倉田まり子一瞬の夏>

 

さて、このあたりのアイドルになれば

本当に『懐かしい』という感じが

してきます。

長崎の方なんですよね? 

たしかそうでした。お母さんがいらして、

その面倒を見ないと・・・という

山口百恵のような境遇だったような。

ええっと、デビューは1979年。

丸20年おいおい!そうか20年かあ。

 

 

この頃からシュールくんはアイドル好きで(笑)地元のデパートのオープニング

イベントに、彼女と海援隊(武田鉄矢がいたフォークグループ)が出る!というので

学校をサボり(やな中坊だ)朝10時から並んだ記憶がある。

 

倉田まり子は当時シングル第2弾の『HOW!ワンダフル』が結構売れていて

その年秋からのグリコのCMにも出始めたまさに旬のアイドルだった、今でも

あの時の『白の下地に赤のライン』の入った、まさにパチンコ屋の開店(笑)

を連想させるようなワンピースを着、スカートをブルンブルン振り回して

『HOW!ワンダフル』を熱唱する彼女の姿が目に焼きついてる。

余談だが、武田鉄矢もまさに『金八先生』が始まる直前でそのPRをこの時

やってた。まだイロモノの武田が、倉田にチョッカイを出すといった構成の

イベントだったような記憶がうっすらと残っている・・・・。

 

倉田が一番パワーがあったのは79〜80年の2年くらいで、あとは段々と

影がうすくなっていく、よく顔が似ているといわれた石川ひとみと入れ替わる

ように、彼女の芸能界の位置は段々と落ち目(ごめんねファンの人!)になり

あだち充のアニメ『ナイン』(『タッチ』より、こっちの方がシュールくんは好きです)

のヒロイン・中尾百合の声をやったり(もっともそれも一度。次にやったのは安田成美)

唄も出してはいたが、どうも記憶にない(笑)記憶にあるのは週刊プレーボーイの

水着のグラビア(笑)スタイルは抜群!という程ではなかったが 水着の布面積が

段々小さくなっていったのを複雑な心境で喜んでいました(笑)

  

そしてあの投資ジャーナル事件*が倉田の身に降りかかってくるのは

84年の10月。世の中はまさに、豊田商事の詐欺事件を筆頭にバブル前夜の様相。

倉田は投資ジャーナルの中江滋樹の愛人とまで言われ(事実はどうだか藪の中)

7000万円もの邸宅を贈与されたとしてワイドショーに追いかけられて

清純派から一転ゴシップ女王に変身してしまうことになる。

 

一番印象に残っているのはその事件の釈明記者会見、まさに江川事件

連想させるようなマスコミの集中放火を浴びながらも、キッと取材陣を睨みつける

倉田の表情というのは、まさに鬼気迫るものがあった。

疑惑の7000万の邸宅がもし贈与なら、国税局や東京地検が摘発するという

事態にもなりかねないとワイドショーは騒ぎ立て、雲隠れした倉田を追いかけまわした。

のちに贈与ではなく、投資ジャーナル系のノンバンクから借りた金だという

証拠が出てきて一応疑惑は晴れたのだが、もはや倉田は芸能人としての命運を

断たれてしまう、その後も何度かヌードでの復帰の噂が立ったが、2度と姿を見る

ことはなかった。

 

倉田まり子にとって、芸能生活は『一瞬の夏』だったのだろうと思う。

 

前途洋々、アイドルとしてもそれなりに人気もあった23歳の倉田に突然振りかかった

あの事件・・・・子供の時から苦労を重ね、自分の家を持ちたいという夢

早急に追いつづけた結果の末、一度は夢を叶えたかに思えた彼女の手元には

結局何も残らなかったのだ。もし中江某に出会わなければ、時間は掛かったかも

しれないが、芸能界で自分の夢を叶える術を見つけていたのかもしれなかったのに。

彼女の上昇志向があまりにも事を急ぎすぎたような気がしてならない。

 

のちに倉田自身がわずか7年間の芸能生活を『天国の5年、地獄の2年』

語っていたと言うジェットコースターのような芸能生活を振り返ることは

あるのだろうか・・・・都内でOLやっているとか、結婚して子供が出来たとか、

風の噂には耳にするが・・・・幸せに暮らしていることを心から願ってやまない。

 

 

倉田 まり子(くらた まりこ)

1960年11月20日生

NHK『レッツゴーヤング』にてデビュー

 

*投資ジャーナル事件・・・・戦後最大の証券詐欺事件