だった。
逆に言えば私にとって最高の愛情表現でもあったのかな?
今迄が料理できないとすら思われていたからもあるだろうけど料理
したらどの彼も「美味しい、美味しい」って食べてくれて私の心に
固まっていた気持ちも溶けてきました。
思えば10歳で必死に料理できたのも弟と妹が「美味しい」って
いつも喜んでいてくれたから。
「美味しい」って魔法の言葉ですね。



572 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 12:05
私が帰省したときの食事は豪華だったんだけど父の好物ばかり(笑)
父が「自分が好きなものはみんなが好き」と思い込んでいるため。
最後の日はわたり蟹のお味噌汁だったので嬉しかったな。



573 名前: すぬ 投稿日: 2000/05/16(火) 14:10
>569さん
うるうるしちゃいました。(T_T)

>571さん
あなたのごはん、きっととても美味しいんでしょうね。(^_^)
「美味しいものを食べさせたい」っていう優しい気持ちは、何よりも
いい調味料だと思います。


574 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 15:45
カツ丼。

母親が不倫していることがわかり、離婚前提で
別居して夜、父が出前で頼んだ夕飯。

たべたくないけど無理矢理詰め込んだ。
大好物なのに少しも美味しくない。



575 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/17(水) 03:07
7、8年前中国に旅行に行ったときの話。

あるホテルの食堂でいくつかの料理と「青竹なんたらかんたら」と
あるスープを頼んだ。中華は最後にスープがくるので、ほかの料理を
食べたあと待っていたのだが、30分近く待ってもなかなかこない。

あの国はサービスが適当で、いろいろな料理屋でずいぶんと
待たされることがあり、そのとき入ったところでも「どうせサボって
いるんだろ」と日本人的・厨房的感覚で馬鹿にしていた。

40分ほど待って、ようやくスープがきた。お盆に竹筒がのっている。
大きなどんぶりに入ってくるスープを予想していたのだが、
「あれっ」と意外な感じがした。竹筒に竹のふたがしてあり、
それをとろうと竹筒をつかむと、とても熱い。あちあち言いながら
ふたを取ると中にスープが入っている。どうやら、竹の中に材料を入れて
延々あつあつになるまで蒸したらしい。竹筒は陶器と違い熱の伝わりが
悪いだろうから、時間がかかるはずだ。瞬間、それまでの自分の考えを反省
した。さすが、食にこだわる国だ。

味は、中華風コンソメともいうような感じで、牛肉の小さな塊とねぎ、
香ばしい木の実が入っており、全部食べ終わってから「もう一度同じ
時間まつからおかわり」というくらいのおいしさだった。

たかだかそれだけのことだが、いっぱいのスープに「自分の浅はかな
考えや経験だけで世の中をつかもうとするなよ」と教えられたような
気がした。それ以来、料理を待つということに関してはたいがい
腹を立てないようになった。


576 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/17(水) 09:55
ageついでに・・・

先日 夫の誕生日、 急いで会社から帰ってご馳走を作った。
ご馳走とはいっても とんかつ、カニ、雲丹、エビフライ、ハンバーグなど
栄養のバランスも何も無い、ただ 夫の好物だけを作って並べた。
(ほとんど野菜の無い食卓)
「あー美味かった〜」とTVを見ている夫の前に とどめにデザートのスイカ。
(スーパーのタイムサービス品)
「ぃやったぁーーーー!!!!」
目を輝かせてスイカに飛びつく夫。

「美味かった」って言ってもらえただけ まだましかな?
ちくしょー いつかスイカを越える料理をつくってやる!!!


577 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/17(水) 14:10
このスレッドが消えなくて良かったと思いつつあげ。


578 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/17(水) 16:59
不倫していた19の頃。
一人暮らしを始めたばかりで料理は上手なんかじゃないけど
まあ普通にするくらい。
その男は美味しいとも不味いとも濃いも薄いも言わずに
毎晩うちでメシを食ってはすぐに眠りに入るというとんでもないやつで、
あたしは何でもいいから一言が欲しくてイライラしてた。

ある日その男は、ササミを炒めて塩コショウしてくれとリクエスト。
つくって出したら、あたしが先に出してた大根の煮たのとか
一応手間をかけたのには手を付けず、
うまいうまいとササミばかり食べる。
「簡単だろ?つまみにもなるし」と得意そうに言いながら。
それがとても嫌だった。もっとやさしくしてほしかった。

今の彼はご飯をつくるのがとても上手で、買い物もいつも一緒に
してくれるけど、ササミは実は買いたくない。


579 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/17(水) 17:12
泣けるネェ、ぐぐぐ。


580 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/17(水) 22:19
昔大学に行って初めて一人暮ししたとき。
荷物や何かを一緒に運んできてくれた両親が帰った次の日の夜、
さあ一人で晩御飯を作って食べようと、台所に立った。
で、いつも家事を手伝っていた調子で、ハンバーグを作った。
3人分位作ってしまった。
焼いて、付け合せの野菜切って、綺麗に盛り付けてとしてる間に、
面白くて笑えるテレビを大音量で付けてたのに、やっぱり
寂しくてたまらなくなってきた。食卓についた時には
もうハンバーグはひどく味気ない、おいしくない代物になって
しまってた。

いつもは晩御飯を作っておいたなら、両親が「美味しい」
「綺麗に盛り付けたね」と誉めてくれて、嬉しそうに食べて
くれてたのに、このとき初めて気がついたのですね。それまで
当然のように流して聞いていたので、それがどんなに嬉しい
ことかと考えもせずに。

 まだ見知らぬ土地で友達も居なかった時で、何もかもひどく
さみしかった。ほんとに一人っきりになった気がした。電話もまだ
部屋に繋がっていなかったので、数百m先の電話ボックスまで
走って行って、晩御飯にハンバーグを作ったという話を、
泣きながら話してた。電話ボックスの丸見えのガラス張りが
ひどく恥ずかしかったものです。

 ハンバーグはその後、ピーマンに詰められたりミートボールに
なったりと姿形を変えたけど、なくなるころでないと泣かずに
電話出来たこと無かったなあ・・・。


581 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 00:54

……いやぁ、滲みる。
なんか気持ちの深いところにじわじわと滲みます。
しかも実はたいしたことない話(失礼)の方がよけいにキますね。

ついでに記憶の中の思い出したくないことまでふと浮いてきそうでちょっといやですが。


582 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 10:31
よいしょっと。
あげておかないとね。


583 名前: このスレッドは2ちゃんの良心 投稿日: 2000/05/18(木) 21:04
昔自分が通っていた中学校は、小学校とは違って給食がなく、
購買部も金銭トラブルとかで無く、生徒のほとんどがお弁当を持ってきていた。
そして僕が中学1年になりたてのころに、弁当を食べていた10人ほどの
グループの中で「今日の弁当の1番は誰?」とかいう各付けが流行っていた。
1番になるのはいつも運動部をやっている人がほとんど。
まあそういう人の母親は家事を見事にこなす専業主婦が多いわけだから、
当たり前なのだけど。自分の母親と祖母は外に働きに行っていたので、
お弁当もその人たちと較べると、貧相か手抜きに見えていた。
それでも、自分はありがたく食べていたのだったが、あるとき自分の弁当に
とても腹がたって、むかついて一口も食べずに帰ったことがあり、
母親に「お弁当をもう少しなんとかしてよ。」「OO君のはさ〜。」とか言って、
母親を泣かせてしまったことがあった。
母はその夜から料理の本を熱心に見るようになった。
そしてそれ以来、母や祖母が一生懸命にお弁当を作ってくれるようになった。
ある日の各付けで自分のお弁当が一番になったときは、母と祖母に
「ありがとう。美味しかった。」と自然に感謝の言葉を発していた。
今思えば、ムリをさせていたなあって思う。
ゴメンねお母さん。


584 名前: .>583 投稿日: 2000/05/19(金) 05:49
なんかいやな奴かもと思いました。
弁当に各付けなんかすんなよ。それ変とか思わんおまえが嫌な感じ。
変とか思わんか?つらつら偉そうに書いてるけど、感動もなにもないわ
ぼけ。せっかくいいスレッドなのに勘違いして書きこむなアホ。


585 名前: .>583 投稿日: 2000/05/19(金) 05:51
弁当各付けで一位になったから感謝か。
おまえがガキ持たないこと祈る。
心底無神経で鈍いタイプなんだろうな。
自分でわかってない分余計に最低。


586 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/19(金) 06:20
>584-585
「格付け」ね。
このスレッドは荒らしたくないんで、ソフトにお願いできませんか。
それとも、わざとやってます?


587 名前: >583 投稿日: 2000/05/19(金) 07:28
格付けで一番になったからありがとうではなくて、
どんな弁当でも愛情込めて作ってくれる心にありがとうと
言わなきゃね。出来は関係ないってこと、今は分かってる
でしょう?
お母さんを大事にね。


588 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/19(金) 09:19
自分も子供の頃は いま考えるとバッカみたいで恥ずかしいような事を
平気で、しかもそれが楽しいと思ってやってましたよ。
格付け しかり。

”過去”にその人が思った気持ちに今文句言ってもしょうがないでしょう。
そういうレスこそ あまり書き込んで欲しくないと思います。

このスレ、感動もの、感涙ものが多くなってきてるので
そういったものが支持されがちだけど
もともと 「思い出」がテーマなはずなので
583さんのようなのも あり だと思います。

感動も 失敗も 後悔も 脳天気もなんでもありってことで
どんどんスレッド伸ばして欲しいですね。


589 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/19(金) 11:41
定期age


590 名前: $BI=LL$N8@MU$N$_$"$2$D$i$M(B 投稿日: 2000/05/19(金) 14:36
$BJ8>O$K$*$1$k??0U$rFI$_<h$l$J$$$H$$$&$N$OHa$7$$$3$H$@!#(B
$B#5#8#3$O$=$N;~0-$$;v$r$7$?$J$!!"$H;W$C$F$$$k$+$i$3$=$"$"$$$&J8>O$K$J$C$F$k$N$G$"$C$F(B
$B$J$s$N;W$$=P$b8l$i$:HpknCf=}$K$R$?$C$F$$$k?MC#$H$O0c$&!#(B

$B46F0$b!";W$$=P$b?M$=$l$>$l!#==?M$,==?MF1$846F0$d;W$$=P$N%Q%?!<%s$P$+$j;}$C$F$$$?$i$=$l$3$=5$L#$,0-$$!#(B


591 名前: 小学校四年の時の運動会。 投稿日: 2000/05/19(金) 17:46
当時僕(現在33歳)の父は
北海道の片田舎でガソリンスタンドを経営してたのだが、
経営状態は火の車だった(結局2年後倒産)。
3年程前から資金繰りが悪化し、父はいつも金策に走り回っていた。
当時の僕にはそんなことは知る由も無かったが、とにかく父は忙しいので、
遊んでもらった記憶がほとんど無い。
そんな中母親が腎臓を煩い札幌の病院に入院。
僕はカギッ子になった。
その年の6月(だったと思う)小学校の運動会があった。
父は一度も来てくれたことはなかったので、一応運動会がある事は伝えたが、
期待はしていなかった。
お昼は近所に住んでいた友達の家族と一緒に食べることになっていた。

そして運動会の昼休み。
父が現れた。父の後ろには父が昔なじみにしていた、
寿司屋のおやじが大きな風呂敷をかかえていた。
(たぶんそこに出前を頼んだのだと思う)
校庭の片隅で僕と父はとても二人では食いきれないほどの料理を広げて食べた。
僕は泣きながらそのごちそうを食べた。
父はそんな僕をただニコニコしながらみていた。
僕はそんな父を誇りに思った。


592 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/19(金) 20:09
ふた親と生き別れ、父は亡くなったと風の便りで知ったので、
うらやましいです。許せないと思う気持ちと、愛する気持ちは
表裏一体のものなのだ、とわかりました。みなさん、親孝行
して下さいね。


593 名前: 投稿日: 2000/05/19(金) 20:09



594 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/19(金) 21:25

彼女の蒲焼が美味しかったなあ。
遠い過去の話。

http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7127.jpeg


595 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/19(金) 21:33
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7127.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7111.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg2/7083.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7130.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg2/7043.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7051.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7030.jpeg


596 名前: 583です 投稿日: 2000/05/19(金) 22:57
各付けの話を書いた583です。
不快になった方がいたみたいなので、深く謝ります。
あの文章で言いたかったのは、忙しい母や祖母に迷惑をかけていたことへの
悔恨と感謝です。本当は一生懸命にお弁当を作ってくれたときから
とても感謝の気持ちで一杯だったんですけど、気恥ずかしさもあって
あの日にようやく言えたってことを伝えたかったのですが、文章が下手で
そのことが上手く表現できませんでした。本当に申し訳ないです。

>弁当に各付けなんかすんなよ。それ変とか思わんおまえが嫌な感じ。
すいません。当時はそういうことを気にしないでいられるほど、大人では
なかったものですから。
>弁当各付けで一位になったから感謝か。
前に書いたのですが、いつも感謝していました。本当です。

ちなみに、腹がたった弁当の中味はふりかけをかけたご飯と、
夕飯の残りのおかずでした。あと煮物がちょこっと入っていたかな。
ちゃんとしお弁当なのに、それに対して怒った自分をとても恥ずかしく
思います。

今子宮ガンで入院してるお母さんにほんと、謝りたいぐらいです。
「お母さん。はやくよくなってね。」


597 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 04:13
>583
あなたはいい人ですね。まあ読んだ時点でみんなわかってると思うけど…
雰囲気いいスレッドなので、あらされないことをのぞみます。
私は母にごはんつくってもらったことないけど(働いてるので)この世でいちばん
好きです。今になると、たまに実家帰ったときなどつくってくれたりするけど
ぜんぜんおいしくない。でもそれがまたいいんです。


598 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 04:32
>583さん
私も気持ちわかるよー
多分たくさんの人が同じだ!
気にしないで


599 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 08:02
583さんを責めなくても・・・
このスレッドの他のエピソードにも時々ありますが、自分がコドモだったこと、
残酷だったこと、うまく言葉にできなかったこと、周りの雰囲気に流されて
しまったこと・・・今大人になって、それに気付いてるってことが大事なん
じゃないかな。
583は今ではわかってるんだよね。同じクラスにいた子たちも大人になって
気付いてくれてるかな。

「んなこと、オマエがフォーローせんでもわかっとるわい!」
ってツッコミ覚悟で書いてます。いや、そういう人が多いほうが嬉しい。
583さん、お母さんを大事にしてね。


600 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 09:18
ほんとうは感謝してても、中学・高校時代の男の子って
それを表面にだそうとしないからねぇ。
なんかすごく、懐かしい感じ、です。


601 名前: 食べ物に関して 投稿日: 2000/05/20(土) 09:45
子供の頃に不満に思っていたことが今逆の立場になって痛感してます
もっともっと感謝すべきだったなぁ

関係ないカキコですいません



602 名前: ううう 投稿日: 2000/05/20(土) 13:46
うう。暖かい涙が。


603 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 16:38
子供のころのオヤツの思い出を書かせてもらいます。
私の母と祖母(姑)は折り合いが悪く、また父も昔気質
の人間でしばしば母に暴力を振るうそんな環境でした。
殊に祖母と父の兄夫婦(わたしの伯父夫婦)がいっしょ
に母を責め立て、しばしば母を泣かせ、追いつめるのを
見るのが子供心にも苦痛で、たまらなかった。
そのなかで母の唯一の楽しみはたまにいくパチンコでした。
私の子供のころ食べたオヤツの記憶はパチンコの景品のお菓子。
かなり飽きがきていたのですが、母が泣きながらパチンコをしている
のを私も妹も知っていたので文句が言えなかった。
なにせパチンコの景品ですから、あまり気の利いたものはなかったんですよ。
森永エールチョコレートとか、都昆布とか。缶詰もありましたね。

やがて祖母が死に、数年たつと突如母の逆襲がはじまりました。母を虐めた
伯父夫婦に対し絶縁宣言をしたのです。母の変身に驚き、うろたえる父に対し
母は「自分をとるか、兄夫婦をとるか」の二者択一を迫りました。けっきょく
父は母をとり、兄夫婦と絶縁しました。パチンコで鍛えた勝負度胸の差で
しょうか。それ以降、父は母に対し暴力を振るうでもなく従順な良い夫に
変身をしました。

現在、父はすでに亡くなりましたが、母はますます元気です。月に1度
二人の孫(私の子供)に宅急便でお菓子を送ってきますが、どのお菓子に
も小さなインデックスが附いていて「38」とか「45」とか変な数字
が書いてあります。孫は大喜びでですが、私たち夫婦は顔を見合わせ苦笑い





604 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 16:56
なぜ学校の先生は給食残すとあんなに怒ったのだろう...



