クマラのファイル集    13

  バナナの経済学

世代によっては違うでしょうが、子供のころ、バナナは高級果物であった。とても1房を手にすることは無かったし、病気か葬式でもない限りそのチャンスは訪れなかった。現在でもどこかにその意識があるのか、バナナの大きな房を見ると、心の中で「すごい」と思ってしまう。しかし、その値段を聞いて、あまりの安さにまたまたビックリ!そんなことは一度だけでなく何回も。その都度何か非常に得をしたような気分になれるのもまたうれしい。大きな房には何本のバナナがあるのだろう、1本いくらなんだろう。

インドネシアでは街中を別として、いたるところにバナナを見かけます。聞くところによると植えてから6ヶ月もすればバナナができるとか。インドネシアのバナナは水分が少ない分甘味が強い。ただ日本で見るような絵から抜け出たような、少し緑が残っていて、すべすべした肌のバナナはとんとみかけない。黄色と言うより、茶色がかったものから黒い斑点のあるものが多い。まがったキウリが売れない日本ではインドネシアのバナナは売れないだろう。

最近ゴルフ場の美しさが自然ではなく、人工の自然であり、それを維持するために多量の除草剤をはじめとする農薬が撒かれているという。どうも日本で食べているバナナもゴルフ場に見えてくる。果物の多くは木で十分に熟させると美味しいといわれるが、日本の場合何日もかかって輸入されるわけだから、青いうちに収穫して、輸送中に色ませると聞くが、これはインドネシアでも同じ。あまり木で熟させると、皮が裂けて虫がきたり、食べられてしまうからで、適当なときに収穫して追熟させるようです。インドネシアの市場では黄色よりも緑のバナナをよく見かけるのはこのためだ。

消費者サイドで考えれば、美味しくて、安くて、見栄えがよければ言うこと無し。生産者サイドで考えれば、どうすれば美味しくて、きれいなバナナを作って、たくさんの収入が得られるだろうか。ただバナナは輸入品ですから当然多くの中間業者が介在します。中間業者も考えることは同じ、どうしたら収入が増えるか。それには

@良いバナナを生産者から安く買う。

A輸送中の荷痛みをいかにして防ぐか

Bいかに高値で売るか

だと思います。

Bに関しては日本で他の果物の出回りが少ない時期が良いようです。そして消費を伸ばす。Aに関しては採れたてを飛行機で持ってくればいいのですが、輸送代が高くなりすぎます。しかし、最近では冷蔵船で日本までは約5日だそうです。刈り取られたバナナは重量、サイズ、熟度、形状、虫害の有無のチェックされ、傷がつかないようクッション付きのトレーラーで作業場まで運ばれる。実の損傷を防ぐため、房ごと洗浄、選別が行われ、最後に12.5kgずつビニール袋に入れられ、日本から輸送された段ボール箱に詰められる。トラック積みされたカートンが会社ごとの専用埠頭に運ばれて、冷蔵船に積まれる。船倉内の温度は13.5℃に調整されている。

問題は@なのです。生産者はおいしいバナナを作ればいいのだが。

1690年アメリカ東岸のマサチューセッツ州にパナマから帆前船が少量のバナナを運んできた。このとき人々はこの見知らぬ果物を豚肉と一緒に煮て、そのまずさに愛想をつかしてしまったのだが、バナナが生食用として温帯地方に初めて登場したのはアメリカ南部であった。一般の荷物に混じって、カリブ海の島から運んでいたのだが、本格的に輸入し始めたのは1864年フランクという船乗りで、パナマからニューヨークに運んだ。彼の仕事は炊事を担当する司厨長で、船員の食料を購入するとき、内職にバナナを買い込み、船の隅のほうに仕舞い込んで運搬した。内職は当たり、注文や予約が舞い込み、ついには船を降りてバナナ輸入に専念することになった。これより少し送れること1870年ジャマイカより竹を積み込んで帰る際、波止場に積んであったバナナに気が付き、試みに青いバナナを積みこんだ。船は11日後にジャージー市に入港、ほどよく色づいたバナナは大いに人気をはくした。船長のベーカーはこの後、いつもバナナを余計に積み込むことにした。この船長、後にジャマイカへ移り、バナナの購入と積み出しにあたることになった。この人はバナナ産業の開拓者でもあるユナイテッド・フルーツの創立者の一人です。チキータというブランドのバナナ会社です。この他にはデルモンテ、ドール、バナンボがあります。ということは、バナナは大きな会社の作物で、いわゆるプランテーションなのです。儲かる話にはだれもが参入してきます。資本主義にのっとり、バナナも例外ではありません。バナナ会社も生き残りをかけ、自らバナナ農園を経営するに至ったのもそれなりの理由があります。広い地域に散らばっている農民たちからバナナを買い集めるのは大変手間のかかることだったし、農民からバナナを買っていると、船積みにちょうど間に合わなかったり、品質もそろわないという欠点があったからです。

