2001.Nov.04  2008.6.12.


遊石山観音院 真言宗豊山派 開山:天平年間
本尊:聖観音(伝)行基菩薩作


峰の坂の途中左側の東川沿いに「馬の町」として知られる新光寺があります。

この寺は、遊石山観音院と号して、本尊の聖観音は行基菩薩(ぎょうぎぼさつ)の作と伝えられています。

慶安二年(1649)に観音堂領として、幕府から六石の朱印が出されています。

現在は境内は狭くなっていますが、
寛政二年九月(1790)寺社奉行に出した書類をみると
「三間四面のお堂で境内は千七百四十一坪(約0.56ヘクタール)ある。」と記してあります。

建久四年四月六日(1193)源頼朝が那須野に向かう途中、この新光寺で昼食をとった折、
その仮小屋の地を寺に寄進したと言われています。
その後この辺が戦場となって荒らされ、寄進された土地も掠め取られてしまいましたが、
元弘三年五月(1333)新田義貞が鎌倉攻めに向かう途中、この寺で戦勝祈願をしました。

そして北条氏を平らげての帰途再び立ち寄り、黒塗りの乗鞍を奉納すると共に、
前に掠め取られた土地も寄進したと伝えられています。

また、文明十八年(1486)聖護院門跡の道興准后(どうこうじゅんこう)が
東国にある輩下の寺を見廻って歩いた時の
紀行文「回国雑記」に河原宿(宮本町)に立ち寄ったことが書いてあります。
それには
野老澤(のろざわ)という所に行った時に、観音院に福泉という山伏がいて、竹筒(ささえ・酒を入れる道具)を
取り出したところ酒の肴に薯蕷(ところ)という物を出したので・・・・

野遊のさかなに山のいもそえて
ほりもとめたる野老澤かな


と歌を読んだ。という意味のことが記されています。


この事にちなんで、所沢の市章の中央には「ところ」の葉三枚が、組み合わされています。




地元では昔から「馬の町」の「観音様」と呼ばれ、当時の貨物や商品の運搬に活躍した馬の健康と交通安全を祈願したお祭りが
毎年2月18日に開催されていました。

戦前昭和初期の「馬のまち」の様子
お堂の周りを着飾った馬達が回りました。
戦後の「馬のまち」の賑わい
沢山の露店、見せ物小屋らがでて大変な賑わいでした。
2月から4月18日に開催日が変更されました。 現在はカラオケ大会等が開催されています。
境内右手には昔のお堂が移築されて残っています。 旧お堂の裏に架かっている絵馬
新光寺祭りの日にご開帳される本堂 夢殿内

昭和2年7月28日午前11時フランスの名偵察機
「サムルソン」に搭乗した畑 正志大尉、伊藤武夫中尉は飛行練習中に気流の関係か発動機の故障か、
飛行場を目前にしながら宮本町の新光寺の境内に墜落し死亡しました。
境内には立派な航空殉難供養塔がひっそりと建っています。



所沢の民話が伝承されています。お聞き下さい。







故郷所沢の思い出、情報ら何でも書き込んで下さい。
写真もOKです。


ご意見、ご感想をお聞かせ下さい。

【著作権をお持ちの方へ】
 このページは、個人の趣味で非営利で作成しております。
もし不都合がありましたら、大変お手数ですがメールにて
連絡をお願いします。
このホームペイジに使用している画像データー等の著作権は、全てそれぞれの原著者に帰属します。
商用目的での二次的利用などは制限されています。ご注意下さい。