● 此附近源融河原院址



「此附近源融河原院址」の石碑 下京区木屋町通五条下ルにある
「河原院址」の石碑の横には 榎
の老木が茂っていますが、この榎
にはいわれがあります。
この辺りはかつて「籬の森(まがき
のもり)」と呼ばれ、もと河原院の
邸宅内の庭の中の島「籬ノ島」が
鴨川の氾濫によって埋没し、森と
して残ったものであると伝えられて
いるのです。(竹村俊則著『昭和京
都名所図絵』洛中参照)
ただし、これは「あくまで伝説であ
る」ということですので、その点は
お含みおき下さいね。(;^_^A
まっすぐにしてみました(笑)

さて、この「籬の森」、明治初年まではあったそうなのですが、押し寄せる都市化の波には逆らえず、
今では この森を偲ばせるものと言えば、石碑の横の老木だけになってしまったということです。

また、この石碑の位置も、平安京復元図にあてはめてみますと(ほんの少しではありますが)残念な
がら河原院の東側にはみだしていることが確認できます。(^◇^;)

まっ、そうは申しましても、本来「河原院」というのは「東京極大路と鴨川の間に営まれた邸宅」を指
すそうですので、その観点で考えれば、これはもう間違いなく「河原院」の跡ということになるわけです。

せっかく見に行ったのですから「ここは まぎれもなく河原院址だった ( ̄^ ̄)キッパリ」ということに
しておきましょう。(笑)
怪しげな祠と斜めに傾いた石碑(笑) ←そうそう、この写真ではけっこう普通っぽいですが、
  実際に中を覗くと、なんだか 怪しげな祠もありまし
  たよ。(゚-゚)b

なお、河原院については、他にもいろいろ調べたことがありますので、「つれづれなるままに」
コーナーの「河原院あれこれ」もご覧下さいませ。(^o^)


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