605 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 17:45
↑そのせいで、私は今でも食事を残すことへの恐怖感があります。
だから、人との食事ってちょっと苦手。そういう意味で、給食は私にとって
「嫌な」思い出に残る食事です。


606 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 19:49
「わかめごはん」が好きだった・・・。


607 名前: >604 投稿日: 2000/05/20(土) 20:19
ゲロ吐かす迄無理に食わせた教師もいます。
暴力を使ってまで食わせた教師もいます。
私の時代は。

今そんなことやったら…、即刻懲戒処分ですよね。


608 名前: >591 投稿日: 2000/05/20(土) 21:47
笑うとこじゃないってのは承知なんですが、ガソリンスタンド経営で火の車って
のがなんかツボに来たというか「本当にすげえ」と思ってしまいました。
素敵なお父さんでよかったですね。なんかじんときちゃいましたよ。


609 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 22:21
うちの父親は鶏肉が嫌いで、絶対に食べない。
俺は牛肉よりも鶏肉の方が好きなので、子供の頃は
母親が2種類の肉を買っていた。

大人になってから、理由を聞いたら
「少年時代、凄くビンボーで
 肉は(ほとんど食べられず、しかもたまに食べられても)
 鶏肉しか食べられなかったから。」
とハズカしそうに言った。

父は自分の苦労話をほとんど俺には話さなかったので、
なんだかとても新鮮な感じがした。



610 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 22:45
金や銀の包装紙の、お魚系のおつまみ。小さい直方体なんですけど、知ってます?
家族の中で祖父だけが私の味方でした。
私の前ではお酒を飲みませんでしたが、そのおつまみをおやつによくくれました。
祖父は私が小学校低学年の時亡くなりました。
そのおつまみをみるといつも祖父の事を思い出します。



611 名前: >611 投稿日: 2000/05/21(日) 03:20
ツナピコのことかな?
(あえて名称を伏せてるんだったらすみません)


612 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/21(日) 07:28
学校へ持っていく弁当にふりかけではなくお茶漬けをかけられた。


613 名前: 538 投稿日: 2000/05/21(日) 10:00
以前、祖父母の話を書いた538です。先日祖父と会い、色々な話しをしました。
私は愛情表現が苦手なので、気持ちが伝わったか分かりませんが、
こういう気持ちで祖父に接することができたのは、このスレッドのおかげです。
誰にお礼を言いたいのか分かりませんが、本当にありがとうございました。
祖父と会った日にふたりで食べたソフトクリームも、思い出に残るのかなー。


614 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/21(日) 10:35
小五の林間学校のことです。
食事は連日、冷凍コロッケ、冷凍オムレツ、
冷凍ポテサラ、赤ウインナー、赤い寄せハムなど
子供心にも子供ををなめきった献立でした。
私の隣に座っていた女の子が、なんだか憂鬱そうです。
私「どうしたの」
彼女「よく食べられるね、こんなの」
私「どうして」
彼女「合成ちゃくしょくりょうと(ひらがなで聞き取った)
合成○○○のかたまりじゃん。オムレツだってほんとの卵じゃないよ」
私「……」どう対応して良いかわからなくなった私は、
とりあえず不機嫌そうな彼女をそっとして、食事とおしゃべりを楽しんでいました。
ふと気付くと、隣から押し殺した泣き声が。
彼女が泣いています。
ふだんクールな優等生の子なので、ちょっと驚きました。
「だ、大丈夫」と声をかけると
「もうやだ……」といって、下を向き、吐いてしまいました。
車で迎えに来たお母さんに連れられ、帰宅した彼女は
新学期以降、学校を休みがちになってしまいました。
体調不良のせいもあるけど、
彼女の家では、添加物を避ける食生活を徹底敢行していたみたいで
食べてはいけないもののオンパレードに
神経がまいってしまったみたいです
(加えて、バカなことをしてはしゃげない優等生の気苦労もあったんだろうけど。)
「買ってはいけない」を読むと、自分の子には
こういうことを小さいうちから頭に叩き込んだ方がいいか、ちょっと考えてしまいます。

とりあえず、人が食べてるものに
「よくそんなの食べられるね」と言ってはいけない、とは言うと思う……が。



615 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/21(日) 10:42
614、別に省略されてないみたい。


616 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/21(日) 18:28
小学校時代、食が細くて給食の食べるのも遅ければ、残すのもしょっちゅうだった。
班ごとで食べる給食では、食べるのに一番時間がかかったり、残したりする人には
罰ゲームをよく科していた。
食かんにまとめて集める残飯を一口だけ食べさせられることもあったし、班員の
食器を全部片付けさせられたり。

親もあまり給食食べていないと、友達とか先生から報告されるらしく
なんでそんなに食べないのかと、少々きつく聞いてくることもあった。
とくに、当時残したパンはきんちゃくに入れて持って帰ることになってて、
パンを持ちかえるのが恥ずかしかったり、「またなんか言われるかも・・・。」
なんて考えたりして、ちょくちょく残ったパンを机の中とかかばんのポケットに
押しこめて隠しては、見つかってやっぱり怒られてた。

1番目の子供だったし、今でも自己表現が得意じゃなかったりで、母としても
ほんとうに悩んだり、思考錯誤したりしていたことを、これを書きながら思い出す。

中学以降は通学時間がかかるところに行ったためか、人並みよりも食欲が旺盛に
なり、当時では考えられないほどの食いしん坊になってしまいました。
そして家族では現在弟がその小学校に通ってますが、毎日のようにお代わりしてるようです。
そういえば、あれほどやかましかった「パン持ち帰り運動」も、食中毒対策とかで
なくなってしまったようです。


617 名前: あげ 投稿日: 2000/05/22(月) 00:44
あげ


618 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/22(月) 02:16
あげ


619 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/22(月) 03:19
小学5年の秋だのこと。給食に柿がでた。私は家でも柿を食べたことはなくて、残した。
クラスのほとんどが残して、柿が入ってたアルミのバケツに投げ込んでた。
昼休み、女教師が放送で全員を教室に呼び戻した。
で、柿を食えという。そういわれても、食べかけやら吐き出した種やらがぐちょぐちょに混ざった
ものをどう食えというのか。教室は騒然となった。
教師は、「目をつむってバケツに手をいれ、はじめに触れたものを取れ」
不正がないように、教師がそれを見張るという。
五時間めのチャイムが鳴っても、泣き出す子がいてもキレた女教師は許さなかった。
私は誰かの歯形のついたものを涙といっしょに飲み込んだ。
吐き気を必死にこらえた。だけど、他の子が吐いちゃって、つられて吐く子がでた。
女教師はそれでも私たちを許さなかった。

あれから20年近くたっても柿は食べられません。あのときのクラスの子、
ほとんどの子がそうなってしまった。
オトナになって、えーすごくおいしいのに〜とか言われると、かなしい。
おいしいはずのものをこんなに拒絶するトラウマつける教育っていったい・・?



620 名前: すき焼き 投稿日: 2000/05/22(月) 10:55
私が子供の頃、うちの実家はすき焼きと言えば豚肉が常だった
それを友達に言ったら「なぜ牛肉じゃないのか?」って怒られた。
でもそんなの気にしてなかった。豚でもじゅうぶん美味しかったし

先日、実家に帰ったときにすき焼きが出てきた。中身は牛肉だった
母親に思いきって聞いてみたら
「あの当時は牛肉が高くてね。あんた食べ盛りだし質よりも量を食べてもら
いたかったから。あたしの家(母親の実家)は戦後すぐで食べ物が無くて本当に
苦労したから、あんたたちがお腹をすかせる事だけはしたくなかった」
って言われた。

今度、実家に行った時はぜひ豚肉のすき焼きを作ってもらおうと思っている。



621 名前: >620 投稿日: 2000/05/22(月) 18:41
ウチもね、幼少の頃のすき焼きは豚肉だったよ。豚肉以外のすき焼きは
考えられなかった。理由は多分620と同じだと思う。親には聞いてないけど。
牛肉のすき焼きを食ったのは、社会人になってからだな。
つーかネタになってなくてごめんよ。


622 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/22(月) 22:02
>620
我が家でも全く同じ理由で豚スキでした。思い出そうとしても牛肉の料理は
浮かびませんねえ(苦笑)

いま、私の家の周囲には肉の安売りを看板にするスーパーが林立し、牛肉の
値段の安くなったのには驚きます。
先日「たまには豚肉のスキヤキが食べたい」といったところ、家内に
「ゼイタク言わないで!」と叱られてしまいました。
すでに自宅周辺では豚肉と牛肉の価格逆転がもう数年前からの常識だそうです。
ただただ苦笑いでした。




623 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/22(月) 23:49
>620

うちではずーっとすき焼きは牛肉でしたが、
それ以外の肉料理では、豚・鳥・くじらばかりでしたね。

ビーフステーキは、年に2回あったかなあ?


624 名前: モトイタ 投稿日: 2000/05/23(火) 00:40
小学校の給食で、付け合せに「にんじんのグラッセ」が出て、
当時、肥満児への道を突き進み掛けていた、僕は、お替りで山盛り人参を
食べていたが途中で気持ち悪くなってしまい、
その後、にんじんが嫌いになりました。

何年か後、6年生になり、その日の給食のメニューは「おでん」、
僕は、おでんを盛っている、鈴木さん(女子、仮名)に、
「人参は、入れないでね」と言うと鈴木さん(仮名)は、
お皿に 人参ばかりを盛り始めました。

怒った僕は、「(おでん)もう要らない!」と、自分の席に戻りました。
直後、日直が、頂きますの挨拶をしましたが、僕は、自分だけ おでんが
食べれない事が悔しくて、思わずポロリと涙が...
涙を流した後、鈴木さん(仮名)が、
「(食べたいなら食べたいって)言えば、いいじゃん!」と言って
おでんを(イヤイヤ)盛ってくれました。

多分、鈴木さん(仮名)は、あの時の事を覚えていないだろうけど、
僕は、おでんの人参を見ると、今でもあの給食で、一人だけ おでんが無い
悔しさと悲しさが鼻の奥を刺激します。

因みに、自分では おでんに人参を入れません(笑)
昨日の夕飯の人参も奥さんに隠れて、ムスメに食べさせました。


625 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/23(火) 07:39
いいスレッドですね。私もひとつ思い出しました。
私が高校生の頃。放送部員だった私は、その日放送室で校内放送の
制作をしてました。アナウンスをしてたら、もう3月だというのに、
両手が真っ青で冷たくなるのです。おかしいなあと思いながら、
部活を終え、寒くはなかったのに手をあっためたくて紙袋に5つも
たいやきを買って帰りました。そこのたいやきは、あんこがいっぱいで
大好きだったんです。家に着くと人だかりが。
とりあえず母親を見つけ事情を聞いたら、おばあちゃんが死んだとのこと。
つい3時間程前に、畑で抜いた大根を洗いに川へ入って溺れて死んだって。
その頃って、私の両手が真っ青になってた頃じゃん・・・。
とにかく驚きと混乱でふらふら自分の部屋へ行き、何をしていいのか分からず、
とりあえずたいやきを必死で食べた。むせながら、味とかもわからんくて、
4個めぐらいでたいやきが、塩っぽくなり、食べ終えたあとぼおっとしてたら
たいやきの入ってた紙袋がいい匂いで、あったかくって、それでやっと泣けた。
そのおばあちゃんは、小さい頃いっしょに住んでたけど、
嫁であるうちの母親に追い出されてしまった人で、気性の荒い母によく
しかられていた私をかばって、また母にいじめられてしまう人でした。
私は今でも、おばあちゃんは放送室の私に、死ぬ前に会いにきて、
手を握っててくれたんだと信じています。
そしてたいやきを見ると、いろんなことを思い出します。
特に、茶色の紙袋入りの。




626 名前: >625 投稿日: 2000/05/23(火) 08:49
ほろほろ・・・。朝一番に来そうだよ・・・。


627 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/23(火) 15:18
あげ、よいしょっと。


628 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/23(火) 20:13
厨房時代の冬、家出をした。最初の頃はツレの家を泊まり歩いていたが、
やがて行く所もなくなり、野宿もキツくなり、空腹も限界だった。
そこで、「婆ちゃんの店」を思い出した。
通学していた小学校の前にあった、文房具屋も兼ねる駄菓子屋だが、食料品も置いていた、
俺が幾多の万引きを繰り返してきた店だった。
・・・店に行くとあの頃と同じく無人だったので、容赦なく魚肉ソーセージを万引きした。
やがて、婆ちゃんが出てきたので「ジャンプない?」と聞くと(ないのは分かっていた)、
「ないよ・・・明日だよ」と笑顔で言った。俺は無言で店を出た。
夕暮れの誰も来ない小学校の体育館の裏で、俺は魚肉ソーセージを貪り喰った。
食べながら、情けないやら寂しいやら寒いやらで、涙が止まらなくなった。
そして、俺の家出は終わった。

やがて春が来て、「婆ちゃんの店」の前を通ると「忌中」の紙が貼り出されていた。
俺はそのとき初めて婆ちゃんの名前を知った。

あんな惨めな食事はしたくないと思いながら今まで生きてきた。
もちろん、万引きをやめたのは言うまでもない。




629 名前: うーん 投稿日: 2000/05/23(火) 22:24
>628さん
魚肉ソーセージ、一杯あげる。涙と一緒に。


630 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 00:29
創作活動ごくろうさん
なぜか「ムー」の「私のミステリー体験」を連想させるな


631 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 02:58
私が高校何年かの元旦、我が家では珍しく家族4人全員が食卓に
揃い、「あけましておめでとう」と挨拶を交わした直後のことでした。
お雑煮が出来るのを待つほんのわずかな間のちょっとした会話が元で
かんしゃく持ちのパパンが突然キレ、「でーい」とばかりにテーブル
をひっくり返してしまったのです。ママンが前日、面倒だ面倒だと
ぐちぐち言いながらも結局作ったおせちやらお煮しめやらは一瞬に
してぐっちゃぐちゃ。かなきり声を上げて泣き喚くママン。その声に
さらに怒りが増幅したのか、花かつお(うちの地方ではお雑煮にけずり
節をふりかけるのが習わしなので、それ用に袋入りのけずり節がテー
ブルに置いてあった)をわし掴みして散らばった料理の上にぶちまけ
るパパン・・・お前は花咲かじいさんかっつーの。
まさに阿鼻叫喚地獄絵図。自閉気味だった弟(当時小6か中1くらい)は
この吉外沙汰に黙って二階の自分の部屋へ・・・。
その後私は、ママンとともにまだイケてる料理を拾い集め、再び器に
盛って食したわけですが、そのときの、いつもよりかつおのダシが効いた
煮しめの味が忘れられません(涙)。
ちなみにうちのパパンはお酒は一滴も飲めません。にもかかわらず「正月
だから」という理由で「ママ、おちょうし付けてよ」と調子に乗った
のを「やめとき、もったいない。どーせ飲めへんくせに」と一蹴されたが
ために起こった悲劇でありました。
度しがたや度しがたや。


632 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 03:55
高校生の頃付き合っていた彼とアイスクリーム屋に入った時の話。

そこには私の苦手な女の子がバイトしてて、その日もいた。
私が注文したアイスはチョコレートアイスにナッツとか
いろいろ入っていた。
それを見て同じ物を注文した彼。
一口食べた彼は大きな声で(ラガーマンだった)
「これモチが入ってるよ!!!」
店内に響き渡った。

いえ、それは「モチ」でなく「マシュマロ」(笑)
店内にいる方、バイトの方、みんな大笑いでした。
苦手な女の子も、いつもは笑わないけどさすがに笑ってた。
笑ってなかったのは私だけ。

