200011
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開設 2004.April.17



西暦 和暦 所沢飛行場の出来事
1877 明治10年
5月23日
陸軍、海軍及び技術団体共同による気球の試作と実験が開始される。
11月 明治天皇は海軍兵学寮にて気球登騰を観閲。
1878 明治11年
6月10日
陸軍士官学校で気球登騰実験。
1881 明治14年
10月22日
所沢村、町制施行
1891 明治24年
10月
「ヤウン」型の気球をフランスから購入
1898 明治31年 徳永熊雄中尉と古川宣誉工兵大佐らによる気球の製造開始
1904 明治37年
2月4日
日露戦争勃発
6月7日 陸軍は2基の山田式気球からなる臨時気球隊を組織。旅順港攻囲戦に参加
1905 明治38年
10月
中野電信教導大隊に気球班を設置。
1907 明治40年
10月
気球班を廃止し気球隊に改編する。
1909 明治42年
7月30日
勅令により、陸軍に臨時軍用気球研究会設置
長岡外史陸軍中尉が会長になる 
12月3日 徳永工兵少佐は所沢が気球研究会試験場として最も適当な位置であると推薦した。
1910 明治43年 飛行場用地として所沢決定
陸軍は所沢飛行場用地として768,873uを買収
       日韓併合条約調印
飛行機の購入
●アンリファルマン機
臨時軍用気球研究会の徳川大尉が、フランスで購入し、明治43年に日本に到着。
明治43年12月19日に代々木練兵場において、同大尉による我が国初飛行が行われた。