バナナのプランテーションは何千、何万ヘクタールという広大な面積を持ち、多数の労働者を雇い、これを指導管理するための技術者や事務員が配置される。プランテーションには試験場、機会置き場、車両倉庫、材料倉庫、加工向上などの生産に関するものはもちろんのこと、労働者や職員の住宅、売店、 レクレーション施設などの居住設備もそろっていて、工場組織のような規律と能率が持ち込まれ、工場どころか、中には一つの街といってよいほどのものもある。バナナ畑にはスプリンクラーが水をまき、排水溝が縦横に掘られ、その間を輸送用のレールやケーブルがはりめぐらされている。農薬散布用の飛行場もあり、学校や教会もある。上下水道、電気、電話も直営です。これは中南米のプランテーションでのこと。

日本では、以前バナナといえば台湾バナナであった。明治30年ごろから市場に出回るようになった。戦前の台湾との関係から本土への移入が始まった。台湾でも最初は台北近辺だけであったが、移出が増えるにつれ、鉄道が南へ延長されるにつれ、南部に移っていった。バナナは気温似よって、生育が大きく左右され、台北では18ヶ月、台中では12ヶ月、高雄では10ヶ月で収穫できる。しかし台風により生産にムラが多くほとんとが個人の栽培農家だから品質も統一されなかった。

1970年〜73年は台湾の台風被害があってエクアドルが、そして1973年には品質にムラのないフィリピン産がトップに。70年には日本市場6.5%だったのが81年にはなんと市場の91%を席巻するにいたった。実は日本市場向け専用農園がフィリピン南部のミンダナオ島に開発されたからだ。開発が始まったのは1960年。

日本のバナナの歴史には台湾バナナがあり、日本から遠く離れた中南米ではプランテーションの発展があり、日本のバナナの消費がある。そこで安く美味しいバナナを提供しようとするのは当然のこと。ミンダナオ島は台風の進路から外れていて、気温、降水量に恵まれている。輸送に適した専用埠頭が設置できる。地質、土壌が適している。そして、広大な土地を入手できる。フィリピンバナナの登場です。

今日我々はフィリピンバナナを食べている。これを作っているのはフィリピン労働者で、日本での消費が増えれば、労働者の生活も向上してくるわけ。

フィリピンでバナナ農場を支配するのはアメリカ資本が3社、日本資本が1社の計4社です。フィリピンの輸出バナナ産業にはこの4つの企業があり、4つの生産単位がある。1つは外国企業4社の直営農場。次はフィリピン地主や地場資本の農場、第3は直営農場と契約してバナナを栽培、納入している自営農家(契約農家)そして最後に各農園で働く労働者である。

「バナナと日本人----フィリピン農園と食卓のあいだ」 鶴見良行著 岩波新書。

この本には、何気ないバナナのその裏側が書かれています。たとえば

1.自らは食べない作物を栽培。  ミンダナオ島ではキャンベンディッシュという種類のバナナを栽培、労働者自身、よほどのことがない限りこれを食べない。口に合わないからでもあるが、

2.バナナを低コストで    働き手は地主、自営農家、農業労働者、囚人、子供、誰でもよかった。要は規格にあった、日本人の口に入れるバナナを低コストで栽培することである。

3.農家の借金は膨らむ一方。   市場原理が働かず、月収の95%を引かれて。

4.買う自由。   日本人の果物の痛みに敏感で、黒いしみの無いバナナを好むというので、箱詰め作業や輸送は極めて慎重に行われる。箱詰め労働の多くは若い女たちで、傷をつけるといけないので、爪は短く切らされている。

5.農薬が空中散布されて。    労働者の間に最も多い病気は風邪から肺結核に至る呼吸器系のものだ。次に多いのがアレルギー疾患と皮膚炎である。

この本を読んでいると、明るいイメージのバナナがとっても暗くなってしまう。そこへいくとインドネシアのバナナはくったくなく、明るく、甘い。フィリピンのバナナを食べてインドネシアの、のんびりとした心地よい風景を思い出していたのは間違いだったようだ。バナナにトロピカルを求めるときは、インドネシアへ行って食べたほうがよさそうだ。ただし、インドネシアにも諸問題が隠されているかもしれないが。

日本に着いて、港の保税倉庫で半日ほど殺虫のため薫蒸を受けたバナナは、早ければ翌日にも輸入問屋か加工業者に渡る。加工とは、バナナの熟成である。日本でのこの作業は、むろと呼ばれる部屋で暖めたり、冷やしたりして5日ほどかかる。日本までの輸送期間はふつうエクアドルが20日、フィリピンが5日、台湾が4日かかる。バナナの熟成には、暖めるのと冷やすのと両方の作業が要る。大まかに言えば、最初は暖め次ぎは冷やす。最近ではカートン箱に入れたまま暖めて冷やすという基本工程に加え、エチレンガスと湿気の注入が新たに加わっている。エチレンガスの使用でバナナの熟成度とはあまり関係無く簡単に色つけができるようになったという。そういえば、昔はカートンではなく大きな竹かごに入っていたように思う。

輸入果物故に、バナナにはまだまだ知り得ないことがいっぱい詰まっているようだ。

 

クマラのファイル集 02/09/20