広島の跡地利用問題&再開発問題を覗る

このページでは現在広島市が直面している、「跡地利用」「再開発凍結」など現在どこまで方針決定が進んでいるかを紹介していきます。2000年度末で市が持つ未利用地は、なんと109万uです。毎年の借入金に対する利息累計は30億円に達しています。広島市の再開発事業は待ったなしの状況に来ています。なお、「旧日銀跡地」はすでに一部着工し、方針も近々決定しそうなので、ここでは取り扱いません。

跡地利用問題
再開発問題
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貨物ヤード跡地

1997年 広島駅から約1キロにある貨物ヤード跡地を広島市が取得(右)。市内に貴重なまとまった土地として取得するも具体的な利用策はほとんど議論されなかった。
1998年 広島市が広島市民球場の移転を提案。しかし、広島県が県庁移転の候補地として待ったをかけたため、凍結状態に。結局、県が県庁移転の候補地を見極める3年後まで跡地利用策はまったく議論されないままだった。
2000年
11月
市がドーム建設の試算を出す。建設費は約300億円で140億円の財源不足とした。
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同年
12月
カープ球団も事業化に積極的に乗り込む。
2001年
1月
このころ県庁移転のリストから貨物ヤード跡地がはずされる。ドームの建設費の補填として「命名権」を販売し、年間1〜3億円の収入を見込む事を決めた。
同年
3月
市がドームを作らない時の代替案として「劇場都市」「もてなし遊覧都市」「X-dream」「ワールドポケットひろしま」「モービルワールド」を示す。
同年
同月
市が建設費270億円程度のオープン型球場を提案する。着工から完成まで早くて1〜2年。2003年からのシーズンで利用可能とした。
同年
4月
球場を建設するにあたり、新駅建設や併設される商用施設の具体的活用の検討に入る。カープ球団も具体的にオープン球場で事業化の検討に入った。
同年
5月
経済界もオープン球場を支援。また、市でドーム球場の議論は全くなくなる。フラワーフェスティバルで跡地利用に関して市民から意見を募る。私も参加してきました。
2002年
5月
「ドーム」「複合型開閉式ドーム」「開閉式ドーム」「複合型オープン」の野球場を核にした四案に絞られる。
同年
同月
複合型オープン型球場が最も有力と市が発表。
同年
7月
市長が複合型オープン球場の建設を表明。着工時期、財源確保メド、屋根架けの有無に関しては先送りされる。
同年
12月
市長が屋根架けを断念。2004年着工、2007年完成が目標とされる。

広島駅前再開発

広島駅前はAブロック・Bブロック・Cブロックの再開発計画と広島駅の改築、駅前大橋の架け替えの問題がありました。そのうちBブロックは再々々開発案が出され、Cブロックは計画の策定すらされず、駅前の顔になるはずの駅前大橋は計画変更と様々な問題を抱えています。その歴史と現状を紹介します。

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1981年
3月
広島駅表口周辺地区市街地再開発事業基本計画を策定した。
図1)当初計画の駅前大橋
1982年
3月
広島駅前再開発準備組合が設立され、事業化の検討に着手した。
1987年
12月
第3セクターの広島駅南口再開発株式会社を設立し、核テナントとしてAブロックに地元百貨店福屋、Bブロックに西武百貨店に決定した。
1988年 広島駅前大橋の架け替えでピラミッド型のモニュメントの建設を決定した(図1)。
図2)エールエールA館
同年
9月
Aブロック・Bブロックが都市計画決定される。
1991年 老朽化した広島駅前大橋の架け替え工事が始まった。
1993年
8月
高度利用地区市街地再開発事業の位置付けとして、都市計画決定された。
1994年
5月
バブル崩壊を受け、西武百貨店が出店を断念。
1996年
10月
Aブロックと広島駅前地下広場が着工される。
1998年 JR西日本が広島駅の大幅改装を着工した。
図3)広島駅ビルASSE
1999年
4月
エールエールA館(図2)、広島駅前地下広場、広島駅ビルASSE(図3)オープン。
1999年
10月
駅前大橋の橋上モニュメントがピラミッド型から橋の四隅に街灯の柱を配したものに計画変更された。3億円の価格が最大のネックとなる。
2000年
8月
広島駅南口開発との経営方針の違いから、JALホテルズの進出が見送られる。
図4)エールエールB館予定地
2000年
10月
Bブロックに2棟分離案が提案される。地権者棟(10階程度)を先に建てることにより、地権者の仮住居費の負担を抑えるのが狙い。早ければ2003年に着工予定。テナント棟(20数階程度)はホテル2社を含む6社と協議中。
2001年
2月
市や組合など5者会議でビルを2棟に分ける再々構築案提出。
2001年
3月
広島駅前大橋架け替え工事完了。モニュメントは事実上凍結となった。
2001年
10月
広島駅南口開発と市が十社前後と交渉を重ねるが、核テナントは決まらず。複数の専門店誘致のテナントミックス型に変更。
図5)エールエールB館完成予定図
2002年9月 分譲住宅を組み入れた地上43階建て超高層複合ビルを建設する方針に決定。地権者が入る東棟を04年着工07年度完成。超高層複合ビルを05年度着工08年度の完成を目指す。
今後 貨物ヤード跡地の球場整備に伴い、駅前Cブロックの再開発が動き出す予定。