彼とは結局別れてしまいましたが、
アイスクリーム屋を見ると思い出します。




633 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 04:14
外食の話題はダメ


634 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 04:52
ミスタードーナツのスープ。
大学入学のために上京して数日。入学手続きをしに、夕方ひとり大学へ行った
日のことでした。
手続きに合わせて入学式よりひと足はやく3月20日頃に引っ越してきたわたし
は、なんとなく心細い気持ちになっていました。地元と違う都バスのバスのカ
ラーリングに悲しい気分になったりして。
校門を出てちょっとのところに、ミスタードーナツのオレンジ系の店があって
、なんとなく入りました。
スープを飲みながら、器もスープも椅子もテーブルも、この店の中だけは仙台
と一緒だ、と思いました。ファーストフードも時にはとてもよいものです。



635 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 05:17
家はたぶん世の中的には恵まれていると思います。父は社会的地位の高い職業
で八方美人なので、まわりからも何不自由ない暮らし、そう見られています。
でも家の中ではちょっとサイコパス、しかも昭和一ケタ生れなので、食事は大
変でした。米の自給率が下がるから、輸入の小麦を使ったパンなんか食べちゃ
いかん、というわけで、パンを食べてるのを見つかると大騒動でした。そのく
せ蕎麦とうどん、カステラなんかも大好き。その材料は輸入物なのでは、と思
うも、それをつっこみでもしようものならテーブルも椅子もぶっこわされるの
で口にチャックの忍の一文字。
あるとき母(パンが好物)が米びつに隠しておいたパンが父に見つかって大騒
ぎ。危険なので家族が非難してしばらくしてキッチンに戻ると、パンにはアン
モニア臭のする黄色い液体が、、、。
あ。思い出しちゃった。書くと思い出すなあ。どちらかといえば裕福な方だと
思いますし、子供の時からうらやましがられることが多かったです。ほんとは
人にはとても言えない悲惨なことがいっぱいなんですけどね。貧乏だったけど
あったかかった、っていいですね。


636 名前: >635 投稿日: 2000/05/24(水) 07:54
「ちょっと」ではなくてかなりいっちゃってますよそれは。
今の時代なら半日で離婚されるところ。
「貧乏だけどあたたかい」というのはたしかにいいことだけど貧乏=あたたかい
というわけでもないよね。裕福な家庭がみんな問題あるわけでもないだろうし。
貧乏でも裕福でもない私にはわからん。



637 名前: >636 投稿日: 2000/05/24(水) 09:25
叩き上げの社長さんとかには、635さんのお父さんみたいなタイプ、
けっこういらっしゃいますよ。別に昔話ではないと思います。

私の友人にも似たような経歴の人がいます。
周りの人からはみんな「いいお父さんね」「幸せよね」って言われまくり、
実際のトコロ、経済的には確かに恵まれているので、反論できないのです。
子供の頃から家族でお父さんに服従するように刷り込まれていて
彼女は自立するのに大変苦労しました。

私の家は、小さな頃、鯛焼きひとつ買ってもらえなくて泣いたほど貧乏でしたが、
お金持ちが幸せだとは、かぎらないんだなあと、その時初めて、思いました。


638 名前: ううううう。 投稿日: 2000/05/24(水) 13:21
泣けて泣けて。


639 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 13:52
自分がまだ小学校に入る前のこと、
ある日の夕方の食卓で、目の前に並んだ食事は野菜とか煮物、漬物ばっかり。
えーって思って「今日はこれだけー?」って言ったら叱られた。
食事に文句を言うなと。

月日は経ち、男でありながら大半の夕飯を自分が作るようになっていた。
毎回、毎回、手の込んだものや、バランスのとれた食事を作ることを
心がけていた。しっかし、ちょっとでもアラがあると、
ぶーぶー文句を垂れる。
勝手なもんだ、人間って。


640 名前: さらら 投稿日: 2000/05/24(水) 14:08
父は大酒のみで、酒を飲むと人格の変わるひとだった。
だから近所でも評判が悪く、ちいさかった私はお酒を飲んだ父にすごくつらくあたった。
父は料理が非常にうまく、本当においしかった。
働かない父は、毎日料理を作ってくれていた。
でも高校になった私は、料理を作るよりも、普通の家庭のように
父に働いてもらいたかった。恥ずかしいと思っていたから。
ある日、いつものようにお酒を飲んで朝から寝ていた父は「水をくれ」と言った。
お酒を1週間くらいぶっつづけで飲んだ後、きまってその後1週間くらい毎日吐くのだ。
それが父のお酒の飲み方だった。
学校へ行く私宅をしていた私は、ぞんざいにペットボトルに水道水を入れ、
父の横に置いた。そしてそのまま、学校へ行った。
その日の父は、唸り声がなんだか変で、でもそれを気にしていたら
遅刻してしまうと思う、気にしないようにして、家を出た。
家に帰ると父は亡くなっていた。
私の家は、働いている母と、父と私だけの家庭で、誰も看取ることもできないまま、
たたひとりで亡くなってしまっていた。
父が、ドクターストップのために、数年前から働けない体だと、亡くなったあとで知った。
働きたくても働けず、お酒に頼るようになってしまたのだと。
そういえば母は一度も父を軽蔑するようなことを言うことはなかった。
あの時気がついて、私が救急車を呼んでいれば、こんなことにはならなかったはずだ。

父が毎日作ってくれた料理の恩を、たった一杯の水ですら返すことができなくなってしまった。
あの時、口に水を含ませてあげればよかったと、今も後悔している。


641 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 15:36
もう3日もこの板の奴隷の私。仕事進まなくて困ります。
・・・とか言いつつ書き込んじゃうんだけど。
しかも「食事」ってより「おやつ」話なんだけど。。。

彼の寮に遊びに行った時の出来事です。
道すがらどうしてもアイスが食べたくなった私は、
洗い終わったまま洗濯機に置き去りにされた洗濯物をさかんに気にする彼を
無理矢理誘い、スーパーでアイスを買いました。
彼はエッセル・スーパーカップのバニラ、私は雪見だいふく。
部屋に入り、早速袋を漁る私の姿に、洗濯物を横目に見つつも
「しゃあないなあ、全く」と呆れ顔で付き合ってくれる彼。
しかし、雪見だいふくに串を刺したとたん私の気が変わったのです。
「ねえ、やっぱり洗濯物先に干そうよ、しわになっちゃうし、天気もいいし・・・」
そんな私に、彼はのたまいました。
「・・・アイス固いんやろ。」
全てお見通しだったのでした。
結局、先に洗濯物を干してから食べたのですが、
すっかり溶けてしまったアイスを、それでも楽しそうに食べる彼と、
ベランダの洗濯物とを交互に眺めながら、
私はこの先、数え切れない位の平凡で平和な休日をこのヒトと過ごすんだろうな、
なんてことをぼんやり思った春の日の午後の出来事でした。
(ちなみに、私の雪見だいふくは丁度良い固さになった。彼よ、すまん)
人って案外、些細な出来事で人生の重大な決断をするものなんですかね。
でも彼に「俺の事、もらってくれへん?」と聞かれても、
「気が向いたらね、ふふん」と答えてしまうひねくれ者のワタシ。



642 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/24(水) 17:27
>641
時間がゆっくりと、幸せに流れているのが目に見えるようです。



643 名前: 感動する話じゃないけど 投稿日: 2000/05/24(水) 21:48
小学4年の頃飲んだコーラー。
炭酸きつくて大人の飲みもんだと思ったね。


644 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/25(木) 03:23



645 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/25(木) 13:29
おっと。 あげておかねば。


646 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/25(木) 14:43
うちは母の両親といっしょに住んでいました。私は一人娘。
祖母は活動的で黙っているときのない勝気な人で、母もそんなかんじ。
おとうさんはそんなにしゃべるほうでもなかったので、いつも女三人が
茶の間で盛りあがってるときにひとりで奥の部屋で本よんだりしてました。
おとうさんはアイスやジュースなどこどもっぽいものが好きだたのですが
食べ物は祖母に管理されてたので、普段食べることはあまりなかった。
(私も大学で上京するまで、コーラ、コーヒー、ラーメン食べたことなかったくらい)
で、私が小学生のころ町に初めてロッテリアができた。(うちはイナカなのです)
クルマでいくようなでかい店。
そういうところには絶対行かないような我が家だったんだけど、ある休日
おとうさんが私をクルマでつれてってくれた。
父親と二人ででかけるのはあまりないこと。私にとっては気まずくて、話も
はずまなかった。
ロッテリアでおとうさんはハンバーガーとコーラを二人分注文。
「これはおいしいんだよ」と言ってうれしそうに食べていたけど、私は全然
口に合わなくてほとんど食べなかった。おとうさんが私の分も食べた。
私が大学はいるとき「いいなーおまえはひとりぐらしできて」と冗談で
言ってたけどけっこう本音だったのかなーと思う。
私が大人になってから「ほんとはおばあちゃんといっしょにいるのはいや
だけど、○○(母の名)が好きだからしょうがないなー」と言ってました。
私は父にとって唯一血のつながった家族なのにうちにいるときはほとんと
しゃべらずに、味方をしたこともないなーと思うとすこしわるい気がします。


647 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/25(木) 15:08
>646
今からでも遅くないよ〜。
親孝行って、親と離れて暮らしてみて初めてできるという
こともあるしね。電話でも、手紙でも、メールでもいいんだよ。


648 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/25(木) 15:26
夫と交際を始めて2ヶ月が経った頃、初めて彼の家に遊びに行った。
お母さんに夕食を食べていくように誘われて、無下に断るのも失礼かと思って
ご馳走になることにした。
彼に「うちの夕飯は量が多いよ」という話を聞いてはいたものの、出された
料理の量を見て正直ビックリ。というか唖然。ポトフ風スープ(としか形容
出来ない)に始まって、大皿に分けられたサラダ、肉、魚、野菜の煮びたし、
煮付け、そしてグラタン。更にご飯。
グラタンには牡蠣がたっぷり。牡蠣が大嫌いな私だったけれど、にこにこしてる
お父さんお母さん、そして妹に申し訳ない一心で食べた。実は涙が出そうだった
けど悟られないように噛まずに飲んだ。
なんとか食べ終えたところにお母さんお手製のマロンケーキとコーヒーが出て
来た。平気で食べる一家を見、「ああ、私は絶対ここには嫁げない」と思った。

でも、あれから4年経つけれど、週末には夫と二人でお邪魔して大量のディナー
を頂いている。今も時々、私が涙目で牡蠣を丸呑みしてたことや、マロンケーキ
を食べた直後にトイレの住人になったことが家族の話題に上る。恥ずかしいけど
なんだか忘れられない思い出の食卓です(笑)。


649 名前: >648 投稿日: 2000/05/25(木) 17:38
苦手なものを無理やり食べさせられるときほど苦しいものは無いよね

俺も実家に行って大嫌いだったカボチャの煮つけが出てきたときは
めまいがしそうだったけど
相手の手前断れず、半分泣きながら飲みこんだよ
あの青臭い味が本気で嫌いだったんだ〜



650 名前: 649の続き 投稿日: 2000/05/25(木) 18:01
でさ、なんでこんな話をしたのかって言うと久々にカボチャの煮つけ
食べたときにその事を思い出してさ
でも、実家の母親も息子もガンで死んでしまってもう二度と行く事も無い

実家の掘りごたつ、まだあるのかなぁ・・・




651 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/26(金) 09:16
私もあげておこっと♪


652 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/26(金) 16:18
お父さんとカップラーメンのお湯とスープの粉どっちを先に入れるかで大喧嘩した
事がありました。(というか一方的に私が怒っていましたが)
結局「いらない!」と言ってラーメンを突き返しました。
なんかかわいそうな事したなあ。私が食べたいって言って買ってきてもらったのに。


653 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/27(土) 19:56
揚げねば。


654 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/27(土) 21:11
中三の夏休み、受験生だった俺は塾の特訓講座で六時間近く塾にいました。
宿題が多いから夜更かし気味になり、午前中の授業はシャーペンで手の甲をつつきつつ受ける。
ちょっとうとうとすると、即刻「顔洗って来い!」と怒号が飛ぶ。
「夏休みは受験の天王山」と言われて、手を抜くことは許されない。
午前中の授業は体力的にも精神的にもかなりきつかったのを覚えています。

そして、ようやく午前の授業が終わると、友達みんなで近所のラーメン屋へ。
ジャンプやマガジン読んだり、くだらない話で盛り上がったりして、
授業中の眠気が嘘のように大騒ぎしながら食べていました。
お店で働いてるお姉さんが可愛くて、勇敢にも話し掛けたこともあったなぁ(笑)。

昼休みが終わって教室に帰り、先生を待つ。入ってくるなり顔をしかめる先生。
いつもラーメンにめいっぱいニンニクを入れて食べるもんだから、
教室はニンニクの匂いが充満してるんですよ。
食べた本人達は気にならないんだけど、先生や他の生徒には気の毒でした。

あのラーメン屋みたいな雰囲気の食事って、そう言えばあれ以来ないなぁ…。
ちょっとだけ、あの特訓講座をやり直してみたい気分です。


655 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/28(日) 05:22
安芸まっショイ


656 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/28(日) 06:17
もう6時…朝になってしまいました。
夜中から読み始めてずーっと感動して涙流したまま読んでます。
素晴らしいカキコをありがとーー!


657 名前: 子供会社員 投稿日: 2000/05/28(日) 15:37
エビフライとタルタルソースです
小学校1年くらいのころ、ばぁちゃんの家に遊びに行ったとき
ばぁちゃんはおいらがエビフライ好きって聞いて沢山つくってくれた
でも、食卓には大量のエビフライ&ソースだった
大好きなタルタルソースでなかったので少し泣いてしまった
ばぁちゃんにはすごく悪いことをしてしまった・・・
大人になった今、詫びようとは思ったものの、なんだか言い出せず
そのままばぁちゃんは他界。
ごめん ばぁちゃん。

あのころはどうしてもタルタルソースとこだわってたクソガキなのに
今はケチャップです・・・軟派になりました


658 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/29(月) 02:12
毎日ここを見ています。泣けるわ。

昔、小学校2年生のころ、ある中国人の留学生と知り合いになり、家族ぐるみで
おつきあいをしていました。彼は本国には妻も子もあり、高校教師をして
いたようです。30前後の、とても頭のよい人でした。
本国で英語の教師をしていた彼は、私に英語を教えてくれるというので、私は
毎週彼のアパートを訪ねては英語を教えてもらいました。その日は毎週の
土曜日で、私は学校に行く時にお弁当を持ち、学校帰りに彼のアパートに寄っては
お弁当を食べ、勉強しました。そのうち、彼がお昼を作っていてあげるから
お弁当はいいよ、というので、お弁当を持っていかずに訪ねると、たくさんの
中華料理が用意されていました。
私は野菜が嫌いでしょうのない子なんですが、彼の作るごはんはけっこう野菜が
多いし、餃子も多いんです。だけど、すごくおいしくて、私が食べると
彼もいっしょに食べて、どれがおいしいか、なんて話していました。
私は春雨のスープと餃子、それとエビのすり身を揚げるせんべいが好きで
これだけは毎週作ってもらいました。ひとり暮らしの生活で、ごはんが
淋しかったのかなぁ、なんて今になっては思い出します。そのうち、奥さんも
留学してきたので、ふたり暮らしになったようですが、それでも毎週の
私のお昼ご飯は続きました。そのときの水餃子が忘れられません。




659 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/29(月) 02:32
つづき。
先日、実家の母に彼から電話がかかってきて、今日本に来たんだ、と
いうことで久しぶりに会いました。
10年以上会っていないのに、ちっとも変わっていない彼のようすを見て
安心したし、もうすぐ中国を出て海外に居住する、なんて話を聞いて
私も彼も、10年の間にかわったんだなぁ、と思いました。
その時に「あなたが作った餃子が好きでね、他のものは食べれないの」と
教えてあげたら、とってもうれしそうにしていました。
アルバイトして、お金がたまったら、中国に行こうかな。奥さんにも
久しぶりに会って、餃子を作ってもらうつもりです。
(今では、たまにメールのやりとりをします。パソコンやっててよかった、と
ホントに思いました)



