
![]() |
当時も今もここには 五條天神社 が鎮座しています。右の立て札 にも「社伝によれば、延暦十三年 (七九四)、桓武天皇の平安遷都 にあたり、大和国宇陀郡から天神 を勧請したのが当社の始まりとい う」と書いてありますように、平安 建都の際に、弘法大師空海によ って勧請された由緒あるお社です。 |
![]() |
『宇治拾遺物語』には、醍醐天皇の御代に、ここの境内の柿の木に偽の仏が現れたというエピソードなども 残っています。また、『徒然草』二〇三段にも 疫病退散の神として このお社のことが登場しています。 さらに、室町時代になりますと、疫神そのものということになったそうで、『看聞御記』によれば、1421年に 疫病が流行した際、「監督不行き届き」ということにでもなったのでしょうか(^◇^; この五条天神に流罪の命 令が下っているのだそうです。 このお社には 今でも節分になりますと、厄除け祈願のために多くの参詣者が 集まるそうですよ。 そうそう、この五条天神へと向かう道(現在の西洞院通=かつての西洞院大路)を北上している途中で、現 在の五条通を越えた辺りの右手(東側)に続く二町が「なにがしの院」のモデルのひとつとされている千種殿 にあたります。 千種殿は文人として著名な具平(ともひら)親王の別邸で、親王には身分は低くとも熱愛する雑仕女「大顔」 がおりました。ある仲秋の名月の夜、親王は大顔を伴って観月に出掛けるのですが、大顔は月見の最中に 急死してしまったのです。このことは、当時の宮廷で 大評判の事件として 広まりました。 というわけで、この事件が「夕顔」巻に着想を与えたのではないかと言われているのだそうです。 また、ここ千種殿には、和泉式部と藤原保昌の夫婦も住んでいたことがあったんですって。(^_^) |
||
[トップぺージ] [ゆかりの地巡りTOP] ![]() |