2002.8.3〜2003.7.102006.6.22~2011.10.29.



起源・由来 天王様は、疫病神社で怖い神ですが、それだけに利益をもたらしてくれる神とも言われています。
 「天王様」はかつては牛頭天王(ゴズテンノウ)を祀る天王社と呼ばれていましたが、
 明治の神仏分離により素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭神とする、八雲神社として生まれ変わりました。
昔、疫病が浦町(有楽町)に流行して、神輿でも出して水でもかければ疫病も鎮まるであろうと言うことでこの祭りが始まったと言い伝えられています。

もともと薬王寺の境内に祭られていたのが、明治維新の際に、八雲神社として一時神明社の境内社となっていたことがあり、その後薬王寺の境内に移され浦町(有楽町)の所有になり、現在地に移されました。

  

  




祭りに際しては社殿に江戸時代に作られた獅子頭一対が飾られます。








 







地口絵について


有楽町のうらまちにある八雲神社・お天王様は私の子供頃は裏を通る行政道路は無く、木々に囲まれた静かな社でした。
夏休みに入り最初のお祭りで、宵宮には新調した浴衣を着せてもらい、新しい桐の下駄を履いて、夜店を覗き、駄菓子を買うのが楽しみでした。

毎年七月十四、十五日が祭日でしたが、最近は第三土曜日、日曜日に開催されています。

有楽町の家々には地口絵が貼られた行灯が架けられます。

昔から祭りの日になると町内の旦那衆が社に詰め、参詣に来る人達を大きな御幣
(ごへい)でお祓いをしてくれます。








神輿は中に獅子頭が納められています。
この神輿は、元来、普通の神輿の様に大勢で担ぐものではなく一本の棒を差し込んで後ろ前で担いだものだった様です。
現在は大勢で担ぐ様に改造されています。

神輿の通る道沿いの家ではバケツ、水桶に水を汲んでおき、威勢良く
神輿に水をかけます。

 


  



現在は祭りの中心は境内で行なわれる民謡踊り、祭り囃子、町内を練り歩く神輿になりました。




境内には明治十三年に町内の大阪屋惣兵衛により寄進された四神剣も飾られます。



四神というのは東西南北を守る神のことで、東は青龍(せいりゅう)、西は白虎(びゃっこ)、南は朱雀(しゅじゃく)、
北は玄武(げんぶ)と言い、これらの彫刻し、剣に付属させ、
祭りの行列に持ち歩くのを四神剣と言うそうです。



左の絵に玄武の像が描かれています。


江戸名所図会 開陽の部より大倉前総鎮守 祇園の社 別当大円寺

青龍

白虎


朱雀




玄武