2002.10.022005.1.25


日本初の飛行場の誕生


明治43年に陸軍の臨時軍用気球研究会の試験場として発足したのが始まりでした。
我が国初の飛行場として所沢が選ばれました。
768,873uを買収

明治44年初の飛行場が誕生し,日本最初の野外飛行に成功しました。

飛行記録だけではなく、国産第一号機(会式一号)、続いて徳川式飛行機など国産機の開発、
初のパイロットの養成、機関士、整備士の教育にあたったので航空の故郷、
日本航空発祥地と言われています。

日本初の野外飛行

アンリ・ファルマン機



明治44年6月
所沢飛行場で地上滑走中のアンリ・ファルマン機





所沢上空を飛行中のアンリ・ファルマン機
臨時軍用気球研究会の徳川大尉が、フランスで購入し、明治43年に日本に到着。
日本初飛行
明治43年12月19日に代々木練兵場において、同大尉による我が国初飛行が行われました。滑走距離約30mの後に、おもむろに離陸、練兵場の上空を二周して、その間、高度70m、速度53km/h、距離320m、滞空時間約4分間の日本初飛行でした。
日本初野外飛行
その後、所沢飛行場で、訓練飛行を行われました。明治44年6月3日に徳川大尉操縦、山瀬中尉同乗で、所沢〜川越間39.3km、高度159m、滞空時間32分45秒の日本初の野外飛行に成功しました。
その後も修理をかさね大正5年頃まで使われていましたが、飛行が不能になってからは分解され、長い間所沢飛行場の格納庫に保管され、後に所沢駅の近くに建築された航空記念館(現・西武車両工場跡地)で再び組み立て復元され、陸軍の記念飛行機として展示されていましたが、終戦直後、アメリカ軍に持ち去られ、ライト・パターソン空軍博物館に納められていました。

ファルマン機返還


昭和35年、日米修好100年、日本航空50年を記念してアメリカ空軍当局の厚意により現在の入間基地(元・ジョンソン基地)に空輸され5月20日に返還されました。
しかし、50年前の実機が残されたのは、機体の一部と動力関係だけで、他は殆んど再製されたものでした。
現在は東京万世橋の交通博物館に保存展示されています。


プレリオ12型・単葉機



複座機で、徳川大尉がフランスで注文し、所沢に搬入、組み立てられました。
明治44年4月、同大尉が操縦し岩本技師を同乗させた、国産初の同乗飛行に成功しました。
所沢では滞空時間1時間9分30秒、距離79km、高度320mの記録をつくりました。

日本初の野外飛行事故
明治44年6月9日
プレリオ12型単葉機が所沢−川越間往復飛行飛行訓練中に発動機に故障が生じて不時着し、機体を破壊し、野外飛行事故1号となってしまいました。

日本初の航空機事故犠牲者


日本初の航空機事故犠牲者

大正2年3月28日
木村中尉・徳田中尉の乗った「プレリオ単葉機12型」飛行機は突風に遭い、左翼を破損して墜落。両中尉は死亡。

東京青山練兵場での陸軍の観覧飛行へ所沢飛行場から参加し、その帰路に事故に遭ったものです。

航空公園内に慰霊碑があります。



ライト式複葉機



日野大尉がドイツで注文し、明治44年3月到着し、所沢で組み立てられた。
明治44年4月9日、同大尉により、飛行時間53分・飛行距離62kmの記録が作られた。この機の操縦は難しかった。

日本初の国産軍用機会式一号飛行機


会式一号飛行機





所沢航空発祥記念館のロビーに下がる会式一号機(レプリカ)
アンリ・ファルマン機を参考にして作られた、初の国産軍用機

所沢飛行場で飛んだ日本初の国産軍用機です。
1911(明治44)年、徳川好敏大尉の設計・製作により日本で初めて作られた軍用機。
この前年に代々木練兵場で日本での初飛行に成功した”アンリ・ファルマン機”を参考にして、より高い性能を持つ飛行機を作る事を目的として、所沢飛行場内で製作されました。
明治44年10月13日所沢飛行場で、徳川大尉自らの操縦によって初飛行に成功。
主に操縦訓練や空中偵察教育に使われ、同大尉の設計で4号機まで製作された。

 フランスで単独飛行練習中の徳川大尉(1910年10月)

会式イ号飛行船初飛行(1時間41分滞空)


明治44年10月・臨時軍用気球研究会による日本最初の軍用気球
徳永大尉らを中心に明治43年に設計を開始したもの


写真は明治44年所沢上空を飛ぶイ号飛行船と会式1号機

会式雄飛号飛行船(雄飛号)完成


大正4年4月
パルセヴァル式飛行船を改修した、国産初の飛行船
飛行実験後、翌年1月東京−大阪間の帝都訪問飛行が行なわれました。

当時の飛行場にあった飛行機をご紹介します。


大正8年には飛行場内に陸軍航空学校が創設され、陸軍航空師団が設立されました。



フォール大佐のフランス航空教育団による航空技術の教育開始されました。

この飛行場は軍の施設として拡充されてゆき、重要な役割を果たしてゆきました。


第二次世界大戦の終結後はアメリカ軍に接収されました。
その後、市民の返還運動も活発になり、昭和46年に通信施設を残して約6割が返還され、一部は航空公園に生れ変わったいます。

公園内には航空発祥記念館があり、広い館内には飛行機に関するいろいろな情報を見て、触れて体験できる様になっています。
沢山の航空機も展示されています。


資料:飛行機60年、日本飛行機100選。所沢市史

所沢飛行場の飛行機

所沢飛行場の歴史

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