戻る

私の「そばめし」初体験
 昭和37年頃だったかアパートの門を出て直ぐ西に一軒目がお好み焼き屋さんだった。屋号は「多聞」といった。 その名通り棚には多聞天像を安置していた。 年を経るごとに像は少しずつ大きくなっていった。 

 店に入ると大きな鉄板がでーんと据えてある。 その鉄板の熱気と人いきれで暑かった。 その三方に四つ足に丸い板をのせた背もたれ無しのイスが8脚くらいある。 広さは、20平方メートルくらいだった。 狭かった。 お昼休みに近所のゴム工場の張り工(はりこう)さんやミシン工さんがお好み焼きをおかずに食べに来る。うどん焼きやそば焼きそれにお好み焼きの中にそば焼きをミックスして焼いた「モダン焼き」もおかずになった。 張り工さんは、「はりこ」さんと言った。 夏休みだったから母と食べに行った。 その時張り工さんのお姉さんがアルマイトの弁当箱をあけた。 ごはんだけが入っていた。 店の女主人にこう言った。 「おばちゃん、ごはん焼きして」。 おばちゃんは手慣れた手で弁当箱を裏返しごはんを鉄板に移した。 それを素早くほぐし、一方で牛肉やキャベツを炒める。 しばらくしてそれらを混ぜる。さらにソースをかける。 たちまちお好み屋版炒飯のできあがりだ。

 しばらくしてまたその店に行った。 この前と違う張り工さんが、同じことを言っている。 ただ今回はそれに中華そばで使う麺を混ぜてくれと言っている点が異なる。 はじめは別々に注文していたところ、それでは時間がもったいないし、そうすることで一度にそば焼きとごはん焼きが楽しめることに気がついたのである。 よく言えば合理的そうでなければ食いしん坊というべきか。 「そばめし」誕生の瞬間である。 

 当時の住宅地図をみると一町内に2〜3軒のお好み屋があることがわかる。 震災後この「そばめし」は全国区の食べ物と成り上がったが、その35年前には長田区の住民は食していたローカルフードなのである。 長田区の久二塚地区のAなる店が自分のところが発祥の店と主張しているが、私が体験したように数多い店のあちこちで同時発生的に生まれたのではなかろうかとおもっている。

2001/9/10 23:29 校了