2002.6.30 2005.1.182010.4.12

この地域が所沢に最初に集落が出来た所です。

東川の流れと古い街道が交差したところに集落が形成されました。

この辺をいつしか「河原宿」と呼ぶ様になりました。

峰の坂には奈良時代(710〜784)に建立された新光寺があります。弘法大師(空海)の東巡りは弘仁11年(820)とされています。
河原宿の生立ちは、近くの三つ井戸伝説からしても弘法大師が新光寺や河原宿に立ち寄ったであろうと思うと今から1200年以前に遡ることができそうです。

昔は、所沢と川越との商売の取引が非常に多く、
川越街道に向かうこの坂は多くの人達が往来していましたが急勾配のため難所の一つになっていた様です。


坂上には道標が建っていました。現在は文化会館前に移築されています。

現在は改修工事のおかげで、緩やかな坂道になっています。

この道は昔の鎌倉街道です

 
 
上の絵のの左側のお堂は「おしゃぶき様」です。

絵画は故峯岸正雄さん著・「むかしのところざわ百景」より

昭和8年頃 河原宿(現・宮本町・峰の坂方面)




大正から昭和にかけて大変不景気な時代が続きました。
この頃「救済事業」と言う名目で種々の土木工事が行なわれました。

所沢でも昭和4年にここ宮本町の峰の坂も大工事が行なわれました。
それまでの峰の坂は昔の自然の地形に少し手を加えたもので、したがって、
勾配もきつく、馬方や手車引き、牛車など「荷」を運ぶ人達にとっては難所でした。

坂の上には館場(たてば)があり、多くの人がここで一休みして行ったようです。

道沿いには荷車を押すのを商売にする人もいたそうです。

現在は改修工事のおかげで、緩やかな坂道になっています。

坂の上の近くの柿島商店は当時は2階家でしたが家の前の坂が削られたので、
入口に段差が生じてしまい、段差の所に一棟を建て増し変則的な三階建ての家になっています。
「おしゃぶき様」への石段は20段ありますが、その内の下8段はコンクリート製で上
12段の自然石とは明らかに異なります。
この下8段分が削られた量です。


東川を渡り左側に馬の町として親しまれた新光寺があります。

右側には町の守り神・神明神社があります。


昭和60年頃の河原宿(現宮本町)



現在の峰の坂


新光寺の入口に流れる東川は昔はお寺の北側を迂回して流れていましたが
川幅も狭く、底も浅かったので大雨が降るとたちまち周辺の家々に浸水するので
昭和7年に「救済事業」の一環としてお寺の南側に真っ直ぐ流れる様に工事が行なわれました。



明治の終わり頃、新光寺の裏に八王子の清水牧場の分店・内田牧場があり、100頭近い牛がおり、所沢市内に配達していたそうです。
昭和13年に寿町に明治屋を開業し、店頭販売を開始しました。
牧場は昭和19年に閉鎖されました。

町の氏神様として親しまれている神明神社の参道です。

鳥居をくぐると左側に大きなケヤキのご神木が立っています。
昔はこちらが参道でしたが、今では旧市役所裏からの参道正面に本殿があるので、こちらが、本当の参道であることがあまり、知られていません。
坂の途中にある共同墓地には所沢で一番古いであろう三上家の墓があります。
慶長八年1603年・三上山城守が所沢村を開墾(武蔵資料)した旧蹟柱、俳人、斎藤俳小星の墓と句碑があります。
 

慶長四年(1599)三上家の墓石


斎藤俳小星の墓にある句碑
 

三上山城守旧蹟

坂の途中の共同墓地の左側におしゃびき様があります。


おしゃびき様

お堂の中には寿和婦貴尊が祀られています。
首無しの石仏で、肩幅は広く、膝かしらは丸く高い。
摩擦が激しく両手も衣褶も不明で一見すると石塊のようにみえます。
スワブクと言う方言は咳が出るということを意味し、
百日咳に霊験があると言われ、首が無いので風邪にかからないし、咳も出ないと言うことで
風邪にご利益があると伝えられています。




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