660 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/29(月) 13:17
小学校の時。
母が入院したときに父がお弁当を作ってくれた。
湯を沸かすことすら絶対に自分ではしない頑固な父が・・・。
俵型のおにぎりと、前夜の父のつまみの残りである
まぐろの刺身を焼いたものと、同じく前夜の残りの
おでん。
父ちゃん、なんで俵型のおにぎりにしたんだ?
おば-ちゃんの作るおにぎりが俵型だったのかな。


661 名前: 稲子 投稿日: 2000/05/29(月) 15:38
10歳以上としの離れた弟がいて、小さい頃はとんでもない癇癪持ちだった。
中学時代、夕飯の支度どきによくぐずり、そういうときは母が相手しないとだめで
夕飯作るのはわたしの役目になっていた。
といっても、味噌汁に焼き魚、青菜のゴマ和えみたいな献立だけど。

さて。弟が3つ、わたしが高校生の頃。
ひさびさに一家揃って外食しようということで、高級そうな日本料理屋に
連れていってもらった。
海老の活け造りが出てきて、さぁ食べようと手を伸ばすと、弟が泣き出した。
「まだ死んでないから、食べちゃダメ!」と。
どうなだめすかしても、ますますひどくわめくばかりで、その海老を全部
なんとか食べたのか、あるいは残したか、味はどんなだったかというもろもろが
思い出せない。

「もう活け造りも踊り食いも食べに行かない」
そのとき両親はそう痛感したと、先日話のついでに聞いた。


662 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/30(火) 11:08
おぉっと!
常にヘッドラインに入れておかねば。 ね。


663 名前: あげあげ 投稿日: 2000/05/30(火) 13:34
いいスレだなあ・・・

みんなを泣かせるようなモノでないが・・・
もし、何となく共感できる人がいてくれたらうれしいよ。

高1の夏、高校に入って初めての朝練があった。
いつもは8:00頃に家を出るのだが
その日は、朝5:00頃にチャリンコで
学校まで向かった。
普段、何気なく通って見ている
周りの景色が不思議と違って見えた。
いつもと違う車通りの少ない道、
朝の涼しげな空気、
柔らかいけど「これから暑くなるぞっ!」と
言ってるような朝の日差し。
う〜ん、とってもすがすがしかったよ。

教室について(教室には私以外、誰もいなくて
学校全体も静まりかえっている。)
一人で、家から持ってきたおにぎりを
自分の席で着替えながら、もくもくとパクついた。
(うちの部では、1年は基本的に部室使用禁止だった。)
中身はカニかまを小さく切ったやつを
みそで炒めたもの。(お袋の思いつきの具か?)
し〜んとした早朝の教室で1人で食べたおにぎりが
妙においしかったのを憶えてる。
あの頃(高校生活)のささいな(?)日常の
1コマだったんだけど
なぜかこのおにぎりの味は、
早朝の景色(空気)と一緒に鮮明に憶えてるよ、
不思議だ・・・
あの瞬間のあのおにぎりの味、もう味わえないだろうな。

くだらない駄文ですみません。

・・・ノスタルジックな気分になってしまった。



664 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 16:59
ほかの板でも賞賛されてたのできてみたけど・・・
涙腺緩みっぱなしで大変。
エプロンでふきふき読んだけど、あまりに涙の量に
半分で今日はおしまい。残りは明日。
それにしても感動するなー。


665 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 18:47
こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。

こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。


こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。


666 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 18:55
私は625なんですけど、
実際、創作とかっていわれると、めちゃめちゃ悲しいものですね。
そう思われても仕方ない話なんですけどね。




667 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 20:07
よしよし、淋しいんだね>665



668 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 20:56
可愛いよ、君が好きだ。>665
だから控えめにね。


669 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 21:28
初めて付き合った彼氏がわたしの部屋に初めて遊びに来たとき。
普段のわたしは照れくさくて世間で言われてる「女の子らしい」部分は出来るだけ
見せないようにしていた。でもお腹が空いたのでご飯を作ることになった。
料理は嫌いだったが人並みには作れたわたし(小さい頃からやらせられていた)。
でも緊張で失敗するのは嫌だったので無難なカレーを作った。

「いいよなぁ。。こういうのって。。」台所に立つわたしをうしろで目を細めて
見ていた彼。。恥ずかしかったけど嬉しかった。
この彼は「お前は食ってる時と眠ってる時は女の子だよなぁ。。」とも言ってた。
当時は食が細かったので(ついでにそれなり痩せてもいた・笑)。
あのね、胸が詰まって沢山食べられなかったんだよ(笑)。


670 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 21:45
>669
なんだか分かる・・・。

彼と交際半年位に、彼の家族が週末に泊りがけで旅行へ出掛けた。
これ幸いとばかりに、その隙を狙って彼の家で二人で過ごすことにした。
でも彼のお母さんが一枚上手で、居間のテーブルに書き置きが・・・。
「ごはんは二人分炊いておきます。おかずは冷蔵庫に入ってます。」
二人で笑いながらお母さんお手製の食事を食べた。
翌朝、さすがにその日の分のおかずがないので、台所を借りて簡単な
おかずを作った。確か野菜の味噌いためと大根の味噌汁だったと思う。
「なんだか不思議な感じだな。・・・なんだか近い将来をバーチャルリアリティ
で見せられてる気分だ。」と、彼は照れながら言った。私も恥ずかしかった。

・・・付き合い始めた当初は、私も胸一杯で食が細かった・・・。
ケンタ行っても、チキン1本でもう満腹。ファミレス行っても、セットの
サラダだけでもう満腹・・・。


671 名前: 9821V16 投稿日: 2000/05/30(火) 22:24
僕が中学校二年生の時、今から15年前。それまでアパート暮らしだった我が家は、
同じ町内に出来た新築マンションを購入した。
タイル貼りの瀟洒な作り、エアコン付きの白い壁を、
親から「オマエの部屋だぞ」って言われた時、本当にうれしかった。
引越前に、カギを借りて泊まったほどだった。
でも、それは家計を圧迫する事でもあった。それまで専業主婦をしていた母は、
知人の会社で事務を始めた。それも慣れ、楽しい生活が始まって数年、
高校から帰宅して、部屋にいると、いつもより早く、母が帰宅した。
その顔と、服を見て驚いた。服は泥だらけで、頬には無数の擦り傷があった。
ショックで、心臓がドキドキして止まりそうだった。
そして、母は、僕の顔を見るなり、目を真っ赤にして「病院に一緒に行って」と言った。
訳を聞くと、自転車から転んで落ちたという。
パート先の会社の用事で、郵便局に行くところを、仕事が忙しいために、
時間短縮を狙って、慣れない自転車に乗ったら、転んだらしい。
会社に電話して早退し、タクシーでそのままここに戻ってきたという。
とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、泥にまみれ、傷だらけになっていた。
神聖な物が汚されたようで、なんだかくやしくてくやしくてしょうがなかった。
ここまで無理して母を働かせていたのか、と、自分も情けなかった。
近くの病院にすぐ診てもらったが、幸い、骨には異常なく、擦過傷で済んだ。
一安心した帰り道、「何か買って帰る?」って母に聞いたら、「ふがし」。と一言。
近くの駄菓子屋で10本まとめ買いして、母の後を追った。それを見た母は、笑って、
「こんなに買って来なくてもいいのに〜」と言いながら、
愛用の缶の菓子入れにしまい、いつもと同じように台所に立った。



672 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/30(火) 22:26
>699
>あのね、胸が詰まって沢山食べられなかったんだよ(笑)。
なんか、胸がきゅーんってなったよ。


673 名前: 名無しちゃん 投稿日: 2000/05/30(火) 23:54
小学5年生のとき、同じクラスの女の子の母親が自殺してしまった。
そのときは、みんなびっくりしたんだけど、
しばらくたったら、みんなそのことは忘れかけてた。
そして6年生の遠足の時、その子が持ってきたお弁当は
焼き鮭(切り身まるごと)だけが挟まったサンドイッチだった。
もちろんパンは普通の食パン。
私は、そのサンドイッチをみたとき、何も言葉が出なかった。
ふだん、からかったりしてふざけてたけど、
そのことは気づかない振りをしなければならないと思った。
そして、自分がいつも当たり前に母親にお弁当を作ってもらえる
ことを、本当に感謝した。
今でもあの鮭のサンドイッチの事をたまに思い出します。



674 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 06:44
あげ。


675 名前: ぴた@亀主 投稿日: 2000/05/31(水) 09:24
>673
ふえぇぇぇぇん(T−T)


676 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 10:28
うーん・・・
泣けるような話じゃないんだけどね。

この前、別れた彼女と飯を食いにいったんだ。
本当にいいお友達として、
で、ファミレスに行ったんだけど、
話の中でおれが食事しているときが好きって言われたんだ。

小さい頃からしつけにうるさく言われてて、
そのせいかなぁと思ったんだけど、
その彼女の前ではどう考えてもきれいに食べたことは無かったんだよね。

でさ、昨日聞いてみたのよ。
そしたら、あんまりおいしくないものでもおいしそうに食べるからだってさ。

単なる食いしん坊なだけじゃん・・・


677 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 16:52
2才のころ、両親が離婚して、祖父母に育てられました。
遠足のお弁当や、よそ行きの服などが年寄りっぽくて
ずいぶん不満でした。高校生になって、父の再婚家庭に
引き取られ、(祖父は亡くなり)祖母のところへは、
ちょこちょこと泊まりに行くだけになりました。晩御飯
は、必ず、私の好きなものばかり、わざわざ買いに行って
くれてたのです。そのなかに、もやしの味噌汁がありました。
そのもやしは、全部、ひげ根が取ってありました。今思うと
ずいぶん大変だったと思います。育ててもらった恩返しも
十分できないまま、亡くなってしまいました。いまだに、
もやしの味噌汁は食べられません。




678 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 21:14
だから泣かすなと言っておるだろうが。
本当にいいスレッドだなチクショウ。


679 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 23:52
>671
>とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、

って、何のてらいも無く言えるというのも、
素敵なことかもしれない



680 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 02:08
過去の美化が甚だしいスレッドですね。


681 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 09:11
>680さん  思い出って月日とともに美しくなっていくものなのだよ。
だから良いのだよ。


682 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 11:21
私の作る美味しい料理を残したのは、ある先輩だけでした。
「夜はあまり食べないから少しでいい」と言うのに、
気合入れて大量に作った私も悪いんですが。
いや、でも、謝りもせずに「少しでいいって言ったじゃん」はないだろう。
あまりのショックにボロボロ泣きながら残った料理を全部食う私の横で、
一生懸命皿を洗う先輩。
間違っても人前で泣くことのない私と、間違っても片付けなどしない先輩の
不気味なコラボレーション。
今はもう怒っていませんが、あの世界一量の多い塩辛いサラダの味は忘れません。


683 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 11:26
>682
作りすぎはいけません。


684 名前: mana 投稿日: 2000/06/01(木) 13:12
いつもジーンとは来てたけど、673の「鮭のサンドイッチ」
を読んで、涙が・・・  仕事中なのに。
創作とか言う人がいるけど、素人がこんなにうまく作れるもの?
「いっぱいのかけそば」よりずっと感動するよ。



685 名前: ここのスレ読んでると 投稿日: 2000/06/01(木) 13:32
事実は小説よりも奇なりって格言を思い出すよ。
俺も二つほど書いたけど両方とも紛れも無い事実だしね。
他の人のものも、嘘やフカシでこんな話書けないと思うよ。たぶん

「創作」って書いた人は、きっとこういう思い出すらない寂しい人なんじゃない?




686 名前: >682 投稿日: 2000/06/01(木) 13:32
何様のつもりなんだろ


687 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 13:57
小学2年生の頃の話。

ある日、わたしはトイレに入った。用を足し、出ようかと思ったわたしはドアの鍵が
壊れてて閉じ込められた(自分自身で)のを知った。パニックに陥るわたし。
家族は留守。ひとしきり泣いて落ち着いた頃、耳を澄ましてみた。
我家の隣は父が経営していた事務所。その事務所方面から何やらジャラジャラという
音が聞こえてくる。休日だというのに父が従業員を集めて麻雀をしていたのだ。

「お父さ〜ん!お父さ〜ん!」必死で叫ぶわたし。しかし牌の音にかき消されわたし
の声は父には届かない。。父に頼れぬことを悟ったわたしはトイレの上のほうにある
小さな窓からやっとこさ脱出。(小柄で痩せてて良かった。。)
父の元に行きギャンギャン責め立てるわたしに父は「焼きそばとってやるから」。。
そう、わたしの好物が焼きそばであることを念頭に置いての懐柔作線である。

「そんなことで許さない!」と思ったのも束の間、焼きそばの出前が届いた時点で
わやしの怒りは海の藻屑となってしまった。父よ、さすが親だな。。
あの焼きそばの味は忘れられない。涙と鼻水の味がしたよ(汚くてゴメン)。
そんな酷い(笑)父はその3年後脳溢血で天に昇ってゆきました。。


688 名前: さぁてと、今日もヒト泣きすっか。 投稿日: 2000/06/01(木) 14:46
ぁぁぁ。


689 名前: 投稿日: 2000/06/01(木) 15:25
泣けない話しで悪いが、
記憶に残る食事は「鳥すき焼き」だ。
鹿児島の祖父が鶏を絞めて、お湯をかけて羽をむしりとり内蔵を取り出し、
ざっと焼いたものを使ったすき焼き。
吊るされて最初は暴れていた鶏が、ぐったりとなったところですかさず、スパッと首をはねた祖父。
逆説的に命の尊さを学んだ様な気がした。
未だにあんなに美味しい鶏肉は食べた事がない。



690 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/01(木) 16:56
>689
幼いころの思い出とか、悔恨の残る話も胸うたれるものが
ありますが、お祖父さんの鶏の料理は十分感動的ですよ。
「いのち」と「食べ物」とのかかわりを、子供に実地で
教えることのできる大人は時代のせいで少なくなっていますし
お祖父さんは、当たり前のこととしてやったことでも、
あなたや、この話を聞いた私たちに大切なとこを伝えて
くれたのですから。


691 名前: 690 投稿日: 2000/06/01(木) 16:59
失礼、「大切なとこを」→「大切なことを」でした。


692 名前: うほほ 投稿日: 2000/06/01(木) 20:09
2chで泣いた....。


693 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 04:09
ダンナはひとりっ子、私は貧乏な7人家族育ち。
結婚前、ダンナが家にご飯を食べにきたときのこと。
お刺身を出したんだけど、ダンナさん、わさびの小袋をとって全部自分の醤油に溶かしちゃった。
家族ボーゼン。だって、貧しい一家は いつも小袋のわさびを7人で分けていたので。
みんな無言で、わさびなしの醤油で刺身を食べました。


694 名前: 母は 投稿日: 2000/06/02(金) 07:58
鶏肉が嫌い。どうしてなのかなー、とずっと思っていたのだが、この間父に
尋ねたら答えてくれた。
ママはね、小さい頃、農場で飼ってた鶏をとても可愛がってたんだって。
毎日餌をやる手伝いをして、全部同じ様な顔をしてるのに、一羽一羽に
名前をつけて。
でもお客さんが来るとおじいちゃん(私の曾祖父)がその鶏を何羽か
殺して、それをご馳走にしてしまう。それが辛くて辛くて、それ以来
鶏が嫌いなんだって。

いつもは強くてきりりとしている母なのに、何となくその話を聞いて
かわいいな、と思ったり。お客さんが来て鶏鍋とかやってる時の、食卓
での母の気持ちを考えると、やりきれなくもなったり。
うちって実は元祖「羊達の沈黙」だったのね、とも思った(笑)



695 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 12:17
>666さん
625のお話、わたしは「おばあちゃんが会いに来てくれたんだ〜」
ってすごく感動して拝読しました。
きっとおばあちゃんが666さんのことを大切に思ってくださった
からあった出来事なんでしょうね。
わたしは創作だなんて思ってませんよ〜。
一言お伝えしたくて書き込んでしまいました、、、m(_ _)m



696 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 15:52
小学校の時両親が離婚しました。
気の強い母は父が仕事に行っている昼のうちにアパートの契約をし、
夜には母と兄と私とで家族の家を出て行きました。
子供ながら本能的にそんなしっかり者の母との暮らしを選んでいたのですが
正式に離婚が成立する前に一度兄と私だけが父に呼ばれて
父しかいないもとの家族の家に居行くことがありました。

みんなで生活していた部屋は私達の荷物が無くなったことと
男の一人暮しになったせいかガランと殺風景で寂しい部屋になっていました。
いつもは父が野球を見る為見ることが出来なかったアニメを見せてくれて、
もてなしのつもりだったんでしょうね、ぶどうを出してくれたんです。
お皿ではなくて新聞紙に載ったぶどうを見て胸がきゅんとなりました。
あれ以来父には会っていないし実は消息すら分かりません。
探そうかと何度も思ったけど母を裏切ることになるような気がして
なかなか踏ん切りがつかずにもう20年が経過しました。
もうすぐぶどうの季節。店頭で見かけるとふと立ち止まってしまう。


697 名前: >696 投稿日: 2000/06/02(金) 15:55
私がその父です。

っていうネタはここでは禁忌なのね。
すまん。気にしないでくれ。


698 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 16:20
女子校時代、バレーボールの部活のあと、運動部ご用達の店で
磯部巻き、ラーメン、またはたぬきうどん、あんみつ、
ところてん、ソフトクリーム、合間にコーラ、という
フルコースを毎日のように食べてた、、、なんであんなに
食べれたのか今では信じられない。もちろんそのあと
家で夕食も食べてたの。


699 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 18:56
新婚のころ、妻が毎日お弁当を作ってくれました。
ある日、朝からつまらないことで喧嘩をしてしまい、今日は弁当無しか・・・
と思っていたらちゃんとあった。
昼休みに会社で包みをあけるとオニギリが2つとゆで卵が入ってました。
さすがに今日は手抜きかと思いながらオニギリをほおばるとおもわず「うぷっ!」
中身を出してみると白くて柔らかいものが。中から出てきたのはホワイトチョコレート
口直しにゆで卵をたべようとしたら、玉子の殻に鬼のような顔が書いてあり、「ざま〜みろ」
と書いてある。
妻からの報復攻撃でした。それから1週間、お互いに口をききませんでした。

最近、息子と娘が学校へお弁当を持っていくようになり、私のお弁当が復活しました。
オニギリの時は今でも一旦2つに割り、中身を確認するようにしてます。



700 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 00:04
>699さん
かわいい奥さんですね!


