2003.8.4.〜2005.1.4


髭爺の家でも昔は季節により色々な行事が行われていました。
現在は殆んど行われていないのは寂しいですね。
髭爺の 子供の頃の思い出を通してマチの季節をお伝えできたらと思います。


昔の商店は年中無休でした。元旦の朝でも煙草を買いに来るお客さんに早くから起こされます。
女の子は晴れ着を着るので髪飾りのリボンを買いに来ていました。
大晦日も夜遅くまでまで店を開いていますので、子供は早めに床につき、
除夜の鐘が鳴る頃起こしてもらい父親が晦日祓いをします。
これは年が明ける前に家族全員の頭の上でお祓いをし、各部屋をまわって「お払い」をする行事です。
家族の健康、家の繁栄、等を祈願し一年の厄を落とす行事で「晦日祓い」と呼ばれています。
これを済ませてから寒い中をお神明様まで初詣に出かけていました。

「晦日祓い:
みそかぱらい

年末になるとお神明様から”おかまじめ”を頂きに行き、神棚に飾る御札と一緒にお祓いをする
幣束(へいそく)を頂きます。これはお祓いをする道具で割り箸くらいの棒に紙の短冊が付いています。
お祓いが終わると家の外の角に刺しておきます。晦日祓いは我が家では今でも行っている行事です。
昔は年が明けると各家の角や電柱の下に北風にそよぐ幣束(へいそく)が見られたものでした。

真夜中なのに町のあちこちから人が出てきてカラコロと下駄の音が響いてきます。
早めに出かけて途中で薬王寺さんに立ち寄り除夜の鐘を突かせてもらいます。
順番で百八つを打ち終わる前に行かないと突く事が出来ません。
除夜の鐘を突いてから深井醤油屋さんの前を通りお神明様に向います。

階段を上がると参道の両側には綺麗な飾りがついた縁起物やオカメのお面がついた熊手を売る屋台、
駄菓子屋らがびっしりと並んでいます。
お参りを済ませるとお砂糖で出来た動物、鳥や金魚の形をしたキンカ糖を買い、
張子のお獅子やダルマを買ってもらうのが慣わしでした。
現在でも変わらぬ風景ですね。
 
キンカ糖と熊手市



父親は朝倉さん(現・面亀)の扇形におかめの面がついた縁起物や
熊手を買って帰り神棚側の鴨居に飾っていました。

店の方達が大きな声で商売繁盛!!と言いながら手拍子を打ってくれる風景は今でも正月になると思い出されます。

又、お正月になると三河漫才や獅子舞がやってきました。
ご祝儀を口の中に入れてやったり、漫才師の打ち鳴らす鼓の音や天蓋(てんがい)をかぶった虚無僧が吹く尺八の音は今では聞く事がありません。

  

年末になると部屋の鴨居の上に綺麗な押絵羽子板と弓破魔が架けられお正月を迎えます。
子供が生れた時に親戚から女の子には羽子板、男の子には弓破魔が贈られる習慣がありました。
我が家は姉が五人、妹が一人と言う女性が多かったので沢山の押羽子板がありました。
押絵羽子板を持ち出しては旭町に行く道で姉達と羽根突きをしました。
学校の講堂で羽根突き大会があり学年の部で優勝したこともありました。


父親が麻で編んでくれた麻縄でコマをまわしたり、お年玉を持ってお庚申様へゆく道の角にあった坂本駄菓子屋で、もんじゃ焼を食べるのが楽しみでした。鉄板の上にうどん粉で溶いた生地で動物の形や名前を書いてジュージュー焼くのが面白く姉達とわいわい言いながら焼いてたべていました。
飛行機新道の玩具屋で凧を買い、鍋屋横丁の奥にあった山口屋さんの空地で凧揚げもできました。


 

1月5日は久米(吾妻)にある水天宮の大祭でダルマ市とも言われていました。
水天宮は五日が縁日で、毎月五日に祭事が行なわれていました。

我が家も初詣をかね毎年縁起物のダルマを買っていました。私は小さなダルマを買ってもらい神棚に飾っていました。

所沢小学校の脇を通り、当時学校の裏にあった赤タンクの道を右に曲がり吾妻小学校の横の急な坂道を下りると木製の一本橋がありました。
この橋を渡ると間もなく水天宮様の参道に突き当たります。
長い参道の両側には露店やダルマ屋などが並び、各地からの参詣者で賑わいます。
水天宮のダルマ屋は東京都西多摩郡瑞穂町から主に出店するので多摩ダルマと呼ばれています。
戦前は三月五日の縁日が初水天宮より三月が奉公人の出替りの月でしたので賑わいました。

戦前から昭和20年代の初めにかけては、三月五日に境内に見世物がかかり、
大きなハリダシ(看板)を三つも四つも表にかけ口上を述べながら客を集める光景が見られました。

蛇娘、ろくろ首の見世物が多かった様です。

我が家でも毎年ダルマを買って神棚に置いてありました。
我が家も初詣をかね縁起物のダルマを買っていました。私は小さなダルマを買ってもらい神棚に飾っていました。

昔は参拝を済ませてマチに帰って来る時に当時山田屋横丁にあった「金平だんご」で所沢名物の焼だんごを食べるのが楽しみだった様です。
こちらのご主人は「子持ち団子」なるサービス団子を作り評判を呼んだそうです。

