2002.10.14

BGM*重松流・地囃子

無形文化財・重松流(じゅうまつりゅう)祭囃子の創始者・古谷重松

重松は天保10年(1839)所沢植の宿(現・旭町)に生れました。生家は蒟蒻(こんにゃく)と豆腐の製造小売を、
兄と共に営んでいましたが、植の宿の麹屋を営む古谷源右衛門の養子になりました。

重松がどこで祭り囃子を習得し、独自の一派を創案したのかは明らかではありません、
一説には、府中の大国魂神社で笛を修業したとも云われています。

彼は生まれつきの芸人で、笛を吹きながら足で太鼓を叩いてリズムをとったと言う神業をやってのける人だったそうです。

幕末から明治期にかけては篠笛、小太鼓、大太鼓、摺鉦などを用いた神田囃子系の江戸囃子が改良され、新しいテンポの囃子が生れてきましたが、
重松流は、二つの小太鼓が、地(じ)と絡みに分かれてかけ合って、屋台囃子を盛り上げる効果を生む新しい芸風のため、
明治7年頃には所沢市域を中心に多摩地区にまでまたがる分布圏を確立する様になりました。

重松は明治24年(1891)没、川端霊園に眠っています。

「曳っかわせ」

圧巻は「曳っかわせ」と言われる、山車を引き回している途中で、他の町内の山車とすれ違う際に、
お互いの山車の舞台を向かい合わせにし、山車の舞台の上では重松流祭囃子の笛、太鼓、鉦、踊りが繰り広げられます。
この時、互いに相手のリズムに引き込まれないように囃子のたたき合いをします。
山車の上で演じることを前提に編み出された重松流祭囃子の神髄が堪能されます。


彼が明治七年に久保稲荷(入間市扇町屋)に奉納した絵馬
牛に引かれ、翁の人形をいただいた山車等が描かれています。