絵画は故峯岸正雄さん著・「むかしのところざわ百景」より



大正時代、数年間、手間ひまかけて丹念に造られた所沢で最も大きな蔵造りのお店でした。
国産織物の買継問屋でした。
瓦は小谷田(入間市)で焼いたものを利用していたそうです。

当時、飛行学校に時折来られた「宮様」が何度か此処にお泊りになられたそうです。
2001.OCT.15.
昭和初期に、所沢織物を全国的に知らしめ、生産販売高を上げた「湖月会」の結成や会(組合)の中心的役割を果たしてきました。
平岡商店の創始は入間市仏子の宮岡徳次郎氏で、八王子の仲買商である落合八郎衛門氏のもとで修業し、仏子に戻り平岡忠一氏の地所を譲り受け
「平岡」を名のり、屋号を「八」としました。商いは買継ぎで入間一帯の織物を扱っていました。
店は仏子にありましたが,所沢での市に加わるために、マチ内に「市日」だけ「取引所」を設ける様になりました。
これは明治初期から大正八年に日吉町に店舗を新築するまで続きました。
取引所は、はじめは旧上町(元町)のマルヤ(現/丸屋酒店)の庇(ひさし)を借りていました。
広さは間口二間、奥行き三間くらいで、板を置き座敷をしつらえます。市の日に、各機屋や仲買が織物を持ち込みます。
品物にもよりますが10反づつ束にし持ち込んできたそうです。これを確かめその場で手形を切り、又番頭が集めに廻ったそうです。
この品物は,整理屋と仕立屋に回して商品として小売ができる様にします。
大正初期には現在の栗原金物店のあたりに空店があり、これを借りて取引所を開き、この時には番頭も寝泊りできる様になったそうです。
大正八年三月に日吉町に店蔵、棲蔵、倉庫を新築しました。
三年かかりの工事で4月には盛大な新築祝いが行われ,当日は店裏に幕を張り、大神楽の祝いや酒が振る舞われ、華やかな一日だったそうです。
昭和初期には最盛期に達し、従業員も50人を超え、全国的な営業網を持っていました。
「湖月会」の事務所も此処に置かれ、所沢織物が綿から絹(銘仙)に代わり、盛り上がりをみせ、湖月会は夏物の縮(ちじみ)を手がけ、織物産業全体が飛躍しました。
戦後、織物業界の衰退から閉店してしまい、現在は店蔵は取壊されています。