Episode.1 弱視教室って?
Episode.2 初めて見るもの・・・
Episode.3 送り迎え
Episode.4 初めてのバス通学
Episode.5 年に数回のお楽しみ会
Episode.6 先生との出会い
弱視教室って?
弱視教室は、普通校に通う弱視児が普通学級についていけるように訓練をしたりするところです。黒板の字を見るために使う単眼鏡を使う練習をしたり、小さな文字を見るためのルーペの使い方を覚えたり、弱視児が一般に苦手とすることをできるだけ効率よくできるように練習をしたりするところです。ルーペや単眼鏡は練習しなくたって使えるのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、練習することでより効率よく使えるようになるんです。まぁ、練習と言っても始めに使い方を教わってあとは自分でどんどん使っていくしかないんですけどね(笑)
その他にも弱視児が苦手としていることで普通学級では時間をかけていられない部分などの補充をしてくれます。地図をゆっくりじっくりみたり、作図も時間をかけてやってみたり・・・。普通学級ではす〜っと通り過ぎてしまうことですが、わたしたちには見えなかったり疑問が残ったりするところもあるんです。
基本的に弱視児のいる学校に設置するということになっているようですが、学区ごとに1つあって、その近くの学校に通っている弱視児もそこへ通うという形を取っている場合が多いと思います。ちょっと遠くて通いきれない子が弱視教室のあるその学校に転校したという話も聞いたことがありますが・・・。
わたしの場合は通っている小学校の隣の小学校に弱視学級が設置されていたので、そこに週1〜2回いつも通っている小学校の午後の授業(2時間ぐらい)を早退して通っていました。
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初めて見るもの・・・
弱視教室には、初めて目にするものがたくさんありました。
1つは、小学校の時のエピソードで書いた机です。リクライニング式のベッドのようにわたしの顔に机が近付いてくれる・・・。もちろん、ずっと平らで鉛筆を置いておいたりできる部分もあるんですよ? 構造は単純ですが、その机には随分お世話になりました。
2つ目は、今もいっぱいお世話になっているルーペや単眼鏡です。様々な大きさ・形・倍率のものがありました。いくつぐらいあったんでしょうね? 棚の中にしまってあったんですけど、たくさんあったことを覚えています。
そして、でこぼこ定規、でこぼこ地球儀、でこぼこ地図・・・など珍しいものがいくつもありました。でこぼこ定規は目盛りの見えにくい弱視者が使えるように目盛りの部分がmm単位まででこぼこになっているんです。でこぼこ地球儀は、普通の地球儀とは違って大陸の部分がでこぼこしていて、触ればどこの国だかわかるようになっています。それからでこぼこ地図も地球儀と同じように平面の日本地図なのですが、でこぼこしていて、普通の地図よりも優れている部部は地球儀同様土地が高い部分がより高くでこぼこしていて、低い部分はほんの少しだけ出ているというように触ると土地の高低がわかるようになっているんです。要するにでこぼこ日本地図の一番出っ張っているところは富士山があるあたりということです。
他には、拡大読書機というテレビのような形をしていてその画面に文字を大きく映すという機械です。小学校の卒業文集の作文をするときに原稿用紙のあまりの小ささで使わせていただいたのが最初で最後でした。
あとは、大きな活字の本です。とっても手作りな雰囲気で中を開くととても大きな字で文字が書いてあるので読みやすい本でした。そのときは存在すら知らなかったんですが、今思うとそれが拡大写本だったんでしょうね。
名前は知りませんが、他にもいろいろな珍しいものがたくさんありました。
弱視教室特有なものではありませんが、当たっても痛くないやわらかいボールや音の鳴るボール、カラフルな跳び箱などもありました。弱視者は一般的に遠近感覚が優れていませんし、視野の狭い子もいますから、ボールが飛んでくるのがわからないこともあるので、当たっても痛くないようにと柔らかいボールがおいてあったんでしょうね。
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送り迎え
弱視教室へは週に1〜2回通っていたと言いましたが、低学年のうちはその行き帰りを母に送り迎えをしてもらっていたんです。母も弱視で車の免許は持っていませんから、自転車の後ろに乗せてもらって2人乗り。
弱視教室に通う日のある時間にあるとわたしの小学校の裏門で自転車を止めて待っていてくれて弱視教室のあるとなりの小学校まで送っていってくれるんです。そして、授業が終わる頃になると母が迎えにきてくれてそのまま家に帰るんです。毎週、毎週・・・いいえ、毎回、毎回送り迎えしてもらったこと感謝しています。
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初めてのバス通学
