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| 開設 2004.Aplil.9 |
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所沢飛行場の誕生と初飛行
明治時代に日本の陸軍、海軍が初めて研究した航空機は空気より軽い気体の上昇力を利用した軽気球でした。
したがって日本における最初の公的な航空機研究機関である「「臨時軍用気球研究会」が明治42年(1909年)7月31日付官報
で公布された勅令第207号(7月30日付)で「臨時軍用気球研究会官制」が発令され、航空機に関する最初の公式機関が設立されました。「臨時軍用気球研究会」では飛行機を飛ばす本格的飛行場が必要になり、適地を求めて各地を調査し、検討の結果所沢が選出されました。
明治44年(1911年)4月1日にわが国最初の飛行場として所沢飛行場(正式には「「臨時軍用気球研究会所沢試験場」が開設されました。
同年4月5日に徳川大尉の操縦するアンリ・ファルマン1910年型機が初飛行に成功しました。
高度10メートル、距離800メートルを1分20秒で飛行したのが所沢飛行場での最初の飛行です。
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| 明治44年6月 所沢飛行場で地上滑走中のアンリ・ファルマン機 |
私の生家は飛行場への道(飛行機新道の入り口)でしたので子供の頃は朝夕の起床、消灯ラツパが聞こえ、
飛行機のエンジンの音を聴きながら過ごしていました。
日本の最初の飛行場が出来、毎日沢山の見物人が押し掛け賑わっていたそうです。
私の両親も初めて飛行機が飛んだ日にゴザを持って飛行場に行きその雄姿を見たそうです。
加藤隼戦闘機隊の加藤氏も近所に下宿していたそうです。
うちの借家にも兵隊さんが沢山住んでいました。
姉達の話では
陸軍少年飛行学校の生徒が毎日真っ白い体操着姿で飛行学校から飛行機新道を上がり旧町へと
隊列行進をする勇姿が見られたそうです。
夜間飛行訓練の時は対照灯(サーチライト)が夜空を明るく灯し綺麗だったそうです。
町も飛行場で働く人たちや軍人さん達で賑わっていました。
戦時中はロッキードやグラマンが家の前の半鐘塔スレスレに飛行場に
機銃掃射を浴びせて行くのを防空壕から恐る恐る頭を出して見ていました。
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| ロッキード | グラマン |
操縦士の姿も良く見えていました。
家の前を担架に乗せられた負傷者が度々病院へ運ばれて行きました。
我が家の壁にも柱を突き抜けて機銃掃射の流れ弾が壁に突き刺さっていたこともありました。
戦後間もない頃は飛行船の格納庫の骨組だけが残っていました。
終戦後破壊された飛行機の風防ガラスを取りに行き、こすっては甘い香りを楽しんだり、
ローソク変わりに燃やしたりしたのを思い出します。
現在は一部米軍基地が残っていますが、素晴らしい公園(航空公園)に生まれ代わっています。
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所沢飛行場から飛び立ち所沢の空を駆け巡った数々の飛行機を紹介します。
写真提供:喜多川写真館
撮影者の喜夛川秀男さんは、私の生家のご近所でしたので、我家の家族の写真や
私の幼少時代の記念写真は全て彼が撮影してくれました。
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