701 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 01:32
なんかいい話が多いので上げです。

俺は、くそ暑い土曜の夏真っ盛り、高校の帰りに買った
ペプシとホンコンやきそばの昼飯を思い出します。
勿論自分で作る。親いないから。



702 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 21:11
>698さん

私が高校時代に付き合っていた彼女は、ソフトボール部に入っていて、
やはりものすごく食べていました。

彼女は、お母さんにお弁当を2つ作ってもらい、
お昼に二つともキレイに平らげていました。
(しかも部活の後は、ラーメン屋でチャーシューメンをペロリ。)

晴れ渡った青空の下で、豪快に食べていた彼女の姿を、
あなたのカキコを読んでいて思い出してしまいました。



703 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 21:57
悲しくて、おかしくて、懐かしくて、どれを読んでもやはり
泣いてしまう。


704 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/04(日) 03:37
昔、ピーナッツに衣つけて揚げたお菓子がすごく好きでした。
その日もいつものようにぼりぼり食ってましたら、
私をすごく可愛がってくれてたおばあちゃん(母方・入院中)が危ないって電話が入り。
揚げピーのことなんか頭からすっとんで、慌てて病院に向かいました。

で、そのままおばあちゃんは逝っちゃったわけですが・・・

何かとばたばたした一週間が過ぎて、家に戻ってようやく一息ついて、
思い出に浸ったりなんかしてる最中、
猛烈なヤバげ感が私を襲いました。
まず吐き気。次、下痢。熱もそうとう高くなった。死ぬかと思うほど。

自分の母親に死なれたばかりの母は、
胃の中身と体力を出し尽くしてぐったりしている娘(私)の手を握りながら、
「おばあちゃんがあんたといっしょに行きたがってるのかなぁ…」
と泣いてました。

私は死にそうになりながらも、
「一週間前の揚げピー見つけて、食ったから…?」と気づいていたけれど、
回復した私を見て「よかった」とまた涙ぐむ母には、真相は言えませんでした…。

大好きな人が死んでも腹は減る、でも、
食べるものには気をつけないと、しゃれにならんね。


705 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/04(日) 05:37
4年前に亡くなったお婆ちゃんのきゅうりの漬物。
故郷に帰ったときはこれが楽しみだった。


706 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/04(日) 07:54
>701
ホンコンやきそばってなんですか?

高校のころといえば、私は帰宅部で、学校おわると即栄周辺(名古屋出身なので)
に出てファーストフードの店で友達と何時間もしゃべってた。
ケンタに8時間いたことある。土曜の昼から…夕ごはんもケンタッキー。
店員におこられないように、死角の席で。よくあんなにしゃべることあったなー
授業中もしゃべって、放課後しゃべって、夜には手紙書きあってた。
まさに「箸が転がっても?たのしい年頃」だったのでしょう。


707 名前: 。☆。 投稿日: 2000/06/04(日) 07:59
去年の話。
俺がまだ高校生だったころ。
母親の金をちょこちょこ盗んでは遊びまくってた。
ある時どうしても金がなくなり、欲しくなり、
バイト先で金を盗ってしまった。
結局バレて、母が店に呼ばれた。母はすまなさそうに下を向いていた。
当然俺はバイト先を首になった。
帰り道、母は俺が母の財布からお金を抜いていた事を知っていた。
それで母は俺に、
「何か欲しい物でもあるの?ウチは母子家庭だけど
あなたにはお金のことは不自由させたくないの。引け目を感じさせたく無いから」
と言った。
俺は何も言えなくなった。
それまで「何で気付かないんだろう」「気付いた時に怒られればいいや」
と思ってた自分が恥かしくて小さくて、泣いた。
そして最後に、「人様の物に手出ししちゃダメよ」とだけ言って
それからお金のことに触れなくなった。
その晩、いつものように変わらず出てきた夕食が暖かかった。




708 名前: 701 投稿日: 2000/06/04(日) 13:56
>706
ホンコンやきそばを知らないと??

ホンコンやきそばとは、15年以上前からS&Bから発売されている
歴史のある即席食品です。
調理法はフライパンでお湯を沸かし、その中に麺をいれて水分が無くなるまで
ほぐせばできあがりという、即席麺としては多少時間と手間のかかる物です。
添付品として、ごまと青ノリのパケがついてきます。味は麺に付いてます。
価格は60円くらいが相場でしょうか?ペプシと一緒に(あとタバコと)
買っても、500円でお釣りがきます。
今でもこれ食べると、何故か優しい気持ちになれるんです。
何故か時々泣けちゃうんですけどね。(笑)

これって北海道限定販売なんでしょうか?


709 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/04(日) 16:45
私の話は誰も死なない。

1993〜4年頃、私は仕事でドイツのデュッセルドルフという所に住んでいた。
当時社会人になったばかりの私は、会社の人(全て日本人です)と上手く行かなくて
プライベート時間は殆どひとりで過ごしていた。
県内屈指の進学校にもかかわらず、進学をけって
(正直言うと頭悪かったし、いちばん競争率が激しかった頃だから逃げただけ)
友達に「行ってくる」と出て来た反面、すぐには帰れないという気持ちがあったから
仕事は仕事と割り切って、それ以外の時間は本当にひとりだった。
休日にアルトシュタッド(旧市街地)というこの街が出来た頃からある繁華街で
コーラとスパイスの利いたソーセージとフライドポテトを路上のテーブルで立ちながら
小さなプラスチックのフォーク(爪楊枝みたいな大きさ)で食べるのが習慣になっていた。
今から考えると、新社会人と親からの自立と
海外での生活(日本人の会社だったが)のすべてがある日から突然始まったわけで
今思い出すと気が狂いそうなくらい辛い日々でもあったと思う。
唯一のコミュニケーションの取り場所である会社の人間に村八分にされて
よく孤独に耐えられたものだと思った。
その会社も退職する頃には何とか認めて貰えるようにもなり、
仲良く話も出来る関係を作ることが出来た。

空を見上げては「日本と同じ景色が見られるのはここだけだなぁ」と
本気で思っていた頃と同じ位置にある、キャリーブルストとポムスが食べたいと思う。


710 名前: >708 投稿日: 2000/06/04(日) 16:50
鹿児島にもありました。
今は福岡に住んでいるんですが、探したけどこっちにはありません(-_-;
食べたいよ〜〜〜!!ホンコン焼きそば(TоT)


711 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/05(月) 03:11
 


712 名前: 707 投稿日: 2000/06/05(月) 10:44
707さん。なんか暖かい文で、久しぶりに暖かくなれました。ありがとう!お母さんの料理って
まじうまいよね!私も暖かい料理作れるようがんばるぞ!!


713 名前: 707さんへ 投稿日: 2000/06/05(月) 10:49
707さん。なんか暖かい文で、久しぶりに暖かくなれました。ありがとう!お母さんの料理って
まじうまいよね!私も暖かい料理作れるようがんばるぞ!!


714 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/05(月) 15:18
あげよう


715 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/05(月) 18:06
風邪ひいて39度の熱を出した時、
彼氏が一人暮らしの私のマンションを訪ねて
きてくれて、鍋いっぱいのカレーライスを作って
くれた。料理なんて全然できないのに、一生懸命
作ってくれた。それなのに私は「病人にカレー・・・」
と文句を言ってしまった・・・。
ごめんなさぃ〜〜〜〜〜〜。


716 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 02:04
ホンコンやきそばは、北海道と東北限定だそうです
関東以西には売っていません



717 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 09:18
ホンコンやきそばって昭和40年ころもう発売してたぞ。
たしか立川談志がCMで
「SBホンコンやきそば。ホンコンにうまいよ」
ってコピー使ってたなぁ


718 名前: 701 投稿日: 2000/06/06(火) 09:25
>716.717

レスありがとね


719 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 11:29
念願かなって子供が授かった。
あまり泣きもしないけどどこか焦点がずれていたうちの子。
6ヶ月検診で障害があることが判明した。

ショックで毎日泣き暮らす日々。
夫もつらかったと思うが
次の日から「この子をしっかり育てるためには自分がしっかりしなきゃ」と
夜勤も進んでいくようになった。
夫には悪いが1日中そんな我が子と暮らす私の精神状態はめちゃめちゃだった。
この子を殺して自分も死んでしまおう。
どうせこの子は大人になるまで生きていくことができないのだから。。
今から考えると恥ずかしいが、これが夫のためだという思いしか浮かばなかった。
新婚当時から一生懸命ためた貯金通帳と保険の証書などをテーブルに揃えた。

ふと気づくと子供が居間で何かしている。
近づいたらだんなが私のために朝作っておいてくれたおにぎり(料理する気にもなれなかった)
のラップをはがしてかぶりついている..!
この子は障害があるけどまぎれもなく人間の本能があるんだ。
もうとうに離乳食を始めなければいけなかったのに。。
お腹すいたね。今日から離乳食始めようね。。

ご飯粒だらけの子供を見てわんわん泣いたのが昨日のことのよう。
しょっぱかったおにぎり。
あの日から頑張って毎日手作りして子供のごはん作ってます。


720 名前: 472>715 投稿日: 2000/06/06(火) 11:37
おんなじだぁ〜 と思って思わずカキコしてしまいました (^o^)
「普段料理しない彼」の料理=カレー って結構パターンなのかな?
お互い 今度は「病気じゃ無い時」に美味しいカレーを作ってもらって
食べたいですね。




721 名前: >719 投稿日: 2000/06/06(火) 12:10
泣。生きよう。


722 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 12:32
>719さん
282です。私も同じ気持ちの時がありました。
お互いがんばろうね。



723 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 14:02
>719

会社で泣いてしまった。
世の中には、ひどい親もたくさんいるけど、あなたにはそうなって欲しくない。
がんばれ。


724 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 14:17
ひっくひっく(泣)
涙で画面がにじむぅ(TへT)


725 名前: 715 投稿日: 2000/06/06(火) 14:30
>472(720)
似たようなレスつけてごめんなさい(^^;)
私達の口に微妙に(?)合わなかったという点も
似てますね(苦笑)
その後472さんは結婚されたんですね。
おめでとうございます。(^-^)/
あいにく私達は別れてしまいました。。。
その時のカレ−が原因ではないですよ(^^;)
今付き合ってる彼とは来春結婚するんですが
彼も料理下手なので・・・一度カレーライスでも
作ってもらおうかな。
風邪じゃないときに(笑)

それにしても会社だというのに涙ぼろぼろです。。。


726 名前: 472=720>715=725 投稿日: 2000/06/06(火) 15:55
>似たようなレスつけて・・・
うひゃ〜 (^_^;) あやまらないでください〜。
私としては「同じような体験した人がいるんだぁ〜」って思って
嬉しくてレスしてしまったのですから。
715=725さんも ご結婚されるのですね。
おめでとうございます。
彼にカレーを作ってもらったらぜひぜひ感想を
このスレッドに書き込んでくださいね。



727 名前: 472=720=726さま 投稿日: 2000/06/06(火) 16:45
715=725です。
どもども(^-^)
それにしてもこのスレは和みますね。。。
ちなみに660のレスも私なんですよ・・・。
お恥ずかしい話ながら、日曜日に書道塾に行く私の為に
父が俵おにぎりを作ってくれた事を書かせていただきました。
え〜、他の皆さん、私達二人で盛り上がってしまって
すみません。。。皆さんのレスにも泣きながら、そして笑いながら、
うなずきながら楽しく拝見させていただいてます。
ってことで、472=720=726さんにレスしつつも
ちゃっかりageさせていただきました。


728 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 17:35
2chで思いがけなくいい話を読んだよ。
ちゃかすのはやめて、すなおに応援したい。
明日のことは人間は予見することはできん。
誰にもだ。しかし今を精一杯生きることはできる。
お互いにがんばろう。


729 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 18:26
うわぁん(涙)
みんなの励ましを読んで、また涙。



730 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 18:37
>729(=719?)
辛い事もあるだろうけど 新しい発見もまたたくさんあるはず。
みんなのレスを思い出して(がんばり過ぎない程度に)がんばれ!