県庁移転

県庁移転問題がなかなか解決しない為、貨物ヤード跡地の利用方法がなかなか決まらなかったという、イライラを募らせた事業の1つです。新庁舎の建設費は600〜800億円のプロジェクトです。1999年から10年間で300億円を積み立てを行う計画を実行中。
移転候補地
現在地 移転した場合に売却が不可能になる可能性があるため、現在地建替えが有力。建替え費用を工面するため、敷地南側5000uを売却し、周辺ビルの再開発を誘導する案もある。
広島大学跡地 現在地は当初見込みの半額の400億円前後で売却できるため、広大跡地の購入価格の約200億円を差し引いても約200億円の黒字となる。現在地の売却見込みがあれば有力。
貨物ヤード 新球場構想があり、断念した形。
広島駅北口 大半が国有地でJR関連施設が多いため、断念した形。
歴史
1956年
2月
本館、南館、議事堂完成
1995年 阪神大震災クラスの地震で倒壊の危険性があると判断される。
1998年
12月
県庁舎整備検討懇話会で四ヶ所(現在地、広島大学跡地、貨物ヤード跡地、広島駅北口)の建替え候補地を提言した。
2001年
8月
候補地に現在地と広島大学跡地が有力となる。
2002年
2月
広大跡地が最有力と藤田知事が表明。ただし、05年までに現在地売却と跡地活用のメドが立たなければ、現在地立替の含みも。
2003年
1月
現在地の活用策のメドが立たないため、移転を事実上断念。道州制の動きもある中、建替え自体に消極的な議員も。
2005年 建替えか移転かが決定し、具体的な作業に入る予定。
2016年 耐用年数60年となる。

広島高速3号線

3号線問題はあまり知られていませんが、将来の広島の交通体系を担う重大な問題です。しかも、問題は非常に複雑です。根本的な問題は「高速を西飛行場の北側に高架で通すか、地下で通すか」という簡潔な問題です。
高架方式とトンネル方式の問題点
工期 トンネル方式8年、高架方式5年
コスト トンネル方式930億円、高架方式280億円
西飛行場 トンネル方式だと現状維持、高架方式だと1800mの内、350m使用不可に
ジェット機 滑走路1450mだと就航不能。トンネル方式なら問題なし。
実際の問題
問題1 高架のとき西飛行場を「県は1450m」「市は沖出しで1800m確保」
問題2 西飛行場から(ジェット機)東京便を「県は反対」「市は推進」
問題3 沖出しには300億円以上と長い工期、漁業補償などが生じる
県は「高速を高架にし西飛行場の廃港を望む」。市は「トンネル方式で、西飛行場の機能は維持する」。が現状のスタンスのようです。細かい問題は多々ありますが、大きな問題は西飛行場の存廃問題で、都市高速3号線が利用され、計画自体を行き詰まらせていることです。
歴史
1974年 観音地区から商工センターまでをトンネル方式の8車線道路の建設が都市計画決定された。
1997年
5月
8車線のうち4車線を高速3号線としてトンネル方式で建設することを都市計画決定された。
1999年
2月
広島県が工事費と工期を理由にトンネル方式から高架方式に変更を主張。
1999年
9月
フェアリンク社が小型ジェット機による西飛行場〜東京の構想を発表。
1999年
10月
J-AIRが2001年から小型ジェット機の西飛行場導入を発表。
1999年
12月
広島市が高速3号線をトンネル方式から高架方式が有利、ただし西飛行場の機能は維持するとの見解を示した。
2000年
2月
広島市が県にジェット機の就航を求めるが、県は拒否した。
2000年
6月
広島県が「西飛行場はコミュータ・小型機専用」「広島空港との路線競合はさける」「広島空港の整備を最優先する」ことを条件に合意。
2001年
4月
J-AIRが西飛行場に小型ジェット機を就航。
2002年
9月
広島市が高速3号線にトンネル工法を再採用した。観音〜商工センターは高速のみを先行整備予定。