2003.5.31 2004.11.12


入道雲が白く、空が抜けるように青かった昔・・・・

夏の到来を告げる燕が町の中を飛び回る季節、夕方になるとコウモリが町中を旋回し子供達は下駄を投げると急降下してきます。

子供の遊び場にはアイスキャンディー売りのおじさんが自転車の荷台にアイスを積んでやって来ます。
町の中にもアイスキャンデー屋さんが3軒ありました。
近所の野澤屋さん(グラシスタワー前)、府中道(昭和通り)、プロペ通りにもありました。

氷屋さんもリヤカーに莚に包んだ氷を積んで魚屋さんをはじめ、各家庭に配達していました。
大きなノコギリで氷を切るシャキシャキと言う音も夏の風物詩の一つでした。




学校新道に来た風鈴売り

リヤカーに風鈴を沢山つけて風鈴売りがやつてきたり、回り灯篭も夏になると玩具屋さんや、荒物屋さんの店頭に並びます。
夜になると灯篭に灯を入れ軒先につるし、灯篭の絵がゆっくりと廻るのを見ながらスイカを食べたのも夏の風物詩の思い出です。

まだ、町中にものどかな風景が見られました。

所沢には泳げる川もプールも無く、マチの子供達は入間川や飯能の河原へ出かけていました。
久米の柳瀬川は当時は綺麗で吾妻橋の下や二瀬川のガードの下で泳ぐ事ができました。
釣りは久米や安松の柳瀬川まで出かけていきました。
途中、学校新道のサクラ堂や南倉庫(元・西武車両工場)の近くにあった大島屋さんで餌を買って出かけていました。
下安松のアカバッケの下は格好の釣りポイントでした。崖からは冷たい清水も湧き出していました。
所沢の民話にも出てくる曼荼羅堂の下の曼荼羅渕にはここで泳ぐと河童に引き込まれれと言われ近づくこともしませんでした。

町中にも時々夜になるとサイカチ(カブト虫)やエゾ(カナブンブン)が街灯の周りに集まってくる事もありました。
早朝、市街道の畑の中のクヌギの木に集まるサイカチ、カナブン、綺麗な七色の羽をした玉虫、クワガタらを捕りに行っていました。



   


夏休みに入り7月 14〜15日は有楽町のお天王様(八雲神社)の祭礼で、父母達は浦町のお天王さまと呼んでいました。
宵宮の日には早めにお風呂に入り、浴衣に着替えて、お隣の今田下駄屋さんで新調した桐の下駄を履き、お参りに行くのが楽しみでした。
お天王様は夏の疫病を払う神様です。
浦町は昔は廓やカフェ等が立ち並ぶ花柳界でしたので子供の頃は遊びに行くことは無く、
この日は秋田新道を入り、現在の割烹美好さんの前あたりの道を通って社殿の横から入って行きました。
当時は裏の新道は無く、沢山の木に囲まれた神社でした。
有楽町の家々荷は地口絵が貼られた行灯が架けられます。

お神輿が浦町界隈を練り歩き、道すじの家から厄落としの水がかけられます。
ここの天王様は昔は薬王寺の境内にあったそうです。
お参りよりも沢山の露店をひやかして歩くのが楽しみで、帰りは遊廓の三好亭前の三浦橋を渡り、海老屋横丁から大通りを通って帰ってきました。
最近は第三土曜日、日曜日に開催され、祭りの中心は境内で行なわれる民謡踊り、祭り囃子、
町内を練り歩く神輿になりましたね。
境内には明治十三年に町内の大阪屋惣兵衛により寄進された四神剣も飾られますので是非見て下さい。



銀座通りの七夕

織姫(オリヒメ)と牽牛(ケンギュウ)が年一度会う日の祝い、という伝統の行事で7月7日に行うのが一般的でした。
飾り竹は、その年の新竹を取ってきてこれに五色の短冊に願い事や、「天の川」「七夕」といった文字を子供が墨をすって書き
千代紙で折った飾り物と一緒に笹に吊るして七夕様をしていました。。
子供の頃は朝近所の芋畑に行き芋の葉についた朝露を集めた水で墨をすり短冊に願い事を書きます。
こうして字を書くと願い事が叶うといわれていました。
昭和28年頃から日吉町商店街から始まった七夕祭りは銀座商店街、金山商店街まで広がり盛況になり、
入間川の七夕よりも人出が多くなった事がありました。
我が家も家族総出で大きな竹で編んだクス球や造花をつけたりして店先に飾りました。

下の写真は我が家の七夕です。


 


七夕祭りの写真

所沢のお盆は旧暦ですので8月に行われます。
仏壇の両側に竹笹を立て麻縄を渡しホウズキを挟んで飾ります。ゴザを敷いた壇をつくり、ナスやキュウリに麻の茎を足にして作った馬、大きな水の入ったどんぶり鉢には里芋の葉を浮かべ、みそはぎの束を添えます。大きなスイカやカボチャ、まくわ瓜も添えます。
母親が飾るのをいつも手伝いながら甘いまくわ瓜を食べたのを覚えています。
スイカと言えば我が家では母親がお腹を壊すと言い、実は食べさせてもらえず、汁だけを味わってては口から出すように言われていました。
お盆さまの日はお嫁に行った姉夫婦達も皆集まり、母親が作った手打ちうどんを食べながら談笑するのが楽しみでした。 この習慣は今でも実家で続けられています。
13日のお迎えの日には夕方になると、あちこちから提灯とお線香を持った家族が店の前を通ってゆきます。顔なじみの方が多く皆さんと挨拶をしながら墓参りにいったものでした。
夕方になると提灯・水・オサンゴ(洗米)・花・線香などを持って兄弟全員でお迎えに行きます。
我が家のお墓は近くの墓陵(川端霊園)にあります。
ご先祖様をお迎えに行き提灯に魂を入れた灯を入れて帰ってくるのですが、振り返るとご先祖さまが帰ってしまうと言われ前だけを真剣に向いて歩いていました。
15日の送りの日も同じ様に振り返るとご先祖様がお墓に帰れなくと言われ同じ様に緊張しながら提灯を持っていました。

墓陵には将棋盤の上に墓石が乗ったお墓があります。近所に生れた江戸時代の将棋の隠れ名人と言われた福泉藤吉のお墓です。

所沢は昔から将棋が盛んな所でした。
夏になると店頭に縁台を置き、香取線香を焚きながら将棋を指すのが楽しみでした。
本将棋あり、はさみ将棋や将棋倒し、つみ上げたコマをくずさないように一つづつ抜きとったりと、遊びはいろいろだったけれど、
大人も子供も和気あいあいで、真夏の夜を楽しんだものでした。
道行く人も何時の間にか参加して将棋をさしていた事もありました。 私も大人相手に結構善戦していました。


旧暦の八月十五日の月を「十五夜」といって、季節の草花や食物を月に供え月見をする習慣がありました。
2階の部屋に小さなちゃぶ台を置き、月見だんご・けんちん汁・飯などで、
月見だんごは月齢に合わせて十五夜には十五個、十三夜には十三個を飾りました。
ススキを採りに飛行機原(ニコーキパら)に行きました。
現在の航空公園駅あたりは未だススキっ原でクツワ虫や鈴虫採りによく行きました。

満月のお月さんでウサギが餅をついていると良く話を聞きました。
今でもロマンティックな話を子供達にするのでしょうか・・
ロケットに乗って月に行く時代では無理な話でしょうか・・