「かごめ」についての考察。


 かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、何時 何時でやる。
夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。
後ろの正面、だぁれ?

 知っていますか?
そうです、子供の遊びの「かごめ」です。
最近はほとんど聞かなくなりましたが、私が幼稚園の頃にはまだお遊戯としてやっていた記憶があります。

 一人が鬼となって(この表現は、よく考えるとチョット怖いですね。)、
目隠しをして座ります。
その周りを、残りの子供達が手を繋いで取り囲み、前述の歌を歌いながら
回り、歌が終わった時点で鬼の後ろにいる子供の名前を言い、当たれば
鬼を交代する遊びです。

 幼稚園の頃に、初めて鬼をやった時「なんで後ろにいる人が判るん
だろう???」と思った事をなぜか覚えています。:笑:

 今回は、この「かごめ」を検証してみたいと思います。
ただ、別に裏付けを取った訳でもなく、なにかで調べた訳でもなく、
今まで私が耳にした事のある内容を勝手に私流に解釈しただけですので
これが正しいとか、間違っているとか言うものではありませんので、
もし、ちゃんと研究しておられる人がいらっしゃいましたらそちらの方を
信じてください。:笑い:


先ず、「かごめ、かごめ」ですが、広辞苑第4版で調べると、「篭目篭目」と出てきます。
これは竹などで編んだ籠の事と出てきました。
つまり、「籠の中の鳥」を続けると「竹などで編んだ籠で捕まえられた鳥は、
いつ出てこられるのでしょうか」となりますね。
そう言えば、昔は、籠の端につっかえ棒をして籠の下に米を撒いておいて、
鳥が米を啄みに籠の下に入ったところで、つっかえ棒を外して鳥を
捕まえたんですよね。
しかし、捕まえられた鳥が出てくると言う表現もなんか変ですよね。
出してもらえるとか、解き放たれると言うのなら話も繋がりますが・・・。

先を続けましょう。
「夜明けの晩」はと言えば、なんでしょうか?
夜明けですから朝方の夜ですか。訳が判りませんね。
ここは深く考えずに「空が白み始めた頃」と解釈しておきましょう。
もしくは、明け方に近い頃と言ったところですか?

「鶴と亀が、滑った。」
最大の難問ですねぇ。
鶴と亀、何を現しているんでしょうか?
鶴と亀、共におめでたい物ですから、それが滑る(転ぶ)、
悪い事が起こると言う事でしょうか?

「後ろの正面、誰?」
正面と言えば、通常は前を意味しますから、後ろの前に居る人はだれ?と
言う事ですか?
でも、後ろの前と言う事になると、その対象自信の事二なりませんか?
ここは遊びの形を考えて、(鬼の)後ろで、前(鬼の方)を向いて立っている
人はだれ?と解釈しておきましょう。
以上を続けると、
「竹で編んだ籠に捕まえられている鳥は、何時出てこられるのでしょうか?
空が白み始めた頃、悪い事ガ起こります。
籠の方を向いて立っているのは誰?」
・・・・・、まだ良く判りませんねぇ。
そこで、こんな仮説を立ててみましょう。
この「かごめ」がいつ頃作られたのかは判りませんが、「日本神話」などの
「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」などを見ても、魔物への人身御供が多くの書物、伝説に出てきます。
人知を超えた存在への供物の風習は現代の世界にも根付いていますね。
そこで、この「かごめ」を「人身御供」と解釈して考えてみましょう。
すると、かごめ」は当然人間となりますから「籠女(カゴメ)」と書き変える
事ができませんか?
多くの人身御供として差し出されるのが、女性であった事を考えても、
あんがい的外れではないと思います。
また、差し出された者が、逃げ出さないように籠の檻に閉じ込めておいた
とも、当然考えられなくはないですね。
「人身御供の女は、いつその檻から出られるのでしょうか。
空が白み始めた頃、悪い事が起こります。
女の後ろに居る(来た)のは誰(何者)でしょうか。」
と言う感じですか。
しかし、これでも疑問は残りませんか。
わざわざ鳥に例えて居る。
魔物への人身御供だとして、その時刻が空が白み始めた頃と言うのは
変ではないでしょうか?
通常、魔の物が最も活動を行うのは午前2時(丑の時)とされていますね。
鶴と亀が滑った、ただ単に吉凶の事なのでしょうか。
後ろの正面、籠に向いているものと言うのも・・・。
誰、人身御供すべき対象がある訳ですから、ある程度は何者なのかはわかっているのでは。
以上の事を考えると、上記の仮説のように単純に言葉からダイレクトに
考えられるものではないと思われませんか?


ここで、思い出すのが
 2、3年前に奈良のキトラ古墳で一つの発見がありました。
記憶に新しい物ですので、覚えておられる方も多いでしょう。
石室の壁に描かれた絵。
そうです「玄武」の絵です。
これは、古代中国の伝説の生物、大蛇と亀が絡みあった動物です。
この玄武は北を守護する四聖獣の一つで、西は白虎、東は青龍、そして
南は鳳凰です。
奈良の平城京、京都の平安京もこの四聖獣を考えて都造がされています。
つまりは、日本における、玄武は、亀、鳳凰(朱雀)は鶴に相当するものと
考えて良いでしょう。
だとしたら、鶴と亀は吉凶ではなく、方角を現しているのでは。
さらに、先にも述べましたように、平安京、平城京などは、これらの四聖獣、によって守られた都造りがされていると言う事です。
これはとりもなおさず、中国の風水や、陰陽五行の考えなのです。
陰陽五行では、、北は上、南は下に対応しています。
さらに、京都市(平安京)の地図を思い出して下さい。
当時の、御所は最も北にして建設されています。
その御所におられたのが天皇です。
もうお判りになっていますね。
そうです天皇とは、現世では最も神に近い存在と考えられていました。
つまり御所のある土地と言うのは神の国に最も近い場所、繋がっている場所であったのです。
そこを守護している者が転ぶ、つまり南北を守る者、天と地とを繋ぐ場所を
守っている者が転んだ
つまりは、門が開かれ(もしくは無防備状態)、通行に規制がなくなるのです。
しかし、、ここでも一般に人が死ねば天に上るといいますね。
これは良く聞く話です。
けど、反対に天から地へ、上から下へ降りてくると言うのは上るのに比べ
あまりにも少ないです。そんなにしょっちゅう神様(?)が街中を歩いて
いるのを見た事はありませんよね。
まぁ、1部の例外を除き、ほとんど一方通行と考えて良いでしょう。

