2002.8.05  2004.12.12〜2007.3.01〜2010.5.3.


 

峰岸正雄さん「むかしのところざわ百景」より

スカイライズタワーの向かい吉村家具店の脇の道若葉通り向かい北側を入る路

明治43年(1910年)織物商・秋田伊三郎氏の尽力で川越区裁判所(登記所)、
所沢出張所庁舎が建設され大通りからこれに通じる道として作られました。
昭和初期は「あずま横丁」とも呼ばれていました。

 

秋田横町、秋田新道と呼ばれ、翌年の明治44年に所沢飛行場が開設されるとこの通りにあつた松葉旅館、玉屋旅館、細村屋旅館には
飛行場を取材する報道記者、役人、軍人らが宿泊、大正初めには東川を渡った浦町:有楽町通り沿いに町で指定した花町(遊郭)が誕生、
花街へ通う横町としても賑わいました。
所沢初の西洋料理店:美好軒があり、大正八年にフランスから航空技術を教授するためにフォール大佐一行が来日し
所沢唯一の西洋料理店を利用していました。

   

秋田家は屋号を井筒屋と呼び、路の途中を横切る東川には、
それにちなんで名づけられた井筒橋がかかっています。




銀座通りに向かって
昭和40年頃の秋田新道お菓子屋さんの先は細村屋旅館



2006.11 同位置
右側の駐車場には三階建ての蔵と酒屋さんがありました。


明治末〜大正時代に建てられた
秋田家の三階建ての土蔵がありましたが
2005年に取り壊されてしまいました。。



銀座通りにあった街灯が酒屋さんの前に一本淋しく立っていましたが
今は酒屋さんも店じまいし街灯も無くなってしまいました。。



登記所
川越区裁判所、所沢出張所開設後
秋田新道の突き当たりに登記所が開設されました。


松葉旅館
秋田新道にあった旅館で所沢飛行学校へ
新たに赴任してきた将校等が一時、住居が決まるまで。
利用していました。また、報道関連の記者たちも多く利用していました。
松葉旅館の他に玉屋旅館もありました。
終戦直前にこの付近に爆弾が落ち
米軍の爆風を受けたこともありました。




井筒橋を渡ると右側に銭湯:松の湯があり、浦町の花街の女性たちも利用していました・
峰岸正雄さん「むかしのところざわ百景」より






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