これは「戦争」ではない  カブールで考えたこと

2002年1月8日 
     
辺見 庸 作家
      元共同通信記者。91年に芥川賞受賞。
      新刊に「単独発言―99年の反動からアフガン報復戦争まで」。
      昨年10月9日付紙面で「道義なき攻撃の即時停止を」と呼びかけた。
      57歳。

出典:朝日新聞大阪本社版 2002年1月8日付け 
    『私の視点』特集・アフガン空爆その後


 
 この身で風景に分け入り、ありとある感官を総動員して紡ぐ言葉と、書斎で想像をたくましくして紡ぐ文言の「誤差」が、どうも気になってしかたがなかった。だから、私はカブールに行ってみた。果たして、誤差はどうだったのか。ほんの短期間の取材だったけれども、米軍によるアフガニスタン報復攻撃につよく反対する私の考え方には、毫(ごう)も変化がなかった。この点、修正の必要はない。イヤ、アフガン取材後、非道な報復攻撃への憤りは、かえっていやましにつのった、といっておこう。ただ、もともとの想定を改めざるをえない点、そして、風景の細部なのだけれど私にとっては大きな発見が、いくつかあった。

 ターコイズブルーの絵の具を塗り、上薬をかけ、さらに布で丁寧に磨きあげたようなカブールの空に、私はいつも見ほれていた。市内のアスマイ山頂から見はるかす街並も、賢者たちの設計による中世の都市の遺跡に似て、何やら夢見心地になるほど美しい。そう、この街を見る時に、ふさぎこまないですむやり方を私は考えだそうとした。いわば、悲しみを避けるための遠近法だ。それは、空を見上げているか、もしくは、なるべく遠めに像を見ること。

武力制圧者の「正義」

 だが、そんな遠近法は、実際には、荒ぶる風景にたちまちにして壊されてしまう。国連機でカブールのバグラム空港に降り立ったその時から、怒り、悲嘆、疑問が、胸底でたぎりはじめるのだ。空港で私の荷物チェックをしたのは、アフガンの係官ではなく、米海兵隊員とその軍用犬であった。いかなる手続きをへて米国がそうした権限を得るにいたったか問うても、まともな答えは返ってこないであろう。武力で制圧した者が、ここでは「正義」なのである。

 遠目にしていようという心の声を振り切って、私の眼(め)はたくさんの人の眼に吸い寄せられていった。たとえば、米軍による誤爆現場で生き残った幼児のまなざし。ものすごい爆裂音で鼓膜も破れてしまったその子は、精神に変調をきたし、絶えず全身を痙攣(けいれん)させながら声を立てて笑っていた。他のショック死した多くの赤ん坊や老人にくらべれば、その子はラッキーだったと言えるだろうか。眼が、しかし、笑ってはいないのだ。血も凍るような光景を瞳(ひとみ)に残したまま、これ以上はない恐怖のまなざしで、頬(ほお)と声だけがへらへらと笑っているのである。ジョージ・W・ブッシュ氏のいう「文明対野蛮」の戦争の、まぎれもない実相がここにある。全体、だれが野蛮なのか。 

 カブールが「解放」され、女性達がブルカを脱ぎはじめているというテレビ報道があった。しかし、この遠近法には狂いがある。ほとんどの女性はブルカを脱いではいない。やはりもっと近づいて見た方がいいのだ。ある時、私は煮しめたような色のブルカをきた物ごいの女性に近づいてみた。凍(い)てついた路上に痩(や)せこけた半裸の赤ん坊を転がして、同情を買おうとしていた。顔面中央を覆うメッシュごしに、彼女の眼光がきらめいた。案外に若い女性であった。これほどつよい眼の光を私は見たことがない。その光は、哀願だけでない、譴責(けんせき)、糾弾、絶望の色をこもごも帯びて、私をぶすりと刺した。ブルカは脱ぐも脱がないもない、しばしば、生きんがための屈辱を隠してもいるのだと知った。

一方的「襲撃」だった

 夜の帷(とばり)につつまれると、カブールではひどくたくさんの犬が遠吠(とおぼ)えをする。何を訴えたいのか、ただ飢えているだけなのか、長い戦乱の果ての廃虚(はいきょ)で、またタリバ−ン兵の死体が多数埋まっているという瓦礫(がれき)の上で、犬たちが臓腑(ぞうふ)を絞るような深い声で鳴きつづける。じっと聞いていると気がふれそうになるから、ときどき両手で耳を覆いつつ、私は考えた。戦争の定義が、武力による国家間の闘争であるなら、これは断じて「戦争」ではない、と。だれに訊(たず)ねても、激しい交戦などほとんどなかったというのだ。それでは、米英両軍によってなされたこととは、いったいなんだったのだろう。それは、国際法も人倫の根源もすべて無視した、計画的かつ一方的「襲撃」だったのではないか。

 クラスター爆弾の不発弾が無数に散乱するカブール郊外の麦畑で、私はひとしきり想像した。まったく同じ条件下にあるならば、米軍はアフガンに対して行ったような理不尽きわまりない空爆を、ボンやリヨンやメルボルンに対し、やれるものであろうか、と。クラスター爆弾だけではない、戦術核なみの威力のある大型爆弾(デイジーカッター)を、アフガンより数百倍も生活の豊かなそれらの現代都市に投下することができるか。おそらく、やれはしないであろう。そこにも、アフガンへの報復攻撃の隠された犯罪性があるのではないか。このたびの報復攻撃の裏には、冷徹な国家の論理だけではない、だれもが公言をはばかる人種差別がある、と私は思う。それにあえて触れない報道や言説に、いったいどれほどの有効性があるのか――私は怪しむ。

本当の国家再建遠く

 それにしても、米国の支援でタリバ−ン政権を倒した北部同盟軍の規律のなさはどうだろう。まるで清末の腐敗した軍閥である。幹部が昼日中から街のレストランに居座り、飢えた民衆を尻目(しりめ)に盛大に食事をしている。子細に見ると、それら幹部は、いまのところ形勢有利なタジク系のスンニ派であり、かつてタリバ−ンを形成していたパシュトゥン人らは肩を落とし、小さくなっている。だが、北部同盟軍の将兵らには何ヶ月も給料が支払われていないという。彼らは、かつてタリバーン兵がいた兵営で、なにするでもなく暮らしており、一部は夜盗化しているともいわれる。勝利の分け前を主張する北部同盟各派の内訌(ないこう)は必至であり、本当の和平と国家再建には、なおいまだしの感がある。

 ある日、米軍特殊部隊や北部同盟兵士らが、空爆で殺した兵士の遺体から、指を切り取って集めているという噂話(うわさばなし)を耳にした。米側がDNA鑑定をして、オサマ・ビン・ラディンやその側近のものか、確かめるためだという。山岳部を中心に猛爆撃を加えては、死体の指を切り落とし収集するという、およそ文明とも文化ともいえない作業を想像して、私は身震いしたことだ。

 この冬、飢え死にしかかっている何万ものアフガン民衆のことなどまったく眼中にない、ひたすら無気味な報復の論理だけが、ここには、まかりとおっている。

 私はカブール滞在中に、日本でのいわゆる、「不審船」騒動を知った。冷静な分析を欠いた過剰かつ居丈高な反応が相次いだ。その時、脳裏をかすめたことがある。不審船の出所とみられる国への、有無をいわせぬ「米国方式」の軍事攻撃である。杞憂(きゆう)であろうか。いや、アフガンにおける米軍の傍若無人のふるまいを見るならば、この暴力方式の他地域への適用は、現実的といわなくてはならない。いまからつよい反対の声を上げておくにしくはないのだ。

 

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