中学年(3〜4年生)になると母の自転車の送り迎えではなく、自分の小学校の前にも停まるバスを利用して通級するようになりました。
そこに停まるバスは2つの行き先があり、片方の行き先は弱視教室のある小学校の前には行かないバスでした。しかも、もう1つの行き先に比べて本数が圧倒的に少ない・・・(^^;
行き先のプレートの見えないわたしは、最初はなんとなく怖くて・・・。でも、いろいろと工夫をしました。バスの時間を覚えて自分の時計を見てその時間に来るバスは目的のバスの可能性が高いですから、注意して行き先を見て・・・。行き先は見えなかったんですが、実はその2種類のバスの行き先は文字の数が違ったんです。わたしが乗りたかったバスの行き先は3文字、もう1つの行き先は4文字だったんです。だから行き先プレートがごちゃごちゃしている方ではなくてすっきりしている方に乗れば間違えないというわけです(笑)
当時は携帯なんてなかったから、初めの頃は本当に不安でした。
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年に数回のお楽しみ会
弱視教室では、年に数回お楽しみ会がありました。弱視児の見え方はそれぞれですし、見えにくい具合もそれぞれ・・・。だから、みんなで一緒に授業ということはありませんし、例えあったとしても同じ学年の子が2人に先生1人という具合でしょう。だから、弱視教室に通っている子同士の交流といえば、時間に余裕を持って通級してくるので、ほんの少しある授業までの合間か年に数回のお楽しみ会ぐらいでした。
特にわたしは同じ学校から通っている弱視の友達はいませんでしたし、同じ学年の弱視の友達もいなかったので、お楽しみ会でいろいろな弱視の子に会うのは勉強になる部分もありました。自分以外にも同じぐらいの子で見えにくいと思っている子がいるんだと・・・。
お楽しみ会の内容はというと、高学年の子が司会進行をして、歌を歌ったり、絵を書いたり、特技を披露したり・・・そのときによって様々でした。一番印象に残っているのは盲導犬を連れた女性をお招きしてピアノ演奏を聴かせていただいたことです。
その日は保護者も同伴して来ており、最後はお菓子パーティーになって必ず全員で写真を撮るんですよ(笑) 今思うと子ども達がいろいろやっている間に保護者同士で子どもに関する話等して共感したり、アドバイスしあったりしてたんだろうなぁと思います。
他にも、夏になれば水泳をやったり、区内にある他の弱視学級との交流にためにそちらの弱視教室の方へお邪魔したり、眼科検診があったりと様々な行事があったのを覚えています。
卒業後も交流会という形で、何年かに一度在校生も卒業生も集まり、食事をしたりしています。もちろん保護者も一緒で・・・。卒業生やその保護者の体験談を聞いてその先の進路について考える参考にしたりする保護者の方も多いみたいですね。わたしにとってはお世話になった先生にお会いできるので楽しみの場になったりしています。
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先生との出会い
わたしが通っていた時、その弱視教室には2人の先生がいました。
お2人とも若い先生ではないのですが、1人の先生はわたしよりも視力の弱い弱視の先生でした。ペンは太い水性のペンを使い、授業中生徒が書いた字はルーペで見ながら丸をつけたり・・・。話を聞いてみるとその先生は普通の大学で小学校の先生の資格をお取りになったそうです。その話を聞いた時、子どもながらに「弱視だって・・・見えにくくたって何でもできるんだ」と思ったんです。その頃からでしょうか・・・いろいろと先(進学・将来)のことを考えるようになったのは・・・。まぁ、その後将来に対する希望はどんどん変わっていくんですけどね(笑) 小学校の低学年だったら仕方ないですよね?
もう1人の先生は、とても世話好きでお話を聞いてくれる先生でした。小学校卒業後の進路についていろいろな選択肢があるということを教えてくれたのもその先生でした。盲学校、私立の普通校、公立の普通校、そして中学校の弱視教室・・・。
結局わたしは、公立の普通校に進学したのですが、その後もいろいろと相談にのっていただきました。定期テストの文字の大きさや制限時間について中学校へ足を運んでくださって、担任の先生とお話してくださったこともあるぐらいで、本当に感謝しています。
そして、高校進学の時も大学進学の時も選択肢があることを教えてくださったのですが、わたしにはわたしなりの考えがあったものですから、全てお断りをしてしまったんです。こんなに心配してくださったいるのにちょっと悪いなぁとは思ったのですが・・・。
わたしが教わった先生はお2人ともその弱視学級にはもういません。だから、何年かに一度の交流会ぐらいでしかお会いすることができないのが少し寂しいんですけどね。教室にいらした頃は、小学校卒業後、高校生になっても時々お邪魔させていただいていました。今はお2人ともいらっしゃらないので、弱視教室の方にはすっかり遊びに行かなくなってしまいました。
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