2007.5.16〜2010.4.28



所沢駅西口のワルツの裏に現在西武鉄道車両工場跡地がありますが、
戦前は陸軍航空技術学校分講堂で所沢航空参考館がありました。

地元では南倉庫と呼ばれています。

大正8年に久米の稲荷林に用地を取得し、
大正12年に所沢飛行場にあった陸軍航空部補給部支部の補給部器材係を移転してきました。

昭和10年に立川航空支廠となり航空機の部品を製作していました。

当時の飛行機は主にフランス、ドイツ等から輸入され、解体された飛行機は所沢駅から引き込み線で南倉庫に一時保管され、牛車にひかれて飛行場まで運ばれていました。

明治43年に徳川大尉が日本で初飛行をしたアンリ・ファルマン機から日華事変末期までの
歴代の軍用機をはじめ、ソ連製のイ15,イ16,ドイツ製のユンカースJu87シュツカ急降下
爆撃機など、珍しい飛行機を沢山並べていました。


館内には第一次世界大戦で活躍した布製複葉機各種に続いて、戦後まもなく登場したアンリオ、スパッド、ついでは日本航空機設計に影響を及ぼしたドイツの飛行機が数種あり、太平洋戦争でお目みえした、スマートな全金属単葉機の先駆けとなった1920年代から30年代の日本の飛行機が展示されていたのです。

九二式超爆撃機は格納庫に入らないので、露天に雨ざらしになっており、操縦席から主翼の中まで見物人が入って見られるようになっていました。
当時は航空博物館としては、東洋では地上最大でした。
              

戦争が苛烈になり、応召兵の集合所となりました。部隊の臨時編成所になり、各倉庫、陳列所は部隊の兵舎となり、戦線に向かうまで
待機していました。
面会日に訪れる家族が最後の別れを姿が見られたそうです。

終戦時に進駐軍によって全ての飛行機は壊されてしまいましたが、アンリ・ファルマン機はアメリカ軍に持ち去られ、アメリカのライト・パターソン空軍博物館に納められていました。

アンリ・ファルマン機の返還




ジョンソン基地(現:入間基地)に帰ってきた
アンリ・ファルマン機

昭和35年(1960年)5月21日、日米修好100年、日本航空50年を記念してアメリカ空軍当局の厚意により現在の入間基地(元・ジョンソン基地)に空輸され5月返還されました。

写真下
明治43年12月19日、代々木練兵場で我が国初の飛行をした徳川好敏元中尉が再びファルマン機の操縦桿をにぎり、感激にひたる。

しかし、50年前の実機が残されたのは、機体の一部と動力関係だけで、他は殆んど再製されたものでした。
現在は東京万世橋の交通博物館に保存展示されていましたが、閉鎖後は入間基地に保存されています。。




西武鉄道車両工場の跡地には今でもコンクリートの高い塀の横の道には「陸軍用地」の石の指標を見ることができます。



所沢飛行場の飛行機

所沢飛行場の歴史

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