
2001.5.17![]()
2002.7.4
2004.12.11〜2010.6.14

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日本の航空発祥の地“所沢”にちなんでプロペラより命名
された当商店街は、西武線所沢駅西口ロータリーより始まり
全長300m総会員100余店の市内で一番賑わっている商店街です。
以前は駅前商店街と言われていましたが、丸井等の大型店の進出で一時は旧町の商店街に替わり、
1日の通行量が5万人を超える日もある、県下でも有数のストリートでした。
現在は昔からの店は殆どチェーン店らの貸店舗になり、丸井も閉店し、昔馴染みの店主の顔が見られなくなってしまいました。
明治28年3月・川越鉄道(現・西武新宿線)が所沢停車場として開設されました。
当時は人家もまばらで地名も「新田」と言い所沢宿の場末で竹林と畑も多い所でした。
昭和30年頃の市街地です。![]() |
大正末〜昭和初期・? 所沢駅東上空から プロペ通りも家もまばらです。 上のYの字の道はねぎしの交差点 |
大正から昭和にかけて、不景気が続き、多くの失業者の為に「救済事業」という名目で、所沢でも種々の土木事業が行なわれました。
府中通り(現昭和通り)の拡張工事もその一つでした。
上の写真で見る様に昭和の初年頃までは、駅付近は日吉町と呼ばず、新田と呼ばれ、町の場末で粗末な長屋、空家が多く、貧乏通りと言われていたそうです。
但し、名物の焼きだんごの店だけは香ばしい煙を漂わせていたそうです。
明治時代の駅前商店便覧![]()
明治32年の駅前商店街をご紹介します。

![]() 昭和40年頃の所沢駅 |
![]() プロぺ通り昭和40年頃 |
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| 左写真右側の民家は旅館角三上・現在東口に移住 駅前もすっかり様変わりしています |
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| 駅の右側には初の日本航空事故の犠牲者 の銅像がありました。 後に西武園、入間基地等を転々とし、 現在は航空公園の中に安置されています。 |
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| 大型店舗の進出で昔からの老舗の数が少なくなってしまいました。 昔から残っている店舗もノガミ写真商会、いせき、松月堂、マコトヤ、並木フルーツ、 玉屋菓子店、福井薬局、海老屋商店、日の出屋、島田印房程しかありません。 以前のタカキューさんの所には戦後間もない頃ままで専売公社があり、 子供の頃母親と一緒にタバコの仕入れにゆき、乳母車に積んできました。 後に高田お菓子屋さんになり屋上にビアーガーデンが出来バンド演奏もしていました。 松月堂さんの奥には製材所があり、風呂の燃料にするおが屑を買いに行き、 リヤーカーの後押しをしていました。 丸井の角には小沢石油店のガソリンスタンドがありました。 昭和通りに現在ある西武車両工場は通称南倉庫と呼び、 戦時中は日本の飛行博物館だった様です。 沢山の日本を代表する航空機の数々が保管されていたそうですが、 以外と知られていませんでした。 横の道を入ると小さなジャズ喫茶スワンがありました。 モダンジャズ・ブームの頃良く聴きに行っていました。 現在は新所沢に移っています。 福井薬局さんの隣にアイスキャンデー屋さんがありました。 真向かいにマスダ写真館があり、成人式の記念写真や受験の写真もここで撮りました。 昭和通り(府中街道) 昭和通りには所沢で一番大きな新井病院がありました。 戦時中飛行場で敵機の攻撃を受けて負傷した人達が担架に乗せられ 私の店の前を通って病院に行くのを何度も見ていました。 丸井の裏・昭和通りには本橋材木店があり材木が立ちならんでいました。 隣に喫茶店・三幸があり学生時代の溜まり場でした。 昭和44年頃、現飯能信用金庫の所に住んでいた昭和44年、戦後最大と言われた 駅前のマーケットが火事になりました。 今でも名残の店が残っていますが、昭和通りまでは通り抜けが出来ません。 ここには、30軒近いお店が並んでいました。 |
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