安産の神様として知られる水天宮様でしたので女性達には焼団子の先に楊枝にさした小さな団子をおまけに付けてくれたそうです。




商家では1月20日と11月20日に恵比寿講という慣わしがありました。
恵比寿講とは、商売の神様である恵比寿様と大黒様を奉り、商売繁盛を祈念するお祭りのことです。
我が家もこの日にはちゃぶ台に恵比寿様と大黒様の像を飾り、赤飯を山盛りにして、お頭付きの鯛、
大きな五目玉の算盤、大福帳、お金等商売に関連する道具にけんちん汁等のご馳走を並べて祝っていました。





節分の日には兄が神棚に飾られていた一升桝に入れられた大豆を神棚、部屋の中、家の外に向かって大きな声で「福は内!!鬼は外!!」と言いながら撒き急いで鬼が入って来ないように戸を閉めます。
近所の家でも一軒が始めるとつられるように、あちこちの家から「福は内!!鬼はそと!!」の声が聞こえました。
炬燵に入りながら年の数だけ豆を食べていました。
いつも自分の年以上を食べてはお腹をこわすからと母親から止められたいました。




2月18日には宮本町の観音様(新光寺)では馬を綺麗な衣装や鈴で飾りあげシャンシャンと鈴の音を鳴らしながらお堂を周る行事が行われていました。
馬の安全を祈願するお祭で、周辺の村から沢山の馬が集合してきました。
古くは旧暦の一月十八日に行なわれていましたが、明治期から第二次大戦前にかけてはニ月十八日に変り戦後四月十八日に変りました。
戦争が激しくなる以前、昭和16年頃まで2月18日には河原宿をはじめとした、旧町や柳瀬や富岡方面から馬方や馬持ちが馬を連れて集まりました。
馬方は自分の出入りの得意先(壇那場)から贈られた金銀の縫い取りがあるアブトリ(腹掛)を馬に付けたり、真鍮の飾り金具のついたカンノンクラを背中に乗せ、面や鈴をつけて馬を飾りたててやってきました。
馬方も得意先の印半纏(シルシバンテン)を着ていました。
最盛期には20頭位が所沢駅周辺に集まり、所沢の表通りをシャンシャンと鈴の音を鳴らしながら行列をして新光寺に向かいます。
私も私の家の店の前から一緒についてゆきました。
十八日には所沢の市日(三八の市)と重なり露店が大通りから新光寺までつながり盛況でした。

昔は境内で見世物やサーカスもかかっていたそうです。
当時は町の中にも馬方と呼ばれる方がいて家には馬を飼っていました。
近所の旭町にも馬方さんがいて、家の横には馬が繋がれていました。
戦後は軍馬として馬は供出され牛が変わって引き回された事もありました。

現在は寺の様子も変わり、4月18日にカラオケ大会らが開催されるお祭になってしまいました。



私には4人の姉と妹がいましたので、3月の雛祭りには奥の6畳間に雛壇をつくりお雛様を飾りました。
草加屋さんから買ってきたひし形のお餅を飾ったり、雛壇に飾られた箪笥やお雛様でオママゴトをして遊んだりしていました。
五月には男の子の節句ですので鎧兜や弓破間等が飾られました。

髭のしょうき様の刀を抜いて遊んだりしていました。



3月21日には北野にある学問の神様北野天満宮の春の大祭があり、
近隣の村々、村山、東大和の人々も丘陵を越えて参拝に来ていました。
私は子供だったので兄達に連れられて砂利道を歩いて行ったことがあります。
境内には露天商や見世物小屋もかかっていました。

フージと言う青や赤の色紙を三角形に折りたたみ願い事書き木綿糸で結び
封をして持ってゆき梅の枝に結び奉納していました。
又、半紙5,6枚を繋ぎ、朝露で、「奉納北野天神天満宮」と書いた習字を旗の様に長い篠竹にぶら下げ、
竹の先には梅の花か樫の葉のついた枝を付けて飾ります。。
この旗を詰め所に持って行くと役員の方からお守りとお札が貰えました。
こうしたフージや旗の奉納は戦前までは盛んに見られました。
店の前を牛沼の方からも沢山の人が篠の旗を持って行くのを思い出されます。
昔は子供達は皆正月には書初めをして神棚に吊るしたものでした。
今はこの様な行事は行われなくなりましたね。



4月8日は、お釈迦さまご生誕の日です。
墓陵(川端霊園)ではお堂の前に花御堂(はなみどう)をかざリ天地を指さした誕生のお姿を安置し、
甘茶をかけてお祝いする「花まつり」が行われていました。
ご誕生のとき「天にも地にも我一人」と仰(おお)せられたと伝えられますが、
子供頃は「天上天下を指差してお立ちになったお釈迦様」と言いながら甘茶をかけた思い出があります。



懐かしい久米・吾妻の写真等をご覧下さい。

   


春も深まって山の緑が新緑から深緑色に移り変わるころになると久米の大谷タンボに
メダカ、ドジョウ、ザリガニ捕りに行くのが楽しみでした。
学校の裏の麦畑や桑畑が広がる道をバケツ、ザル、網を担いで出かけていきます。
天空ではヒバリが、ピィーチク・パァーチクにぎやかに歌っています。
吾妻小学校の近くになるといつも「吾妻の学校ぼろがっこ〜♪」などと歌って急坂を下って行くと
一本橋と呼ばれる木製の橋がありました。

時々地元のいじめっ子に追われたりしましたが、畦道に沿った小川には沢山の金メダカやドジョウがいて、
畦道を歩くと赤蛙や殿様カエルが驚いて
次々と飛び出してきては小川に飛び込んでいました。
現在は松ヶ丘団地になり昔の面影は全く無くなっています。残念ですね。



歳時記・夏・