明治43年に我が国で初めて所沢に飛行場が出来ると、うっそうとした竹林(2町5反といわれた)の真中を切り開いて新田(日吉町)から東川に至るまで広い道路が造られました。

人々は誰いうとなくこの道を「飛行機新道」と呼ぶようになりました。
東川には土橋が懸けられ旭橋と命名されました。
多数の人達は停車場から新道を通りこの橋を渡り川越鉄道(現西武新宿線)のガードをくぐり建設中の飛行場へと通っていました。

昭和になると間もなく土橋を作り変える事になり、入曽の「新井土木」に入札が決まり工事が始められましたが当時は難工事であったそうです。

不景気で巷には失業者が溢れていた時代で臨時の土方が周辺から多数参加し、日当60銭(ちなみに米1升16銭)工事が始まりました。

巨大な赤御影石には画期的な彫刻をし、欄干には青銅、タイルで装飾、六角形の唐草模様をあしらった豪華な青銅の電燈を要所に取り付け、夜間は明るく実に見事で本を持って読みに来る若者の姿が見られたそうです。

ヨーロッパ風のモダンな「新旭橋」は空都の表玄関としてふさわしく、当時埼玉でも初めてと言われていたそうです。

約2年近い工事が終わり、昭和5年3月に完成しました。総工費3万数千円で盛大な落成式が挙行され、御幸町の長嶋金物店の三夫婦により渡り初めが行なわれました。

戦争がたけなわになると青銅部分は全て供出されましたが、現在でも頑丈な橋桁は激しい車の往来にも耐え当時の面影を残しています。

この橋を渡って直ぐのガード際には御幸町駅がありました。
又橋のたもとには公衆便所もありました。(現在公営駐車場)



絵画は故峯岸正雄さん著・「むかしのところざわ百景」より








2001.OCT.15.