731 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/06(火) 19:40
子供が幼稚園の時、インフルエンザウィルスによる「急性脳症」にかかった。
担当医から「脳圧が高くて脳波はほとんど反応してない。植物状態か死亡のケース
も多い。助かったとしても重度の脳障害が残る場合もある。」と宣告され、
すぐに親族を呼ぶように言われて動転した。
意識のない長男は、ベッドに横になったまま身動きひとつとれなかった。
入院中付き添いをしていた私に夫が差し入れをしてくれたけれど何も食べる気になれなかった。
でも私まで倒れたらだめだと思って無理やり押し込んだ。
好物を食べても全く味がしなかった。私の感覚も麻痺したみたいだった。
やっと意識不明の状態を脱して、少しずつ流動食を与えられるようになった。
表情や反応のない長男にほんの少しのオモユを口にいれる。反射で飲みこんでいる
ので「食事」というよりは機械的な作業のような感覚に似ていた。
元気だった頃大好きだった「コーンポタージュ」を少し入れてもいいかと担当医に
相談してオモユに入れてあげてみる。
1口目、、、2口目、、、、3口目をあげた時、長男の口元がちょっぴり動いた。
かすかだったけれど、笑ってくれた。脳症になってから初めての反応だった。
「おいしかったんだ。良かったね。」涙がとまらなかった。
私も残りのコーンポタージュを飲んでみた。おいしかった。
1か月ぶりで味覚が戻ってきた。


732 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 19:54
ぅぅぅぅ。


733 名前: >730さん 投稿日: 2000/06/06(火) 22:07
729です。ごめんなさい、719さんではないの。
でもお話を読んではウルウルし、それに対しての皆さんの
優しいコメントを読んではまたもや涙ぽろぽろなのです。
ここにくるとほんとに励まされるようです。
食事・食べる、ということを大切にしようとますます思う
今日この頃です。


734 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 23:10
大好きな映画、「フィールド・オブ・ドリームス」のセリフを
借りるなら…

「ここは、天国か?」
「いや、ただのBBSさ。」
ってな感じでしょうか。

私も2つ書きこみましたが、みなさんのを読んでいると
口の中になにか懐かしくて、でもずっと忘れていた味覚が
蘇るような感じがします。


735 名前: 9年前 投稿日: 2000/06/06(火) 23:27
 沖縄に家族で行った時、タクシー運転手の運天という方が
戦後まもなくの話をしてくれたのですが、兄弟みんなお腹を空かせて
どうしようもなくて米軍のキャンプ地に盗みに入った時、アメリカ兵は
自分達を見つけても罰するどころかリュック一杯の缶詰やらなにやらをくれた、
だけどヤマトンチュ(本土の人間)は自分達が出てくるのを待ち伏せて、
渡さなかったら殴る蹴るして取り上げたという内容でした。
アメリカ兵の方には勝者の余裕があっただろうし、本土の人は負けて
余裕もなにも無かっただろうけど、それを聞いた時無性に恥ずかしかったのを
覚えています。
 分かれ際に運天さんはグアバの実をくれました。みんなで食べて後に残った
種をまいたけど、やっぱり成長しませんでした。今でもグアバジュースとかを
見るたびにその時の事を思い出します。


736 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/06(火) 23:48
735さんの話で思い出しました。
祖父の話です。
ビルマで鉄道作ってたらしいんですけど(ビルマの竪琴の元ネタ部隊?)、
米軍の捕虜になって、終戦まで収容所暮らししてたそうです。
祖父の仕事は、米軍の食事作り。
良く大きな鍋で大量のココアを作らされたそうです。
初めて嗅ぐココアの香りにそそられて、ついつい盗み飲みしちゃった
そうなんですが、監視のアメリカ兵は、3回に2回は見逃してくれたとか。
それを許してくれない厳しい監視役は、シラを切る祖父達に、「口を開けろ」
と命令。当然口の中はココアで茶色。それでも正直に謝らない祖父達は、
「ジャップ、いけない!」と良く怒られたそうです。
他にも、大量の牛肉を焼かされたりもしたそうですが、勿論盗み食いは
ちょこちょこやってたようです。
・・・それでも、例えそれを口で咎めることはあっても、決して暴力を振るわれ
ることはなかったそうです。
戦時中であっても、そういう精神的な余裕も持っていて、尚且つ豊富な食生活
を送る米軍の実状を見、祖父は敗戦を悟ったそうで・・・。
実家で食卓に牛肉が出る度、チョコレートの類を見る度に、何度も何度も
この話を繰り返し聞かされました。
流石に身体は弱ってきてますが、祖父78歳。まだまだ元気です。
少し話がそれました。ごめんなさい。


737 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 02:13
小学校の頃田舎に住んでいたので
何か買うときは3駅先の街まで行かなければいけなかった。
始めて家庭科でエプロンを作るときも然り。

親友と2人で行くはずが、普段私が嫌いで意地悪していた子も
何故か一緒に行くことになった。
小学生の頃ってちょっと知ってる街から離れただけでも
外国に来てしまったかのような錯覚があって
帰り道しっかり迷ってしまった。
このまま自分たちは駅にもたどり着けないんじゃないかと
思って不安で不安で。。
泣きたかったけど嫌いな子の前で涙を見せるわけにはいかない。
ぼろぼろになりながら公園についたのでとりあえず
ベンチに座って休むことに。
そういえばもう夕ご飯の時間。
そう思ったらお腹がすいてすいて。
嫌いな子がおもむろにかばんからチョコレートを取り出した。
普通の板チョコなんだけどその時は本当にご馳走にみえた。
だけどふと思った。
その子は私にそのチョコをくれないのではないか?
私にはいい印象はないはず。
3人並んで座ってたけど一番端の私は固まっていた。
真中の親友からチョコが回ってきたとき
受け取ったけど口に入れることができなかった。
普段意地悪していた罰だ。
その時嫌いな子が「全部食べていいよ」って言った。
半分は残ってたんじゃないかな。

結局近所のおばさんに聞いたら道をちょっと外れただけだったんだけど
噛み締めるように食べたチョコレートは
小学生の私に何となく人生?みたいなものを感じさせてくれたような気がする。


738 名前: かます知ってる? 投稿日: 2000/06/07(水) 02:55
小さい頃から甘いものが嫌いで祖母の家に行っても姉はもてなしの菓子を沢山食べたが私は只牛乳だけ飲んでいた。
しかし祖母の作るかます(蓮根の酢の物)が大好きでことある度に山の様に作っておかずにおやつに出してくれた。
成人して何年も祖母に会いに行かなくなったある日、祖母がパーキンソン病になった。薬の副作用は痴呆。見舞いに行き「またかます作ってくれなきゃ嫌だよ」と言うと微かに笑ってくれたいたけれどどんどん孫の事は忘れてしまい今は自分は少女だと思っているらしい。
けれど去年の敬老の日にふと思い立ってそれはみごとな藍色の桔梗の鉢植えを買って見舞いに行った。どうせわからないだろうけど。
その藍色を見た祖母は一瞬だけ正気になった。「ああ、●●ちゃん。こんなに綺麗な鉢ありがとうねえ。かます作らなきゃねえ。」
ほんの一瞬だったけど嬉しかった。かますは叔母が作ってくれたけど味が違う。祖母は子供の味覚とズレている私に色々作ってくれた。パスタにわかめふりかけ振ったり(ミートソースも嫌いだった)、トーストにごはんですよを塗ってくれたり(ジャムも嫌いだった)。今まわりに言うと「うげえええ」とか言われるけどおいしいんだってば。
祖母の食事。もう味わえないけれど今でも一人で作ってるよ。


739 名前: 私がリンゴが嫌いな理由 投稿日: 2000/06/07(水) 04:43
大学病院でちょっとした手術をしたら、麻酔がなかなか醒めなくて、
先生達がパニックしてたな。2〜3日は頭がクラクラしてた。
父が心配して、すったリンゴを食べさしてくれて、点滴つけたままの私の
手を引いて、病院の中を連れ歩いてくれた。
一緒に暮らしてない父で、そのウップンで母は私を虐待した。
母のことは、ずっと殺してやりたいくらいだったけど、
父は会う時はやさしかった。
でも、母の虐待を知ってて、それでも女と別れないズルい人だと知っていた。
その半年後に急に父は死んだけど、他人事にしか感じられなかった。
感情を殺すクセがついてるからなのかな…
父のことは今は存在したことさえ忘れた感じ。命日も覚えてない。
母とはずっと縁を切ったままです。


740 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 12:49
挙げときます


741 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 13:35
>>731
泣けました…。


742 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 00:57
いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・


743 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 00:57
いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・のであげ


744 名前: だいじょうぶ>742 投稿日: 2000/06/08(木) 01:24
まだ416Kbです。高画質アイドル画像2枚分ぐらいだよ(変な例えでごめん)。


745 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 03:23
あのー関係無い話で悪いのですが741のように番号をリンクすることは出来るの?
どうやってやるのですか?



746 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 03:43
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=pcqa&key=959547706
関係ないですね。


747 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 04:07
>>746

たしかに2ch、特に食べ物板の書き込みの質は低下している。
去年から何回か2chオフに出て気が付いたのは、出るたびに平均年齢が
下がって行っているということだ。 2ch開始当時はネットワークに精
通しているというか、他から流れてきた人間が多かったのだが、メジャー
化してマスコミに露出するたびに、何も知らずにいきなり2chからとい
う人間が増えていった。 いつのまにか社会に適応できない若者が溜まる
場所になっていった。 ネガティブな思考しかできない彼らは次々と古く
からの固定を煽り、罵り、嫌気がさして去っていく者が後を絶たない。
結果、残っているのが今の有様で、既にまともなスレッドを立てても大し
た反応もなく、ただ、うざい、しねとかの類ばかりになった。
去年のオフはまともな社会人が大勢を占めていた。 煽りやくだらないス
レッドも知的なゲームとして楽しんでいた。 最近のオフは学生や無職、
フリーターが多い。 ネットの常識も社会の常識も知らずに、ただ自分の
欲求を口走っているか、日常以外の場所で自分を顕示しているかのどちら
かだ。 それでも往時のような話題が全くなくなったわけではないから、
つい来てしまうけれども。
匿名掲示板で自由を満喫して、普段言えない本音でもって議論できた場所
が不適応者の巣窟になっていくのは悲しいけれども、関わったからには行
く末まで見ていようとは思う。


748 名前: >745 投稿日: 2000/06/08(木) 04:10
>>番号
全部半角英数字でね。今のところ
saki.2ch.netにある掲示板だけ有効です


749 名前: 泣かすスレッドになってるけど 投稿日: 2000/06/08(木) 05:16
オレが好きなのは1とか85、352なんかだ。
ちょっと情けない男のエピソードに共感してしまうのは
きっとオレも情けない男だからなんだろう。

今度このスレッド内の人気投票しないか?


750 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 09:23
>749
人気投票、いいアイデアなのかも知れないけど
みんなのそれぞれの思い出に
他人がランクをつけても意味無いかな って。

以前私も思い出書き込みました。
もし それが人気無かったら・・・・
(人気があったら うれしー!! ってわけでもないけど)
ちょっと さみしーかも。
ちっとも共感してもらえなかった って思っちゃいそうで。


751 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 11:33
>749
750に賛成。
それに今のこのスレの雰囲気や流れを変えたくないってのはあるね。
人気投票をするなら別スレで頼む。


752 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 11:46
何よりも食べる事が好きな父の、その病名はガンだった。
肺ガンが腸に転移し、もはや手遅れだった。
当時高校生だった私達2人と父に、死の宣告などできなかった母は、
来る日も来る日もひとり公園で泣いていたという事を、父の死後聞かされた。
それでも母は父が治る事を信じ、自分を奮い立たせるように、今まで通り
食卓いっぱいの夕ごはんをつくり、笑顔で父と私達姉妹を出迎えた。

父は何よりも食べる事が好きだったのに、入退院を繰り返す度に食が細っていった。
「食べないと良くならないよ」と言う私達姉妹に父は、
「外で食べてきたからお腹いっぱいなんだ」と繰り返した。
そんな父を見ても母は、笑顔で食卓いっぱいの夕ごはんをつくり続けた。

何度目かの入院の前の晩、食卓に父の大好物のカニが並んだ。
昼間の仕事で疲れたのか、母が身を外したカニに殆ど手を付けず、父は床についた。
夜中、喉が渇いて台所に行くと、そこに父の姿があった。
立ったままカニを食べている、やせ細った父の後ろ姿があった。
私はそれを見た瞬間、父がもう長くないことを悟った。
そして、そのことを一番知っているのは他ならぬ父であると思った。
カニを口に運ぶその姿は、父の食への、イコール生きる事への執念のように見えた。
同時に、いっぱいの食事をつくり続け、笑顔を見せ続けた母を思った。
私は泣いた。何も気付かなかった自分を恥じた。
カニは、父のこの世での最後のご馳走になった。

あれから十年ちょっと、今でも我が家の食卓にはいっぱいのおかずが並ぶ。
パートに出て働いて働いて、私達姉妹を大学までやった母は、
「あんたたちに肩身の狭い思いだけはさせないでやってくれ、
っていうのがお父さんの遺言だったからね。」
と、苦労など微塵も見せず笑う。そんな母も今年還暦を迎える。
いつも文句ばかり言うけど、お母さん、お父さんとお母さんは私の誇りだよ。
お父さんの十三回忌が終わったら、温泉にでも連れていってあげようかな。


753 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 12:02
悪い、ちょっと作りすぎている。
時間がたっているせいか、
ゴメン、これには感動しないわ。
すまん。


754 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 12:15
いちいちそんなこと書きこまなくってもいいよぉ。>753さん
そう思うなら、心の中でそっとしまっておいて。
感動させるために書いてるわけじゃないしね。

私は食べることが大好きな父を思って、なんとも言えない気持ちになりました。


755 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 13:12
いや、感動させるために書いている姿勢が見えて
嫌になったんじゃないかな?
このスレも確かに後ろに行くと、作り込みと
自己陶酔がクサくて、鼻につくように思います。
このあたりが、ここがレベル低下してるのと
リンクしてるんじゃないかな?
甘えすぎ。


756 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 13:47
>755
はじめのほうは、短い文でもなんかジーンと来るものがあったよね。


757 名前: 752です 投稿日: 2000/06/08(木) 14:22
お昼から戻って覗いてみたら、私のカキコで一論争起きそうな気配。。。
一言言わせて下さい。
私のそれに限らず、このスレのカキコの寄せられる意見は多種多様であって当然で、
それに関して何ら反論するつもりはありません。
ただ、一家の大黒柱を失うということは、とても大変な事なのです。
敢えてここに書く必要もないですが、私達もそれは大変でした。
こうやって父のことを振り返ることができるようになったのも、ごく最近のことです。
私自身、この10年、ただただ必死でした。
頑張らなきゃ、と思ってやってきました。甘えてる暇などありませんでした。

ちょうど10年が経過して、私は、今まで3人で頑張ってきたよ、これからもよろしく、
と父に伝えたくてここに書きこみしました。
でも、こういう公の場でそれを公開してしまったことに、少なからず嫌悪感を
覚えてしまう人もいるんですよね。
そんな事、直接父の墓前に報告すればいい訳ですから。
気分を害された方々、ごめんなさい。
このスレの雰囲気を壊すつもりはなかったのですが。。。
>754さん、ありがとう。ご両親を大切になさって下さいね。

ここの方々は心優しい人ばかりで救われます。
そのご好意にあずかる私はやっぱり甘えすぎですかね?


758 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 15:24
文章が妙に下手で、カンにさわるんだなあ。


759 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 15:49
>758
良いではないですか。
その人なりの文章のスタイルで。
これだけたくさんのレスがあれば
相性が良くないのもあって当然。




760 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 17:05
752、757さん、
私も4月に父を亡くしました。
親を亡くすということが、これほどまでに
悲しいものとは思いませんでした。
雰囲気をこわすなんてこと、ぜんぜんありませんよ。
ひとりひとりの心にある、親や肉親への思い、そして
いのちと食べることへの思いは、それぞれに私たちの
心に伝わってきています。



761 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 20:11
あげる。
人の飯に、人の家族に、ケチつける様な真似すんな。


762 名前: バッカーです 投稿日: 2000/06/08(木) 20:51
まぁまぁまぁ
みんなで一緒に楽しみましょうよ
はい次の方どうぞ↓


763 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/08(木) 23:50
昨年の元旦。普段たべものの好き嫌いを言わない父が珍しく
「天丼が食べたいなぁ」言い出した。「今日は元旦だから、
今度の日曜日に食べに行こうね」といってその場は終わりましたが
次の土曜日に父は倒れ、2週間後に帰らぬ人となりました。
49日を済ませ、母に「何で正月にあんな事言い出したんだろう」
と聞くと「本当は昔から天ぷらが大好きな人だった。子供に好き嫌い
をするなという手前、あなたたちの前ではそういう事を一切いわない
人だったの」
私は40年近く生きていて初めてオヤジの好物が天ぷらだと知りました。
いまも天ぷらを食べるとオヤジのことを思い出します。


764 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 01:49
人の死が絡むとお涙頂戴になるのはしょうがないのでは?
投稿者が意図するしないに関わらず。

それにつけても、1氏のエピソードは誰からも「いいね」と
言ってもらえるエピソードですなあ。


765 名前: 嫌な思い出だってある 投稿日: 2000/06/09(金) 03:15
社会人になってすぐの夏、いつもは食欲旺盛な私が急に食欲を失った。残業が
続いていたりしたから、夏バテかな、と思っていた。あるいは胃潰瘍の始まり
かしら、と。でも何故かスイカだけは食べられた。あとは何を食べてももどして
しまうので、ひたすらスイカばっかり食べていた。
暫く経っても快くならないので胃の検査のために医者に行ったら、妊娠して
いたことがわかった。当時私は妻子ある男性と関係をもっていて、勿論、気を
つけてはいたのに、妊娠だなんて、本当に青天の霹靂だった。勿論、彼は妻子
を捨てて私を選んでくれる筈もなく、中絶の資金だけ出してくれて、私は一人
で処分した。彼ともそれきりになってしまった。
あれから何年も経つが未だに夏になると罪悪感に苛まれ、嫌な気分になる。
勿論あの夏以来、スイカは一度も口にしていない。
しようと思ったこともない。


766 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 04:59
>感動させるために書いてるわけじゃないしね。

ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。
初期の書き込みの方がよかった。もう限界。


767 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 09:06
>766
>ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。

そうとしか思えないのは貴方の勝手だけど
わざわざそんな事書き込むなんて
本当に「感動させるために書いてるわけじゃない」人たちに失礼だよ。
誰も貴方1人を感動させようとして書いてるわけじゃないんだから。
感動話”ばっかり”読みたいんだったら それはムリってもの。l


768 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 09:12
なんとなく末期症状かな。
このスレッドも1000に到達せずに
終ってしまうのか?


