2002,12.12007.5.6

明治三十二年に浦町(有楽町)の薬王寺境内にあった所沢高等小学校が南原(みなみっぱら)の所沢町大字三本木に移ってきました。
これに伴い上の台の鍋屋横丁に平行する学校に通ずる新しい道ができました。



現在のダイエーの脇の道から所沢小学校に向かう道で学校新道ど呼ばれる様になりました。
新道が出来る以前は、この周辺は畑ばかりで南原(みなみっぱら)と呼ばれ人家はなかった所でした。
鍋屋横丁から実蔵院に至る通称「南原通り」と呼ばれる道沿いに人家がある程度でした。
 私もこの道を通って小学校へ通っていました。鍋屋横丁と新道の間には細い路地が平行に走りチョットした迷路の様でもあり
路地はほとんど日が当たらず薄暗い道でしたが新道を通うよりも何故か裏道を通って通学していました。
皆で連れションをしたりして、誰が付けたか「しょん便横丁」などと呼んでいました。
現在は中央通り商店街と名前を変えていますが、昔の名前は残して欲しいですね。

 成田屋さん
新道の左側に成田屋さんがあります。昔は料亭でした。
道を挟んで二つの家が繋がっているお宅でしたが今はこの橋も取壊されています。
現在も昔の面影をうかがえられる丸窓や繋ぎ目の跡が残っています。
、私の学生時代はうどん屋さんでした。
夜毎、友人達と集まってはこちらのお店から出前を取っていました。


 
大正時代に作られた大きな織物の工場がありました。
所沢織物も昭和初期には衰退の道を辿りはじめ
所有者の村田氏がここに昭和7年に当時としては
画期的な所沢初のマーケットを開設しました。
現在は在りません。



昭和30年ころ、学校新道の村田マーケット跡地のそばに醤油樽を利用したバー「大樽」がオープンしました。

おそらく、
市内で初めての本格的なショットバーバだったと思います。

 







ご意見、ご感想をお聞かせ下さい。

【著作権をお持ちの方へ】
 このページは、個人の趣味で非営利で作成しております。
もし不都合がありましたら、大変お手数ですがメールにて
連絡をお願いします。
このホームペイジに使用している画像データー等の著作権は、全てそれぞれの原著者に帰属します。
商用目的での二次的利用などは制限されています。ご注意下さい。