 ここまで考えると、次の歌詞の「後ろの正面誰?」もなんとなく判断がつきますね。
ただし、これ一つの文として考えるとちょっと惑わされますので
二つに分けます。
「後ろの正面」と「誰?」です。
後ろの正面・・・対象物を考えなければ発声することはありませんが、これを
前述の通り道を考えた時逆になると考えてみてはどうでしょうか?
一方通行が逆の通行も可能になると言う事です。
上から下への通行が可能になる、天の神が地に下りてくる。
これに「誰?」を繋げてみると、天から地への通行が可能になった時、
降りてくる神は一体どんな神?と言うものとは考えられませんか。
「神様が降りて来るんじゃないのか?」
と考えるのは早計です。
日本と言う国は多神教です。
一般に人間の力を超えた者は全て神に属していると考えていますよね。
福の神、荒ぶる神、貧乏神と、キリスト文化圏、アラビア文化圏では悪魔と
言われる者でさえ日本では神となるのです。
そう、恵をもたらす者だけでなく、破壊、死をもたらす者も神なのです。
もっと単純に、天とは、異界、異世界を示し、そこからやって来る者はどんな者かは判らない。
恵をもたらす者なのか、災いをもたらす者なのかと言う事です。
では、こんな事をしなければならない者とは一体?・・・。
昔は、神の声を聞いてその年の作物の実りを占ったり、もっと言えば
政治すら行われていましたね。
.そう言った神の声を聞く者と言えば神官?いえいえ巫さんです。
巫さんと言えば、そう女性ですね。
実際にどんな形で神の声を聞くのかは定かではありませんが、イメージ的に
神官やそれらに類する人達が巫を囲みその中で巫の体を借りた神?が
お告げをすると言ったイメージがあります。
実際に「カゴメ」をする時の形がこれですよね。
では、「カゴメ」と言うのは「囲女」と書くと解釈できませんか?
「籠の中の鳥」?、巫の事でしょうか?
鳥?なにかこれもイメージできますよね。
お葬式の時に、よく魂を送るのに鳥(鳩)を放つのを見た事芽あります。
(一部の宗派だけなのかもしれませんが。)これが実際に魂を送るものとして
と考えるなら、ここで言う鳥を魂と考えても良いのではないでしょうか?
そう「籠の中の鳥」は巫の魂(神を迎えに行くもの)と考えれば。
さらに、このように考えるなら、先程の」カゴメ」も「囲女」ではなく「
魂(神を迎えに行くもの)を入れている女(籠としての女性)と考えると
「篭女」と言った方が適切ですね。
すると、「篭女、篭女、籠の中の鳥は、何時、何時、出やる」
は「巫よ、巫よ、あなたの魂(神を迎えに行くもの)は、何時神を迎えに
行くのですか?」と解釈できます。
では、「夜明けの晩」はと言えば、やはり明け方ですね。
ここで良く聞く言葉があります。
「逢魔が時」と言う言葉を聞かれた事芽ありますよね。
魔と会う時間、夕方の薄暗くなりはじめた時をさします。
昼間の光のある時間から、夜の闇の時間に移る時間帯です。 昔の人々にとっては闇の時間と言うのは恐怖の対象であり、夕方の時間と 言うのは闇に住む魔物が現われ始める時間だったのです。
これを考えるなら、反対に夜明けと言うのは、闇から解放される時間、
魔性の物が力を失い、光の世界となる時間だったのではないでしょうか。
また、光りの時間でもなく、闇の時間でもない時と言うのは、
混沌とした状態、最も異界とこの世界を繋ぎやすい(繋いでいる)時間帯ではないのでしょうか。
先にも述べたように、夕方の時間とは、魔と逢う時間と言われていますね、
なら明け方の時間と言うのは、魔とは反対のものがやってくる時間ではないのでしょうか。
そう言った時間に異界との連絡をとる事によって少しでも善なるもの
(当時の人の基準で)を呼び出そうとしたと考えられますね。

 これらを考えて行くと、
巫よ、いつ神を呼び寄せてくれるのか。
明け方の混沌とした時間に異界と現界が繋がり、異界からこちらへ神が来られるようになります。
しかし、その神はどのような神かは判りませんよ。

と言う事となりますね。


 さてさて、一体どうなんでしょうか?
あながち的外れでもなさそうにもおもいますし、全く見当違いを
しているような気もしますね。
まぁ、別に裏付けをとっている訳でもありませんので。

「カゴメ、カゴメ、籠の中の鳥は何時何時出やる。
夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。
後ろの正面 誰?」

あっ、振り返ってはいけませんよ。
なにかの気配を感じませんか・・・。


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