769 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 09:25
>765
明日は我が身。かも。


770 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 10:14
おれもそうなんだけど、
「思い出に残る食事=思い出に残る人」なんだよね。
そうすると必然的に、今この世にいない人になると思う。
もしくは大切な人、もうあえない人。
みんなの心の中にある大切な思い出を聞けたって言うだけでうれしいのよ。
だから、泣けない話じゃなくたっていいんだしね。

荒れてほしくはないスレッドだよね。ここ。

以下は今ちょっと思い出した話。
読み飛ばしていいよん。

おれは肉が好きなんだけど。
小さいころ焼肉屋にいって
祖父が焼かないで肉を食っていたのをみてビックリした。
牛肉のジンギスカンとか言うメニューだったかな?
小学校に入る前のおれはじいちゃん子だったから
いっしょになってうまいうまい言って食っていた。
あれから必ず焼肉屋に行ったら生肉食っているんだよね。

最近貧乏なんで焼肉屋にも行ってねぇ・・・



771 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 10:18
一年前大学を卒業した妹が、ようやく先日社会人となりました。

卒業してから今まで、就職活動以外で外に出ることがあまりなくなり、
昼夜逆転の生活を送るようになっていた妹は、本来の食のほそさに輪
をかけてごはんを食べなくなり、とても母を心配させていました。
「おかあさんは、あの子が就職できるかできないかより、ごはんを食
べずにどんどん痩せていくのを見る方がつらい」
そう言いながら泣く母を見て、いつもとてもやるせない気分になった
ものです。
いろいろうるさい親戚の目や世間体よりなにより、とにかくあんたの
ことを、あんたの身体を一番の大事に考えてくれてる人がいるのよっ!
その心に応えて、ここはひとつがんばんなさいっ!
、、、乱暴ねえちゃん(わたし(^_^;;)にかつ入れされた妹は、人が変
わったように就職活動をはじめ、あっというまに就職を決めてきました。
今では朝ごはん2杯おかわりして毎日元気にでかけていくそうです。
「よく食べるのよ〜」と嬉しそうに報告してくれる母の笑顔、ほんとに
家族の太陽だなとしみじみ思う今日このごろ。

妹がんばれ。
ねえちゃんは応援してるぞ〜。


772 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 10:40
>771
だからそういうのは直接妹に言え。


773 名前: 戸碌斎 投稿日: 2000/06/09(金) 11:38
>772ちゃん
まぁそういうなって。


774 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 11:44
日本のどこかに(まさかに海外ではあるまい)
そういうねぇちゃんがいるって思うだけでも
なんか いーじゃん。

どこの誰かも知らないけど 妹も応援したくなる。
もちろん お母さんもね。


775 名前: >770 投稿日: 2000/06/09(金) 11:46
>「思い出に残る食事=思い出に残る人」なんだよね。

良いこと言うなぁ ほろリ (T_T)


776 名前: へんみよう 投稿日: 2000/06/09(金) 11:50
やっぱり、やっぱり、人間ってもの喰う生き物なんだなぁ。


777 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 11:50

1つ違いの妹が小学校5年生の時に初めて料理をした時の話。
確かナポリタンスパゲティーだったけど、すっごくしょっぱかった。
俺はとてもじゃないが食えないみたいな顔をして、横で食ってた
親父を見てた。親父はうまい、うまいって言いながら食ってた。

最後に妹が自分で食べた時、思わず大泣きしてしまった。なんで
こんなにしょっぱくてまずいのに、言ってくれないのって。
俺は自分がどっちにすべきか当時は分からなかった。嘘をつくのか
気を遣うのか。

今はもう結婚して元気にしている(と思う)妹の最初の料理。
あの味と涙を知っているのは家族だけ。だんなは知らないと思うと
少し得意になってしまう。


778 名前: 771 投稿日: 2000/06/09(金) 12:12
ごごご、ごめんなさい。
なんか思い出に残る食べ物、っていうスレッドの主旨から外れてるかも?
って書き込んだあと思いました。
もうちょっと文章うまいといいんだけど〜。
ただ、なにげない毎日の食事でも、ひとつひとつが大切で、
おかわり2杯した妹の朝食が、家族にとって嬉しい思い出のひとつになってる
ってことが書きたかったのでした。
不快に思った方、ごめんなさい。
このスレッドすごく好きだから、わたしの話は飛ばして、どうか長続き
してくれるように願ってます。


779 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 12:27
だから、
妹にあてた文章にしなければいいわけよ。
エピソード自体はいい話なんだからさ。
妹にあてた文にすると、じゃあ本人に言えばいいじゃん?
ってことになるじゃん。それは極私的なことになっちゃうから
他人には文句もつけられない領域になってしまうのよ。
家族がかけがえのないのはわかるけど、それは逆に言うと
家族でない者にとっては他人でしかないんだから
それに読んでもらうためには、たかだかこういうスレッドでも
読み手の気持ちや普遍性やらを考えた方がよくって、
結果的にはみんな幸せになれるのよ。
つまり、子供の描いた絵の方が下手に描く技術を覚えた中学生あたりの
絵よりもすなおに人の心をうつようなもので。

このレスも余計ちえば余計だけど、771さんが文章うまくなりたいのなら
と思ってあえてレスつけました。くりかえしになるけど、
エピソード自体は悪いわけじゃないと思う。


780 名前: 771 投稿日: 2000/06/09(金) 13:59
>779さん
ありがとうございます。
顔が見えない、声が聞こえないからこそ、みんなにわかってもらえるように
心をくだかなくちゃっていい勉強になりましたです。m(_ _)m
これから精進していきます!(余計レスごめんなさい)


781 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 15:11
このスレッド、読みづらい。
何考えてるんだ。>779

良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
厨房でなくても、馬鹿かと思う。



782 名前: >781 投稿日: 2000/06/09(金) 16:00
>良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
マジネタと思ってる厨房発見!
泣かせだろ?(ワラ

>厨房でなくても、馬鹿かと思う。
オマエモナー


783 名前: 小6の時 投稿日: 2000/06/09(金) 16:11
 近所のおばさんや同年代の子たちと天理教のおぢばがえりに行った帰り、
途中の天理教支部でラムネを振舞われ、喉の渇いていた私はそれを
一気に飲んだが、急ぎすぎてかなりの量のラムネが喉に詰まった。
食道に多量の液体がつかえる圧迫感と炭酸の強い刺激が合わさって、
たった10秒ぐらいではあったが、地獄のような思いをした。それ以来、
炭酸系を飲む時は必要以上に慎重に飲むようになった。


784 名前: >783 投稿日: 2000/06/09(金) 16:26
池田○作の呪いです。


785 名前: ちょっとかなしい 投稿日: 2000/06/09(金) 16:32
ここ、すっごくいいのに、最近、余計なことを書く人が多すぎる。
そういうの、やめませんか?
それぞれが自分の思い出を書きこんで、それを読んでそれぞれが感じれば
いいんじゃないでしょうか。こんなことを書くこと自体、気がひけたけど、
せっかくいいスレッドなので、このまま続いてほしいと思って書きました。


786 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 16:33
何年か前、尊師がやっておられた安かろううまかろう亭の
味がわすれられません。


787 名前: >786 投稿日: 2000/06/09(金) 16:47
阿羅漢のお好み焼き・・・
尊師にももう一度食べていただきたいです。


788 名前: ラーメン 投稿日: 2000/06/09(金) 17:04
ここ 凄くいいですね。
つまらん話ですが、わしも寄稿させてください。

中学生の時のことです。
その日の晩御飯にと、母がインスタントラーメンを茹でていました。
ふと見ると、日○やきそばの袋もそこに・・・。
わし「なにこれ? まぜたの?」
母親「うん ちょっと足りなかったから。 茹でちゃえば一緒でしょ?」
当時、中学生2人と小学生1人の育ち盛りの子供をかかえた母は、いらん
気をまわして麺を増量してくれたのでした。
それだけなら「まぁ下触りとかが違うだけだろう」と我慢できたのですが。
なんと母は、袋麺に同封の“焼きそばソース”を、スープに混ぜてしまった
のです。 とたんに台所中に立ち上る、あの独特の香り・・・。
生まれて初めて、母に向かって暴言を吐きました。
「なにしとるんじゃあ! おまえアホかぁ!」 って。
母親 ビックリした顔でしばし沈黙。 そして、泣いちゃいました。
その後、気まずい雰囲気の中で食べた、あのラーメンの情けない味。
忘れられませんね。 忘れたいんだけど・・・。 (^^;)ゞ
かあちゃん あの時は怒鳴ってゴメンね。


789 名前: すみません 投稿日: 2000/06/09(金) 17:05
本文8行目 「舌触り」の誤りです。


790 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/09(金) 18:47
>786
「はるまげ丼」が印象に残ってます。
春巻きを見るたびに思い出します。


791 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 19:36
煽りは無視


792 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 00:26
大学時代、俺も彼女も自宅通学だったので、
エッチの時はラブホテルを使っていた。
そのホテルは、昼間はデイサービスで4,500円払えば、
夕方まで居座ることが出来た。
俺と彼女は朝の8時に、ホテル近くのコンビニで食糧を買い込み、
それをホテルに持ち込んでいた。

食べて、エッチ、寝て、起きて、またエッチ、食べる。
この繰り返し。
食欲と性欲、そして睡眠欲。
人間の三大欲望を、一度に満たしていたわけだ。

裸のまま、二人でむさぼり食っていた冷めたハンバーガー。
炭酸の抜けたコーラ。

彼女は今、どうしているだろう。



793 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 07:10
ケチつける書込み見ると
書いた方はもちろん、文章に登場する方達がもっと悲しい思いされるようで
なんかすごくつらいです(亡くなった方であればなおさら)


794 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 09:31
>729さん  なんかいいです。若くって。彼女とは別れちゃったんですね。


795 名前: 天才厨房 投稿日: 2000/06/10(土) 10:32
>ここのスレ長いよー。読むの面倒だよー・・・って奴らへ

俺様がランダムに選んでおいたから読め。そんでもって泣け。
>>21 てんぷら >> 34カールとさつまいも
>>49 乾パン >>164 ご飯ですよ
>>167 スイカジュース >>176 パイナップル缶詰
>>252 ハンバーグ(前編) >>253 ハンバーグ(後編)
>>313 から揚げの絵 >>537 おにぎり
>>628 ソーセージ >>707 万引き

泣いたか?だったら笑え。
>>381 と >>388 ケンタッキーと厨子王
>>401-402 うなぎと厨房
>>454-456 と >>460 弁当ラプソディ
>>461 ごはんですよ!

どうだ?こんなにいいレスが他にもいくつもあるんだぜ?
だから四の五の言わずに全部読め。会社で読んでる奴は早引け。
一日かけて読んでオモシロカナシズムに浸れ。じゃあな。


796 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 10:40
大学に入って、可愛い女の先輩にコロッと騙されて参加した
統一協会のセミナー・・
ビデオセンターに監禁され、朝の8時から夜のの1時まで説教と
洗脳と訪問販売に明け暮れる毎日。
セミナー中、逃亡されないようにと協会が差し入れてくるのは
サンドイッチとクラッカー。
忌まわしい記憶と一緒に封印されたその味ももぅ思い出せないなぁ・・
僕は学校を中退して逃げ帰ったけどあの先輩はどうなったのかなぁ・・
そういやあの支部から人死にが出たって聞いたけど、
彼女じゃないだろうなぁ・・ もしそうだったらもったいないなぁ・・
逃げる前に置きみやげ代わりに食っちゃっておけばよかったよなぁ・・・・


797 名前: >788 投稿日: 2000/06/10(土) 11:42
かわいいお母さんじゃないか! ソース入りラーメンはちょっと
遠慮するけど。


798 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/10(土) 12:14
>795
 750が泣いてるぞ。


799 名前: >777 投稿日: 2000/06/10(土) 12:29
こんにちは。私にも同じような経験が、、、(^^;もっとも作ったのは私自身ですが、、、

二十歳の頃、何を思ったのか、私はミートソース・スパゲッティを手作りしようと思い立ちました。
煮こみ用のトマトを探し、最初から作ったのですが、当時はスパゲッティなどというのは外食で食べるもの、
パスタ自体も茹でたことがありません、で、、、塩を入れるのも知らなかった私でした。
おかげでできたスパゲッティはしょっぱくて(;;、、、母と妹は「しょっぱすぎる」と一言、、、
私もそう思ったけど、苦労して作ったものを否定されたようで、なんだかむかつき、
怒りとみじめさで。涙が出ました。

翌日、残っているミートソースをみたら、ますますむかついて、
全て、自分で食べてしまいました(^^;
あとで妹に「なんだ、食べちゃったの?今朝食べようと思っていたのに、、、」といわれ、
それまでのつっぱっていたような気持ちが、やけにふにゃふにゃとして、また泣けてきたのを思い出します。

ここを読んでいて、自分にも「食の思い出」があってよかったな、というだけのことですが、、、
駄文、ごめんなさい。


800 名前: 思い出に残す食事 投稿日: 2000/06/10(土) 14:13
毎日仕事が忙しい。両親と同居だが、朝食も夕食も俺だけ別に食べてる。
土日も遊びに行っちゃったり、ごはんより睡眠を優先したりして、
あまり一緒に食べていない。
今日の昼飯は、久々に3人で食卓を囲んだ。
メニューはごくごく普通の、母親の料理。しょうが焼きとか味噌汁とか。
ちょうどテレビでは「伝説の寿司屋」みたいな番組をやっていて、
すごいマグロやイクラが次々と映って「おいしそう。でも高いわねー」
「近所の魚屋のと、ほんとにそんなに違うのか?がははは」
なんて、たわいもない会話をしながら食べた。
でも、俺は「今のこの昼飯のほうがうまいや」と思いながら、
もりもり食べた。
いつか、この平凡な風景も、思い出になっていくのかな、と思いながら。

両親はまだ「伝説の寿司屋」を見てる。たまには親孝行でもするかな。


801 名前: >800 投稿日: 2000/06/10(土) 15:10
さっぱりとしていて、かつじーんとくる話ですな。


802 名前: 冷凍ミカン 投稿日: 2000/06/10(土) 23:16
小学校一年生の時の事。
はじめての授業参観日で、親達は4限の授業、引き続き給食と帰りの会の様子を
後ろの方に並んで見た後、子供と一緒に帰るというスケジュールになっていた。

その日の給食にデザートとして出たのが冷凍みかんだった。
私は初めて見たそれを喜んで全部食べ、その後母と一緒に帰った。
が、その帰り道、まわりに同級生とその親達を見かけなくなったあたりで、
それまでいつも通りの表情だった母がいきなり般若の顔で私を見下ろした。

「なんでアンタはミカン、一人で全部食べてるのよ!」

いきなり何を怒鳴られたのか理解できず、固まった私に母が続けて言う。
「他の子は皆、ミカン食べずにお母さんに、って持って帰ってたのに!
ホントに思いやりのない!どうしてアンタはそう気がきかないの!」

私は固まったまま慌てた。
私はミカンを見た瞬間から「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」
の3つしか考えていなかったし、他の子が本当に皆食べずにお母さんの所に持っていっていたのか、
全く見てもいなかったのだ。
…今にして思えば、クラスのほんの数人がそうしていたのを、母が拡大していったのかもしれない。
しかしその頃の私は姉とは年が15も離れた末っ子の上、肥満児で、やることなすことトロく、
周りから始終みそっかす扱いされて馬鹿にされていたので、母の怒鳴る声にとにかく
又自分は失敗したのだ、とまだ不機嫌な声で怒っている母の横をしょんぼり並んで帰った。

