
| 行商人 その1 |
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| アパートの木の門は日頃は閂がかかったままである。 なんの拍子か空いて る時がある。 そこにこどもを目当てにいろんな行商人がくる。 飴細工職人 は自転車でやってくる。 その荷台にガラスを嵌めたはこを載せている。 その中に出来た飴を陳列する。 業務用の自転車だから荷台が広い。 そこには 飴を作る為の道具一切と作業台がのっていた。 作業台で飴を作りそれを器用な手で小さなお客の望むモノを形づくって行く。 見るからにマジックハンドである。 修練の賜物とは言え居並ぶ私たちはあまりの鮮やかさに声も出せない。 キツネ、さる、リス、たぬき、ゾウ、がたちまち出来上がる。 当時流行のキャラクターのゴジラだってすーいすいだ。 動物のキャラだけではない。 ピストルだってゼロ戦だってあっという間だ。 お楽しみはそれだけではない。 好みのキャラを手にした子供には紙芝居が提供される。 その頃には飴を買わなかった子供もそーぉっと観客の一人となる。 それを「タダ見」と言った。 飴屋のおっちゃんもそれを黙認する。 決して”あっち行け”とは言 わない。 演し物はお涙頂戴の母娘物や股旅もの、少年探偵団、黄金バット、 怪奇ものなどなんでもあった。 本当に子供が好きな人が飴屋のおっちゃんには多かったように思う。 但し不定期に訪れてくるからつづきものの場合必ずしも次に来た時その続きがなされるとは限らない。 だからいまでもあの続 きはどうだったろうと思うこともある。 小説から題材をとった物は何とか判るが、紙芝居のオリジナルのものはわからない。 それでも後年長田区の観音山にあった神戸市立長田図書館で紙芝居の塊が開架書棚にあった時は貪るように見た記憶がある。 それに木製の塵芥箱に捨てられていたのを拾ってきたこ ともある。 これは後の話。 さて続きが続かないのは訳がある。 あちこち の空き地で商売するから無理もない。 一々記録しないのである。何時、どこで何を演じたのか そんなこと小学2年生くらいの子には理解できようがな い。 だから不満におもったこともある。 そんなこともあって早く字を覚えようと言う気になっていったのかも知れない。 おかげで今でも難しい字でも困らない。 書取のテストでも低い点なんかとったことはない。 さてほかにも行商の人はくる。 リヤカーに木組みをし、その上に駄菓子の 箱を寸分の隙も無くうめたのを腰の曲がったおばあさんがエンヤエンヤと引いてくる。 子供のほしがる物ばかりだ。 ボール紙に紙の袋にお菓子を入れた物を幾つも貼り付けてある物があった。 私たちはそれを”当てモン”と言っ ていた。 お金を払いその袋をはがすとボール紙に”スカ”、”当たり”と印刷しているのである。 ”当たり”ならば更に一つめくれる(はがせる)ので ある。 そうすればお菓子が増えることになる。 得した気分になる。 別の種類では賞品が幾つにも分かれることもある。 それはそれで楽しみになる。 このおばあさんは少し目が悪かった。 子供にも悪いのがいておばあさんが 少し横を向いた時に商品をくすねてしまうのがいた。 おばあさんも幾度かそれが重なると子供を特定しだした。 その子が来ると用心して目を凝らしなが ら見ていることがあった。 ある時その現場を目で捉えた。 やさしく元に戻すよう声を発したらその子は驚いてポケットからブツを放り投げ逃げていった。 また50銭玉を10円玉と偽って渡されたと嘆いていたこともあった。 元々利の薄い商いなのにそんなことをする者がいるとは子供心に悲しかった。 私の家は貧乏を絵に描いたようなモノだったけれど小遣いだけは普通の子供より少し多くもらっていた。 後述するように鍵っ子のハシリだったから である。 母がお金のことで性格が歪まないように配慮してくれていたのだ。 それにしてもこのおばあさんのリヤカーにはなんでもあった。 ビー玉、お はじき、おじゃみ、銀玉ピストル、紙玉拳銃、メンコ、パチンコ、知恵の輪、 万華鏡、 金平糖、黄金糖、 笛ガム、ドングリ飴、中野の酢コンブ、お饅頭、 風船の中に封じ込まれた水ようかん等々。 おでんやさんも来た。 いわゆる関東煮(おでん)とは異なるモノだ。 本 来の意味での田楽をさす。 三角に切りゆがいたコンニャクの串刺しを田楽味噌の壺につける、それを食させるのである。 路上で食べるのである。 それに吉備団子も売っていた。 それは岡山で売っているそれとは少し異なり、爪 楊枝に8mm大のおはじき状の餅で3つ刺さっていた。 それにきな粉をまぶ したモノである。 行商と言っても何も物を売るばかりではない。 買ってくれる人もいる。 ”たまっちん”と言った。 語源は判らないが、推測するに家庭でたまっているものを引き取るからなのかも知れない。 これもおばあさんであった。 棒秤を器用に操り古着の重量を図るのである。 これも不思議だった。 こぶ し大の錘を棒に貼り付けられた金属の目盛りにあわして量るのである。 ”何貫目やからなんぼやでー”と言っていた。 この頃は古着屋が立派に商店街の 一部をなしていた。 いまキロストアとか言ってビルの中で復活しているが これまで消えていた商売だった。 古着だけではない新聞紙なども引き取ってくれる業者も来た。 リサイクル なんて言葉は無かったけれどもそうするのが自然であった。 今のようにちり 紙と交換ではなく金銭で購ってくれた。 結構高く買ってくれた。 2001/11/10 10:13 PM |