2002.8.102011.7.16.


所沢市の市章

トロロ芋説
所沢の地名の起源は、平安時代の初め「伊勢物語」の主人公と言われる在原業平(ありわら・なりひら)「東下り」の折り、この地を訪れ、東川を挟んだ両岸に野老(ところ)(山芋)が多く野生しているのを見て、中将が「これ、この地は野老の沢か」とつぶやいたのを、出迎えの土人(とちのひと)が「今、上方からお越しの偉い人がこの地は(ところの沢)かと言われあので、自分達の地名かも知れない」とささやいて以来、野老沢と呼ぶようになったとの言い伝えがあります。

しかし、当時の所沢の地形は周囲に丘陵を控えた凹地形であり、中央部を西から東に流れる東川の水量はかなり豊富であったと考えられているが、反面、「野老」という山芋に似た草は乾燥地区に多く植生し、湿地帯には殆んど見られないと言う事から見ても、この説が所沢の地名の起源であるとは断定できませんが、所沢市の市章はヤマイモ科の「野老・ところ」の葉を図案化しています。

アイヌ語説
他には地形から見て、アイヌ語のト・オロ・ベツ(沼を持つ川)が所沢の地名の由来だとする説があります。
北海道の常呂(ところ)の地名もこれから付けられたようです。

ふところざわ説

所沢の東川は以前は宮本町附近で大きく曲流していたので、渕瀬が出来て岸辺が深く削られて、丁度着物を着た時の懐のようになっていたので、この名が付き「ふ」の一字が略されて「ところざわ」になったと言う説

とぐろざわ説
昔の宮本町附近の東川は曲流(蛇行)しており渕瀬に渦巻く水はさながらとぐろを巻いた蛇の様であったので「とぐろざわ」の名が起り、後に「ところざわ」になったと言う説

「野老の繁茂する沢」アイヌ語の「ト・オロ・ベツ」「フトコロ沢」「とぐろざわ」説らがありますが、いづれも確証することは出来ません。



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