●プレリオ11-2ビス機

複座機で、徳川大尉がフランスで注文し、所沢に搬入、組み立てられた。
明治44年4月、同大尉が操縦し岩本技師を同乗させた、国産初の同乗飛行に成功した。
●ライト式複葉機
日野大尉がドイツで注文し、明治44年3月到着し、所沢で組み立てられた。
明治44年4月9日、同大尉により、飛行時間53分・飛行距離62kmの記録が作られた。この機の操縦は難しかった。
1911 明治44年
4月5日
日本初の所沢飛行場開設と初飛行
日本初の飛行場として開設された。
最初の飛行が徳川好敏大尉操縦によるアンリーファルマン機で行われた。
6月9日 日本初の野外飛行事故
徳川大尉と練習将校伊藤赳中尉におよりプレリオ11-2ビス機が所沢−川越間往復飛行飛行訓練中に不時着し、野外飛行事故1号となった。
10月 会式1号(徳川式)飛行機初飛行
徳川大尉設計により製作された、国産初の軍用機
10月25日 会式イ号飛行船初飛行(1時間41分滞空)
臨時軍用気球研究会による日本最初の軍用気球
徳永大尉らを中心に明治43年に設計を開始したもの
1912 明治45年
5月
気球格納庫完成(昭和18年には落下傘兵の練習場になる) 操縦将校を募集
6月 飛行船「パーセバル」がフランスから所沢に着く。
1912 大正元年
11月17日
大正天皇 所沢飛行場を訪れる
所沢・川越付近で行われた陸軍特別大演習に「会式」機及びブレリオ式飛行機が参加
1913 大正2年
3月28日
日本初の航空機事故犠牲者
木村鈴四郎砲兵中尉・徳田金一歩兵中尉の乗った「プレリオ11-2ビス」型飛行機は突風に遭い、左翼を破損して墜落。両中尉は死亡。
東京青山練兵場での陸軍の観覧飛行へ所沢飛行場から参加し、その帰路に事故に遭ったもの。
10月20日 気球中隊が中野から所沢に移る
1914 大正3年
6月28日
 第一次世界大戦勃発
8月 モーリス・ファルマン4機とニューポール1機が所沢から第一次大戦の青島作戦に参加
1915 大正4年
4月21日
会式雄飛号飛行船(雄飛号)完成
パルセヴァル式飛行船を改修した、国産初の飛行船が誕生
飛行実験後、翌年1月東京−大阪飛行を行った
7月21日 昭和天皇が皇太子時代に所沢飛行場を訪れる
12月10日 所沢に飛行中隊と気球中隊からなる陸軍航空歩兵大隊を編制する。
大正4年
11月
モ式四型飛行機の1号機完成
沢田中尉らにより所沢で1号機が完成
操縦安定性の優れた機体であった
1 9 1 7 大正6年
大正6年〜12年にかけて所沢飛行場を115.7ha拡張(合計面積192ha)
6月16日 飛行船「雄飛号」が所沢〜仙台間の縦断飛行する。
1918 11月1日 第一次世界大戦終結
1919 大正8年
1月15日
フォール大佐のフランス航空教育団による航空技術の教育開始
団員46名からなるフランス航空教育団一行がJ.Pフォール大佐に率いられて所沢に到着。
4月14日 陸軍は航空部を設け、所沢に陸軍航空学校及び補給部支部を設置
所沢の人口が8,674人となる。
1920 大正9年 所沢航空学校開設(後、所沢陸軍航空学校本部)
1921 大正10年 陸軍航空学校分校を三重県「明野」及び千葉県「下志津」に設置
1922 大正11年 甲式二型試作戦闘機完成
所沢陸軍航空学校研究部の計画で、日本人設計の国産機
高性能だったが、操縦安定性が悪く、「あばれ馬」のニックネーム
8月9日 航空大隊を飛行大隊と改称
10月26日 秩父宮、所沢の陸軍航空学校を訪問
1924 大正13年
5月17日
陸軍航空学校等が、各々所沢、明野、下志津陸軍飛行学校と改称、独立する。
1925 大正14年
4月
陸軍航空部が陸軍航空本部と改称 所沢に陸軍航空本部技術部を設置、飛行大隊を飛行連隊と改める
1927 昭和2年
10月
気球中隊を千葉県津賀村に移駐
1928 昭和3年
9月
陸軍航空本部の技術部は陸軍航空技術研究所と改称し、立川町(現・東京立川市)に移転
12月2日 御大典、観兵式に66機の戦闘機をもって編隊飛行、総指揮官は古谷清所沢飛行学校校長
1929 昭和4年
4月
所沢飛行学校分教場を狭山、坂戸、高萩に開場
10月 加藤敏雄大尉、花沢友雄中尉らは、甲式88号偵察機2機により所沢と台湾間3,300Kmの飛行成功
1931 昭和6年
9月18日
満州事変
1932 昭和7年
1月28日
上海事変
1933 昭和8年 陸軍航空の再編制により東京陸軍航空学校を所沢に設立、その後東京陸軍少年飛行兵学校と改称される
熊谷市に熊谷飛行学校を設立、終戦まで続く
昭和8年〜11年 所沢飛行場を245,3haに拡張
1935 昭和10年
8月1日
所沢に陸軍飛行技術学校を設立 (昭和13年に立川町に移転)
10月 所沢に航空廠設置 (昭和13年に立川町に移る)
11月8日 航空兵団司令部を設置、初代司令官に徳川好敏陸軍中尉が任命される。
1937 昭和12年 陸軍航空整備学校を所沢に設置
7月7日 日中戦争勃発
9月26日 所沢陸軍飛行学校閉校
1938 昭和13年
12月10日
陸軍航空総監部を設置
1940 昭和15年
10月1日
所沢町の人口 11,972人 
15年〜19年 所沢飛行場をha拡張(合計面積365.3ha)
1941 昭和16年
12月8日
第二次戦争勃発
1943 昭和18年
4月1日
所沢町、小手指村、山口村、吾妻村、松井村、富岡村の1町5村が合併し新たに所沢町となる。
1945 昭和20年
2月
所沢陸軍航空整備学校は本土決戦に具える軍備再編制のため閉鎖
8月15日 第二次大戦終結
9月12日 陸軍所沢飛行場は米軍に接収 在日米陸軍の航空通信隊として使用される。
1950 昭和25年
6月25日
朝鮮動乱勃発
11月3日 所沢市制施行 人口 42、559人
1953 昭和28年 米軍一部接収解除開始
1955 昭和30年
3月
在日米陸軍所沢兵器廠に改称
4月1日 柳瀬村、三ヶ島村が所沢市に合併 人口56,249人
1957 昭和32年
1月
在日米陸軍所沢兵站廠に改称
1959 昭和34年
4月
日本住宅公団新所沢団地入居開始
1960 11月3日 市制施行10周年記念式典挙行 人口65,903人
1962 昭和37年
3月
ベトナム戦争勃発 (昭和43年終結)
5月 在日米陸軍所沢兵站センターと改称
1966 昭和41年
12月
在日米陸軍第504医療廠設置 
1971 昭和46年
6月30日
米軍基地一部返還
日米両国代表による基地返還式が、所沢基地内103号館で行われ
6割が米軍から返還(第一次返還)
1975 昭和50年
8月8日
防衛医大開校  人口196,870人
1976 昭和51年
3月10日
所沢市民体育館オープン
1977 昭和52年
10月16日
所沢基地の名称が「所沢補給廠」から「AFC3049所沢通信施設」へ変更される。
12月 防衛医科大学付属病院オープン
1978 昭和 5 3年
6月20日
教育福祉施設用地として、所沢通信基地の一部(面積97,593u)が返還される。
(第二次返還)(現在は7割)
1979 昭和54年
3月28日
所沢航空記念公園がオープン
1980 昭和55年
11月2日〜
3日
市制施行30周年記念第1回所沢市民フェスティバルが航空公園で開催される。 人口236,476人
1984 昭和59年
2月1日
中国帰国孤児定着促進センター開設
1987 昭和62年
1月5日
市新庁舎開庁
5月28日 航空公園駅が開業
1993 平成5年 所沢航空発祥記念館が開館

参考資料:所沢航空資料調査収集する会 所沢基地対策協議会資料



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