母は私が成人する前に亡くなったが、今でもみかんを見ると時々この事を思い出す。
それが懐かしさの感情と共であるならいいのだが、どうしても怒りが先に湧いて出る。

「好意は人に強制するものじゃないだろよ。まして大人が子供によ」

私はまだ、大人になっていないようだ。


803 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/11(日) 00:08
802さんの「給食」の話で今思い出したこと。
小学校に入ってばかりで、まだ給食が始まって間もない頃。
その日の献立の中に、ゆで卵があった。
すると、ある女の子がツカツカと担任のところへ行き、一言。
「先生、たまごどうやって食べるんですか?」
…なんでも、彼女はたまごの殻はいつも親OR婆ちゃんに剥いてもらっていたらしい。
当然のごとく彼女はみんなから冷やかされた。(しかも後々まで)

甘やかされると、結局恥をかくことになるんだなあって思ったもんだ。


804 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 03:16
>>795
あんたのせいで一日中このスレッド読んでいたよ・・・・
でも、ありがとう。グスッ。


805 名前: ケフモナキヌル 投稿日: 2000/06/12(月) 10:57
ぁぁぁ


806 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 11:26
こんなとこに書き込んでいる暇があったら、
親孝行せい。「しようかな」「しようと思う」
なんぞと他人に書く前に実行じゃ。
せめて電話でもしたり。離れて住んでいる人はの。


807 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 13:53
もうすぐ父の日だしね。


808 名前: >806 投稿日: 2000/06/12(月) 17:37
確かにその通りだね。だけどここを読まなかったら
連休家にも帰らなかっただろうし、親孝行もしなかったと思う。

俺はここ読んで良かったと思ってるよ



809 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 19:01
小学生の時からの友達だった、Jちゃん。
明るくってやさしくって、本当にステキな子だった。
そんな彼女が突然、入院し、その数ヶ月後、帰らぬ人となった。
彼女が亡くなって1ヶ月後、仲の良かった友達数人と、
彼女のうちへお邪魔して、憔悴しきった彼女のご両親と
何時間も彼女の話をした。泣いたり笑ったりしながら…。
そんな時でも、人間、お腹がすくんですね…。
そんな私達の空腹を見越したように、テーブルの上に並べられた
ワンタンメンと餃子。「もう、失礼しますから…」というと、
彼女のお母さんが“あの子の好物だったんです。食べていってください…”
とおっしゃった。
みんなで黙々と食べた。
食べていたら、彼女がすぐ隣で一緒に食べているような感じがした。
暖かいラーメンと餃子を口いっぱいにほお張りながら、悲しくて、寂しくて、
でも、暖かくて、涙が止まらなくなった。
いつもは少食でラーメン一杯を全部食べられなかった私だけど、
これはどうしても残しちゃいけない気がして、がんばって全部食べた。

ずっと忘れていた思い。ここにきて思い出しました。


810 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 00:35
くすん・・・。
味覚って偉大だなあ。


811 名前: 最後の晩餐 投稿日: 2000/06/13(火) 02:30
このたび、晴れて離婚が成立しました。

欠点ばかりでもないのですが、それは寛容なひとならそう言うでしょって
トコで、まあ最低な人でした。
結婚していた殆どの期間は口論が絶えませんでした。

家に帰ってこない人でしたが、
最後に帰宅して、一緒に遅い夕食を食べました。
わたしは、例によって喧嘩しながらの夕食で、味がわからなかった。
向こうが言いました。
「こんなに喧嘩しながらでも、オマエのメシはいつでもうまい」

なにを作ったのか、覚えていません。
向こうの母親は、料理らしい料理はしないひとでした。
そのうえ、いつも不満がましくて、文句を聞かされながらの食事だったそうです。
彼が、少しかわいそうだとあとで思いました。

いま、ひとりで暮らしているわたしは、料理らしい料理はしません。
彼とは、会いたいとも思えません。
愛情もなく、冷え切った家庭でも
少しでもおいしいものをって思って作っていたのだなあと不思議な気持ちです。

好きなひとができたら、
とびきりおいしいものをご馳走したいです。
おいしいって褒めてほしいなあと思います。



812 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 07:46
大学院時代、指導教授と喧嘩別れして、私は教授の進める大学とは
別の大学の非常勤に勤務した。それ以来約10年、退官されたこともあり
その教授とは音信不通状態。今年の1月、突然連絡があり自宅に呼ばれて
食事をすることになった。私のためにとワインを4本も用意してくれていた。
自分も家族もアルコールはダメなので、兎に角揃えるだけ揃えたという。
珍しく先生もグラス一杯だけワインを飲んでいた。初めてみた。
私の助教授就任の祝いの言葉。その後、これまでの私の研究へ先生なりの
アドバイス。が、アルコールの勢いとこれまで先生の力を借りずに上り詰めた
自分自身への自尊心もあり、再び研究の方向性で口論となった。
やっぱり、お互いに合わないのだな思った。
で、先生は4月にガンで亡くなられた。
先生なりの最後の指導だったのかと思う。
あの日のワインの銘柄をどうしても思いだしたい。



813 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 10:12
高校生だったころ昼食を一緒に食べていた中の1人が、食事の後たいてい
「美味しかった。幸せー」
と言っていました。
あれからもう何年も過ぎ、最近あの言葉を思います。

食べて、美味しいと感じることって幸せ。


814 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 20:04
大学に通うため、地方から上京して2日目のこと、
近所のスーパーに買い物をしに行った。
自分は男ながら、料理には自信があったし、実家での買い物もよく行って
いたので、あれは安い、あれは高いってぶつくさ文句を言いながら、
買い物をしていた。
そして帰宅して、これ美味そうだなって買った牛か豚の「もつ」(味つけなし)を
早速、炒めはじめた。
そして夢中になって、お酒やみりん、しょうゆを使って調理したのだけど、
途中でとても臭くなってきて、耐えきれなくなくなり、捨ててしまった。
そして、何も作る気がしなくなり、そのまま寝てしまった。
その時、とても心細くなり、涙が出そうになった。
そしてその「もつ」の匂いは3〜4日、台所から消えることはなかった。
それ以来、こてっちゃんすら見るのもイヤになった。



815 名前: ゆゆ 投稿日: 2000/06/14(水) 02:09
母子家庭の我が家では、母が家族の役割を色々していた。
おやつの時間は、片手にジャムパン、片手にクリームパンと
私が、がっついていると、右手のパンを頬張っている間に、
母は私の空いた手のパンに喰らいつき、子供の頃よく
そうやっておやつを取られた。まるで兄弟のように……。好きなモノを
最後にとっておく私に「そんなコトしてると食べられちゃうんだよ」と言って、
彼女が言うには世間の厳しさを教えていたんだとか。

高校生の時、500ml紙パックのジュースを飲んでいる私に
いつものように「それ飲ませて」と言い、いつも横取りされて
ウンザリしていた私が遂にキレて「横取りされるくらいなら捨てちゃる!」と
流しにジュースを捨ててしまった。ものすごく下らないケンカ。
そのあと母にボコボコに殴られた。食べ物のコトでなんか
できればケンカしたくないのに、唯一思い出に残る食べ物の恨みを
晴らしたケンカの思い出。


816 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 18:31
ageときまぁす。


817 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 00:05
今週の日曜日。「父の日」に中学一年の娘が夕食を作ってくれるそうです。
いつのまにか大きくなって、父親を敬遠しはじめ、すこし寂しく思っていたので
とても感激しています(娘には言ってないけど)

あとが高くつきそうだ(わら


818 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 00:32
前にもかきました。でも、今度もまた
その彼のことだけど、このごろあっというまにケンカばかりで
別れちゃいそう。だから、匿名にします。

おととしのクリスマスに、私はサンタさん(彼氏じゃありません、なぜか
サンタさんからの手紙の筆跡は彼にそっくりだけど)に「お菓子が
いっぱいつま先まではいったブーツが欲しい」とお願いしました。
よく売ってるブーツって、足首あたりまでしかお菓子が入ってない
でしょう?それがハタチにもなった私は不満でして、「ブーツを
サンタさんが買って、ちょっとお菓子を追加して」って
お願いしたんです。
クリスマスに、彼が「いま、玄関にサンタさんがきてたよ」って
言ってくれたサンタさんプレゼントは、50cmくらいの
大きな布の袋(私の好きなお店で売ってる)にいっぱいに
私の好きなお菓子がつまってるものでした。ちょっと希望とは
違うけど、中に近所では売ってない私の大好物が入っていて
サンタさんは、わざわざ買いに行ってくれたんだと思ったら
うれしかったし、そんなにしなくていいのにな、って思った。
こんなにいい人なのに、どうして別れちゃうのかなぁ、なんて
思いながら、これを書いています。



819 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 02:26
中学の時、母が働いていたのでお昼はコンビニで買ってました。
小遣いを貰ってなかったのですが、昼食代として貰ってた残りが財布に
あったんです。だからそのまま学校行ったら、昼休みに校内放送で事務室
に呼び出しされて。何かと思ったらモスバーガーの袋が学校に届いてて。
母からだと聞いて、なぜ急にこんな事を…と首を傾げながら教室に戻り
ました。いつも家で食べる時より内容がゴージャスで(笑)、食べ切る
のに苦労して、また友達にも奇妙な恥ずかしさがありました。
帰って母にびっくりしたよと言ったら、お金を持っていかなかったから
一人だけ昼食を食べられないのかもしれないと思って、と言われました。
またみんなに恥ずかしくないように、中身の方も多めにしたとのこと。
その時は、お金持ってたのにー!と答えましたが、今考えると母の気遣い
に涙出そうです。お母さん、仕事で疲れてるのにつっけんどんな態度
取ってごめんなさい。土下座したい…


820 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 09:46
彼に大根の煮物を作ってあげた時、
「めんとり」に気付いてくれてうれしかった。
手間かけた甲斐があったなぁと・・・。


821 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 17:33
子どもの頃のお弁当の定番として、のり弁っていうのがありますよね。
普通ののり弁は、ご飯の上にべたーっとのりが張りついてるんですが、
うちのは違うんです。ご飯とご飯の間にだけ、のりが入っているんです。
つまり、ご飯でのりをサンドした状態。でも、みんなと違うのり弁なので、
“うえに、のりの乗っているのが食べたい!”ってわがまま言って、
作ってもらったことがあります。でも、それだと、お弁当のフタにのりがくっついて、
汚くなっちゃうんですよね。
それに、周りを見てみると、一枚ののりがご飯の上にべたっと張りついているだけなんですよ。
よくみてみたら、私のは違ってた。
ちょっとづつちぎったのりが、張り合わされているんです。だから、ご飯を食べたとき、
のりが全部、べろっとはがれたりしないで、最後までおいしいのり弁だったんですね。
お母さんのそんな細やかな心配りを少しでも見習えたら…と思っています。


822 名前: 投稿日: 2000/06/16(金) 10:28
>821
うちは、のり、ごはん、のり、ごはんと
何層かになってました。
”のりだんだん”って呼んでましたよ。



823 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 11:11
>821
うちでは、その変形で「カレーだんだん」を作ってました。
夕飯がカレーの日は次の日が楽しみだったなぁ。



824 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 11:22
>821
うちは、ご飯、みそ卵、ご飯、鶏そぼろ、ご飯、海苔だった。
しゃけフレークバージョンもあったなあ。
お母さんに感謝ですね。(^-^)


825 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 11:24
>821
アンナが学生時代に梅宮辰夫がお弁当を作ってあげていた
らしいのですが、たっちゃんも「のりだんだん」式だったそうです。
821さんのお母さんのように、海苔をちぎってあったそうですよ。
我が家では、「ごはん・おかか・のり」の二層式になってました。


826 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 21:26
あげざるをえない


827 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 00:12
ウチも[のりだんだん]って呼んでました。
その変形バージョンで‘にくだんだん’
豚ロースの生姜焼きか味噌焼きを一口大にしてゴハン→お肉→ゴハン
と重ねて行く。一番上だけ海苔。
中学生の頃、もりもり食べてました。
今でも時々、すごくハラヘリモードになると
ママ製にくだんだんが食べたいな、って思うことがある。




828 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 12:07
ここも、sakiだけど、移転に伴って、
過去ログ消えてしまうんでしょうか?




829 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 16:24
弁当で思い出したんですけど家のはいつもおかずが隠されていました。
食べてるうちに出てくるのです。
ご飯の下の方から鮭とかから揚げやデザートのチェリーが・・・


830 名前: >829 投稿日: 2000/06/17(土) 17:11
ご飯の中からチェリーですか!?
茶目っ気のあるお母さんですね(^-^)


831 名前: 829 投稿日: 2000/06/17(土) 17:28
>830さん
茶目っ気というか本人マジだった様子です。

小学校6年のときにピクニックがあって先生に大きいオニギリを持ってくるように
言われました。みんな15cm以内ぐらいのオニギリを持ってきていました。
私のオニギリは直径20cm厚さ10センチの具の無いオニギリでした。
担任の先生に写真をとられました。
塩ぐらいは振って欲しかったなぁ。
こんな話いっぱいあります。


832 名前: 笑える食べ物 投稿日: 2000/06/17(土) 18:06
 高校生の頃、学校にも行かないでどれだけ起きていられるかという無謀なことを
試した。眠気を誘わないように腹二分目程度の食事をとりつつ三日目。もう駄目だ、
死ぬ、と思い、コンビニへ出かけた。コンビニの前でやばそうな奴等がたむろして
いて、あーからまれるとやだなーと思っていたのだが、足がふらつき、そいつらが
作っている円の中心に倒れ込んでしまった。俺はやばいなあと思ったが、そいつら
はあまり気にしていないようだった。それどころか狂ったように笑っている奴がい
た。あきらかに何かの薬物によるモノと思われたが、よく見てみると小学校の時の
クラスメート。
「ジンちゃん何してんの?!」「うひゃ、うひゃ、お前こそ」
「俺は飯買いに来た」「飯?飯?腹減ってるの?おれんちくる?」
「何か食わせてくれんの?」「すっごいもんあるよお」
「薬とかゴメンだよ」「うひゃ、うひゃ、うひゃ」
そいつのうちに行って出てきたのがみそ汁と白いご飯。あまり旨いという
ほどの、いやむしろまずかったのだが、みそ汁には訳三グラムのMMが入
っていた。
 今でもキノコが入ったみそ汁を見ると、筋肉の緩みきったジンちゃんの
顔を思い出して吹き出してしまう。



833 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 18:39
最近ほのぼのした思い出ばなしが多くてのほほんと読めます。


834 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 18:43
やっぱ人が死ぬ話は、ねえ。


835 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 02:21
小学校の3〜4年生のころです。
父が家を出てしまい、母の実家で暮らしていたのですが
父の作った借金の返済もあり、(子供ながらうすうす気がついていました)
極貧とまでは行かないまでも、かなり劣悪な経済状況だったと思います。

そんなある日の夕食。
いつもは、野菜の煮物や漬物などの質素な献立が並んでいるだけなのに
私と妹の席に、「お子様ランチ」様のかわいく盛り付けられた皿が置いてありました。
ハンバーグに付け合せの野菜、型抜きしたご飯には旗まで立っていました。
2つ下の妹は、「食堂みたいや〜〜!!」とおおはしゃぎ。
しかし、私は箸をつけることができませんでした。
「サラ金地獄で一家心中」などのニュースが毎日のようにTVで流れていた時代です。
・・・このお子様ランチを食べたら私ら、死ぬねんな・・・・
最後のご馳走を、母が用意したのだと思うと
怖くて、かなしくて、涙がぽろぽろこぼれました。

結局、その日の夕食をどうしたのかは記憶の外です。
あの、お子様ランチは単なる母の気まぐれだったのでしょう。
(母なりに、私達を喜ばそうとして作ってくれたのでしょうね。)
でも、いまだにお子様ランチを見ると胸が痛みます。
今は1児の母ですが、娘にはあんな思いをさせたくないと
心の底から思っています。





名前: E-mail(省略可)